210 『家畜小屋』、決着


 まひるは宣言通り、一人目の『まひる』を突撃させる。


 ナイフを手に低い姿勢のまま突っ込んでいくコピー体は、直後キャタリーナの尾によって弾き飛ばされ、頭を破られて消滅した。

 間髪入れずに二体目のコピー体が部屋の天井を蹴り、肉薄する。

 しかし、キャタリーナの尾の速度は凄まじく、地面へ辿り着く前に腹を貫かれる。

 最初に倒された一体目のナイフを拾い上げて襲う三体目のコピー体も、同様にキャタリーナに迎撃されて掻き消えた。


「まだいくよ。次は二体同時」

『クソ! 『また』か!』


 次々に襲い来るまひる。破壊したコピー体が部屋の中に散らばっていく。

 その惨状に、キャタリーナは文化祭での乱闘を思い出した。

 少し離れたところでこちらを見下ろすまひるを殺してやりたいとも思ったが、後ろで指示を出しているように構えているまひるも、おそらくはコピー体だろう。


 意地の悪いあの女が、この部屋に踏み込んでいるはずがない。


 そして、アレを殺そうものなら、また無駄に煽られるだけだ。


 向かってくるまひる『たち』は、取るに足らない存在。何度やられても殺される気はしない。

 しかし、ナーヒドへの攻撃に意識を向けるほどの余裕はなく、このままでは動くこともできない。

 動くことができなければ、国民を……エサを、逃してしまう。


 使うしか、ないか。


 キャタリーナはドレススカートの中にムカデの尻尾を潜り込ませる。

 ドレスの下に隠していた『手榴弾』をムカデに咥えさせると、勢いよく放り投げた。


『あんたに付き合ってあげるつもりはないわ! 狂って死ねェ!』


 まひるは自分の予想通りに事が進み、口の端を持ち上げる。


「来たかっ……!」


 今回、ナーヒドを巻き込んでまで達成したかったこと。

 それは、彼が言っていた『異能を暴走させる薬液』のサンプル回収だ。


 キャタリーナを殺すだけなら容易い。

 容易く『駆除』できる用意をしてきた。

 しかし、キャタリーナが『持っているかもしれない』手榴弾のサンプルの回収はまひるにとって必須だった。


 『異能の暴走』を引き起こす薬。完璧で完全で、最強な『お兄ちゃん』を狂わせかねない品。


 真也が暴走など起こそうものなら、ハイエンドの異能が真也自身を傷つける可能性がある。

 それだけではない。自身の異能が他人を傷つけただけでも、優しすぎるまひるの兄は塞ぎ込んでしまうだろう。


 まひるにとっては彼悲しみ、傷つくことは自分が死ぬことよりも辛く、苦しい。

 ましてや、兄の命に関わるようなことがあれば、それを見過ごした自分を、決して許すことなどできない。


 可能性があるものなら、まひるは全力で先手を打つ。打たなければならない。


 だからこそ、キャタリーナが手榴弾を持っているなら、とにかく使わなければいけないような状態へ持っていく必要があった。

 『国民』たちを逃したのも、わざと『持久戦』と言う言葉を使ったのも、すべてキャタリーナに短期決戦を決意させるための作戦だったのだ。


 キャタリーナが手榴弾を持っていなかった場合、もっと大々的な捜索を行うつもりであったが手間が省けた。

 まひるは自分の思い通りになったことにほくそ笑みながらも、同時に集中する。


 チャンスは一瞬。


 部屋の中央で、炸裂音が響く。


「ッつぅ……!」


 直後、まひるの身体中に、注射針が刺さる。腕、脚、胴。頬や首筋にすら無慈悲に食い込む。


 同様に部屋にいたキャタリーナとナーヒドにも幾本かの注射針が飛びかかるが、キャタリーナは己が柔肌に刺さらぬようすべてムカデの尻尾で受け止め、ナーヒドは硬化してるが故に、一度目と同じくその針の犠牲になることは無かった。 


 ハリネズミのようになったまひるの姿に、キャタリーナは嘲笑を浮かべる。


『アハハ! モロに刺さったわね! さあ、アンタはどうなるのかしらァ?』


(どうなる? ……キャタリーナも、この薬品に関して完全に把握してはいないの?)


