第五章 ロカ

Ⅴ 闘技場にて (1)

 シュラはテューラ海の上を飛んでいた。海を見下ろすエリアは、父サードレアンから聞いていた通りの荒れた海だと思った。波が暴れ、船が何隻か転覆するのを見た。なんとか船員はボートで脱出しているみたいなので、エリアはその点だけはホッとしていた。


 「エリア、皇の路を出してくれ」


 エリアはシュラの言葉にコクリと頷き、巻物の紐を解いた。


 「次の目的地、だよね?」


 エリアが確認すると、シュラは「ああ」と言った。エリアは次の目的地に指を載せて、書かれている単語を読み上げた。


 「フレイム・サークルって書いてあるね」

 「フレイム・サークル?火の輪ってところか?」


 シュラはそれを聞いて首を傾げた。そして唸り出したので、エリアは気になって聞いた。


 「どうしたの?何が問題、でも」


 心配そうにシュラの顔を覗き込むエリアに、心配は無用とシュラは手を振った。


 「いや、大したことじゃない。気にせずに行こう」


 エリアは、そのシュラの言葉を信じて頷いた。そうして顔を上げると、次なる目的地のある大陸、ラッター大陸が見えてきた。


 「シュラ、もう少ししたら適当なところで降ろして。ちょっと目的地の場所を確かめたいから」


 エリアの発言にシュラは頷いた。そうしてエリアを背に乗せたまま一時間程空を飛んでいると、とても細長い川が見えてきた。シュラもエリアも少し喉が渇いていたので、降りて水分補給と同時に場所の確認を行うことにした。

 砂ぼこりを舞わせながら、竜は静かに地面に降り立った。エリアもゆっくりと足を地面に着け、川に向かって小走りで駆けて行った。


 「綺麗な水、だね」


 エリアが屈んで川の水を手で掬うと、良く澄んだ透明な水だった。そのまま少しだけ口を付けたが、毒はなさそうだった。近寄ってきたシュラに目で「この水は安全だ」と伝えると、シュラは口をそのまま川面に付けてゴクゴクと喉を潤わせ始めた。


 「ああ、うまい。生き返ったぜ」


 シュラは満足そうに顔を上げて言った。エリアも何回か水を掬い口に運んだ。


 「この川は、プシュー川かな」


 そう言って、濡れた手を軽く振るってから皇の路を開き始める。そうして一本の、細いがとても長くまで続いている川を見つけた。どうやらフレイム・サークルからそう遠く離れてはいないらしい。


 「ということは、ここはホンドエル王国の領地、だね」

 「俺は人間の国の事なんて分かんねぇよ」


 そう言ってシュラは肩をすくめた。そして、エリアも決してこの国の事に詳しいわけではない。しかし、この国は世間をあまり知らないエリアでも知っているような、有名な場所があるのだった。


 「ホンドエルにはシルヴァーレという町があるんだけれど、そこは闘技場があることで有名なんだ」

 「闘技場?」


 シュラは少し興味が惹かれたかのように見えた。エリアはあまり興味があるわけではないので、「詳しくないけれど」と前置きを入れてから話し始めた。


 「闘技場というのは、その名前の通り闘いをする場所なんだって。奴隷を争わせて楽しむ人もいれば、月に一度腕自慢を集めては賞金を懸けて争ったりもするみたいだね。お父様がよく話してくれた」


 父のしてくれた闘技場の話の内容はあまり覚えてはいなかったが、その話をするとき、父は笑顔だった記憶があった。


 「ふうん。ちょっと気にはなるな」

 「竜が参加するわけにはいかない、よね」


 エリアは苦笑しながら言った。シュラも「それはそうだが」と少しつまらなさそうに言った。


 「それはそれとして、どうするの?今日から探すんだよね」


 エリアはシュラに尋ねた。ルナフールのときのこともあり、時間が掛かることもある程度想定して拠点を決める必要があるとシュラは考えた。エリアに皇の路を見せてもらいながら――現在地についてエリアに教えてもらいながら――シュラは一つの町を指差した。


 「ここ、フレイム・サークルがあるとされている地点に一番近い場所にあるこの町で良いんじゃないのか?」

 「この町、だね?え、と」


 エリアは地図の一点をじっと見つめた。するとそこにはシルヴァーレと書かれていた。


「噂をすれば、ってやつかな」


 

 シュラの背に乗ってエリアはシルヴァーレに向かっていた。闘技場のある町とはどんなところなのだろうか、せめてまともな宿でもあればいいのだが、とエリアは少し不安になっていた。


 「落ち合う場所はあの大きい木の根元にするとしよう。この前と同じように、時間は夜で構わないか?」


 シュラの提案にエリアはコクリと頷いた。辺りも暗くなってきたので、今日は宿探しに専念して、明日から落ち合おうとエリアはシュラに伝えると、ゆっくりと地上に降りた。そしてシュラはそのまま飛び去って行く。

