第四章 ロクサーヌ・ラウサクス

Ⅳ 森にすむ魔女 (1)

 エリアはシュラの背中に乗りながら皇の路を記した巻物を眺めていた。次の目的地がどこにあるのか、方向を見定めていた。


 「大分、日が暮れてきたな」


 シュラの言葉にエリアが巻物から顔を上げる。確かに辺りは真っ赤に燃えるかのように、夕日が照らしていた。


 「そろそろどっか泊まるところを見つけるか?」


 シュラの問いに、エリアは唸った。


 「多分、この辺には町とか村の類は、無いと思うよ」

 「なんでだよ」


 不思議がるシュラに分かるように、エリアは地図をシュラの前にバッと広げた。


 「今、私たちはこのシールグ大陸のシャロという国の上空を飛んでいるんだよ。でも、この国の首都ストーロ・クルカはさっき越えてしまったから、もうこの辺りは国の中でも辺境の方なんだよ。だから、ほら」


 エリアは下を指差した。釣られてシュラも地面に目を向ける。確かにエリアの言う通り、平野だけがずっと続いている。


 「確かに人が住むようなところは無さそうだな」

 「あっちにはガドレ山脈っていう、世界有数の高い山脈があるから、あんまり人が住むのには適した土地じゃない、よね」


 シュラは諦めたかのように、小さくため息を零した。


 「仕方ないな。今日は野宿になりそうだ。エリアはそれで問題はないか?」


 シュラはエリアの方に視線を向ける。エリアは僅かに頬を緩めて言った。


 「私は、構わない、よ」


 エリアがそう言うと、シュラは大きく頷いてスピードを上げた。エリアは振り落とされないようにギュッとシュラの身体を掴む。思えばシュラと旅に出て、もう二週間が過ぎた。ついこの間クルッスという、カーレス大陸の隣の大陸にある国で、ルナフールの次の目的地である「ソルカ虫の行軍」を見つけたばかりであり、次の目的地はである別の大陸に向かう道中だった。


 「ソルカ虫、綺麗だったね」


 エリアはシュラを掴んだまま、流れる風の音にかき消されないように、頑張って声を張った。


 「夜になると光る虫だよな。確かに綺麗だった。あんな小さな虫でも侮れないものだと思ったよ」


 シュラはエリアの言葉に頷きながら答えた。エリアは少しずつだが、シュラとの壁が縮まっていくのを感じていた。


 「おい、あれを見てみろエリア」


 突然シュラが空中で止まったものだから、エリアは振り落とされないようにシュラの身体に爪を立ててグッと力を込めた。シュラが不満そうな顔でエリアをギロリと睨みつけた。


 「ご、ごめん」

 「まあ良いけどよ、それよりも」


 シュラが指差したのは大きな森林だった。その大きさは町が一つ分ぐらいだろうか、と思うくらいであった。しかし、シュラはその指先をもっと内側に向けた。


 「あ」


 エリアは小さく声を上げた。そこには森の十分の一にも満たないかもしれないくらいの小さな村がある。人の住むところも数えるくらいしかなさそうであったが、村は村である。エリアは少しだけホッとした。


 「野宿しなくてよさそうだな」


 シュラがそう言うと、エリアはコクリと頷いた。


 「ここの人たちが泊めてくれるって、言うならね」


 

 「おや、旅の人かい。こんなところに珍しいねぇ」


 村に入ると、腰を曲げた老婆が出迎えてくれた。老婆は杖を突きながらエリアに近付いてきた。


 「泊まる場所があれば、泊めていただけると助かる……のですが」


 エリアがそう言うと、老婆は声をあげて考え込んだ。


 「見て分かるとおり、ここには旅の人なんて訪れることは稀でしてな。それで宿屋も無ければ、大きな家も無いのですよ」


 エリアはその言葉を聞いて辺りを見渡した。ここは首都から離れているし、山もあるからあまり人が寄り付かないのだろう。住んでいる人も、元からここで暮らしている人ばかりのようで、年齢層が高めに見えた。


