Ⅱ 忌み子と竜 (5)
夜風が頬を撫でる感触はとても気持ちが良かった。朝の風とはまた違う良さを、夜の風は持ち合わせている。朝の風が爽やかなら、夜の風はどこか虚しさと寂しさを覚える。しかしそれは何故か不快ではない。面白いものだ、とエリアは思った。
「食後の運動に丁度いい」
シュラはそう言って少し笑っていた。二回目に乗るシュラの背中はやっぱり大きいものだとエリアは思いながら、スッと背を撫でた。
「何となくドルガの爺さんの言いたいことが分かった気がしたんだ」
「え?」
シュラは前をしっかりと見ながら言った。その声は迷いを振り切ったようにどこか明るかった。
「人間との旅は正直窮屈だ。一人でいればもっと早く皇の路を周れるし、飯の心配もしなくて済むからな」
エリアは思わず「すみません」と言いそうになったが、その前にシュラが続きを話し始めた。
「だが、親父のことが話せた。里の奴には絶対に話せないことが話せたんだ」
エリアは目を丸くした。つまり、自分がシュラの役に立った、ということなのだろうか。
「誰かと旅をすることに意味なんてないと思っていたが、意外な自分の一面を見つける事が出来た気がした。もしかしたら誰かと共にあること、共に歩む存在があること。それが皇になるための一歩なのかもしれないな」
シュラは少し照れくさそうに言った。どんなに大きな竜だとしても、シュラはまだ若いのだろう。少なくともドルガやバルドといった、人生の先輩たちの半分にも満たない――もしかしらエリアとそう変わらないかもしれない――はずだ。そう考えると、ちょっとだけシュラに親近感を覚えた。
「私も、こんなふうに誰かと関わるのは、初めてです」
エリアは少し表情を緩めながら言った。
「私も、少しシュラと似ているのかも、しれません。私は……サーファルド国の第二王女だけど、王妃のお腹から生まれたわけじゃないんです」
「サーファルド……?お前、王族だったのか」
エリアは「一応」と寂しそうな声で言った。
「私は父と娼婦の間に生まれた子どもで、娼婦の母が流行り病で亡くなる前に、せめて私だけはと、父のもとに送り届けてくれたみたいです。父と王妃の間にはそもそも娘が一人いたので、私は第二王女になったんですけど……どうも受け入れられなくて」
それは、自分が周りを、だろうか。周りが自分を、だろうか。エリアはちょっとだけ考えて両方だな、と思った。
「私は城の中で忌み子、なんて呼ばれていました。城の兵士には相手にされず、メイドには丁度いい話題のタネ。まともに相手をしてくれる父は、やっぱり忙しくてあまり話せないし……」
「孤立していった、のか」
シュラは放った言葉に、エリアは首を縦に振った。ギュッと父のくれたペンダントを握り締めながら。
「そして、城の屋上で物思いに耽っていると、誰かに命を狙われた。それが誰かは分からないけれど。命はなんとかドルガに救われたけれど、同時に帰る場所なんてないんだと気が付いた」
エリアは身を屈めて、シュラの大きな背に寄り添った。
「この旅で、私は居場所を見つけたいと……思っています。少しでも落ち着ける場所で、出来る限り、穏やかな環境で、ひっそりと生きていければ……それで」
贅沢な願いかもしれないが、エリアはそれ以上を望んではいない。遠くへ行って居場所を見つけたいのだ。
「それは良いかもしれないが、一つだけ約束はして欲しいな、エリア」
シュラは背中のエリアを見た。二人の視線は交差する。
「皇の路を周り終わるまでは、良い場所を見つけても付き合ってもらうぞ。全てが終わった時に、俺がそこに送り届けてやるから」
シュラはエリアにそう言った。エリアは頷きながら言った。
「分かりました。シュラ」
シュラは、わざとらしくため息を吐くと、エリアに言った。
「もっと砕けた感じで話せよ。折角の旅のパートナーなんだから」
エリアは驚いた顔を浮かべたが、表情を戻してすぐに空を見つめた。この星の煌めく夜空は旅立ちと成長を祝しているように思えた。
「分かったよ。シュラ」
空の旅を終え、二人は木の下に戻った。もう寝るのに良い時間だろう、とエリアは思う。毛布や寝袋が無いので、風邪をひかないように、ギュッと身体を抱きしめて、木に寄り添った。するとシュラがそれを見かねてか口を開いた。
「あまり野宿ばかりするわけにもいかないな。俺はともかくエリアがしんどいだろう」
「私の事は気にしなくても、良いよ」
エリアはそう言ったが、やはり夜は肌寒い。ぶるっと身体が震えるのを感じた。
「とりあえず、今日は火を焚いたまま寝よう。危ないけれど凍えるよりはマシだろ。それに何かしら考えなくちゃ、だな」
「考える?」
「ああ」
シュラは、あくびをしながら答えた。
「効率的に旅を進めるには、やっぱり拠点が必要になると思うんだ。エリアには悪いけれど、エリアを守りながらこの地図にある場所を巡るのは大変だと思う。それだったらエリアだけでも近くの町の宿に泊まった方が良いんじゃないか?」
確かに、とエリアは思った。そうすれば野犬や肉食の獣らに襲われる心配もなく、食料についての問題も避けられる。しかし、それには大きな問題があることにエリアは気付いていた。
「丁度次の目的地はファナージの、ある町の近くにある。エリアがそこで宿をとって、必要になったら、落ち合えば良い。あらかじめ地図に印をつけて、例えば夜の何時ごろに集合する、とか」
「あの、シュラ……」
「それに、一応寝袋なんかも買っておいた方が良いな。基本的には今言ったやり方で良いにしても、どうしても野宿になることだってあるだろうから。俺たち竜には必要ないけれど、エリアたち人間には必要だろ」
「うん、まあそうなんだけれど、ね」
エリアはモジモジと指を合わせながら、話すタイミングを窺っている。それに気づいたシュラは話を一旦やめた。
「どうした、エリア?」
「うん、凄く良い話だと思う。思うんだけれど……」
そうして一度口を閉ざしてから、言い辛そうにおずおずと口を開いた。
「私、お金持っていない、よ?」
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