Ⅴ 闘技場にて (2)

 「ど、どうしてこんなに宿賃が高い、んだろう」


 少年と別れてから、地図に書かれていた全ての宿を周ったが、どこも非常に宿賃が高かった。エリアのユビルで手に入れたお金では、良くて一日泊まれるかどうか、といったところだった。しかし、シュラがフレイム・サークルを見つけるまでにどれだけかかるか分からないのだ。簡単にお金を使い切ることは出来ない、とエリアは思った。

 もう日もすっかり暮れてしまって、夜の風が吹き寒気がしてきた。ふと、顔を上げると怪しげな空気の漂う路地裏があった。もしかしたらこの奥に店でもないだろうか、と藁にも縋る思いで路地裏に足を踏み入れようとした。


 「やめた方が良いよ、お姉ちゃん。そこは他所からきた人を狙う悪い人たちがいるところだから危険だよ」


 後ろから聞こえてきた声に振り向くと、そこには小さな案内人がいた。


 「お姉ちゃん、もしかして泊まるところを探していたの?」


 エリアはコクリと頷いた。すると少年が頭を抱えた。


 「そういうの、先に言ってくれよな。今は宿屋なんて駄目だよ。三日後に控えている闘技場で行われる催し物のために、外から沢山人が来ているんだ。この時期は、どの宿屋も値段をグン、と数倍にするんだよ」


 エリアはその話を聞いて、納得したと同時に少し呆れてしまった。シルヴァーレはホンドエルの首都よりも大きな町だというが、その理由がなんとなく分かった気がした。


 「それなら、ウチに来るかい?家族多くてうるさいかもしれないけどさ。多分そっちの方が良いと思うんだ」


 少年は腰に手をあててそう言った。エリアはどうしようか、と迷ったが、少年がエリアの腕を掴んで歩き出したため、その歩みに従って厄介になろうと決めた。


 「俺はロカっていうんだ。よろしくな、お姉ちゃん」



 エリアと案内人の少年・ロカはある民家の前に立っていた。話によると、ここがロカの家らしい。エリアはチラ、とロカの顔を見た。


 「どうしたのエリア姉ちゃん。入りなよ」

 「はぁ、じゃあ……」


 流石にロカより先に入るわけにはいかないと思ったが、ロカが満面の笑みで入るように促したので、脚を踏み入れた。家に入ると、ドタドタと足音が聞こえてきた。それも一人ではなく二人くらいの……。


 「おっかえりぃ、ロカ兄ちゃん!」

 「おかえり!」


 そう言って、ロカより小さな男の子と女の子の二人ががエリアに抱き着いてきた。あまりの勢いに負け、エリアは床にバタっと倒れ込んでしまった。


 「あれえ、ロカ兄ちゃん。こんなんで倒れちゃうのか」

 「それに何だかロカ兄ちゃん、身体が柔らかいような」


 すると奥から女性の声と同時に足音が聞こえてきた。この足音もドタドタとせわしない音を立てている。


 「こら!食事中に行儀が悪いよ。早く席に着いてご飯食べなさい!」


 そう言ってその女性は二人の子どもを引きはがして食卓に戻るように指示をした。二人の子どもはつまらなさそうに「はぁい」と言ってそのままトボトボと奥に歩いて行った。


 「それにロカ、アンタねぇ!もう少し早く帰ってきなさいよ。それでもこの家の長男なのかい。全く弟たちに悪い影響に……」


 長い話が始まるかのように思えたが、女性は倒れているエリアの顔をジッと覗き込んだ。


 「誰だい、この可愛いお嬢ちゃんは」

 「あ、はは」


 エリアは苦手な愛想笑いをした。すると、後ろから笑い声をあげながらロカが玄関に上がり込んできた。


 「今のが我が家の洗礼ってやつだよ。エリア姉ちゃん!ようこそ俺の家に」


 そう言ってロカは仰々しく家の中を見るように手で促した。しかし、その前にロカの母親と思しき先程の女性が顔は笑いながらも、ロカの肩をむんずと掴んだ。


 「アンタ、一体何時だと思っているんだい?」


 ロカは苦笑いで済まそうとしたが、そのままお説教の時間が始まった。


 