 「そう、ですか。え、と……」


 せめて空き家でもあれば、とエリアは尋ねようとした。無ければシュラと一緒にあの大きな森で野宿しかないのだろう、と思ったその時だった。


 「うちなら、空いているよ」


 後ろから声が聞こえてきた。クルリと振り向くと、髪を二束、両サイドに結んだ黄色いワンピースを着た十歳くらいの女の子が立っていた。


 「おお、サリィ。そうじゃな、サリィの家ならば一日くらいは泊まれると思うよ」


 老婆はそう言うと、杖をカツン、と鳴らしながら歩いて行ってしまった。残されたエリアはとりあえずサリィと呼ばれた少女に話しかけた。


 「え、と。サリィちゃん、で良いのかな」


 身を屈ませ、サリィと同じ目線の高さになったエリアにサリィは、元気いっぱいな笑顔で大きく頷いた。


 「うん。お姉ちゃんはなんていうの?」

 「私、のこと……だよね」


 エリアはニコリと笑った。


 「エリア、だよ」

 「エリアお姉ちゃんだね!分かった」


 そう言うと、サリィはエリアの手を取って走り出した。その勢いに一瞬エリアは転びそうになったが、体勢を立て直し、サリィに合わせて走り出した。



 「ごめんなさい。こんな粗末なものしか出せなくて」


 そう言ってサリィの母親はテーブルの上にスープと、じっくり焼き上げたチキンを出してくれた。エリアは会釈をしながら言った。


 「突然、お邪魔したのに……こんな」


 申し訳なさそうに頭を下げるエリアを見て、フルフルとサリィは首を横に振った。


 「何言ってるのお姉ちゃん。私が勝手に連れてきたんだから、そんなこと気にしなくて良いんだよ」


 グイ、とテーブル越しに顔を近付けてくるサリィに、エリアは思わず顔を離した。


 「こら、サリィ。お行儀が悪いわよ。お客さんの前でみっともない」


 そう言われたサリィはつまらなそうに「はぁい」と返事をして、椅子に座った。次にサリィの父親がエリアに声を掛けた。


 「しかし、サリィの言う通りだよエリアさん。そんな申し訳なさそうにすることなんかない。どうぞ遠慮なくお食べ下さい」


 そう言ってサリィの父親は料理を食べるように手で促した。


 「それでは、いただきます」


 そう言ってエリアは木製のスプーンを手に取り、野菜のゴロゴロ入ったスープを一口すくって喉に流し込んだ。熱い、と思った。そして次に美味しい、と。


 「美味しいですね、このスープ」


 言われてサリィの母親は、嬉しそうにニッコリと笑った。


 「よく言われるのよねぇ。私の得意料理とでも言いましょうか」


 機嫌よく、頬に手を添えて笑うサリィの母親に、エリアも再度「本当に美味しい」と告げた。


 「エリアお姉ちゃん、美味しいでしょ?このスープは」


 サリィが再びテーブル越しに身を寄せてきた。サリィの母親の目が鋭く光るが気にしたそぶりもなく、サリィは続けた。


 「でもね、お母さんの料理で美味しいって言えるのはこのスープくらいだよ。肉料理は隣のマスラおばさんの方がずっと美味しいの。お母さんの作るお肉料理は、良く焦げたりするし、味付けもしょっぱかったりして……」

 「こら、サリィ!」


 サリィの母親は顔を真っ赤にして声を大きくした。しかし、それは怒りによるものというよりも、気恥ずかしさによるもののように思えた。


 「お客さんの前で、本当にもう」

 「いや、でもサリィの言う通りじゃないか?今日のチキンも味付けが濃いというか」


 チキンをフォークで豪快に突き刺しながらサリィの父親は言った。すると、サリィの母親は頬を膨らませ、不機嫌そうに言った。


 「じゃあ、あなたは明日から晩御飯は無しね。隣のマスラおばさんに毎日頼み込んで作って貰えば良いじゃない」


 フン、と鼻を鳴らす妻に対して、サリィの父親は慌てふためきながら弁明を図った。


 「冗談だよ。いやぁ、今日も美味しいなあ」


 そんな光景を見ていたエリアは思わず声を出して笑ってしまっていた。すると、キョトンとした顔でサリィがこちらを見つめているではないか。


 「どうしたの。お姉ちゃん」

 「……ううん。ただ、お話しの絶えない良い食卓だな、って」


 エリアはニッコリ微笑んでそう言うと、サリィは満面の笑みで答えた。


 「だって家族だもん!」


 家族、という言葉がエリアに重く突き刺さった。旅に出てからあまり考えないようにしてはいたが、父サードレアンはどうしているであろうか。アリスと、ふと顔が浮かんできてしまったリアナもそうだ。

 自分がいなくなって、それなりの時間が過ぎた。国では、城では、騒ぎにでもなっているのだろうか。しかし、あの城でエリアは命を奪われかけたのだ。そう考えると突然の失踪を喜んでいる――そもそもあの一件で自分が死んだと思っている――人もいるのだろう。もはや過去の事として捉えられているかもしれない。今頃アリスが王の座に就くための儀礼でも行う準備でもしているだろうか。もっとも、今のエリアには関係のないことだが。

 普通の食卓というものがこの家の食卓を指すのならば、自分が過ごしてきた食卓は普通ではない。少なくとも、自分はその家族の輪の中には入れていなかった。もしかしたらリアナにはエリアはずっと「お客さん」だったのかもしれない。そうであれば良かった、などと思った。


 「お姉ちゃん?」


 ハッと気づくと、サリィが心配そうにエリアを覗き込んでいた。恐らく食が進んでいないからであろう。エリアは再びスープに手を付けた。


 「ごめんね、エリアお姉ちゃん。ずっとお父さんたちとばかり話しちゃってたから」


 シュン、となるサリィにエリアは首を振った。サリィは少しだけ元気を取り戻したかに見えた。


 「エリアお姉ちゃん。面白い話があるんだよ、聞いてくれる?」

 「面白い話……?」


 エリアは何だろう、と首を傾げた。サリィは鼻息を荒くして話し始めた。


 「この村に伝わる伝説のお話だよ」


 エリアはちょっとだけ興味を惹かれた。


 「昔からこの村に伝わるお話なんだけどね。ずばり魔女が存在していたっていう伝説があるの」

 「ま、魔女?」


 話の方向性にエリアは驚きの声を上げた。魔女、ということはこの世に魔術があるとでもいうのか。


 「そう、魔女伝説。この村には六十年前から魔女との繋がりがあったっていう伝説があるのよ」


 目をキラキラさせるサリィを、可愛らしいと思いながらエリアは話の続きを聞こうとした、しかしそれは一つの声で妨げられた。


 「こら、サリィ。お客さんに変な話をしないの。魔女なんているはずがないでしょう?」

 「そうだぞ、サリィ。そんなつまらないほら話なんてするものじゃない」


 突然サリィの両親が話を切り上げた。それでこのお話は終わってしまい、チラリとエリアはサリィを見たが、彼女は不服そうに頬を膨らませテーブルにしがみついていた。

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