Ⅰ 旅立ち (5)

 エリアは食後の運動も兼ねて洞窟の中を歩いていた。すると、奥の方からドルガとシュラと呼ばれていた竜の声が聞こえてきた。エリアはふと、その声のする一番大きな洞穴の方に向かっていった。


 「これをお前に授ける。シュラ」

 「こんなもん持って、俺にどうしろっていうんだか」


 ドルガの渡した巻物を、放りながらシュラはつまらなさそうにしていた。そんなシュラをドルガがたしなめている。


 「お前がこの旅を終え、皇にならなくてはどうなるか。五族の竜の中で火竜だけが皇を持たぬことになるのだぞ」

 「アンタらが欲しいのは親父みたいな皇サマだろ?俺は親父とは違うぜ」


 ドルガはやれやれ、と肩をすくめた。しかしシュラは「皇」になることへの責任感は持ち合わせている様子で、ドルガをしっかりと見据えて言った。


 「必ず皇にはなるさ。この旅もやり遂げる。けれど、親父の背中なんかを見たいわけじゃないぜ。それだけは肝に銘じてくれや」


 シュラは尻尾を振りながらそう言った。


 「皇、って」


 恐らく人間の言うところの「王」と同じものであろう、とエリアは思った。そしてサーファルド城にいた昨日の出来事が頭の中に浮かんだ。


 (アリスが王になって、もっと良い国になっていくんだろうな)


 そう思うとエリアは、胸が痛くなった。自分に何が出来るわけでもないのに、今日の昼前にアリスが言った、「父の期待」について考えてしまう。どんな形であれ、今の父にとって、エリアは相続争いを恐れ逃げ出したというような認識でいるのだろう。

 もしも思われていないとしたら?いなくなったことに対して何も感情を揺さぶられていないとしたら?まさかとは思うが、否定しきれない自分が嫌になって首を大きく横に振った。


 「誰かいるのか?」


 気配を察知したのか、シュラの声が聞こえた。エリアはおずおずと二匹の竜の前に姿を見せた。


 「エリアじゃないか」


 ドルガは少し驚いた顔を見せた。シュラは最初キョトンとしていたが、少しして合点がいったのか、あまり興味無さそうな顔になった。


 「ああ、そういえば何故か人間がいたな」

 「シュラ、こちらは」


 紹介しようとしたドルガを、ピシャリとシュラは手で制した。


 「話は聞いているぜ爺さん。エリア、だったか?爺さんがケゼル川で助けたんだろ。爺さんらしいというかなんというか」


 そう言ってシュラはそれ以降黙ってしまう。話が終わったのか、ドルガも口を開かなくなった。


 「あの」


 静寂に響いたのはエリアの声だった。


 「さっきまでの話は?」

 「ああ」


 ドルガは少し迷ったような顔をしたが、そのまま口を開いた。


 「このシュラという男はわしら火竜を治めていたサーヴァという男の息子なのだ。サーヴァは、火竜の皇としてこの里をとてもよく治めていた。しかしある日、忽然と姿を消してしまった。サーヴァは一つだけあるものを残していった」


 スッとシュラが持っていた巻物を挙げた。


 「皇の路。竜族は皇を次の竜に受け継がせるときの試練として、先代が通った路を全て通り、最終的に帰ってくるというものがある。先代の路を記したその巻物を読み解き、巡ることで皇の座は次なる竜のものとなる」

 「先代が通った路というのは?」


 ドルガは首を横に振った。


 「それはわしにも、誰にも分からん。先代の皇が自分で見たもの、感じたものを書き示しているのだから。それが苦しい試練なのか、あるいは受け継ぐべき自然が茂る場所なのかも。知る権利を有しているのは、皇になる資格のあるものだけ」


 資格、という言葉にエリアは胸がズキリとした。自分には資格があったことがふと頭をよぎったからだ。しかし、すぐにシュラが声を発したので、そちらに意識を集中させた。


 「何で俺をその候補にしたのかは分からないけどな」


 ふん、と不貞腐れた態度をシュラは取った。エリアはそのシュラの態度が少し気になったが、ふと視線を外した。次に声を発したのはドルガで、その内容は今までの話の流れを完全に断ち切っていた。


 「さて、エリアよ。おぬしのことだが、明日おぬしの家の屋上にでも送っていけばいいかな」

 「え?」


 エリアはその言葉の意味を理解するのに少し時間を要した。つまりドルガは丁重にエリアを送り帰してくれるというのだ。


 「それでわしらとおぬしの繋がりも終わり。今日のことは忘れて元の生活に戻ればいいのじゃ」


 元の生活に戻る、という事をエリアは頭の中に思い描いた。しかし、ただでさえ苦痛だった元の生活を更に上回る苦痛が待っているのでは、と不安になった。何よりもあの城には自分を殺そうとした人間がいるかもしれないのだ。

