Ⅰ 旅立ち (4)

 エリアは自分が仰向けになっていることに気付いた。何とか目を開いて起き上がろうとすると鈍い痛みが身体を走る。しかしグッと堪え、やっとのことで上体だけは起こす事が出来た。

 床面に触れている左手の感触から察するに、ここは建物内ではなさそうだった。寝転がることが出来る程度には石は取り除かれてはいるが、それでもゴツゴツした硬い感触が感じられる。


 「洞窟の中、なのかな……」


 辺りを見渡すと広い空間ではありそうだが、どこか薄暗い。少なくとも人が住むような場所には思えない。どうしてこんなところにいるのか、エリアは疑問に思った。


 「おやぁ、起きなすったかい」


 暗闇から声が聞こえた。声から察するに老人のものだった。ゆっくりとした話し方も老人のそれと判断した。

 先程、人が住むような環境ではないと思ったことを、エリアは撤回しなければならないと思った。まずは気になっていたことを老人に尋ねる。


 「ここ、は……どの辺ですか」

 「どの辺とな?」


 老人と思われる声の主は答えあぐねていた。質問の意図が少し分かり辛かったのかもしれない。エリアは尋ね方を変えた。


 「サーファルド王国の城から見て、どれくらいの場所、ですか?」


 ああ、と老人は納得したようで言葉を繋いでくれた。


 「そう離れておらんじゃろなぁ。サーファルド城のすぐ近くを流れるケゼル川があるじゃろう。そのすぐ近くじゃ、お嬢さん。アンタがケゼル川で流されているのをわしが発見したんじゃ」


 ケゼル川ならサーファルド城からほとんど離れていない。恐らく落下した後、運良く木か何か、クッションになるようなものにぶつかり、跳ねて川に落ち、そのまま流されたみたいだった。何とか命拾いをした、とエリアは思った。


 「すみませんでした、ご迷惑を」

 「迷惑だなんてそんな。わしは久しぶりの生きた人間だと少し嬉しかったくらいじゃから」

 「え?」


 エリアは老人の発言の不可解さに、僅かに身構えた。老人は変わらず陽気な声で次の言葉を発した。


 「流石に暗いだろうから、明かりが必要だろう。少し待ちなさい」


 モゾモゾと音が聞こえたと思ったら、一つの松明を出し、老人は手に持った。エリアは近くに枝か火打石でもあるのかと辺りを見渡した。すると老人が妙に長く息を吸う音が聞こえた。

 そして少しすると、ゴォッという激しい音が聞こえた。音と同時に辺りが明るく見えたのは、突如として吐き出された火によるものだった。火がやむと、パチパチと火花を散らした松明がエリアの前にあった。

 松明はエリアの前に差し出された。差し出すその腕は赤い鱗に包まれており、女の自分はおろか、屈強な兵士でもここまで太くはないだろうと言えるものである。そしてエリアの三倍はありそうな掌にはとても大きな鋭い爪が四本もある。

 明かりを頼りに今まで老人だと思っていた「それ」の顔を見た。目は大きく見開かれ、口元には巨大な牙が隠しきれない存在感を放っている。頭部には二本の大きな角が見えた。その巨躯はエリアの二倍以上はありそうだった。


 「……竜?」


 エリアは無意識のうちにそう言った。気付けば横たわっていたはずのエリアは松明を貰った時に思わず立ち上がり、そのまま立ち尽くしていた。眼前の竜は目を細めて、エリアを見据えて言った。


 「ここは竜の里(レヴァ・ドラゴ)。ようこそ人間のお嬢さん」



 「いやはや、何年振りじゃろう。人間の姿を見るのは」


 笑い声をあげながらズシリと音を立てて歩く竜の隣にエリアは沿いながら歩いた。竜の名前はドルガというらしい。気のいい性格のようで、何度もエリアに声を掛けてくれていたが、エリアは上手く返答出来ずにいた。


 「しかし何だってあんなところにいたんだ?川で泳いでそのまま溺れでもしたか?」


 ドルガはエリアの方に顔を向けて声をかけるが、エリアはそれに向き合う事は出来なかった。


 「分からないです。どうして……」

 そのどうして、はドルガの質問に対する答えでなく、どうして突き落とされたのか、だった。


 「動転しているみたいじゃな。よっぽど何かあったのだろう。無理もあるまい」


 ドルガはうんうんと頷くと、顎で前を見るように促した。


 「着いたぞ、里の中心部だ。皆がおる」


 エリアが顔を上げると、洞窟の中に大きな洞穴がいくつかあるのが見えた。人間サイズなら五、六人は生活出来そうなくらい大きな洞穴である。人間サイズであるなら。


 「おお、ドルガ爺さんじゃないか。日課の散歩は終わったのか?」

 「おう、丁度終わったところだ。それよりも今日は面白いものを見つけたぞ」


 ドルガに話しかけた声の主はヌッと洞穴の中から現れた。ドルガと同じく赤い鱗に覆われた顔に大きな傷のある竜だった。


 「おいおい、爺さん。こいつは人間じゃないのか。どうしてこんなところに人間が」

 「散歩している時に見つけたんじゃ。川で意識を失っているようだったので連れてきたんじゃよ」


 傷のある竜はふうん、と大きく息を漏らした。


 「まあ、爺さんのことだからあんま心配はしないがなぁ。人間と関わってはならないってのが俺たち竜の掟の一つだろう?良いのかい」


 エリアはそう言った竜の顔をじっと見た。人竜伝説はどうやら真実を描いたものであったことが分かったが、そうなると人間と竜の間に出来た溝というものは相当根深いものであるようだ。エリアは本当に自分がここにいて良いのか、とドルガに問おうとした。


