207 希望の国・北門


 希望の国の北門の外で乙種……女性の姿をした人型殻獣は、ただ、ぼうっと虚空を眺めていた。


『キィ……?』


 ことり、と首を傾げながら何もない空間を見つめる彼女の口元は、べっとりと赤い血に塗れている。

 脇腹から生えた6本の節腕が、大事そうに肩口まで食いちぎられた人間の上半身を掴んでいた。


 彼女は、早めの朝食を楽しんでいたのだろう。


「……虫唾が走る、とはまさにこのことか」


 ぼそり、と彼女の後ろで光一が呟く。しかし、人型殻獣はその声に全く反応を返さない。

 彼女の視界も、聴覚も、全て『煙』に巻かれていたからだ。


 光一は手にもった日本刀の反りのある刃を掲げ、切っ先を向ける。

 水が流れるような滑らかさで白い刃が彼女の背中へと吸い込まれ、一間置いて、彼女は地面に倒れた。

 その刃は、彼女の持っていた『人間だったもの』を傷つけることなく、鍛錬の証を見せるように、ただ正確に、敵のみを貫いたのだった。




 他の人型殻獣と同様に、『煙』の異能で幻影を見せられ、最後まで何が行われたかわからぬまま首を落とされた乙種の人型殻獣が白い粉へと変じる。

 それを見届けた光一は、顔を歪めたまま刀を一振りし、刃に付着した緑色の体液を払った。


 光一はいつでも二の太刀を放てるよう、びくびくと四肢をふるわせて地面を緑色の血で汚す人形殻獣をしばし睨みつけていたが、白い粉へ変じていく様に残心を解いて刀を鞘へと納め、周囲を見渡す。


 光一の、最高峰と言われる強度10の『煙』の異能は北門の門前全てを覆っていた。

 彼が煙の異能で行ったのは『体感時間の停止』。周囲の、時間に関する感覚を引き伸ばし続けるその幻影は、3分ほどが限界の大技。

 その技は本人への負担も大きく、また、あまりにも現実と乖離した身体感覚をもたらす為、歴戦の戦士には通用しない。

 しかし本能で生きるような人形殻獣や、意志の弱った希望の国の国民たちには効果抜群であり、短い効果時間とはいえ、3分もあればただただ宙を見つめ続ける殻獣を撃破して回るには十分だった。


