209 『家畜小屋』(下)
キャタリーナは、蹂躙を楽しんだ。
悲鳴が耳の奥でこびりつく感覚に笑みを浮かべ、返り血に濡れた自分の尾、ムカデの頭を撫でる。
『ふう、こんなものかしら。あんまりやりすぎるとウィルに怒られちゃうし』
キャタリーナは家畜の『屠殺』について、日に4人までと言われていた。
であれば、昨日は何もしなかった分、8人までは大丈夫なはず。
衝動を抑えられずさらに追加で2人殺してしまったが、明日2人までに抑えれば平気だろう。
キャタリーナは牢屋のそばに立っている通訳者——低強度の異能者のオスに詰め寄る。
『ねえ、あんた。さっさとこいつらをバラしておいてね』
「は、はい……」
『いま殺したのは、昨日と今日と、明日の半分の肉よ。そうよね?』
「えっと……」
『なに?』
「昨日はペトルーキオ様が担当でしたから、既に4人……今日は屠殺しすぎたかと……」
『……は?』
通訳の言葉にキャタリーナは金色の瞳を見開く。彼女の心象を表すかのようにムカデの尾が鎌首をもたげてガチガチと音を鳴らした。
『じゃあなに? 私が殺しすぎたっていうの? それを私に伝えてなかった貴方が悪いわよね?』
「え?」
『ねえ、そうウィルに報告しましょうか? それともここで死ぬ? ねえ、もう一度確認するけど、悪いのはあんたね?』
「……お、おっしゃる通りです……」
『あら、過ちを認められるなんて、あなた『文化的』ね! 褒めてあげるわ』
満足な回答を得られたキャタリーナは、震えるオスに笑顔を向け、優しく頭を撫でる。
手に返ってくる恐怖の震えに再度衝動が湧き上がりそうだったが、『文化的』な彼女はそれを我慢し、ムカデの牙に残った血を指で掬ってなめとると監視塔へと足を進めた。
キャタリーナは存分な『ストレス発散』を終え、再度監視塔へと戻る。その最上階まで上がってくると、捕らえた『捕虜』の様子を一瞥した。
『ねえ、そろそろあんた達の仲間について話す気になった?』
彼女の前にいるのは、腕を鎖に繋がれたナーヒド。
キャタリーナにとって、こいつはウィリアムが治める国に不法侵入してきたクズの一人。
仲間を見捨て、無様に逃げようとした文化的じゃないオス。
『さーて、もう少ししたら『ダーリン』も帰ってくるし、そしたらあんた、どうしてやろうかしらね?』
「……それを、聞きに行ったんだろ」
キャタリーナは、ナーヒドの減らず口に、ふん、と鼻を鳴らすと、ナーヒドの前に腰掛ける。
その臀部を支えているのは、彼女自身の尾だ。
キャタリーナはひざまずく彼に視線を合わせると、ずい、と金色の瞳を近づける。
『どうせあんたみたいなクズ、殺していいって言われるに決まってるわよ』
ナーヒドが恐怖から少し震える。キャタリーナはその反応に満足して再度尾にしっかりと座り直し、思案する。
殺していいに決まっている。
そう言い切ったが、本当のところ、この男をどうすればいいか、彼女には全く分からなかった。
ペトルーキオ曰く、相手を知ることは、戦いにおいて重要らしい。
そのため、捕らえた者から話を聞き出すことで、ウィリアムの勝利は間違いないものになるはずだと。
そう言われても、ウィリアムが負けるなどと、キャタリーナには全く思えなかった。
それに、キャタリーナは過去負けることなどなかったし、出会ったら自慢の尾を突き刺してやれば誰一人立ち上がることなどなかった。
だから、戦いに情報などいらない。そう思っていた。
あの、小生意気な『増える』メスと、ウサギのオスに会うまでは。
そこまで思い出したキャタリーナは、目の前のオスの『有効活用』について妙案が浮かぶ。
『ねえ、あんた、死にたくないでしょ。死にたくないなら、増える人間について教えなさいよ』