 エリアは自分の帰るべき場所がないことに気が付いた。むしろ、エリアはあの城よりも、この国よりも、もっとずっと遠くへ行きたいと思った。誰も自分を知らない世界へ。どこかにあるかもしれない、もう少しだけ心が落ち着く世界へ。

 普段考えもしないことを考えたからだろうか。エリアは自分の発した言葉の意味を理解出来なかった。


 「私もその皇の路に、付き合っちゃダメ……ですか」


 先程よりも長い静寂が洞穴の中を包んだ。その静寂は一つの声で崩れた。


 「何を言っているんだ。お前」


 シュラの声は呆れと苛立ちが含まれていた。当然のことだろうとエリアは思う。自分は完全に部外者なのだから。


 「すみません。私もどうしてこんなことを言ったんだろ」


 顔を伏せて二匹の竜に背を向けた。足を踏み出し、そのまま城に帰ってしまおう、と思った。


 「それもいいかもしれないな」


 その声はドルガのものだった。


 「おい、爺さん」


 シュラはまるで理解出来ない、というようにドルガの顔を見た。しかし、ドルガは表情を崩さずにシュラを見据えた。


 「これもまた、お前にとって必要になるかもしれん」

 「意味が分かんねぇよ。大体、見てみろよ爺さん。この人間の女の身体、俺たちと違って貧弱だ。まさかこいつを守りながら各地を回れって言うのか?」


 ドルガは何も言わずに立ち上がると、奥に行き、戻ってきた時にはエリアの体格に丁度良さそうな布の服と、しっかり顔まで覆えそうなケープを持ってきた。


 「この洞窟の付近で死んでいった旅人の着ていたものだ。旅行く人にあまり縁起は良くないかもしれんが、そのドレスよりは数段マシだろう」


 エリアはそれを受け取ると、軽く会釈をした。手触りから察するに、暑さや寒さにも耐えられそうだ。


 「爺さん!俺の話は聞いていないのか」

 「聞いているさ、シュラ」


 ドルガはシュラの顔をしっかりと見据えた。シュラは思わずその真剣な面持ちに生唾を飲み込んだ。


 「皇に必要なものは数多くあるが、その中の一つを学ぶために必要になるのではないか、とわしは思うぞ」

 「何だよ、それ」

 「いずれ分かる」


 ドルガはそう言うと、洞穴から出て行った。どうやらここはシュラの住む洞穴だったようだ。何故かバツの悪いエリアはシュラに声を掛けようとしたが、シュラの方が先に声を掛けてきた。


 「先に言っとくぞ」

 「な、なんですか」


 シュラはギロッとエリアを睨みつけて、大きく口を開けて言った。


 「足手まといになるなら置いて行くからな」


 

 朝が来た。陽の光の眩しさと方向から、まだ朝の六時くらいだろう。エリアはふわあ、とあくびをしたが、決して悪い目覚めではなかった。

 昨日貰った服に着替えたエリアは、男性物の衣装だったために少し丈が余ること以外に不満はなく、むしろドレスよりも気に入っていた。


 「この皇の路から読み取ると、最初の目的地は同じ大陸みたいだな」

 「見せてもらっても良いですか?」


 シュラは、ズイと巻物を開いたまま手渡した。どうやらカーレス大陸にあるファナージという国と竜の里の間にあるらしい。エリアは気合を入れようとパシッと自分の頬を叩いた。


 「良いのか」


 シュラが不意にエリアに問い掛けた。


 「何が、ですか」

 「帰らなくて良いのか、だ。決して人間には楽な道じゃないと思うが」


 エリアは少し考えたが、すぐに口を開いた。


 「この選択が正しいのかどうかも、自信なんて、ない」


 けれど、とエリアは言葉を繋いだ。


 「少しでも遠くへ行けば、何か見つかると思ったから」

 「ふん」


 シュラは大して興味もなさそうに鼻を鳴らした。


 「特に激励の見送りも何もないが、旅立ちなんてのはこんなもんなんだろうな」


 そう言うとシュラは身を屈めてジッとしている、エリアは一体何をしているのだろう、と気になった。しかし問い掛ける間もなくシュラの苛立っている声が聞こえてきた。


 「早く乗れよ。さっさと行くぞ」

 「は、はい」


 バッとエリアはシュラの背中に乗り移った。エリアの重みを感じたと同時にシュラはその大きな翼をゆっくりと大きくはためかせた。シュラの身体がドンドン地上から離れていく。エリアの見る景色が少しずつ高くなり、風を感じ始める。


 (ここからどんなことが待ち受けているのか分からないけれど、でも、今は)


 自分の髪を靡く風を感じ、この旅に希望があることを願いたかった。

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