「ココノエ隊長」


 光一がとどめを差し切った頃を見計らって、チャーリー小隊に配属されていた中国支部の万姫ワンヂェンが声をかけてきた。

 光一は異能を発現し続けた脳疲労からくる汗を拭い、周囲を見渡す。


「終わったか?」

「はい。このエリアの掃討は終わりました」

「そうか。では、拘束が完了次第、異能を解く。拘束の進捗は?」

「ほぼ完了してます」


 スムーズな作戦進行に、光一は表情を緩める。


「さすが、皆優秀だな。偵察隊員からの連絡は?」

「ありました。西側に向かったモリスとレンからは、『ゴミ捨て場』には、人型が2体。

 戦闘要員要請。東側『家畜小屋』に向かった間宮まひるからは、捕らえられている非戦闘員の数が多く、後からの人員要請です。人型は目視できずとのこと」

「そうか、分かった。拘束を急がせろ。すぐに西側に行くぞ」

「我々で向かいますので、隊長は少し休まれては?」

「いや、まだ……」


 光一は途中で言葉を止め、左耳にはめた通信機に手を当てた。

 万姫の耳についた同じ通信機から音が鳴っていないため、個別通信だろう。


「……誰からです?」

「間宮まひるからだ」


 光一の回答に、万姫は訝しげに首を傾げる。

 偵察任務にあたっている隊員から、通信の一手を引き受けていた万姫にではなく直接光一へと通信を行うのは、部隊内の規律を軽んじた行動のように思われた。


 一方の光一は苦笑いを浮かべて振り返ると、後方の林へと手を振る。

 万姫が視線の先を追うと、少し不機嫌そうな顔で腕を組んだ間宮まひるの姿があった。

 通信用のバックパックを背負っていない為、万姫にはその『間宮まひる』がコピー体であるとすぐに理解できた。


「あれは……間宮まひるのコピー体?」

「ああ。後ろから見ていたらしい。どうやら、俺の隊員は心配性のようだ。すまんが、少し休ませてもらおう」

「そうですか。……怒られましたか?」


 万姫はにこりと笑い、悪戯っぽく光一へと問いかけた。

 普段から光一を見てきた同じ支部の仲間にしかわからない差異を感じ取ったまひるが、光一を嗜めたのだろう。


 光一は万姫の問いに対し、少し不服そうに口をすぼめる。それは、万姫の質問に対しての明確な『回答』だった。


「……他のメンバーは、拘束が終わり次第西側へ向かってくれ。俺はここに残って、拘束した人間たちの見張りをしておこう」

「もう一人くらい、残していきましょうか?」

「いや、相手は人型だ。奇襲が使えない以上、全力で処理にあたってくれ」

「了解」

「……頼んだぞ」


 光一に見えぬように顔を背ける万姫の顔は、今にも吹き出しそうだった。




 チャーリー隊の隊員たちは非戦闘員たちの拘束を終え、光一以外の他の隊員たちは移動を開始した。


 光一はその背を見送り、姿が見えなくなってから、即座に北門の入り口へと移動する。


 荒れ果てた大地と、ほんの少しの枯れ草。

 建造物も、遠くに見える城一つという、人間を拒絶するような『国内』の様子を眺めながら、光一は耳元の通信機を起動する。

 クローズ回線、相手は、間宮まひる。接続されたことを表す『ぴ』と言う小さな音を確認し、光一は口を開いた。


「情報感謝する。……全体通信ではなく、俺個人に伝えたのは、適切な判断だ」

『一つ貸しですね』

「借りておこう」


 言葉の内容と裏腹に真剣な表情のまま、光一は、じっと門の奥、何もない『希望の国』の国内を見つめる。


 北門の中から、一体の人型殻獣が歩いてきた。


 筋骨隆々の男性のシルエット。

 全身が硬い甲殻で覆われたその姿は、光一にとって見覚えのあるものだった。


 ペトルーキオ。

 東雲学園の文化祭に乱入し、学園の校舎を一つ半壊させた人型殻獣。


 ゆっくりと歩いてくるペトルーキオから視線を離さぬまま、光一は通信機の先へと言葉を続ける。


「……ひとつ確認させてくれ」

『なんです?』

「北門に奴が来る、という情報源はどこから得た? 『家畜小屋』で何を見た?」


 しばし無言が続いた後、光一へと真剣な声色が返ってくる。


『貸しを返してください』

「……いいだろう。ただ、分かっているな?」

『作戦に問題をきたすことはありません』

「信じるぞ、間宮まひる。お前は、俺『たち』の仲間であると」

『はい』


 光一は通信を切り、随分と近づいてきた巨躯を、まじまじと観察する。

 一切動かない光一から10メートルほどの間合いを持って、ペトルーキオは足を止めた。


『一人か。日本で死合った『白狼』はもとより、『青い蝶』もいないのか』


 つまらなさそうに呟くペトルーキオへと、光一は言葉を返す。


「『青い蝶』……レオノワは、ここにはいない」

『……ウィルめ。わざとか。俺の武道を高めるため、あのような戦士と、再度死合いたいと言ったというに』


 ペトルーキオの口から出た『武道』という言葉に、光一は一瞬だけ眉をひそめた。


『しかし、お前も優秀な戦士やもしれんな。まずはお前を我が糧としよう。

 ……しかし、一人というのは、些か傲慢ではないか? 人は、我らよりも随分と脆い。だからこそ、大群で来たのだろう?』

「……お前のような範囲攻撃特殊能力持ちは、異能強度の差がある数で囲んでも意味がなかろう。

 そして、異能にも明るい。であれば、最高強度の俺一人で迎え撃つのがベストだ」


 光一の回答に対し、ペトルーキオは鼻を鳴らす。


『舐められたものだな』

「ならば、無駄口を吐くその牙で俺のはらわたを食い破ってみろ」


 即座に切り返された光一の言葉に、ペトルーキオは一瞬だけ目を丸くした。

 冷静そうに見える目の前の男の中で燃える怒りが、刃のように自分の喉元へと迫ってきたように感じられたのだ。


 恐怖によって細くなった血潮が歓びによって爆発し、刺すように身体中を駆け巡る。

 その鼓動は、ぶるり、とペトルーキオの体を震わせた。


 それは、まごうことなき『武者震い』だった。


『人の身で、俺とまともに肉弾戦ができると思うな。我が武道を味わえ』

「武道、武道と……片腹痛い。貴様の付け焼き刃が、我ら九重流に通用するものか」


 戦いの熱を感じて笑みを強めるペトルーキオとは対照的に、光一の顔は澄んだ水面のように静まっていた。


「九重に敗北はない。日本支部を、母校を、そして俺の後輩をコケにした報い、その命で払ってもらう」

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