 「掟は確かに大事だが、一日くらい破っても構わないじゃろう。重要なのは掟を守らねばならないことよりも、今のおぬしの言葉のように掟を守ろうとする気持ちがある事じゃからな。それに」


 ドルガはニヤリと笑った。


 「ここは火竜の里。我ら火竜にまつわる流儀は?」


 傷を持った竜は口角を上げた。


 「祝いの日には無礼講。だろ?」


 するとドルガはとても大きな咆哮をあげた。思わずエリアは耳を手で押さえる。ひとしきり咆哮がやむと、辺りの洞穴からヒョコヒョコと小さな竜たちが姿を見せ始めた。


 「長!もうシュラのお祝い始めるの?」

 「まだ準備出来ていないよぉ!」


 小さな竜は子どもたちのようで背丈は僅かにエリアの方が大きいくらいだった。爪や牙もまだ発達しきってはいないようで、どこか可愛らしささえも感じる。


 「あれ、長。それって」


 「それ」というのはエリアのことだろう。ドルガはまた同じ説明が必要なのか、とうんざりした顔を見せた。



 「ねぇねぇ、エリアのお姉ちゃん。これも食べなよ」


 子どもの竜から差し出されたものは真っ赤に熟れた林檎だった。エリアは自分が空腹だという自覚はあったので、その林檎に手を伸ばそうとした。


 「あ、ちょっと待って。せっかくならさ」


 そういって子どもの竜はゴォッと林檎に火を吐いた。するとこんがりと焼けた林檎からは甘くて美味しそうな匂いがしてきた。


 「あ、ありがとう」


 エリアは林檎を受け取ると、そのまま口を付けた。丁度いい甘みが口の中に広がる。


 「美味しい」

 「シェルタも炎の扱いが上手くなったものね」


 子どもの竜の後ろに大きな竜がのっそりと現れた。比較的牙が大きくないこの竜は、きっとこの子どもの竜のお母さんなのだろうとエリアは思った。


 「エリア様、でしたか」


 お母さん竜はエリアの前に立つと、エリアの頭を軽く口で突いた。これが竜たちの挨拶なのであろう。


 「あの、本当に私はここにいて良いんですか?」

 「長が連れてきた客人ですもの。今日一日だけでもゆっくりしていって下さい」


 エリアは優しい言葉に溺れそうになるが、どうしてもハッキリさせなくてはならないことがあるので、続けて尋ねた。


 「掟では竜は人間と関わってはならない、とか聞きましたけれど。その」


 お母さん竜は目元を細めてエリアと同じ目線まで顔を下すと、エリアに優しく話しかけた。


 「私たち竜族全体に関わる掟の事ね。確かに、ずっと昔に竜と人間は一つの事件がきっかけで、大きな溝を作った。そして竜と人間の長たちが集まって話をした結果、二度と竜と人間は関わりを持たない、ということで決着がつき、今に至った」


 エリアは貴重な竜の話に、相槌を打つのも忘れて聞き入っていた。


 「でも、今日は我らが同士シュラの門出の祝いの場だもの。無粋なことを言う者は誰もいないから」


 そこまで言うとお母さん竜は自分の腕をシェルタが引っ張っている事に気付き、笑顔を向けると、もう一度エリアの頭を口で軽く突いて二人で行ってしまった。


 「良く分からないけど、今夜はいても構わないってことのなのかな」


 エリアは誰に向けてでもなく、自分に言い聞かせるようにそう呟いた。



 「おや、主役の登場だな」


 ドルガの言葉に、洞窟の中にいた竜全員が一つの方向に目を集めた。エリアも釣られてその視線の先に集中する。


 「あんまり注目されてもな……」


 鋭い声が聞こえると同時に一匹の竜が姿を現した。


 「俺はこんなふうに皆から囃されるのは好きじゃないんだぜ。ドルガの爺さん」


 そう言ってドスドスと歩いてくる竜は他の竜とは違い、粗野な風貌と同時に、何故か誇り高さを感じるオーラを持ち合わせていた。頭には少し古ぼけた竜の頭蓋骨を被っていた。角は他のどの竜よりも長く、その鱗は紅蓮の如く鮮やかに輝いていた。


 「そう言うな、伝統じゃぞ。それよりも、よく似合っているぞシュラ。まるで先皇の如くだ」


 シュラ、と呼ばれた竜はドルガの前まで立つと不意に顔を背けた。


 「親父の話はやめてくれよ爺さん。あんな奴俺は知らない」


 ふう、とため息をついたが、すぐにドルガは竜だけにしか通じない言葉を発し始めた。周りの竜もそれに続いて唱和し始める。言葉の分からないエリアは少し居心地の悪さを感じていた。

 それが五分ほど続いただろうか。唱和が終わるとドルガはシュラに一歩近付いて耳打ちをした。シュラはそれにコクリと頷くと、一歩後ずさり礼をした。頭を上げた時にどうやらエリアの姿が目に入ったらしく、怪訝そうな顔で数秒エリアを眺めていたが、パッと視線を外した。

 それからはドルガの号令と共に、果物や獣の肉、新鮮な魚などが次々と運ばれ、竜たちは我先に、と鋭い牙で目の前のご馳走を貪り始めた。エリアはその勢いに圧倒されてしまったが、出ているご馳走はどれも美味しかった。

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