Ⅳ 森にすむ魔女 (3)
「俺が心配で森まで来たぁ?」
素っ頓狂な声を上げたのはシュラだった。そして呆れかえったと言わんばかりに、額に手を置いてエリアに言った。
「お前に心配されるとは俺も落ちぶれたもんだ」
「そんな言い方は、ないよ」
ムッとした顔をしてエリアは言った。
「この森は迷いの森って言われていて、魔女が住み着いている、らしいんだよ。その魔女は森に迷い込んだ者の命を吸い取る、って言われてる、って」
言っているうちに不確かな情報でこの森に来た自分の迂闊さを恥ずかしく思った。エリアはだんだんと声が小さくなり、最後にはポツリと「ごめんなさい」と言った。
「いや、謝ることはないんだが」
シュラも反応に困ったのか、言葉が煮え切らなかった。
「確かに俺を心配してくれるのはありがたいんだが、俺は俺なりにエリアのことが心配なんだ。だから可能な限りお前を町や村に置いときたいわけで」
シュラは頭を掻き始めた。何を言えば良いのか少し混乱しているようだった。
「正直、今までこんなふうに誰かと接したことなんてないから、だけど。俺を仲間だと思ってくれるのは嬉しいんだ。俺もエリアを仲間だと思っているし。だからこそ無理をしないで欲しいんだ。流石にこの森に一人で入るのは無謀だと思うから」
シュラがそう言うと、エリアは少し考え込んでからコクリと頷いた。
「分かった。それと、助けてくれてありがとう。シュラ」
エリアは優しくシュラに微笑んだ。シュラもその笑みに応えて笑顔を見せる。二人は自分が誰かと共にあることを再確認した。
「……あれ?」
エリアは何かに気付いたかのように顔を上げた。シュラはエリアの反応に驚き、声を掛けた。
「どうした、エリア」
エリアは戸惑いながら、シュラに向かって言った。
「楽器の音が聞こえるの。誰かがこの森の奥に、いる……?」
音の鳴る方へ、エリアとシュラは手探りで向かって行った。暗闇は更に深くなっていく。恐らく森の最奥に近付いているのだろう。エリアを餌だと目を光らせる獣たちの声も聞こえてきた。もっとも、その度にシュラが睨みを聞かせてくれるので、エリアに危害は無かった。
そして森の奥に辿り着くと、そこは今までの暗闇が嘘のように神秘的な光に包まれた空間だった。周りの木々も光に彩られ、昼に見るよりも鮮やかな緑なのではないかとすら思えた。迷いの森、などという名前が嘘のような、まるで妖精でも住んでいるかのような幻想的な場所だった。
「これって……」
エリアは辺りを見渡すと、奥に一人の女性が切り株に行儀よく座り、フルートを吹いているのが目に入った。さっきから聞こえてきた音楽はこの女性のフルートによるものだろう、とエリアは思った。
女性は立ち上がれば膝まであろうかという、美しく滑らかに伸ばした黒い髪を持っていた。さらりとした艶のある黒髪と、その整った美しい顔立ちに、思わずエリアは見とれてしまった。それは美しいだけでなく怪しげな妖艶さも持ち合わせているような、そんな不思議な女性だった。
「あれが、この音の正体かよ」
ズイ、とエリアの隣に顔を出したシュラは、エリアとは打って変わって、さして興味無さそうに言った。おそらく人間と竜では美しいと思う価値観が違うのだろう。シュラはそのまま女性に向かって歩みを進めようとしたので、エリアは必死に押さえた。
「シュラが先に顔を見せたら、ビックリしちゃう、よ」
突然こんな巨大な竜が「やあ」と声を掛ければ老若男女問わず驚きの声を上げるだろう。実際ガルファンクですら、最初は驚きのあまり言葉を失っていたのだから。
「じゃあ、エリア早く行けよ」
「わ、分かって、るよ」
スゥ、と深呼吸をしてからエリアは女性の方に向き直った。するとその女性はニッコリと微笑みながらエリアとシュラを見ていた。
「エスコートしてくれるのは、逞しいお兄さんじゃなくて可愛らしいお嬢さんね」
それが自分たちに向けられている言葉だと、一瞬エリアは理解出来なかった。
「珍しいわね、こんなところで人に会うのは。これで二人目かしら」
女性は、紅茶の入ったティーカップを二人分出してくれた。信じられないことだが、どうやらこの辺りにこの女性が住んでいる家があるらしい。なんでこんなところに住んでいるのだろう、とエリアは思った。
「俺を見て何とも思わないのか」
シュラは怪訝そうに女性に向かって言った。
「貴方たちが最初に聞くべきことがそれだとは思わないけれど」
シュラの言葉をスルリと受け流して、元の切り株に腰を下ろした。エリアはまず、この女性の素性を知ることが大切だと思った。
「私はエリア。こっちの、その、竜はシュラです」
シュラはフン、と面白くなさそうに鼻を鳴らした。女性は慎み深く頭を下げて、そして上げてから言った。
「ご丁寧にありがとう。その礼節に応える必要があるわね」