 「本当に申し訳ない、エリアさん。償いには到底ならないとは思いますが」


 そう言ってロカの母は家族に振る舞っていた手料理をエリアにも振る舞ってくれた。


 「お気遣い、本当に感謝しています」


 エリアはペコリと頭を下げながら、自分も多少は社交辞令を覚えてきたかもしれない、と思った。人と触れ合う機会が、旅を通じて増えてきたからかもしれない。


 「いやぁ、育ちの良さそうなお嬢さんだね。ロカ、アンタどこからエリアさん連れてきたんだい」

 「エリア姉ちゃんはこの町に初めて来たんだって。それで案内板の前で突っ立っているところに俺が声を掛けたんだよ」


 ロカはそう言って、母の手作りのハンバーグを貪っている。とても美味しいのだろう。ロカは表情を緩ませており、エリアはその姿を可愛い、と思っていた。


 「ウチの息子が何かご無礼をなことをしては……?」


 心配そうに尋ねるロカの母に、エリアは首を横に振って応えた。


 「むしろ助けられたくらいです。良い息子さんだと思いますよ」


 そう言われて、ロカの母もホッと胸を撫で下ろした。その姿に、エリアも肩の荷が下りたように感じたので、出された食事に手を付けようとした。


 「……あれ?私のハンバーグは」


 皿にフォークを突き刺すと、カツン、という鋭い音が聞こえるだけだった。そこにあったはずの肉の塊はごっそりどこかに消えてしまっていた。


 「ま、まさかとは思うけど」


 そう言ってロカの母は、テーブルの下に目をやった。釣られてエリアもテーブルの下に視線を落とすと、そこにはエリアを押し倒した二人の姿があり、男の子の右手の小さな皿の上にハンバーグが載っているのが見えた。


 「ヤバっ」


 男の子がそう言うと、ロカの母は大きく口を開けて言った。


 「シター!ニッカ!このおバカ兄妹、お客様の料理になんてことを」


 そう言って二人の子どもはお説教を喰らっていた。結局エリアの分のハンバーグは作り直しとなり、「本当に申し訳ない」とロカの母はまた頭を下げてきたので、エリアはなだめるので大変だった。



 食後に出された紅茶を啜りながらエリアはロカとその母と一緒に談笑をしていた。ロカの弟であるシターは、もう一人の弟のトリノに絵本を読んでいるうちに二人とも寝てしまい、ロカの妹であるニッカも、生まれたばかりの妹であるフィンを寝かしつけているうちに眠りに落ちたようだった。


 「息子たちには本当に助かっているんです。家の手伝いもしてくれるし、ときには出稼ぎに行ってくれもします」


 そう言うロカの母の顔は、息子たちを𠮟っている時と違って、とても穏やかで愛情に満ちていた。エリアはこれが母親というものなのだろうな、と思った。自分もこのように義母に思われていただろうか、と考えが頭をよぎったがすぐに忘れることにした。もう会うこともないのだから意味がない。


 「て、ことはロカくんも外で働いたりしているの?」


 もしかしたら、自分に話しかけてきたのも本当は商売のつもりだったのではないか、とエリアは思った。小さな案内人などと呼んでいたが、実はそれは当たっているのではないか、と。


 「いや、ちょっと前は、今日エリア姉ちゃんに声掛けたみたいに、迷っている人を見つけて簡単に観光させてチップを貰ったりもするけど、最近はやっていないよ。今日はたまたま見つけたからやったけどね。あ、今更お金なんてせびらないけど」


