211 北門、決着


 アラスカの大地に呪詛の声がこぼれ落ちる。


『コロス……必ず、殺して、やル……間宮、まヒる……コロ、す……』


 声の主は、キャタリーナ。爆発に巻き込まれた彼女は、死んでいなかった。

 とはいえ満身創痍。ふらふらとした足取りで、『家畜小屋』から北門へと城門に沿って移動していた。


 まひるの起動した爆弾は、彼女を殺すのに十分な威力を有していた。

 いままで感じたことのない衝撃、熱。それらが彼女を襲ったが、ムカデの尻尾で体を覆い、なんとか生き延びることができたのだった。

 ピュアブラッドの込められた針が、数本彼女の体に刺さっていたことも、一つの要因だろう。


 しかしそれでも、『死なない』ことが精一杯の威力だった。


『クソ、どこかに『ヒト』はいなイの……?』


 少しでも体力を回復しなければ。逃げていった『家畜』の一匹でも見つけられれば。

 咄嗟に爆風を庇ったムカデの尻尾はズタズタになり、重く邪魔だったため自分で引きちぎった。それを再度生やすためにも、肉がいる。

 庇いきれなかった右腕はかろうじて繋がっている程度で、傷口からは緑の体液が流れ出しつづけていた。体力を戻すためにも、血がいる。


『あの、『硬化』のクソも、勝手に死んだしシ……』


 キャタリーナと共に爆風に巻き込まれたオスは、間宮まひるの予想と違い、死んだ。

 爆風は耐えられたものの、暴走した異能で生命活動に必要な部位まで硬化した結果だった。


 異能者は死亡すると粉になってしまう。味もひどいしぱさつく。喰えたものではない。血が足りない。肉が足りない。何か喰べねば。


 このままでは、まずい。


 緑の斑点を作りながら、キャタリーナは進む。


 ウィリアムの『言っていた通り』、異能者たちは乗り込んできた。そして、それらを全滅させるために人型殻獣たちを送り込んだ。

 ウィリアムに言われた通りに狩りをして、何人もの異能者を殺し、捕まえた。


 そこまではよかった。

 しかし、こんなに早く城門まで来ているとは。


 これは、報告をしなければならないのではないか。


 キャタリーナの思考は纏まらず、大きく頭を振る。

 多少の緑の血が周りに飛び散ったが、文字通り、昇った血の気が引いて冷静になれたような気がした。


『……イや、だメ。

 このマま、帰れるわけ、なイ……最低でも、ウィルに、あいツの死体、とどケ、る……』


 失敗しました、という報告をすることは、彼女にとってありえないもの。

 彼女の知るウィリアムはとても優しい。優しいが、同時にどこか『冷たい』のだ。 


『このままジャ、プロスペローと、同じ……イヤ、やダ、死にたく、ナイ……』


 自由勝手に場を乱し、命令を無視して哀れに殺された『道化師』。その顛末である首のない死体。


 その未来が自分のすぐそばに迫っている。


 彼女の口癖とは正反対の『原始的』な恐怖に心を支配され、キャタリーナはブルリと肩を震わせた。




 キャタリーナは程なくして北門に到達する。

 門前に広がる『国民』たちのテント群。その中央にある開けた広場に、人影があった。


 大きな体躯と、背中全体を覆う甲殻。

 緑色の重戦車のような威圧感を放つ、男。


『キャタリーナ。どうした。ボロボロではないか』

『ペトルーキオ!』


 声をかけてきたのは、配偶者であるペトルーキオだった。

 彼はキャタリーナの様子に、驚いたように目を見開く。


『ずいぶんとひどくやられたな。何があった』

『私の方に、『増える女』が来ていタの……あいツに負けたわけじゃないのよ……あいつ、爆弾を持ってて……。

 ところデ、貴方は無事だったノ? きっとここにも——』


 大勢の異能者たちが。

 その言葉を遮るように、ペトルーキオは足元の地面を指差した。


 そこには、地面に横たわる人間の姿あった。


『ソれは……』

『一騎討ち、だそうだ。無謀なこと』


 倒れていたのは、日本刀を持ったオス。

 うつ伏せで四肢はだらんと放り出され、ピクリとも動かない。


 その男を、キャタリーナは知っていた。

 『なりすまし』や、増える女たちのリーダーだ。その男が、地面に臥している。


 喀血したのか赤い血が地面を汚していた。


『コロしたのね!』

『無論。負けるわけがなかろう』

『あはハは! アハははは!』


 キャタリーナは、心から笑う。満足に動かない体で歩み寄ると、床に倒れたオスの頭を、思い切り踏みつけた。


『はは! ハは! ざまあみろ! そうよ! ひトなんて、こんなもの!』


 何度も、何度も踏みつける。

 自分を追い詰めた間宮まひるの、直属の上司。それが惨たらしく死んでいる様は、心地がいい。

 踏みつけるたびに、少しずつ自分の力が戻ってくるようにすら感じられた。


『クズ! クズ! ザコが!』


 罵声を浴びせながら肢体を踏み続けるキャタリーナに、ペトルーキオが語りかける。


『さあ、この死体を手土産としよう』


 自分がもっとも欲しかった言葉に、キャタリーナは破顔する。

 手土産の一つもあればウィリアムへの報告もできるというものだ。


『流石ね! 流石は私ノ夫!』


 彼女は『初めて』ペトルーキオに対して本心から好意を向けた。

 己が夫であるが、それは創造主のウイリアムに『そうあれ』と造られ、命じられたからだ。


