208 『家畜小屋』(上)


 門前を制圧する本隊と別れたまひるが向かった先である北門の西側は、希望の国において『家畜小屋』と呼称されている。

 その言葉は、まひるの眼前に広がる光景を的確に表していた。


 『岩山』の異能に似た能力によって作られた小屋のような建物と牢屋。そして簡易タイプのテント群が並び、城壁に沿わせるように、一つだけ大きな建物があった。

 『国民』としてアラスカの地へとやってきた人間のうち、人型殻獣の食料になることが決まった者たちが放り込まれた牢屋が並び、テントの中には切り分けられた『肉』が保管されている。


 それが、この『家畜小屋』だ。


 テントの中に入らずとも血や臓物の匂いを錯覚しそうな陰鬱とした場所を、まひるは1人で偵察する。

 探索の間に人型殻獣の姿は見られなかったとはいえ、多くの『まだ』生きている人間を見かけることになった。


(絶対に、ミスできない……私は、お兄ちゃんみたいに、強くない……)


 まひるは自分の意志を強く保つため、心の中で呟く。

 幾度となく胃から酸いものが込み上げ、視界が暗くなりそうだったが、まひるは自分の倫理観を心の奥底へと仕舞い込み、冷静に割り切って行動を続けた。


 まひるの異能は探索特化であり、人型殻獣どころか通常の殻獣であっても、相手によっては逃走することが精一杯である。


 悲鳴はもとより物音を立てるだけで致命的な危機を招いてしまう。


 『国民』たちはみな牢に繋がれているものの、その様相はさまざまだった。無気力なもの。怒り、叫びまわるもの。泣き続けるもの。

 しかし、多種多様な様子の人々は、まひるの姿を見れば全員が同じ行動を起こすだろう。


 救いを求める。


 そしてその騒ぎは一瞬にして伝播していく。そうなった時、彼らを助ける以前に、まひるの命すら危うい。


 まひるは彼らを横目で見ながら、誰にも気付かれることなく家畜小屋を進み、最奥に鎮座していた一番大きな石造りの建物の前へとたどり着く。

 他の建物と比べ立派なその建物は目測で4階ほどの高さ。何らかの象徴というよりも別の役割を持っているように、まひるには感じられた。


 監視塔。


 『家畜小屋』全体を見渡せそうなその建物は、なぜかその役割を果たす監視員がいないことを除けば監視塔というに相応しい出立ちだった。

 まひるがしばらくその建物を眺めていると、建物の中からゆっくりと出てくる姿があった。


 血のような深い赤のドレスを身に纏い、優雅にスカートを持ち上げて軽やかに歩く少女。

 『家畜小屋』において、そのように振る舞えるものが人間であるはずはない。


 緑色の肌に、深緑の髪。おとなしそうな微笑を浮かべながら、金色の瞳はぎらついた光を放っている。


「あれは……キャタリーナ……!」


 人型殻獣乙種。少女の姿をした暴力。

 東雲学園の文化祭に乱入してきた二体の人型殻獣のうちの一体だった。


 キャタリーナは、過去にまひるが遭遇した時と同じ装いのまま、牢が左右に並ぶ大通りを軽やかに歩く。

 その足取りは、まるでウインドウショッピングを楽しむ少女のそれだった。


 キャタリーナの様子をテントの影から覗くまひるの耳に、急に悲鳴が飛び込んでくる。


「ぎゃぁあ!」

「あはははは!」


 男性の干からびた悲鳴に続くのは、キャタリーナの無邪気な笑い声。

 見るとキャタリーナのドレスの裾から長い長い百足ムカデの頭が伸び、牢屋の中の男性の腹へと突き刺さっていた。

 キャタリーナは手遊てすさみにムカデの尾を伸ばして、牢に捕らえられた人間に噛み付かせたのだ。


「ねぇ! 痛いィ? 痛いの? 私、いまイライラが溜まってるの! ストレス解消、って大事よね! 文化的な生活をするのにはさァ!」


 キャタリーナはムカデの尾を一度引き抜くと、今度は違う人間へと突き刺す。もがく人間を嘲笑い、楽しそうに嗤う。

 赤い血飛沫が跳ね回るが、通りに立つキャタリーナの服を汚すことはなく、同じ牢で震える『家畜たち』に降り注ぎ続けた。


