第六章 「ニーシュ」

Ⅵ 暗殺者と竜 (1)

ヤクト大陸は他の五大陸とは違い、大きな国を持たない大陸である。小さな部族がいくつか見られる事と、罪を犯したために国を追われた者や、人との交流に疲れた者が世捨て人としてこの大陸に訪れることが多い、とされている。それもあってか、基本的にこの大陸にはどのような自然があり、村や町があるのかということは、他の大陸にはほとんど伝わっていない。この大陸を訪れようとするならば、余程出来の良い船を、腕のいい船乗りが操縦しなければ難しいだろう。荒れることで有名なテューラ海の、最も荒れる海域を越えなければならないのだから。もう一つ方法があるとすれば、空を越えて大陸に入る事である。

 そして空から来た彼らは、ヤクト大陸で一番大きな草原、フォッカ草原に横になって語らっていた。


 「あのクソ親父め。このヤクト大陸に集中させやがって」


 ブツブツとシュラは文句を言いながら、皇の路の巻物を開いて眺めていた。一つずつ目的地を攻略していこうと思ったときに、突然ヤクト大陸に多くの印が付いていることに気が付いた。そして横で見ていたエリアが難しい顔をしたので、シュラはどうしたのか、と声を掛けたのだ。


 「六大陸なんて言っても、このヤクト大陸はまともに国もないから交流もないし、人の間では伝説の大陸、なんて呼ぶ人もいるくらいだからね」


 シュラの横で寝転がっているエリアは、シルヴァーレで貰った鞄からウサギの干し肉を取り出してひとかじりした。


 「この大陸に来て、どれくらいになるんだっけか」


 横になったままシュラはエリアに尋ねた。エリアは「えっと」と言って、ヤクト大陸で拾った大きめの石を鞄から取り出す。その石に日にちを忘れないように、一日ごとに傷を付けているのだ。


 「四十日くらい、かな。もうそんなになるんだね」


 ヤクト大陸には地図が存在――厳密には、ヤクト大陸の詳細の地図が存在――しない。なので次の皇の路を辿ろうにも、まずは目印になりそうなものを探すところから始まるのだ。おかげでシュラたちはまともに目的を達成することも出来ずに時間を使ってしまった。とはいえ、ヤクト大陸における皇の路は残り一つ――順番通りに辿り、ここで一度数字が切れているのでひと段落――になったので、こうやってのんびり草原に横たわり、空を眺めていられるのだ。エリアは上体を起こして、言った。


 「そろそろ、良い時間かな。今日の晩御飯、どうする」


 流石に空も赤く染まってきたので、今日の最後の食卓を考える必要がある、とエリアは思った。シュラはこともなげにエリアに言う。


 「あれで良いだろ、あのキノコの焼いたやつ。俺はあれが好きだ」


 簡単に言ってのけるシュラに対し、エリアは顔を強張らせた。


 「あのキノコ、見分けるの結構難しいんだよ?」


 未開拓の大陸であるヤクト大陸に生息する動物、植物は図鑑になど載っていない。おかげでエリアとシュラはお腹が空いたと言っても気軽に獲物を狩ることが難しかった。シュラは相手の性質が分からないので、野生の動物を狩るのに最初は手こずった。ウサギの一匹も狩ることが出来ない日もあったほどだ。エリアも、シュラと自分の命に係わるので、野になっている野菜や木の実を探して小さな森に入ったことがある。危険な動物こそいなかったが、採ったキノコが毒キノコで食あたりを起こしたこともある。飲み水も外れだった日には三日も寝込んでいたことがあるくらいだ。そして、今シュラが望んだキノコは確かに焼くととても美味しいが、毒キノコと模様がよく似ているので判断が難しいのだ。


 「じゃあ、どうする?」


 シュラがエリアに気を使ってかそう言ってくれたが、エリアは首を横に振った。


 「良いよ。ちょっと待っていて」


 見分け方についてはほぼ完璧であることと、仮に毒キノコだとしても上手く下準備をしてしっかり火を通せば、食べられないわけではないことをエリアは知っていた。そして、そのまま森に入って行った。