 少し歩くと大きな門が見えてきた。エリアは門番に声を掛けられた。


 「シルヴァーレに御用ですかな」

 「旅の者、です。数日宿泊する場所を探しておりまして」


 エリアは恭しくそう言うと、門番は少し表情を変えた。


 「入るのは構いませんが、宿は保証しませんよ」


 エリアはその言葉の意味を問おうとしたが、とりあえず町の中に入ることにした。

 町というものはその町ごとに特徴が強く出るものだと、エリアは思った。ユビルとシルヴァーレでは全く町並みが違う。シルヴァーレには武器を売っている店と鍛冶の店がずらりと並んでいた。こんなに店があるということは物騒なのだろうかと思っていると、町の案内板があったので、まずはそれを参考にすることにした。


 「お店が多いんだ、鋼材屋に鍛冶屋に……酒場も多い、のか」


 エリアが案内板に貼られた地図を見ていると、その隣に一人の少年が歩み寄ってきた。そしてエリアの隣に立つと声を掛けてきた。


 「お姉さん。どうしたの?地図なんて眺めちゃってさ」


 声を掛けてきた少年に目をやると、身長はエリアより少し小さいくらいだった。年の頃は十二から十四といったところだろうか。


 「えっと、この町に来るのは初めてだから、先ずは地図を見ていたの」

 「ああ、そうだよね。見ない顔だもの」


 少年は頭の後ろで手を組みながらニコッと笑った。しっかりと少年の顔を見ると、左の頬に十字の傷があった。恐らくわんぱく少年なのだろうな、とエリアは思って微笑み返した。


 「え、と。小さい案内人さん。少し教えてくれる、かな」


 エリアが尋ねると、少年は待ってました、とばかりに自分の胸を拳で叩いた。その表情は「何でも聞いて」と言っているように見えた。


 「この町がこんなに武器とか、鍛冶のお店が多いのは、やっぱり闘技場があるから?」

 「うぅん、時期にもよるかなぁ。例えばだけどあの曲がり角に見える武器屋あるでしょ」


 言われてエリアは少年の指差した方を見た。そこには武骨な傭兵らしき人が並んでいる繁盛しているかに見える武器屋があった。


 「信じられるか分からないけど、あのお店は一か月前までただの雑貨屋だったんだぜ?武器なんて売ってなくて、せいぜいナイフとかくらいだったかなぁ。あとは生活に必要な布とか食器とかを売っている店だったんだけど」


 エリアはその言葉に驚愕した。そんな簡単に店というものは鞍替え出来るのか、と思った。しかし、どうやらこの町ではそれは当たり前らしい。続けて少年は言った。


 「年に数回、闘技場で大きな催し物があるんだ。それが行われる時期を見計らって武器屋に店を一時的に構えなおす人は多いんだよ。その時期に限ってはそっちの方が売れるからね。それに」


 そう言って少年はエリアをじっと見た。エリアはあまりにも真っ直ぐ見つめてくるので、少し目を逸らそうかと思った。


 「その時期は、お姉ちゃんみたいに他所から来る人も多いんだ。他所から来た人からしてみれば、その武器屋が三日前まで魚売りだったとしても気付かないだろうから」


 エリアは納得して頷いた。ついでなので、もう一つ浮かんだ疑問についても小さな案内人い聞くことにした。


 「酒場が多いけれど、この辺はそんなにお酒が栄えている、の?」


 少年はふふん、と勝ち誇ったように笑いながら、鼻下を人差し指でこすりながら言った。


 「甘いぜお姉ちゃん。旅の人がたくさん来るって言っているだろ?その人たち全員が闘技場に入って闘う人ばかりじゃないぜ。シルヴァーレの闘技場の楽しみ方の一つとして、賭けがあるんだ」

 「賭け?闘技場の勝敗の……ってことかな」

 「そういう事」


 少年は大きく頷いた。


 「闘技場の中で行われている試合を楽しみに来ている人もいれば、そうじゃなくて賭け目当てで来ている人もいる。そして、そういう人が来る時期には、酒場は大繁盛!情報交換の場や、酷いときにはその場で個人での賭けを行う奴もいるくらいだからね」


 少年は自分より年下だろうに、そこまで自分の住む町に詳しいのか、とエリアは思った。自分は城下の町にすらほとんど行ったことがないのに、と少し自嘲気味に笑った。


 「ありがとう、小さな案内人さん。とても参考になりました」

 「お安い御用だよ、綺麗なお姉ちゃん」


 お世辞でも綺麗、と言ってくれることはありがたかったので、エリアは少年の頭にポン、と手を置いて撫でた。それを受けて少年は一瞬ポカンと口を開けていたが、すぐに満面の笑みを見せた。エリアは少年に軽く手を振りながら背を向けて、今日の宿を探すことにした。

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