「あははははははははは!」

「や、やめ……っぎぃやぁぁァァ!」


 笑い声と悲鳴が交錯する。


 まひるは、キャタリーナの『ストレス解消』の光景をテントの影からじっと見つめ、踵を返し、建物の影を縫うように進んでいった。




 キャタリーナが『遊び』に夢中になっている間に、まひるは入れ違いに監視塔の中へと侵入することができた。


 建物の中は、無人だった。

 内部の装飾は無骨で、まるで中世の建築物のよう。しかし、その文明度合いと不釣り合いなLEDライトが建物の中を静かに照らしていた。

 まひるは道中も注意を怠ることは無かったが、人型殻獣はおろか、通常の殻獣、人間の姿すらなかった。


「形だけの国、って感じ……」


 とりあえずで体をなしたような不格好な『監視塔』。

 拍子抜けした心持ちのまま、まひるは最上階の一室のドアを静かに開ける。


 暗い部屋の奥に、動く影があった。


「ッ!」


 まひるは自分の失態に、心の中で舌打ちを鳴らしながら腰のナイフを引き抜く。即座にコピー体を作り出し、ナイフを放り投げて受け取らせ、突貫させた。

 あっという間に距離を詰め、そのナイフの切っ先を向けた先に居たのは、人間だった。


「あなたは……」


 まひるはコピー体の動きを止め、ゆっくりと近づく。

 そこに居たのは、鎖に繋がれ、衰弱しきったアンノウンの男性隊員だった。


「あなたは、タフリラスタンの……」

「……ナーヒド、ナーヒド特練上等兵、だ」


 ナーヒド。彼は、アンノウンの本部潜水艦『アイ』で行われた模擬戦ででレイラと戦った、硬質化の異能者だった。


「助けが……来たのか……?」


 虚にこちらを見上げるナーヒドは、まひるが『i』で見た時に感じたサディスティックな雰囲気は感じられず、まるで小動物のような瞳だった。


「すいません、まだ救援ではありません。今は偵察中です。何が起きたのか、教えてください」

「救援じゃ……ないのか……」


 項垂れるナーヒドに、まひるは苛立ちながらもう一度告げる。


「何があったんですか。タフリラスタンの部隊は……『ブルカーン』は?」

「全滅だ。俺以外、みんな……死んだ」

「ぜ……全滅?」


 ナーヒドの無感情な一言に、まひるは驚く。


「ブルカーンの隊長はキネシス10じゃなかったんですか? なにがあったんですか?」


 まひるは声をひそめたまま質問を重ねる。先ほどこの塔から出てきたキャタリーナは、確かに強力な力を持っている。

 しかし、ブルカーンは隊長のキネシス10『歪み』の他にも戦闘隊員を有していたし、探索向きの隊員も、治癒異能を持つ隊員もいたはず。


 部隊全員で当たれば、キャタリーナ『程度』は跳ね返せるはずだ。

 むしろそうでなければ『アンノウン』に選出などされない。最初の襲撃の混乱期にやられたのだろうか。


「全滅の理由を……経緯を教えてください。一体何があったんですか?」

「わ、わからねぇ……」

「わからない、って……気絶でもしてたんですか?」

「い、いや、そうじゃない。しっかりと見たさ。全員が……みんなが倒れていくのを……」


 ナーヒドが震えながら紡いだ言葉は、まひるの想像の外のものだった。



「……全員が、殺し合ったのを、見ていた」



「……は、はい?」


 まひるは、そう呟くのが精一杯だった。意味がわからない。


「わからねぇ。わからねえんだ。あの襲撃の時、俺たちは順調にスコアを伸ばしてたんだ。

 あいつが、あの、ムカデの人型殻獣が現れるまでは。あいつ、急に変なものを投げてきて……」

「ムカデの……キャタリーナのことね。変なものって?」

「手榴弾、だと思う。それが爆発したら、中から大量の『注射針』が飛び出てきたんだ。中には少量の液体が、入ってた」

「薬物、ってことですか?」

「おそらく。でも、普通のヤクじゃねぇ。真っ赤な液体だ。普通のヤク程度なら、俺らの隊員は慣れてる」