 森の中の景色にも大分慣れていた。どこに幹があって、どこに葉が鋭利に尖っている木があって、と身を以て体験した痛みを忘れないようにしてきたのだ。目を瞑ってというのは流石に無理だとは思うが、もう道は覚えていた。

 フォッカ草原の近くにある森は猛獣がいないので、シュラも安心してエリアを送り出すことが出来る。エリアも完全に安心して目的のキノコを捜そうと足元にのみ集中していた。

 ガサッという音が聞こえた。思わずエリアは音のした方角を見つめた。しかしそれ以降動きを見せるものはなかった。恐らく小動物なのだろう、と思いながらも出来るだけ視線を音の方角から逸らさないようにして歩みを進めた。今まで注視していた足元を見なかったからだろうか、そのピンと張られた糸の存在に、エリアの足が触れるまで気付かなかった。


 「えっ」


 最初に痛みを感じた。痛みといっても肉が裂けて血が出た、というわけではなかった。ピンと張られていた糸に足を取られ、前のめりに倒れたのだ。何とか受け身はとれたので手のひらがジンジンと痛むが、それだけだった。

 次にその音が聞こえた。自分の背後でヒュン、という風を切る音と、ズドン、という何かが木にすごい勢いで刺さる音が聞こえた。エリアはそれが一体何だったのか、全く分からず、ただ後ろを振り向いた。

 そして、その光景に驚愕した。自分がさっきまで立っていた横にある木の幹、それも丁度エリアの頭くらいの位置に、大きな矢が刺さっているのだ。音の正体がこれであることは明白だった。その矢は人間が弓で引けるであろう大きさには見えなかった。これが刺されば例え熊であろうとも命を落とすだろう。

 最後にエリアは恐怖した。「これ」がもしも自分の頭に刺さっていたら?もしも自分がさっきの糸で転んだとき、前のめりに倒れ込まなかったら?想像するだけで身震いがした。何とか命拾いをしたが、一つ間違っていればこの未開拓の大陸で生涯を終えることになったのだろう、とエリアは確信した。


 「……あの、糸って」


 エリアは自分の脳裏に浮かんだことを思わず声に出してしまった。あの糸に足を取られて助かった、というように考えようとしていたが実際には違うのではないか、ということだ。あの糸がこの矢を発射させるための起点だったのではないだろうか。つまり自分が躓いた糸は罠だったのではないか、とエリアは考えた。


 「だ、誰かいるの?」


 エリアは全力で声を張り上げた。この大陸には世捨て人や罪人しかいないはずだ。まさか他の大陸の罪人がこの罠を仕掛けたのだろうか、とエリアは考えたがすぐにその考えを捨てた。

 ヤクトに運ばれる罪人というものは大陸の僻地に追いやられるという話を聞いたことがあった。国によって違うだろうが、大概は着の身着のまま両手に枷をつけてそのまま船から落とすだけだという。フォッカ草原は大陸のほとんど中心であり、身体を不自由にしたまま簡単に来る距離ではないはずだ。しかも手に枷を付けたままこんな手の込んだ罠を張れるものだろうか。そして昨日この道を通った時にはこんな罠はなかったはずだ。この十日ほどずっとこの森に入っているのだから、間違いはないだろう。

 一度立ち上がったエリアは、そのまま先程倒れ込んだときと同じ態勢に屈んた。すると、森の中にいくつもピンと糸が張り巡らされているのを見つけた。エリアは立ち上がって自分の鼓動が早くなっているのを感じた。


 (誰かが、いる)


 それも、恐らく危険な人物だ。決してエリアを、人を殺そうとしていると決まったわけではない。あくまでも獲物を捕らえるための罠の可能性もあるのだから、とエリアは自分に言い聞かせようとした。エリアが視線を変えると、丁度自分の真横に、木に刺さっている矢を見つけた。自分の目線の少し、上である。

 エリアは、自分が誰かに城の屋上から突き落とされた時の事を思い出した。突然脳裏に浮かんできたその光景に、吐き気を催し、膝をついて胃の中のものをぶちまける。忘れようとしていた光景だったが、自分の命の危険に対してあの時の恐怖が蘇ってきたのだ。


 「……シュラ」


 エリアは来た道を戻って、ともに旅をする仲間のもとに戻ろうと、立ち上がって歩みを進めた。

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