Ⅳ 森にすむ魔女 (4)
ひとしきり話し終えると、ローラはポカンとした顔を見せた後、口元を手で押さえながら大きな声で笑い出した。その様子にエリアとシュラは呆気に取られてしまった。
「ああ、ごめんなさい。つい、可笑しくって」
「伝説は間違っているのか?」
シュラはズイ、と身体を乗り出して言った。ローラはコクリと頷くと、辺りを見渡して語り出した。
「まず、枝を角材にするなんて、いくら何でも無理ね。ゼロから一を創り出すのは、本当に魔術としか言いようがないもの。私がやったのは」
そう言ってローラは立ち上がり、近くにあった身の丈より首二つ分ほど大きな木を触って言った。
「丁度これくらいの木を、同じくらいの質量の角材数本に変えただけよ」
エリアはなるほど、と思った。流石に魔女とはいえ規格外すぎることをするものだ、と思っていたからだ。エリアはそれを踏まえたうえでローラに質問を投げかけた。
「それでは、次の不老の伝説については?」
「それを説明する前に、最後のお話を解き明かした方が理解しやすいかもしれないわね」
そう言ってローラは一つの方角を指差した。その方角の先に何があったか、エリアは頭の中で地図を開いた。
「あっちには確か、山脈しか……ガドレ山脈しかなかったはず……です、けれど」
そうエリアが言うと、ローラは口角を上げた。どうやらその答えを待っていたようだ。
「そう、ガドレ山脈があるわ。この大陸で最も大きく、最も高い山脈ね。あの山脈の頂上にはあまり人に有益とは言えない空気が蔓延しているの。とはいえ、基本的にあの山脈を登ろうなんて物好きな人はいない。けれど、何十年に一度かの暴れ風がその質の悪い空気を下まで、クラーレまで持ってくるの」
「それって」
エリアは話の流れが何となく読めてきた。もしかしたら村の人たちの奇病というのは、ローラには何の関係もないのではないだろうか。
「風土病、ですか?」
ローラはコクリと頷いた。
「元々の気候の問題と言えばそれまでなんだけれど、暴れ風の周期的に世代が入れ替わっていることが多いから、村の人たちも次の世代までその風土病の存在を伝えられなかったのね」
しかし、それでも彼らはそこまで医学の知識はないだろう、とローラは付け加えた。つまり、ローラを勝手に病原菌のように扱ってはいたが、実際は起きるべくして起きたことだったのだろう、とエリアは理解した。
「でも、そんな風土病が流行っている時に、どうして感染した人を、えっと、匿ったりしたんですか?」
その表現が正しいのかエリアは一瞬迷ったが、とりあえずニュアンスは伝わったようで、ローラはゴソゴソと懐を探り出した。そして石を金に変えた、あの赤い液体を取り出した。
「私は、その流行り病の原因を知っているの。対処法を知っていたとしても不思議はないでしょう」
「じゃあ、その若者を助けようとしたのか?」
シュラの言葉にローラは頷いた。しかしその表情は少し暗かった。
「残念ながら、村の人に保護されてその若者は数日後に亡くなったらしいけれど」
それを聞いて、エリアも少しだけ顔が曇った。しかし、今ローラが出した液体が何を意味するのか、確認する必要があった。
「病を治すために、その液体が必要なんですか?」
ローラは手に持っていた液体をエリアの前に差し出した。それはとても美しい赤い色だった。一瞬姉と義母の髪色を思い出して、首を振った。
「人はこれを万能薬エリクサと呼び、人はこれを賢者の石と呼ぶ。あるいは第五元素エーテルともね」
「万能薬、それを使って病を治そうと」
ローラは頷きこそしなかったが、その瞳がそうであることを証明していた。
「ほとんどの錬金術師がこれを造ることにすべてを費やした、と言っても良いわ。これがあれば第一資料に好きな性質を好きなだけ取り込み、排除が出来る。だから石を金にすることが出来るの」
シュラは難しそうな顔をして、ローラに問い掛けた。
「何でそんなものを持っているんだ」
ローラは儚げな笑顔を見せた。そして突然口を開いた。
「貴方たちが魔女の伝説を話してくれたのなら、私は哀しき一人の錬金術師の話をしましょうか」
ローラは静かに語り出した。
「その子は今から百四十年ほど前に、ある錬金術師に師事をした。錬金術は一子相伝だから、弟子を取り自分の研究した錬金術を後世に伝えなければならなかったの。でも、その弟子となった子には、野望があったの」
「……野望?」
エリアは少しだけ口を挟んだ。ローラは特に不快そうにすることもなく、エリアの問いに答えてくれた。
「エーテルを造ること。それ自体は確かにどの錬金術師も目指していることではあったけれど、基本的には自分の研究のためだったり、造るという事にだけ拘って特に何に使うかを考えていなかったり、そんな人ばかりだったはず。でも、その子は違った。明確なビジョンがあって賢者の石を求めていた」
チラリとローラは二人を横目に見た。特に質問がないことを確認して話を続けた。
「その子は、師からの修行だけでなく、独自でエーテルを造るための作業を続けていたわ。まさに言葉通りの意味合いで、日夜問わず錬金術に明け暮れていた」
「その野望ってやつのためにか」
シュラの問いに、ローラは頷いた。