 そう言ってロカは少し顔を赤くした。ロカの母がそれを見て悪戯っぽく笑う。


 「エリアさんみたいな可愛い子を見つけたからかい?いつの間にそんなませた子になったんだか」


 ロカは少しムッとした。この年頃の男の子には事実がどうあれ、からかわれるのを快く思わないものだ。とはいえエリアにそれを理解出来るはずもないので、エリアも少し顔を赤くして、なにか他の話題に逸らそうとした。


 「そ、それじゃあ最近は何をしているの?」


 エリアはロカに尋ねた。家計よりも優先すべきこととは一体何なのか、という意味の問いだった。ロカはふふん、と鼻を鳴らして答えてくれた。


 「ずばり、特訓をしているのさ。それも剣の特訓だよ」

 「剣の特訓?どうしてそんなことを」


 エリアが尋ねると、ロカは少し驚いた顔をした。それは「どうしてとはどうして」という意味の表情だった。するとロカの母がフォローするようにロカに言った。


 「エリアさんはこの町どころか、この国出身でもないんだよ。三日後に控えているグローリアのことなんて知るわけないだろ」


 そう言われたロカは「ああ」と納得した。


 「グローリア、というのは?」


 「正式にはグローリオパッセ。通称グローリアと呼ばれているのは一言で言うとホンドエルの国が主催で行っている剣技の大会です。そしてその大会に優勝した者は特別に騎士として王国に迎え入れられ、騎士団の一員として国を守る任に就くことが出来るのです」

 「つまり、優秀な騎士を迎え入れるための大会ということ、ですか」


 エリアがそう言うと、ロカの母は少し苦い顔をしながら頷いた。母親とは対照的に、ロカは目をキラキラと輝かせながら言った。


 「俺は今年のグローリアに参加して、優勝を勝ち取るんだ。そして騎士になって王様に仕えて、いつかは騎士団長にまでなってみせる!」


 グッと握り拳を天井に向かって突き出したロカに、母は何故かため息をついた。エリアはそのロカの母の態度が少し気になった。


 「じゃあ、俺もそろそろ寝るよ。明日も早く起きて特訓に出かけないといけないから」


 ロカはそう言うと、そのまま自分の部屋に駆けて行った。チラリと時計を見ると、もう十一時になろうとしていた。


 (あ、シュラ怒るかなぁ)


 集合予定の時間はとっくに過ぎてしまっていた。今から出て行くわけにもいかないので、シュラには明日謝る事から始めよう、と思った。それに、自分もそろそろ寝た方が良い時間でもある。席を立とうとしたエリアだが、一つだけ気になったことがあったのでロカの母に声を掛けた。


 「ごめんなさい、一つだけ伺っても?」

 「ええ」


 ロカの母は嫌そうな顔をせずに答えた。エリアは単刀直入に聞くことにした。


 「どうして、ロカくんがグローリアに参加しようとしていることに、不安を覚えているのですか」


 言われたロカの母は目を丸くした。そして少し間をおいてから静かに語り出した。

 「あの子の父は、ホンドエルの騎士だったの。それもグローリアで圧倒的な強さで優勝して、異例のスピードで実績を積んで行った」


 懐かしむような目で壁を見つめながらロカの母は続けた。


 「でも、今から二年ほど前かしら。同盟国と他国の戦争に、ホンドエルの騎士団も参戦し、そこであの人は帰らぬ人となった。元々グローリアから騎士になったものだから、貴族からは疎まれていたみたいで、あの人が亡くなったというのに、私たちには何の保護もなく、今もこんな暮らしを続けている。……勝手な母親かもしれないけれど、私はロカに騎士になんてなって欲しくないの」


 そう言うとロカの母は一筋の涙を流し始めた。


 「失う可能性を阻むことが出来ないことが、情けないですよ」


 ロカを止めたいのだろうが、あそこまで憧れに満ちた表情を曇らせられないのも母親としての愛情なのだろうか、とエリアは思った。エリアは母親というものを知らないからこそ、気になって仕方なかった。

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