Ⅳ 森にすむ魔女 (2)

 大分夜も更けてきたので、そろそろ寝る時間だろうとサリィの両親はベッドを用意してくれた。生前はサリィの祖母のベッドだったらしい。部屋はサリィと同じ部屋だった。


 「それでは、おやすみなさい」


 そう言うと、サリィの母親は部屋の明かりを消してドアを閉めた。薄暗くなった部屋で、エリアは目を閉じた。

 すると、突然お腹の辺りに重みを感じた。まるで誰かが乗っているかのようだった。エリアは目を開けると、そこにはサリィがつまらなさそうにこちらを見ていた。


 「サ、サリィちゃん?」

 「もう寝ちゃうの、折角来てくれたのに」


 シュンとなっているサリィを見て、恐らくもう少しおしゃべりをしたがっているのだろう、と思った。先程の魔女伝説も途中で終わってしまって、エリアも少しだけ消化不良であった。


 「そうだ、ね。もう少しだけ起きていようか」


 むくりと起き上がったエリアは明かりを点けずに、部屋に備え付けられていた椅子に腰を下ろした。


 「でも、あんまり大きい声じゃなく、ね」


 エリアは優しくそう言うと、サリィはニッコリと頷いた。



 「大人たちは何でか分からないんだけれど、この魔女伝説を口にすると怒るんだよね」


 椅子に座ってプラプラと足を遊ばせるサリィの話をエリアはじっと聞いていた。


 「今から六十年くらい前のお話みたいなんだけどね」

 「みたい、ってのは?」


 エリアは思わず口を挟んでしまった。この村で最初に出会った老婆は恐らく六十歳は越えているだろう。それならば伝説などではなく、ちゃんとした話が残りそうなものだが、と思った。


 「この村のおばあちゃんとかおじいちゃんも、魔女の事を聞こうとすると怒り出すの。だからこうやって伝説みたいになっちゃって」


 難しい顔をするサリィに、エリアは話の腰を折って申し訳ないと言って、続きを促した。


 「六十年前に、ブラッと一人の女の人が村を訪れたみたいなの。その頃はまだ村も、もっともっと小さくて寂れていたんだって。そこに、美しい女の人が立ち寄ったみたいなんだよね」


 話し方がどこかたどたどしいのは、自分の中で話す内容がまとまっていないからであろう。しかし一生懸命に話すサリィの言葉をエリアはしっかり聞いていた。


 「その女性は元々村に住んでいた人たちが、家を建てていたり、狩りに行こうとしたりしている姿を見て、当時の村長に声を掛けたんだって。村の発展に協力させてはもらえないかって」


 サリィは身振り手振りを踏まえて語っている。


 「人手がいなかったから、村長はその女の人の申し出を受けたんだって。そうして一緒になって新しい家を作ろうとしたの。そうしたら、その女の人はその辺に落ちていた枝を拾うと、突然その枝が綺麗に整った角材になったというの。当然村の人はビックリしたんだって」


 それはビックリするだろう、とエリアは思った。どうして枝が角材になるのだろうか。どう考えても大きさが合わないような気がするが……。しかし、それも含めて魔女の伝説なのだろう、と考えるようにした。


 「そうして、村の発展に大きくその女の人は貢献したみたいなの。村長だけじゃなく当時の村の人にも受け入れられて、家ももらって村に暮らしていた、らしいんだけど」

 「だけど?」

 「十年くらいして、村の人は気付いたんだって。その女の人は十年も経っているのに、全然老け込む様子はなかったんだって。それどころか若返っているんじゃないかって言われ始めたの」


 話の空気が変わり始めてきたことをエリアは悟った。身を乗り出してサリィの言葉に耳を傾ける。


 「丁度その頃、村では謎の奇病が流行っていたんだって。高熱を出し、身体には斑点が出て、発症すると四日から六日で死んじゃうっていう恐ろしい病」


 サリィは口調が少しずつ雰囲気を持たせた重いものになっていった。


 「村のある若者が二日間行方不明になってしまったの。村の人は総出になって探したんだよ。そうして最後にその女の人の家に入り込んだ。そこには……」


 サリィは一度「溜め」を作ってから口を開いた。


 「ベッドに横たわっているのは、行方不明になっていた若者だった。それも身体中に斑点を浮かび上がらせて。そして、それを怪しい目付きで見つめる女がいた」


 エリアはサリィの話に聞き入っていた。


 「村の人たちは、この流行りの病の原因を外からやってきた、不思議な力を持つ女にあると考えた。そしてこの女が老けないのは、村の人を病にかけてその命を食べているからだ、と考えたんだよ。村の人たちはその女を魔女だと蔑み、村から追いやった。そうしてやっとこの村では平和が訪れた……っていうお話なんだけれど」