「増える……人間?」
『あんたたちで言う、『異能』で、増えるやつよ』
キャタリーナが敗北を喫した——否、負けてはいない。勝てなかった能力者。
あの能力は、しっかりと弱点さえわかれば、取るに足らないものだ。
『ほら、はやく』
キャタリーナは再度、ナーヒドに顔を近づける。
増える女は、あの対峙した時も簡単に壊すことができた。しかし、壊しても壊しても増えるあの力は厄介だ。
『あいつらの弱点、教えなさいよ』
たとえば、数に限りがあるとか、そういった弱点さえわかれば、負けることはない。
『言え』
「ことわ——ぐぅッ」
キャタリーナは、ナーヒドの返答の途中で、彼の顔を蹴り上げる。
『口ごたえェェェ!? あんたみたいな、クズが! ザコが! もういい! もう殺す!』
「わ、わかった。言う、言うから。増える異能……『鏡』の異能、だろ」
ナーヒドは鎖に繋がれた腕を必死に振りながら、やっとのことでキャタリーナが満足の行く答えを返してきた。
『最初から従順にしてればいいのよ』
キャタリーナは再度尾の上に座り直す。
「言う。言うが……その前に、頼みがある」
『は? 頼み? ふざけたことならやっぱり殺すわよ』
「俺の首元に、通信機がついてる。俺の話した言葉が、全て記録されるんだ。俺は、味方を売ったなんて記録を残されたくない」
ナーヒドの言葉に、キャタリーナは頬を持ち上げる。
『もう既に仲間を裏切って逃げたくせにィ? 今更そんなこと気にするの? ヒヒヒッ』
キャタリーナの言葉に、ナーヒドは恥じるように視線を下げて項垂れる。
その様子は、キャタリーナの嗜虐心をくすぐる反応だった。
「……頼む。お前らも、自分達の情報が残るのは嫌だろ。ほら、俺の右肩のやつだ。外して、壊してくれ」
『いいわよ。ちゃんと外してアゲル』
キャタリーナは立ち上がり、ナーヒドの肩口へと手を伸ばす。
その瞬間、ナーヒドは『既に切っておいた』鎖を引きずり、キャタリーナに抱きついた。
『何!? なんのつもりよ!?』
「捕まえたぞ! 今だ!」
ナーヒドはそう叫ぶと同時に、体全てを『硬化』させる。
キャタリーナの動きを阻害し、とどめを刺すという作戦通り、四肢の動きを阻害するように体を絡めた上での硬化に成功する。
腕も脚も固定された二人は重力に引き摺られ、大きな音を立てて地面へ叩きつけられた。
『くそ! 離しなさいよ!』
キャタリーナは焦って立ち上がろうとするが、関節を固定されているせいでうまく立ち上がることができない。
ナーヒドの『今だ』という言葉に不意打ちを予感し、首を持ち上げて部屋を見渡す。
しかし、部屋の中は相変わらずの静寂が続いていた。
『……何も、起きない?』
ナーヒドは、まひるから聞いた作戦が進まずに、硬化したまま心の中で冷や汗をかく。
硬化したナーヒドの表情は変わることはないが、その焦りはキャタリーナに伝わったようだった。
『何が『今』だったのぉ? ……アンタ、仲間が近くにいるのね?』
理由はわからないが、なんらかの奇襲を予定していたにも関わらず、それに失敗したのだろう。
キャタリーナはそう判断すると、ムカデの尻尾をナーヒドの体に噛み付かせる。
しかし、硬化したナーヒドの体に対し、牙は刺さることは無かった。
『オラ! 死ネ! 硬くなろうガ、その体がこの牙にいつまでももつト思うナ! お前をコロして、仲間もコロス!』
牙がダメならば、と今度は尾を振り回し、何度もナーヒドの体へと打ち付ける。
ガン、ガン、と音を鳴らす部屋の中で、キャタリーナの背後から、声が聞こえた。
「必死ね。何も変わってない」