 まひるはキャタリーナの言葉を聞き、どうやってより詳しい薬品の情報をどう得ようかと考える。

 問題は山積みだ。しかし、作戦の第一段階は、完璧に成功した。


 まひるは、ゆっくりと右手を開く。

 そこには、まだ薬品の残っている——未使用の注射針があった。


「作戦、成功……!」


 ナーヒドの話を聞くに、注射針は自動的に薬品を注入するもの。であれば、サンプルを入手する方法は一つしかない。


『アンタ、まさか空中で針を掴んだの!?』


 驚くキャタリーナに対し、まひるは無言で注射針を投げつける。

 その切っ先は、キャタリーナからは随分と離れたところへ向かっていた。


『どこに投げてるの? 適当に投げて当たるわけないでしょ!』


 笑うキャタリーナの目の端に、動くものがちらつく。投げられた注射針の先にいたのは、別のまひるだった。


 まひるは注射針を受け取ると、姿勢を低くしてキャタリーナに向けて走る。


『小癪なッ!』


 キャタリーナはムカデの尾で迎撃せんとするが、まひるは転がるようにその尾を避け、身動きの取れないキャタリーナに逼迫する。

 そして手に持った注射針を、勢いよく振りかぶった。


「……さあ、ナーヒドさん。お口の中失礼しますね?」

「んが!?」


 まひるが注射針を突き刺したのは、硬化したナーヒドの口腔。

 彼は呼吸をするため、滅多に体内の硬化はしない。


 そのため、爆発物や範囲攻撃などを使うときは事前に教えてくれと作戦会議で言われていた。


 その情報を逆手に取り、まひるはナーヒドに、『薬品を注入』したのだ。


『な!? あんた味方に!?』

「あ、アウ……ウグ、約束が、ち、がッ——」


(作戦第二段階……! ここまではスムーズに行った)


 まひるはナーヒドに注射針を刺したコピー体を消滅させ、観察に集中する。


「あ、あ、ア……!」


 ナーヒドは悲鳴とも呼吸ともおぼつかない声を上げ、その体はどす黒く変色していく。


「思ったより……グロい……」


 まひるはボソリと呟く。ナーヒドは硬化する際に少し肌の色が変色していたが、その様相をより強めた様子だった。

 さも知っていたかのように表情を作り、まひるは言葉をつづける。


「さあ、暴走して、より硬化されたら簡単には抜け出せないでしょ?」


 まひるの言葉にキャタリーナはハッとした表情を浮かべる。

 軽くみじろぎして確かめる。そして、あまりにも頑強となった枷に、怒りから喉を『ギギ』と鳴らした。


『……まあいい、あの量ならもって30秒。その後異能が使えなくなったら、即座に殺してやる。

 そしたら外で逃げてる奴らを、全員コロス』


(ふうん。30秒。効果時間が限定されているのか……そして使用後は、異能が使えなくなる。

 なんて恐ろしい薬品……)


 徐々に、薬品に対する情報が集まってきたまひるは内心ほくそ笑む。


 そんなまひるに対し、キャタリーナは訝しげな表情を浮かべる。


『……なんであんた、異能が暴走してないの? 『ピュアブラッド』を初めて使うときは全員暴走するのに!?』


 キャタリーナの言葉に、まひるは内心驚く。


(この薬品こそが、『ピュアブラッド』……人型殻獣の持つ、異能強化の薬品なの?)


 まひるは注射針の刺さった頬を持ち上げ、内心を読み取られぬようににっこり笑う。


「さあ、なんでかな? なんで『ピュアブラッド』が効かない思う? ……ま、教えないけどね」

『どういうこと!? アンタ、一体なんなのよ!』


 混乱するキャタリーナの様子に、まひるは手榴弾の中身がピュアブラッドであるという確信を強める。


(扱いやすいな。もっと情報が欲しいけど、効果時間を考えるならここが引き時か……)


