Ⅴ 闘技場にて (4)
そろそろ戻ろうかと思ったときに、シルヴァーレの広場にある、一つの銅像が目に入った。それは翼を持ち、逞しい姿をして、まるでシュラのように見えた。
「ロカくん、ちょっといいかな」
そう言ってエリアはその銅像に駆け寄っていった。よく見ると広場の中に同じような銅像が二、三体あった。顔を見ると、当然シュラとは違うが、あの竜の里で見た他の火竜たちと似通っているように思えた。
「竜、なの?」
驚くエリアに駆け寄ってきたロカは、「ああ」と声を出した。
「姉ちゃんも人竜伝説好きなの?」
「え……シルヴァーレにも人竜伝説がある、の?」
思わず声が裏返ってしまったエリアは小さく咳払いをした。ロカは頭の後ろで手を組みながらちょっと不思議そうな顔で言った。
「そりゃあるよ。シルヴァーレは竜を信仰みたいな感じで崇めているところもあるしさ。もし必要だったら、町の外れの方にある図書館に行ってみなよ。多分本があると思うよ」
エリアは頷いた。明日やるべきことが見つかったような気がした。
「ふぅん」
さして興味もなさそうにシュラは本を眺めていた。意外な反応に思わずエリアも声をなくした。
「あれ、な、何かの参考になるかと思ったんだけど」
「いや、これって人竜伝説の本だろ?昔の人間と竜がどう過ごしていたかっていうやつ。大陸毎の特色が出ていて面白いとは思うけど」
「じゃあ、後半のこの記述は?人と竜が袂を分けたあとに、時折見られる竜の噂とかを並べたページ」
そう言ってページを飛ばすと、そこには想像図ではあるが、一本の角を持った小さな腕が翼に付いている翼竜の姿があった。
「これ、シュラとは違う種族の竜、だよね」
チラリ、とページを見て、シュラは「ああ」と言った。
「こいつは水竜だな。ラッター大陸に里を構えているんだ」
そう言われると、エリアは力が抜けたようにぺたんと座り込んだ。
「元々、この辺にいる竜ってことだよね。あんまり参考にはならないか」
シュラはチラリ、と本のタイトルを見た。「人竜伝説・ラッター大陸の伝記・参」と書かれていた。そしてシュラは、エリアの肩にかかっているものを見た。
「なんだそれ?肩のやつは」
「え、ああ。これはロカくんっていう今お世話になっている子のお母さんが今日くれたの。丈夫な鞄だから旅の役に立つでしょうって」
シュラはエリアに近寄りその鞄を見た。すると、中に別の本が一冊入っているのが分かった。
「もう一冊はなんだ?」
エリアは鞄から本を出した。そこには「リーガ・シルヴァークの歴史」と書かれた本があった。
「明日から、さっき言ったロカくんが闘技場でグローリアっていう大会に出るんだって。それでロカくんの家族と応援に行こうと思っていて、その前に勉強だけでも、と」
言い終わらないうちに、シュラはむんずと本を掴んで中をペラペラと開いた。するとシュラはあるページを見て、ニヤリと笑った。
「エリア、お手柄かもしれないぜ」
そうシュラは言ったが、エリアは何のことだか分からず、曖昧に頷いた。明日は早いのでシュラとはそれで解散した。
ドンドンと太鼓の音がうるさく響いているので、エリアは耳を塞いだ。これはこの町に住む人にとって、一番のお祭りなのかもしれない、と思うくらいには周りの観客も大きな声を上げている。エリアは会場を見る。とても大きな会場だが、特に何もなく砂だけが敷き詰められている。この場所でグローリアと呼ばれる剣技の大会が行われる、ということをエリアは複雑な面持ちで眺めていた。
「エリアさん、どうしました?」
隣に座るロカの母がエリアの顔を除き込んで言った。本来ならロカの兄弟が付き添うところを、家事の都合で兄弟が残り、エリアが一緒に行くという話になっていた。最後までロカの母は行こうか悩んでいたが、兄弟の説得でこの会場に向かう事を決意したのだ。
「いえ、これからどんな危険な事が起こるのか、と少し不安になりまして」
そう言うと、ロカの母は表情を和らげた。
「ああ、危険な事はあまりないと思うわ。いくら何でも真剣を使って腕を競うわけではありませんし」
そう言っているうちに、きちんと整列しながらグローリアの参加者たちが会場に姿を見せた。三十人ほどはいるだろうか。十代の子どももいれば、二十代半ばくらいの青年も混じっている、そして真ん中から後ろくらいにロカの姿が見えた。ここから見る範囲ではロカの背が一番小さいように見える。おそろくこのグローリアで一番若い参加者はロカなのだろうと思った。
会場の中央まで参加者が並ぶと、それを会場で最も高いところから見ていた一人の男が立ち上がった。ピカピカに磨かれた鎧と青いマントを纏ったその男が、この国の現在の騎士団長らしい。つまりロカの家族を陰で救ったことになる人物だ。
「勇敢なる雛鳥たちよ。ここに集ったは何のためか」
騎士団長が問うと、ロカを始めとする騎士志望の参加者たちは声を揃えて言った。
「この身を陛下に捧げるため。この魂をホンドエルに捧げるため!」
その言葉を聞くや、騎士団長は右腕を高く掲げた。その手には一本の剣が握られている。その剣を振り下ろすと同時に、リーガ・シルヴァーク全体に響く大きな声で言い放った。
「今よりグローリオパッセを行う!その鍛え上げた剣技、ここで披露して見せよ!」
オオ、と大きな声を上げて参加者たちは持っていた剣を掲げた。エリアが目を凝らしてみると、それは木で出来た剣だった。
「なるほど、木で出来た剣ですか」