 エリアは音がしない程度の小さな拍手をした。


 「面白い、ていうのも変だけれど、とても印象に残るお話だね。でもその魔女はどこに行ってしまったのかな」

 「えっとね」


 サリィは部屋のカーテンを開けて指差した。その先にはシュラが野宿をしているはずの大きな森が見えた。


 「あそこ、迷いの森って言われている大きな森の中」

 「……でも、伝説、だよね?本当に実在しているかは分からない、よね?」


 エリアは少しだけ焦りながら聞いた。あくまでも伝説だと分かってはいるが、確認しておきたかった。


 「でも、あそこに入ると魔女に命を吸われるっていうよ。入った人は帰らないんだって。だから迷いの森っていうんだよ」


 サリィはそう言った。



 その夜、エリアは寝付けずにいた。つい先程までのサリィの話が頭から離れなかったからだ。最後にサリィは「噂だと思うけど」とフォローを入れてはくれたものの、あの森の中にいるシュラが心配になったのだ。


 (私が、誰かを心配して、いる)


 ふと可笑しくなって声を出さずにエリアは笑った。今まで誰かに心配されることこそあれど、誰かの身を案ずるなんてことをしたことがあっただろうか。どうやらエリアはシュラの事を大切な仲間だと認識しているようだ。


 「まだひと月も一緒に過ごしてないのにね」


 ポソリと小さな声でそう言うと、物音を立てないようにエリアはベッドの中から出た。そしてそっとドアを開けて、階段をトタトタと降りていく。幸い家の住人は全員眠っているようで、何の問題もなく家の外まで辿り着いた。


 「流石に、暗いなぁ」


 家の外に出ると、そこは真っ暗だった。残念なことに雲が夜空を覆っているので、星も見えない面白みのない空だったことも、エリアの心に陰を指した。


 「えっと、迷いの森の方角は確か、あっちだったかな」


 チラリとその先を見ると、大きな森が奥に見えた。目を凝らすと烏たちが森の上空にたむろっており、迷いの森などという異様な名前で呼ばれることに納得出来るような光景だった。

 エリアはパシッと頬を叩いて、ぎゅっとペンダントを握り締めた。このペンダントを握っていると勇気が湧いてくるのだ。


 「シュラ……大丈夫だと、いいけど」



 森の奥に進んで行くと、更に闇が深まっていった。時々闇の奥からギロリと睨む光が見える。飢えた狼が自分を狙っているのかもしれない、とエリアは思った。こうして一人で森の奥に立ち入ると、シュラが自分を離して皇の路の試練を捜そうとしたのも頷けた。危険が多過ぎるのに対し、エリアはそれを打破出来るようなすべを持ち合わせていないからだ。


 「痛ッ?」


 思わず腕を引っこめた。どうやら生えている植物の棘が刺さったらしい。毒のある植物でなければいいのだが、とエリアは思った。何にせよ、今の自分に出来るのは前に進むことだけなのだ。それほどまでに奥に来てしまったのだから。

 明かりになるようなものは何も持っていないので、手探りで進むしかないのがエリアの不安を煽った。勇気を出して来たはずなのに、急に心細さが姿を現した。


 「シュラ、どこにいる、の」


 か細い声で竜の名を呼ぶも返答はない。辺りを見渡すも、未だに闇だけが映る。


 「グルル……」


 唸り声が聞こえた。これは獣のものだ、とエリアは感じた。後ろから聞こえた唸り声に、すぐに振り向くべきかどうか迷った。そして反応が一瞬遅れた。

 エリアが振り向くと、そこにはエリアの体躯の二倍はあろうかという、巨大な熊が大きく口を開けてエリアに襲い掛かろうとしていた。エリアの顔に熊の唾液がかかる。目の前の事態にエリアの脳は追い付けずにいた。


 「え」


 かろうじて出せたのは声だけだった。熊の顔は更に、エリアに近付いてくる。

 突然、熊が視界から消えた。いや、エリアの視界から弾き飛ばされたのだ。凄い勢いで闇の中に吹き飛んでいった。エリアは目の前で起きたことに、ぽかんとした。そして理解した。熊を吹き飛ばしたものは、見覚えのある大きな尻尾だった。


 「何でこんなところにいるんだ、エリア」


 その声はエリアを責めるものも含まれていた。しかしエリアは安堵し思わずシュラに抱き着いた。


 「シュラ、無事でよかった」


 シュラは呆れた顔をしてエリアに言った。


 「それは俺の台詞」

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