第三章 ガルファンク・シャゴット
Ⅲ エリアと画家 (1)
朝の風を受けながら、エリアはシュラの背に乗って空を飛んでいた。シュラは呆れ顔でエリアに言う。
「お前、仮にも王族だろ、お姫様だろ?それが一文無しって、人間ってのは良く分からないな」
「そ、そんなこと言ったって……そもそもお金なんて持ったこともないし」
もとより欲しいものなんてあまりなかったエリアだが、それに加えても姉妹にお小遣いをあげるという、どこの家庭にもありそうな文化は家庭にはなかった。大体は父とリアナが買ってくれたからだ。流石にリアナも父の手前だからだろうか、アリスにだけ高価なアクセサリーを買ってあげる、というような類の差別はなかった。内心どう思っていたかは分からないが、エリアにもプレゼントをくれた。
「お金を使うっていう概念が、そもそもなかったから」
背に乗るエリアの言葉にシュラは思わず頭を掻いた。
「そりゃ俺たち竜にもないけどな、金なんて使わないし。でも、もし何かあったら、とかはないのかよ」
「うーん」
エリアは唸った。どんな状況にせよ、お金を使う必要が出たとしたらどうするか。
「今はもう小さくなったから捨てたけれど、昔お父様から貰ったリングは売ったらトルーヤ金貨六十枚くらいの価値があるって聞いたよ」
「単位を言われても人間じゃないから分からん」
シュラは、やれやれと言いたげな表情を見せた。エリアもそれはそうだ、と思った。
「しかし、それならどうするか、だな。一応次の目的地に一番近い町に向かっているが」
エリアはシュラから預かった地図を広げる。二人は今「ルナフール」と呼ばれる場所――地図に小さく美しさの極み、などと書いてある地点――に向かっている。この場所から一番近いのは、ユビルという町のようだ。
「まあ、とりあえず野宿しかないよな。多分町の近くならそんなに野犬なんかもいないだろうし」
シュラはそう言ったが、エリアは異を唱えた。
「でも、私はシュラの言った通りだと思う。これから先の事を考えると、例え野宿でも寝袋は必要だよ。欲を言えば、毛布があると嬉しい」
「そりゃそうだろうが、じゃあ金はどうすんだ?一度城に戻るのか?」
「しないよ、そんなこと」
エリアはちょっとだけムキになって言った。おそらく冗談だとは思うが、あまり好ましい冗談ではなかった。
「真面目な話、どうするんだよ」
「まずはユビルまで行って。そしたら」
エリアはグッと胸の辺りで両手を軽く握って気合を込めて言った。
「……働いて、みる」
ファナージは芸術の国と呼ばれている。国内にあるほとんどの町村に絵画、彫刻、音楽、演劇など独自の路線で発展した文化が根付いている。中には違う大陸に渡って、有名な吟遊詩人になった者や、他国の王族に仕え宮廷画家として日々活躍する者もいる。世間知らずなエリアでも知っている、ホンドエルという国に建てられた、初代国王ルシュリカの銅像もファナージ出身の人の作品である。
ユビルは特に絵画の町と呼ばれ、絵の具の匂いが辺りから立ち込めてくる。エリアがチラリと周りを見ると、地面にまでビッシリと絵が描かれている。露店のテントを見ると人物画を安く上手く描く、と意気込む人もいれば、自慢の風景画を道行く人におすすめしている人もいる。中には十枚繋げてやっと完成するような壮大な絵物語を作っていると書かれた店もあった。完成にはあと五年を費やすと書かれてもいたが。
(こんなことしている場合じゃないな)
日が暮れてからの八時から九時にかけて、ユビル近くの少し開けた草むらでシュラとお互いの進捗を報告することになっている。まずはすぐにでも働かせてくれるようなところを探さなくては。
「まずは歩かなくちゃ……」
しかし、結果はかなり悲惨なものであった。いくつもの店に足を通わせたが、雇ってくれるところなど見つかりもしなかった。実は理由は凄く明快だったのだが、エリアはそれに気づいていなかった。
「旅の者です。短い間ですがお金が欲しくて……雇っては頂けませんか?」
これがエリアの売り込み文句である。あまりにも正直すぎるエリアを雇う店なんて見つかるはずがなかった。気付けばもう日が暮れかかっていた。あと一軒が時間としても限度だろう。エリアは重い足取りで、「オーサ絵具店」と看板のしてある小さな店のドアをノックして中に入った。
「はーい、いらっしゃい。何をお求めですか」
大きな声が聞こえて思わずエリアは身構えた。店の中には沢山の色の絵の具が置かれているが、それ以外にあるのはドアを入ってすぐのカウンターだけだった。カウンターには恰幅の良いおばさんが制服に絵の具をべったりと付けていた。
「おやぁ、見ない顔だねぇ」
「あの、実は……」
エリアは今までの店と全く同じように自分を売り込んだ。
「はあ、なるほどねえ」
あまり芳しくない反応だな、とエリアは思った。今晩はシュラに何て言おうか、と考えた時だった。
「まぁ、色々な事情があるんだろうからねぇ、旅の方。あんまり給料は弾めないけれど、それでも良ければ二、三日……長くて一週間かな?うちで働いていきなよ。お金がないならとりあえず今日は店に泊まっていきなさい」
あまりにも優しいその言葉にエリアは、思わず聞き返してしまう。
「良いん、です……か?」
女店主は大きな声で笑いながら言った。
「あんま高い給料は払えないけどね。アッハッハ!」
「簡単な食卓で悪いね、エリアちゃん」
「そ、そんな。申し訳ない、くらいです」
エリアの目の前にはトマトとレタスの上にお手製のドレッシングをかけたサラダと、ポークがたっぷりと入った、熱々のシチューが用意されている。エリアは思わずごくりと唾を飲んだ。
「さぁ、遠慮せずにお上がりよ?」
女店主オーサはドンドン食べるように、と促しながら焼き立てのバケットまで出した。
「い、いただきます」
ペコリと頭を下げながらバケットを手に取り、ちぎって口に運ぶ。ほのかな塩味と甘みが口の中に広がる。スプーンに手を伸ばしてシチューに口を付けた。コクのある味わいにエリアの表情が緩む。
「美味しい、です。凄く……」
「そいつは良かったよ。明日からはしっかりと働いてもらうんだから、たんとお食べよ。例え数日間だけだとしてもビシバシとこき使う予定だからね?」
オーサはいたずらっぽく笑った。エリアも釣られて口角が上がる。
「しかし、エリアちゃんはあれだよね」
「はい?」
食事中のエリアをまじまじと、オーサは見つめてくる。なめ回すように見てくるものだから、思わずエリアも尋ねてしまった。
「な、なにか気に障る事でも……?」
「ああ、いやいや」
慌ててブンブンと顔の前で手を振る。そして頭に手を当てて笑いながらオーサは言った。
「エリアちゃんは随分と食事のマナーが良いんだなぁ、と思ってね。まるでどこかの国のお姫様とか、そんなんじゃないかなんてね。アッハッハ」
腰に手を当てて大きな声で笑うオーサに、エリアも合わせるように苦笑いをした。
(当たってるんだよなぁ……)
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