「ある時、その子はエーテルを造るため、とても高い温度で熱していた炉の中に、赤い液体があるのを見つけた。それを手が火傷するのも構わずに、熱されたまま掬っては錬金術の実験のために使用していた鉄にかけた」
腕を組んだローラは静かに歩き出し、木の幹に身体を預けて更に話を続けた。
「鉄はたちまち輝き出し、黄金となった。その子はエーテルを完全な状態で造り上げることが出来た。しかし、それを師に伝えることはしなかった」
「どうして、ですか」
エリアが尋ねると、ローラは視線を虚空に送りながら言った。
「奪われると思ったから。自分の創り出したエーテルが誰かに知られれば、たちまち奪われ実験に使われると、そう思ったの。それに、その子はそのエーテルを自分の野望に使えることを確かめる必要もあった」
そこまで、そのエーテルを創り出した錬金術師が求めたものとは一体何だったのだろうかとエリアは思った。
「しかし、動物を使った実験をしているところを、師に見つかってしまったその子は、師より破門を言い渡されたの。エーテルを創り出した方法を教えず、差し出すことも拒否し続けたためにね」
ローラは一息入れてから言葉を繋げた。
「幸か不幸か、破門を言い渡されてから数十年後に起きたシールグ大陸全土を巻き込んだ戦争に、錬金術師は例外なく駆り出されたわ。安価で仕入れた武器を、少しでも上のグレードにするという理由で、安い賃金で休みなく錬金術を使う事を義務付けられた」
ローラの組んでいる腕を握る手が少しずつ強張っていくのをエリアは見逃さなかった。
「しかし、戦争が終わると、兵士や将軍から散々囃されていた錬金術師は、詐欺師だ、悪魔の使いだと、まるでクルリと手のひら返しをされた。そして、次に錬金術師は全員捕らえられて処刑台送りにされた」
あまりにも残酷な話だとエリアは思った。そして同時にその話に、ある違和感を覚えた。
「話が逸れてしまったわね。破門された子の話に戻らなくては。その子は自分の野望を果たすことが出来たの。丁度破門されてから間もない頃ね」
「そいつの野望ってのは一体何だったんだ」
シュラが尋ねた。今こそその答えを明かす時だろうと睨んでいた。
「人が誰しも一度は望む欲望。権力者、貧民問わず神の領域に辿り着こうとする愚行の極み。……それを不老不死と呼ぶ」
ローラは侮蔑を込めた皮肉交じりの声でそう言った。
「しかし、その子は不老不死になったはいいけど、故郷から離れてただ一人で大陸を渡り歩きながら過ごしていた。そして寂しさが原因で心に寒風が吹いていたときに、一つの村を見つけた。今から六十年ほど前だった」
思わずエリアは「あ」と声を漏らした。エリアの中で感じた違和感の答えと、魔女伝説の真実が繋がったからだ。
「その村で四十年ほど過ごすも、姿かたちの変容を見せないその子に、村の人たちは恐怖を覚え、村から追い出した。追い出されたその子は行く当てもなく近くの森でずっと静かに音楽を奏でている。命ある限り……ね」
そう言ってローラは話を終えた。エリアは思わず身を乗り出して言った。
「ローラさん。エーテルを創り出した錬金術師って……」
ローラは肯定こそしなかったが、ニッコリと笑った。それが答えであることをエリアは即座に理解した。
「でも、どうしてそれを……見ず知らずの私たちに?」
あまりにも途方もない話を聞いたエリアにとって、唯一聞ける内容はそれだけだった。完全にローラの話を理解出来ている自信などないので、自分たちに関わる質問をした。
「そりゃあ、興味も沸いてしまうわ。貴方たちにね」
ローラは含みを持たせて笑った。エリアはその表情が何を意味しているのか読み取ろうとしたが、分からなかった。
「異国の地の王女様と、竜が二人で旅をしている。それは森に棲みつく魔女よりもずっと、面白い話だと思うけど」
エリアは驚愕した。貴族の服を纏っているわけではない自分をどうして、王女だと見抜いたのだろうか。ローラは一歩エリアに近付いてきた。
「隣のカーレス大陸の、サーファルド……かしらね?」
そう言ってエリアの瞳を覗き込む。エリアは後ずさりしながら、本当にローラは魔女ではないのか、と思った。
「どうして、分かったんですか?」
「少しは、身だしなみを気にした方がいいかもしれないわね、エリア」
そう言ってローラはエリアの首元を指差した。そこでエリアは納得する。父サードレアンから貰ったペンダントだ。サーファルドの国宝石であるセレビアを、ローラは一瞬で見抜いたのであろう。
「伊達に長生きをしているわけじゃないのよ」
そう言ってローラは悪戯っぽく笑った。エリアはその笑顔に思わず頬が緩んだ。しかし、一瞬で身分がバレてしまうのは良い事ではない。次からは服の中に隠しておかなくては、とエリアは思った。
「でも、そのセレビア」
ローラはそう言って更にエリアに顔を近付けた。エリアは、ローラの髪から良い香りがするのに気付いた。その甘い香りに頭がボヤッとしかけたときにローラの声が響いた。
「なるほど、ね」
「……何か?」
エリアが尋ねると、ローラはフルフルと首を横に振った。そして少し羨ましそうな瞳でエリアを見つめて言った。
「優しい王様なのね」
どうしてそう思ったのか、違和感を覚えながらも、エリアはコクリと頷いた。
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