Ⅴ 闘技場にて (5)

 巨漢の男はロカの頭を掴んでいた。ロカは髪を引っ張れる痛みに涙目になりながらも、男を睨みつけた。


 「ちょこまかと動き回っていたが、流石に疲れたみたいだな。これで終わりだ!」


 そう言ってロカの頭を掴んだまま、グイ、とロカの身体を持ち上げ、ある程度の高さにまで上げたかと思うと、パッと手を離した。


 「くっ!」


 空中で身体を思うように動かすのは難しいことを巨漢の男は知っていた。そして地面に向かって落下していくロカの横腹を思い切り打ち付けようと、自身の持つ木の剣を横一閃に力づくで薙いだ。

 ロカはその軌道を眺めた。いちかばちか、自分を信じてみることにした。空中で自分の身体を屈ませようと、両脚の膝をグイっと持ち上げる。丁度巨漢の男の剣筋の直線上の軌道から身をかわすことが出来た。そして、その屈めた脚を、今度はグイッと力ずくで伸ばした。それはまさに、巨漢の男の剣筋と重なって剣の横腹に着地した形になった。


 「うおぉりゃぁ!」


 叫び声を上げながら、剣の腹の上で跳び、巨漢の男の額に自分の頭をぶつけることに成功した。ガッという音が響き、その痛みにロカはうめき声と涙が零れた。

 ベタン、と尻もちをつく形になったロカは、次の一撃が放たれたら、負けるだろうと確信していた。しかし、目の前の巨漢の男はフラフラと後ろによろけて、三歩ほどするとバタリと仰向けに倒れた。

 ロカはポカン、とその一部始終を他人ごとのように眺めていると、四方八方から自分の名を呼ぶ歓声が聞こえた。それでロカは確信した。自分は勝ったのだ、と。


 会場の中で大きく拳を上げるロカを讃える声が周りから聞こえてくる。ロカの母はエリアの手をギュッと握りながら、ひたすら溢れる涙を拭っていた。


 「立派なお子さんだと、思います」


 エリアがニッコリと笑ってそう言うと、ロカの母も少し笑った。


 「本当に、大きくなって……」



 八つのグループにおける予選の通過者は決まったみたいだった。その中の一人にロカもいる。そしてその八人はリーガ・シルヴァークの中心に整列し、騎士団長の話を整然と聞いていた。


 「勇敢なるホンドエルの子らよ。お前たち一人一人、皆が騎士となる器量を備えていると私は思う。しかしこの大会で選ばれるものは一人しかいない。誰がその一人になろうかは、私は愚か、素晴らしき我らが王でも分からないだろう」


 騎士団長の演説を聞きながら、士気を高めるのが上手い人だなぁとエリアは思っていた。昂りを覚えるのは闘技場に立つ闘士たちだけでなく、この会場にいる観客もだ。純粋に戦いを見る者、賭け事のためにいる者、家族が心配な者、そしてエリアのような余所者。全ての人が、どのような闘いがあるのだろうか、と想いを巡らせてしまう。


 「火をくべろ!この選ばれし勇敢なる八人に古より伝わりし竜の加護が、あらんことを!」


 そう言うと、会場の各地に散らばっていた騎士たちが、会場の外側に見える大きな松明に火をくべた。ゴオゴオと大きな音と火花を立てて、聖なる炎は燃え盛っていた。


 「始まった……シュラは見て、いるかな」


 周りが自分の近くの松明に集中するなか、エリアはチラリ、と上空を見上げていた。きっとどこかでシュラがこの光景を、フレイム・サークルを見ているに違いない、とエリアは思った。


 「太鼓を鳴らせ!」


 騎士団長の号令で、太鼓を一斉に叩き始めた。その音はグローリアが始まった時とは全く違う、独特な音色を立てていた。


 「不思議な音に聞こえますか?これは古来この町にいたといわれる竜の鳴き声を模して作り出した音らしいですよ」


 幾分か落ち着きを取り戻したロカの母は、音に集中していたエリアにそう言った。


 「竜の鳴き声。これが、ですか」


 全然違う、とエリアは心の中で思った。シュラの鳴き声とは全く違う。シュラの声はもっと猛々しく、力強いものだったはずだ。とはいえ、昔から伝わった文化ならば少しずつ伝わる真実味も変わっていくものなのかもしれない、と思った。