その声は、キャタリーナにとって、忘れることのできない女——
『ソノ、声ハァ……!』
「ひさしぶり、虫」
キャタリーナは首を回し、その金色の瞳に声の主を認める。間違いなく、自分をコケにした女。
『オマエェェ! コロス!』
その怒りの感情のまま、ナーヒドに打ち付けていた尻尾を振り回す。
瞬く間に尾はまひるの頭へと叩きつけられ、次の瞬間、まひるの首が吹き飛んだ。
勢いに釣られて残った体がばたりと倒れる。
しかし、鮮血が飛び出すことはなく、まひるの死体はサラサラと消えていった。
「……本当に何も成長してないのね、虫以下のままだったんだ」
またもやどこからともなく聞こえる声。部屋の隅に、無傷の間宮まひるの姿があった。
『キ、キ、ギィィィ!』
またもやコケにされた。キャタリーナは怒りに声を振るわせる。
対するまひるは人差し指を立てると、口元へと立てて、ゆっくりと言葉を放つ。
「吠えるのもいいけど、よく耳を澄ましてみたらどう?」
まひるの言葉の意味が分からず、キャタリーナは動きを止める。
すると、外からザワザワとした声が聞こえてきた。
老若男女、人間の声が上がっている。歓喜の声だ。
その言葉の意味は分からないが、しかし地上で何が起こっているのかはすぐに理解できた。
『テメェ! 逃がしたな! ニンゲンを!』
「あはは、怒られちゃうね?」
『怒られる』。その言葉に、キャタリーナは顔面蒼白になった。
ウィリアムに任された北門の餌どもを逃してしまったとなれば、間違いなく怒られる。
自分の創造主たるウィリアムに拒絶されるなど、キャタリーナにとっては死よりも恐ろしいことだった。
けらけらと笑うまひるをムカデの尾でぐちゃぐちゃにしてやりたい衝動を抑え、キャタリーナは立ち上がろうとする。しかし、立ち上がれない。
何故だ、と疑問が浮かぶと同時に、自分が
『クソ、クソ、クソォォァ! 離セ! クズ! ゴミィ!』
「今、立とうとしたの? 怒りで自分が置かれた状態すら忘れちゃったの?」
キャタリーナはまひるに嘲笑され、怒りを増幅させてナーヒドに再度尾をぶつける。それだけでは足りぬと己が拳もぶつけるが、尾よりも非力な自分の拳は全く意味をなさない。
それでもキャタリーナは、拳の皮膚が裂けようともナーヒドの身体から逃れるために暴れ回った。
「ナーヒドさん、ありがとうございます。反応、遅くなってすいません。思いのほか解放するのに時間がかかりました」
後ろから掛かる声に、硬化して動けぬナーヒドの代わりと言わんばかりにキャタリーナが振り返る。
『あ? 調子に……』
青筋を立てて怒るキャタリーナの瞳にうつるまひるの手には、一本の短刀が握られていた。
「さて、ここからは——」
まひるは、手にした武装を逆手に持ち直すと姿勢を低くして構える。
「——あなたの喉元に短剣が刺さるまで、何度も殺しに行くね」
キャタリーナと対照的な、感情のない声だった。
『ハ……?』
「さ、『持久戦』をはじめよっか。私が諦めるのが先か、あなたが失敗して、私に殺されるのが先か。
さっきみたいにナーヒドさんをガンガンと叩いててもいいよ。その代わり、がら空きの背中に短刀が刺さるけど」
『オマエ、マサカ……』
キャタリーナは、日本で戦った時の異様な戦場を思い出す。
殺しても殺しても襲いくる、無限に思われた襲撃。
死んでも、死んでも、こちらを殺すまで襲い掛かる気か。
キャタリーナの予想に対し、まるで心を読んだかのようにまひるは首肯する。
そして、にやりと右頬を上げた。
「ちなみに……私は諦め、すっごい悪いからね?」
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