エリアが言うと、ロカの母は頷いた。
「あれでも当たると、怪我はするだろうけど」
そう言ったときの表情は、心配する母のそれだった。
まずは本戦に出場する八人を決める必要があるとのことで、三十二人の出場者は四人ずつ、八つのグループに分かれ、バトルロイヤルを行うというものが予選となった。
ロカは三番目のグループになり、自分の出番を静かに待っていた。
一つ目、二つ目のグループの戦いを眺めながら、自分なら出来る、と士気を高めながら集中を切らさないようにしていた。
「大丈夫、ずっと特訓してきたじゃないか」
そう言ってロカは深呼吸をした。出番はもうすぐなのだ。
エリアとロカの母はハラハラしながら闘技場を眺めていた。先程行われた二グループの予選を見ていると、やはり危険なものなのではないかとエリアは思った。いくら木製とはいえ、力任せに振り下ろされた剣が当たれば痛いだろう。実際流血している人もいたのだから。
そして歓声が大きく上がる。ロカのグループが姿を現したからだ。そして同じグループに巨漢の男がいた。筋骨隆々というべきその肉体で殴られでもしたら、小さなロカはどうなってしまうだろうか、とエリアとロカの母は思った。
心配する二人をよそに、淡々と予選開幕の合図となる銅鑼が鳴らされた。四隅に散らばっていた四人はすぐにワァッと声を上げて一斉に剣を振りかぶりながら中央に駆け出した。
巨漢の男は一人の若者に全力で剣を振り下ろした。若者は振り下ろした剣を持っていた剣の腹で受け止めたが、あまりのパワーに弾かれて尻もちをついた。そして、ロカは素早い動きで、もう一人の青年に鋭い攻撃を加えていた。
しかし、ロカの力が足りていないのか、次第に青年の方が押し始めてきた。右、左と交互に振り回される剣を受け止めるのが精一杯なのか、ロカは壁の方に追い詰められていった。そして背後に壁が迫り、もう逃げる場所が無くなってしまった。
「ロカくん……!」
ロカの危機にエリアは思わず立ち上がる。隣に座るロカの母も気が気ではなさそうで、ワナワナと口を押さえて震えていた。
そして青年の剣が振り下ろされた。しかし、ロカはその太刀筋を読み、壁を蹴って振り下ろされる剣の切っ先よりも高い位置に飛び上がった。そしてロカは青年の後ろに両足で着地する。剣を振り下ろした青年はその動作に追い付けず、必死に振り向こうとしたがその前にロカの剣が青年の首元を捉えていた。
ドタッと音を立てて倒れる青年を見た観客が一斉に声を上げた。その歓声を聞いてエリアは、ロカが一人打ち破ったという現実に気が付いた。
「す、凄いロカくん!」
しかし、残っているのは身軽だが一撃の軽いロカとは正反対の、鈍重だが一撃必殺を誇る巨漢の男だった。広い会場で互いだけを見つめ合う。二人は剣を構えて互いに歩み寄った。
巨漢の男は雄叫びを上げながら力任せに剣を振り下ろす。挙動は目で追える範囲だと判断したロカは、ギリギリまで剣の軌道を見極めてから避け、すれ違い様に男の脇腹に一撃を放った。
「入った!」
ワァッと観客席から歓声が上がる。エリアは会場での動きだけではどちらが優位なのか判断しづらかったが、どうやらロカの方が押しているように思えた。しかし、観客の歓声は次にどよめきへと変わった。
エリアが目を凝らして会場を見ると、巨漢の男はニタリと笑って、まるで蚊にでも刺された程度のようにピンピンしていた。そして同じような攻防が何度も続いた。一見すると攻撃を避けて相手に打撃を与えているロカの方が有利に見えるが、何故かロカの方の息が上がって動きが鈍くなっているように見えた。
(何だ、コイツ。まるで岩を殴っているみたいだ)
ロカは何度攻撃をしても、全くダメージを受けている様子のない男に対し、危機感を抱いた。このまま同じ攻防を続けていても、自分のスタミナが減っていくだけだ。そして最終的にこの男の一撃を受ければ、それで自分の負けは確定するだろう、と思った。
「どうするかなぁ」
ロカは流れる汗が目に入りそうになるのを拭って言った。
「やっぱり、あの子には無理だったんだわ。騎士になるだなんて、そんな大それたこと」
エリアの隣でロカの母が口元を両手で押さえながら言った。
「お父さんに憧れたとしても、騎士にはそんな簡単になれるわけないのよ。こんなところで怪我をしてほしくないし」
少しずつロカの母の声が小さくなっていった。自分が口にした、もしもロカが怪我でもしたら、という不安に駆られているようだった。もう少しでもロカの近くにいたならば、「やめて、ロカ」と叫んで大会を棄権させるのではないか、と思う程の狼狽ぶりを見せている。
「おばさん」
エリアはロカの母を見た。その視線に気付いているのかは定かではないが、恐らくエリアに向けて声を発していた。
「どうしましょう、もしもロカに何かあったら」
エリアはロカの母の手を取って、真っ直ぐに目を見ながら言った。
「おばさん!」
エリアにある種の迫力を覚えたロカの母は、僅かに身を震わせたあと、エリアの真っ直ぐな視線に顔を向けた。
「ロカくんを、信じてあげてください。あの子は立派な」
スゥ、と息を吸って、エリアは一瞬間を置いた。そして大きく頷いてロカの母を安心させるように言った。
「男の子、なんですから」
その瞬間、また会場がワァっと大きな歓声を上げた。
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