 「あれ?」


 エリアが耳を澄ますと、一つだけシュラの鳴き声に似ている音色があった。なるほど、この太鼓を叩いている人は、まるで本当に竜の鳴き声を聞いたことがあるのではないか、と思う程素晴らしい出来だった。エリアは目を瞑ってその音に耳を傾けた。その鳴き声はドンドン近付いてきた。そしていつしかその鳴き声と、周りの慌てふためく息遣いだけが聞こえた。エリアは一体何があったか、と目を開いた。


 「グオオォォ!」


 大きな雄叫びを上げながら翼を大きく開いた、赤い鱗を纏った人間の数倍はあろうかという、大きな竜が闘技場の中心に立っていた。そのあまりの迫力にロカを始めとする闘技場の全員が言葉をなくし、息遣いを荒くしながら、これは現実だろうかと疑っていた。

 エリアはその中心に立つ竜が「誰」であるかをよく知っていた。


 「……シュラ!」



 慌てふためきながら観客たちはパニック状態になっていた。騎士団長も驚きのあまり、身体を震わせながら、辛うじて言葉を発した。


 「何年、振りだろうか」


 その言葉を聞き逃さなかったシュラはギロッと騎士団長を見た。


 「やはり、そういう事だったようだな」


 ニヤリ、と納得したようにシュラは笑った。



 会場から出ようとする人、竜をもっと近くで拝もうとする人など、色々な思惑が混じり合い、観客席はほぼ混乱状態になってしまった。おかげでエリアも身動きが取れずにいた。


 「シュラ、一体何を」


 相棒の考えを測ろうとしていたエリアは、自分に注がれている視線があることに気付いた。竜が現れ、全員がそれに注目をするなかで、自分を見る視線である。そしてそれはユビルでも感じたものだった。

 バッとその視線を感じた方に、弾かれたように顔を向けたが、そこには自分を見つめるような人はいなかった。エリアは気味の悪さを感じたが、それは直後に感じた砂を含んだ風の衝撃にかき消された。


 「竜が、飛んだぞ!」


 一人の男性が赤い竜を指しながら大きな声で言った。シュラは満足をしたのだろうか、突然翼をはためかせながら、少しずつその身体を上空に戻していった。

 そして竜が飛び去り、辺りには静寂が訪れた。今のが本当に起きた出来事なのか怪しんでいるように見受けられる人もいた。その静寂のなか、まるで弾かれたようにエリアは会場の外に、町の外に駆け出した。ロカの母の声が聞こえた気がしたが、それを振り切って全力で駆けた。目指すのはシュラと落ち合う場所になっている大きな木の下だった。


 息を切らしながらエリアは木の根元に辿り着いた。そこにはまるで何もなかったかのようにシュラが待っていた。


 「よう」

 「よう、じゃないと思うんだけど」


 そう言って「何のつもりだったのか」とエリアはシュラに目で訴えた。


 「これが、皇の路の試練だったんだ」


 シュラはそう言った。エリアは「え」と小さく声を上げた。


 「かつて火竜には業火の儀礼と呼ばれる、成人の儀みたいなものがあったんだ。そしてそれはさっきのリーガ・シルヴァークで行われていたんだろう。おそらくそれの名残が今あの闘技場になったんだろうし、ああやって松明をくべる文化になったんだろうさ」


 そしてシュラは一度言葉を切った。エリアが話についていけるかを確認しているようだった。エリアは続きを話すように目で訴えた。


 「竜は種族ごとに一つの大陸を選び、そしてその中で里を作ってひっそりと暮らすようになった。でも、業火の儀礼は名前を変えて残っていたんだ。フレイム・サークルがそれだ。おそらくフレイム・サークルは先代も、その前もずっとあそこを皇の路として受け継いできたんだ。だから闘技場の歴史には、ずっと火竜が描かれてきた」