 まひるは、今度は左手を広げる。

 そこには、もう一本の『未使用の注射針』があった。


「私は、情報を得る。あなたたちには何も教えない。私の仕事は『偵察』だもの」


 部屋の外からもう一人、まひるが現れる。

 そのまひるは他のコピー体とは違い、大きな機械を背負っていた。


 新たにやってきたまひるは背負っていた機材を地面に置くと、注射針まみれのまひるから目的のものを受け取り、あっという間に、4階の窓から飛び降りて去っていった。


「じゃ、サンプルも回収できたし……お先にしつれしまーす、っと」


 注射針まみれのまひるは明るい声で言い放つと、目の前に置かれた機械のスイッチを操作し始めた。


『あんた、なに……それ……』

「え? 爆弾だけど?」


 あっけらかんとしたまひるの言葉に、キャタリーナは言葉を失った。


「ああ、もちろん、しょっぱい針が出るような物じゃなくて殺傷性のね。世界最強トイボックス製の、破裂爆弾。さすがにこの建物丸ごとは無理としても、2階建てくらいにはリフォームされるでしょうね」

『ふッ! ふざけッ——!』


 まひるの言葉に、キャタリーナは必死にもがく。

 しかし、異能が強化されたナーヒドの捕縛は、キャタリーナ自慢の尾ですら破壊できそうもなかった。


『自分が死なないからって……! ふざけんな! そうよ、あんた、仲間はッ——』

「異能が暴走してより硬化してるんでしょ? 耐えれますよ」

『な……そこまで考えて……』

「もちろん」


 まひるは無感情に伝えると、立ち上がる。


「では。——頑張ってください、ナーヒドさん」


 まひるは一切の躊躇なく爆弾を起動する。

 キュイン、と空間が歪むような電子音が流れ、直後、爆発音が一帯に響いた。




 まひるは家畜小屋の離れになる森の中で身を屈ませ、煙を上げる監視塔を観測していた。


「……さて、耐えられたのかな?」


 まひるは、異能が強化されているナーヒドは耐えられるだろうと言ったが、そんな根拠など持ち合わせていなかった。


「まあ、どちらにせよ生死不明KIAだったし、いっか。

 お兄ちゃんのためになるなら、どんな被害も、死も、知ったことじゃない」


 まひるはゆっくりと立ち上がり、ついた土埃を払う。

 気合を入れると、キャタリーナの残した言葉について思案を始めた。


「初回は暴走する薬品だったのね……『ピュアブラッド』とやらは。

 二度目以降は、異能が『強くなる』だけってこと、なのかな……。文化祭のペトルーキオは、話に聞く限りだと暴走なんてしてなさそうだし……」


 キャタリーナの話から察するに『ピュアブラッド』とは、初回は異能を暴走させ、慣れてくれば異能が強化される恩恵だけを受け取る薬なのだろう。しかも、使用後は異能を一時的に不能させる。


 これは、作用も、副作用も、いずれもこの世界を揺るがしかねない秘薬だ。


(副作用付きの薬品か。なら文化祭で『ペトルーキオ』が現れたとき、追っていれば殺せたのか。

 あの頃、それを知っていれば……)


 まひるは、過去のことを思い出す。兄を侮辱した、もう一体の人型殻獣。ペトルーキオ。

 やつはピュアブラッドという薬で己を強化していたと聞いていた。


「まあ、考えるのは後。いまのうちに混乱に乗じて注射針を回収にいかないと……私も『今は』無能力者だし。

 ……身体、重いなぁ。非オーバードって、こんな感じだったんだ」


 まひるは戦闘中に、『ピュアブラッド』が効いていないように振る舞っていた。

 しかし、彼女にピュアブラッドが効かなかったわけではない。

 今のまひるには、コピー体を出すことも、操作はおろか、他のコピー体の位置すら分からないのだ。


 つまり、まひるも一度、異能の暴走を味わった。

 経験したことのない感覚だった。異能を発現したつもりはないのに、体から熱が発せられるような。

 胸焼けを伴って吐き気すら感じる感覚。永らく感じていない、一種の『病気』のような感覚だった。


 まひるは思い出した感覚に体をブルリと振るわせ、視線を横へと動かす。


「コピー体の操作に関しては、本人の技量。よく言われることだけど……暴走の範囲が操作にまで影響しなくてよかった」


 まひるは歩き出す。そのそばには『本人の異能』の暴走によって肉塊となった大量のまひるのコピー体が蠢いていた。

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