「慣れてるって……」

「あの赤い液、あれを体に入れられたみんなが……」


 そこまで言ったナーヒドは、口元を押さえて吐き気と闘う。

 少し嗚咽した後、彼は涙を流しながら、言葉を続けた。


「みんなの異能が、辺りに飛び交った。……みんな、何が何だか分からないって感じで」


「異能が、飛び交う?」

「……サイードの『歪み』、ガズワーンの『炎』。他の連中の異能も、周りに広がったんだ」

「混乱して、同士討ちを? その『赤い薬』は、錯乱するような薬物ってことですか?」


 まひるの質問に、ナーヒドは首を振る。


「いや違う! いや……違うと、思う。みんな、異能が勝手に発現していることに驚いてた。でも、止められなかった。

 サイードの異能で、一瞬で5人死んだ。ガズワーンは、自分の炎で焼け死んだ。みんなみんな、死んだ。

 俺は……注射針の手榴弾の時点で、『硬化』した。『硬化』したから、あれを喰らわなかったから助かったんだ!

 俺は、みんなの異能が暴れる中、端っこでガタガタ震えてた。硬化を解くこともできなかった。解く気すらなかった!」


 ナーヒドは、半狂乱になりながら、まひるへと語りかける。

 恐怖から体が震え、腕に繋がれた鎖がガチャガチャと伴奏を奏でる。


「そして、みんな動かなくなっていったかと思ったら、イスマイルの『若葉』の異能で、みんな傷が治ってくんだ。

 『若葉』だぜ? そんな治癒能力はねぇ。でも、死にかけのやつが起き上がって、死んだやつすら……死んでる風にしか見えないやつまで、腕が生えてきて、皮膚がっ、皮膚が盛り上がって……! また切り刻まれて!」


 ナーヒドは、ぼろぼろと涙を流し、項垂れた。


「異能に殺されながら、異能に生かされる。わかるか、そんな地獄が目の前にあったんだ。

 ……俺は、俺はビビって逃げた。その先に、あいつがいたんだ」

「あいつって、キャタリーナ……ムカデの人型殻獣?」

「い、いや、なんか、甲羅みてえな、でかい甲殻を持った大男風の……」

「キャタリーナと一緒にいたんなら、話に聞いたペトルーキオ、か……そいつはどこに?」

「俺をここに連れてきた後、どっかいった。『門を見てくる』って……」

「なるほど」


 聞くべき話は聞いた。

 そう判断したまひるは立ち上がる。その様子に、


「しょうがねえだろ! 俺なんかじゃ歯がたたねぇ! 俺は、『硬化』しかできねぇ! あんな化け物とやりあえねぇよ!」

「……分かってます。静かにしてください。ちょっと待っててください。報告をしますから。

 重ねてになりますけど、私は救援に来たんじゃありません。本隊に連絡を取ります」


 まひるは、耳元に手を当てて無線を起動する。

 ナーヒドから少し距離を置き、監視塔の窓——という名の四角い枠にほんの少し顔を出して辺りを見回した。


「九重先輩。報告があります。いくつかありますが、後で詳細はお伝えします。

 今は一つだけ。ペトルーキオがいる可能性があります。おそらく、そちらに。……そうです。あの、文化祭にいた奴です。先に先輩にお伝えしようかと」


 ナーヒドは、じっと周囲を見渡しながら通信を続けるまひるの横顔をじっと見ていた。


「一つ、貸しですね。……なんです? ……貸しを返してください。作戦に問題をきたすことはありません」


 ナーヒドは、まひるの横顔に、懐かしい吐き気を思い出していた。


「はい」


 ナーヒドは、見覚えがある。己が祖国で、嫌というほど見てきた顔。


「……さて、ナーヒドさん。とても悪い知らせがあります」


 あれは、嘘つきの顔だ。


「『キャタリーナ』が戻ってきました。ここで、あいつを殺します。手伝ってくれますね?」


 だが、ナーヒドにはどうすることもできない。心など、とうに折れてしまった。


「死にたく、ないですもんね?」

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