女性は額から長い黒髪に手を添えた。そしてスルスルと指を髪に沿って滑らせ始めた。
「私の名前は、ロクサーヌ・ラウサクス」
髪を滑らせていた指を目で追うと、その黒髪の先端は真っ白な事にエリアは気が付いた。
「親しい人はローラ、と呼んでいたわ。呼び方は任せるけれど」
そう言ったローラは挑戦的な瞳でエリアを見た。エリアは他にも聞くべきことがあるだろう、と思って口を開いた。
「どうして、こんなところに住んでいるんですか?この森の中で、危険だらけなのに……一体何を」
エリアがそこまで言うと、シュラがズイ、とエリアの前に仁王立ちした。
「まどろっこしいぜエリア。もっと簡単にこの女の素性を確かめる方法はあるだろ」
シュラが何を聞くつもりなのか、エリアには見当もつかなかった。ローラも興味深そうにシュラの言葉を待っていた。
「お前は、魔女か?」
突拍子もない質問にエリアは言葉を失った。辛うじてシュラの腕をつかみ、頑張って声を出した。
「な、何を聞いているのシュラ」
シュラはエリアの方を振り返った。
「お前だって気になっただろうが、こいつが実は森に住む魔女なんじゃないかって」
「それは」
エリアは否定出来なかった。伝説の中のように、人の目を引く美しさに、漆黒のローブを身に纏い全身闇に染まるその姿は、確かに魔女のように見えたからだ。この森にいる理由も、魔女だからではないかと思ったからなのは言うまでもない。
(だからって)
エリアは急に心配になった。もしもローラが本当に魔女だとしたら、取り返しのつかない事態になってしまうのではないか、と思ったからだ。しかしそんな心配をするエリアに女性の笑い声が聞こえてきた。それはローラのものだった。
「ふふ、失礼。今でもあのクラーレでは私の事を魔女と呼んでいるのね」
楽しそうに笑うローラには、魔女というよりも妙齢の女性の美しさがあった。
「クラーレ、というのは?」
エリアが尋ねると、ローラは一つの方角を指差した。
「貴方が訪れた村の名前よ。エリア」
エリアは初めてサリィたちのいた村の名前を知った。そういえば誰からも村の名前を聞いていなかったな、と思った。
「ところで、貴方たちはこれを魔術だと思う?」
言うと、ローラは懐から赤い液体の入った小瓶を出し、そこらに落ちていた適当な小石を拾い振りかけた。すると小石は煙を立てて、同じくらいの大きさの金に変わった。エリアとシュラは自分の目を疑った。
「こ、これって」
エリアが金を指差すとローラは僅かに口角を上げた。
「あの村の人はこれを魔術と呼んだわ。でも、これは神の御業でも、悪魔の所業でもなんでもない。いわば技術なのよ」
そしてローラは金をポイ、と投げ捨てた。
「これは錬金術というの」
「錬金術?」
エリアはローラの言葉を復唱した。以前読んだことのある本で名前を見たことがあるような気がしたが、記憶は定かではなかった。
「でも石っころを金に変えるなんて、どう考えてもあり得ないぜ。それが魔術じゃなくてなんなんだ」
ローラはうーん、と唸って首を傾げた。
「説明するのはちょっと難しいから、凄く端的に話をするわね。この世に存在する全てのものはある何かによって出来ているの」
「何かって?」
シュラが尋ねると、ローラは何事もなく返答した。
「何かは何か。昔の同郷は第一資料なんて呼んでいたわ。それは我々錬金術師の師匠に当たる人物が何と呼ぶかによるのだけれど」
エリアとシュラは少し頭が混乱してきた。しかしローラは意に介さない様子で続けた。
「全ての物質は一つの何かで出来ているのだから、そこに物質の持つ性質を見つけ出し、必要な性質を加え不要な性質を抜き取り、自分の望む物質の性質を持てば、その物質は」
そこまで言ったローラをエリアは手で遮った。
「ごめんなさい、頭が追い付かないです……」
ローラはチラリとシュラを見たが、どうも頭がパンクしているようで、今にも湯気が出そうな程考え込んでいた。
「あらそう」
残念そうに肩をすくめるローラは、すぐに気を取り直したように口を開いた。
「クラーレで、今も伝わる私の伝説というものを、聞いても良いかしら?」
エリアは、一瞬答えに詰まった。魔女と呼ばれほとんど怪物扱いの伝説を、本人を目の前にして話していいものかと思った。しかし、ローラはそんなエリアの考えを見透かしたかのように、笑顔で言った。
「人は自分の理解を越えたものを怪物と呼ぶのよ。別に私は怪物と呼ばれることを恥じはしない」
それなら、とエリアは伝説をかいつまんで伝えた。拾った枝を立派な角材に変えたこと、何年経っても老ける様相を見せないこと、そして謎の奇病との関連性の噂を。
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