『そうだわ。この後、『増えるメス』がきっトこっちへクるわ。そいつも殺してシまいましョウ!』


 キャタリーナは弾んだ声で言葉を続ける。


『一度不覚ヲ取ったけど、今度ハ大丈夫。

 私たち二人でかカレば、すぐよ。貴方が分身を殺している間に、私があいつの息の根を止めルわ!』

『いい作戦だな』

『デしょう! コロしましょう! ねェ、そうシましょ!』


 ペトルーキオは、爛々と目を輝かせるキャタリーナに対し、すっと手を伸ばした。


『しかし、その前に……こちらへ来い。怪我をしているだろう、何か治療を』

『え、えェ、そウね……ソうだっタわ……』


 キャタリーナは自分の身体が満身創痍であることを思い出す。

 『助かる』という安堵感からひととき忘れていたが、今もなおジクジクとした痛みが身体中を走っていた。


 キャタリーナはペトルーキオの手を取る。

 すると、彼はキャタリーナの体を引き寄せ、優しく口づけをしてきた。


『……な、なニよ? 急に』


 急に夫婦『らしい』ことをされたキャタリーナは目を丸くする。

 ゆっくりと唇を離し、静かに笑うペトルーキオの様子に、キャタリーナの脳は混乱した。


(ペトルーキオも、ウィルに言われて夫婦だと思ってただけじゃないの? もしかして、ペトルーキオは本当に私のことが……)


『俺たちは夫婦だろう。何かおかしかったか?』

『おかしい、って……だって、それ、は……』


 今まで全く意識をしていなかったが、急に優しくされたキャタリーナは、目をパチクリとさせた。


(身体が、熱い)


 火照るような熱さがが頬を紅潮させ——正確には緑潮だが——動悸が速くなる。

 その熱は顔から喉、体中を駆け巡る。


 喉から体、心臓がどくどくと鼓動を鳴らし、手のひらが震える。

 足先の感覚が薄くなり、周囲の音が、徐々に遠くへ去っていくように感じる。


『え……エ?』


 さらに鼓動が早くなり、視点が定まらなくなる。


『あ、レ……? ナ、に、こ……れ?』


 無意識にガクガクと頭が震え、正常に呼吸ができなくなる。


「経口摂取でも有効か。なるほど」


 声に反応し、キャタリーナが目線をやるとそこに立っていたのは——。


『どういう……こォとォ……?』


 ——ペトルーキオではなく、九重光一だった。


 光一はキャタリーナを睨みつけると、唾を吐き捨て、自分の唇を拭う。


「体を内から焼かれる気分はどうだ。毒使い」


 キャタリーナは混乱する。この男は、ペトルーキオが殺したはず。

 血眼になり、地面に横たわっていた男を見る。


 倒れていたのは、ペトルーキオだった。

 死後の時間が経過したのだろう。徐々に白く、異能物質へと変化していた。

 まるで、種明かしと言わんばかりに、ピシ、と音を立てて砕け始める。


 その頭部は、キャタリーナが踏んだことでグシャグシャに凹んでいた。


『あ、あん、た……そう、カ。まぼろ、シ、だッタノ、か……』


 キャタリーナは、理解する。ペトルーキオも敗北していたのだ。

 この男の異能は、『幻を見せる』というもの。油断し、罠にかかってしまったのだ。


 しかし、一つ解せないことがある。


『デモ、なん、デ……? なに、が、おき……』


 キャタリーナはとうとう立っていることすらできなくなり、膝から崩れ落ちる。


(なぜ、私は、死にかけている? まだ、体力は、あるはず。なぜ? なぜ? まるで、毒……?)


 キャタリーナの脳内には大量の疑問符が浮かぶが、その答えを得るには、彼女の命運は短すぎた。




 重なるように倒れる二体の人型殻獣が異能物質に変じるのを見届けた光一は、その遺体をより細かく砕き、野に返す。

 それは、今作戦で口すっぱく言われていた手順の一つだ。


『人型殻獣はオーバードと同じように砂状物質へと変じる。それらの拾得は一切禁止。全て散らすように』


 あくまでアンノウンは緊急時の作戦行動目的の集団。

 どこかの国の利になりそうな行為は、全て固く禁止されていた。 


 十分に粉を散らして霧散しさせたところで光一はゆっくりと立ち上がり、ため息をつく。


 勝利した光一は、それでも忸怩たる思いだった。


「最後はやはり、『この異能』に頼ることになったか。俺もまだまだ未熟だな。全く以て、不甲斐ない……」


 光一の武装の刃は、ペトルーキオの甲殻を貫くほどの鋭さを持っていなかった。

 それ故、彼は刃に己の唾液を塗布し、柔らかい表皮を薄く切り付けてやったのだ。


 ペトルーキオとの戦闘の余波で万全ではなかったため、『敗北』を避けるためにキャタリーナにも、経口で唾液を注入した。


 彼の唾液は、異能を発現しながら分泌することで毒へと変じる。

 それは、彼の持つ二つ目の異能……九重ヘビの異能だった。


 光一は耳につけた通信機を起動する。


『北門、制圧完了。チャーリー小隊の隊員は北門前へ集合』


 次々に寄せられる『了解』の声を聞きながら、光一はキャタリーナが口走った言葉を思い出す。


「爆弾、か。あとで間宮まひるを問い詰めねばな……。あの少女との舌戦は、少しばかり気が重いのだが」


 光一は独言ひとりごちると、体に付着した土と殻獣の残骸の粉を手のひらで払い落とし、口の中に残った気持ちの悪い余韻を、再度唾と共に吐き出した。

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