 「……数十年に一度、火竜が現れるから?」


 エリアがそう言うと、シュラは「おそらく」と言いながら頷いた。


 「だから、俺は業火の儀礼をおこなったんだ。そのために姿を現したのさ」


 シュラはそう言った。その目には迷いはなかった。


 「でも、ビックリしたよ。いきなり竜が現れるもんだから多分会場の皆はどうしようか焦ったんじゃないかな」

 「うん、本当にビックリした」


 突然聞こえてきた声にエリアは振り向き、シュラはバッと身構えた。そこに立っていたのは、シュラが現れるまで会場の注目を最も浴びていた少年だった。


 「ロカ、くん……」


 エリアは、何か言葉を探した。ロカは「うわぁ」という声を上げながらシュラを眺めていた。


 「ロカくん、グローリアは?」

 「中止になったよ。会場がすごくパニックになったから」


 そう、とだけエリアは言った。次の言葉を探しているうちに、ロカの方から声を掛けた。


 「ねえ、エリア姉ちゃん。この竜は姉ちゃんの知り合いなの?」

 「知り合い、というか。一緒に旅をしているというか」


 今更嘘は吐けないし、もとより嘘を吐ける性質ではないことをエリアは自分で知っていた。そしてシュラもそれを理解しており、事実を話したエリアも責める様子はなかった。

 ロカは口を開けたままエリアを眺めていた。そしてキラキラ目を光らせながらエリアに歩み寄った。


 「すげえ、すげぇよエリア姉ちゃん!伝説の竜をパートナーにして旅をしているんだろ!」


 あまりにも純粋な眼差しを向けてくるので、エリアも戸惑いながら、コクコクと頷いた。


 「はぁぁ、姉ちゃんは本当に凄い人なんだなぁ。尊敬するし、憧れちゃうよ。それにこんなに優しくて美人なんだもんなぁ」


 急に褒められたエリアは少し照れくさくなって頬を掻いた。するとさらにロカはエリアに顔を近付けてきた。


 「決めたよ、姉ちゃん!俺は騎士になることともう一つ、大きな目標を立てることにしたよ!」


 そう言ってロカはエリアの耳元に口を近付けた。そしてエリアの耳元で囁いた。


 「……え?」


 その囁きの内容に、思わずエリアは呆気に取られてしまった。そしてポカンとしているうちに、ロカは顔を赤くしながら町の方に駆け出した。


 「エリア姉ちゃん、母さんには俺から上手く話しとくから!」


 クルリと振り向いて、口に両手をあてながら大きな声でエリアに言った。


 「また会おうね。エリア姉ちゃん!」


 そう言ってロカはニッコリと素晴らしい笑顔を見せてくれた。その純粋無垢な笑顔にエリアも微笑んで手を振った。



 シュラの背に乗りながらエリアはぼうっとしながら空を眺めていた。雲が次々流れていく様を何も言わずに見つめていた。


 「どうした、エリア?」

 「え、いや、何でもない、よ」


 エリアはそう言うと、また黙り込んでしまう。シュラは「ふぅん」と言いながら次の話題を振った。


 「最近の人間の子どもってのは、凄いな。結婚の約束を取り付けようとするんだから」


 エリアはビクッとなった。そしてまさか、という目でシュラを見た。


 「竜の聴覚は、人間の何倍もあるんだよ」


 そう言ってシュラは悪戯っぽく笑った。エリアはコホンと咳ばらいをした。


 「実際には身分とかもあるし、そんな簡単にはいかないよ。国も違うし」


 そう言って再び空を眺めようとするエリアにシュラは言った。


 「自分の気持ちを抑えようとしたりするのも、悪い事じゃないのかもしれないけどよ。あのガキはサーファルドの第二王女に婚姻の申し出をしたわけじゃないだろ?アイツはエリアという一人の女にしたはずだ」


 シュラがそう言うと、エリアはふとさっきのロカの言葉を思い出した。


 「俺がエリア姉ちゃんをお嫁に迎えに行くよ!」


 思い出すと、自分の顔が火照っているのを感じた。鼓動も少し早くなっているような気までする。


 「良かったな、エリア。嫁の貰い手が出来て!」


 大きな声を立てて笑うシュラに頬を膨らませながら、エリアは早くこの空を切っている風が自分の顔の火照りを冷ましてくれることを願った。

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