206 西門、決着


 『ピュアブラッド』を奪われ、取り囲まれたオーガスタスは、ゆっくりと構えを解く。


 戦意を失ったのか、それとも何か意図があるのか。

 コナーは腕を伸ばしていつでも異能を発現できる状態のまま、叫ぶ。


「こんなことをして、ここまで抵抗しておいて、今更降参か!」

「ふん、この程度で止まれるか——I fight down.」


 途中から英語で語り出したオーガスタスに、伊織は首を傾げる。


「なんだ、いきなり?」


 伊織の言葉を聞くや否や、オーガスタスは苦々しげに舌打ちを鳴らす。

 次の瞬間、オーガスタスは一目散に『希望の国』の城門に向けて走り出した。


「逃げる気!?」


 驚くシアーシャの脇を、二人の人影が飛び出す。


 オーガスタスの背に向けて走り出したのは、伊織とコナー。

 コナーは手を伸ばし、伊織は身を低くして異能を『発現』した。


「抵抗倍化! いけぇ! オシキリ!」

「うるさい。コンビ感出そうとするな」


 『錨』の異能が逃げる動きを制し、ブラボー小隊最速の男が追う。

 そのコンビネーションから逃れられるものはいない。


「——ッ!」


 伊織のタックルを受け、オーガスタスは悲鳴を上げることもできずに吹き飛ぶ。

 勢いよく土埃をあげて転がったオーガスタスは、気を失ったのかぴくりとも動かなかった。


 伊織の身体強度でオーガスタスを完全に止めることができたのは意外だったが、確保できたと皆がホッとする。


 そんな中、伊織は目を見開いた。


「どういうことだ!?」

「どういうこと、って、何?」


 驚く伊織をシアーシャが問いただす。


「まるで、一般人みたいに『軽かった』。ボク、軽く触れたくらいしかしてねぇぞ……」


 驚きの声をあげる伊織の目の前に映るオーガスタスの右腕は、ありえない方向に曲がっていた。




 ブラボー小隊は、気絶したままのオーガスタスに簡易的な治療を施し、簡素な小屋の中に備え付けられた木の板のようなベッドに縛り付けた。


 そして、何かあった時のため、ルイスがオーガスタスを見張ることになった。

 彼以外の隊員たちは城への侵攻以外に別段何か用事があったわけではないが、何となく、その空間にいるのを避け、隊長のシアーシャも、何かあったら呼ぶようにとだけ告げて、小屋を後にしていた。


 無音の中、ルイスはやることもなく、ちらりとオーガスタスの右腕を見る。


 その腕には包帯が巻かれ、添え木が当てられていた。


 ブラボー小隊にも、治癒担当である『若木』の異能者がいる。

 しかし、治療をしようとした彼は、ただ一言だけ、全員に告げた。


『オーガスタスに、治癒異能が効かない』


 治癒異能者は、相手の体を構成している異能物質を感じ取り、それらを操作して治癒を行う。

 異能物質の存在は感じ取れるものの、全く反応しないというのだ。


 彼の言によれば、オーガスタスは異能者で間違いないという。

 しかし同時に、彼の体の異能物質が完全に沈黙しているというのだ。


「……一体、何が起こっているのですか、『英雄』」


 ルイスは静かに呟く。ただ空間に溶けていくと思われたその言葉に対して、小さな返事があった。


「I was told ”Hercules” wasn’t my name. Huh?」


 ルイスは驚き、オーガスタスへと視線を向ける。

 視線の先のオーガスタスは、静かに目を開いていた。


「起きたのですか。いえ——『起きたのですか』」


 ルイスは、オーガスタスの様子を察し、同じ言葉をもう一度、『英語』で話した。


「『……察しがいいな、『,9』よ』」


 対する回答も、英語であった。

 オーガスタスの異能物質が停止している。そして、彼が英語を喋っている。

 それらから予想されたのは、彼の『共通概念会話』が停止しているだろうということだった。


 ルイスは普段はドイツ語を喋っているが、英語も不得意ではない。

 アラスカ支部に所属している隊長のシアーシャやコナーの方が英語が堪能であるが、それでもルイスは彼らを呼ぶことなく、英語で問いかける。


「教えてください。貴方の身に、何が起きているのですか」

「……『ピュアブラッド』切れだ。あれは、本来の強度よりも数段高く、異能を強化する。しかし、効果時間を過ぎると、異能を停止させるのだ」


 異能を停止させる。

 突拍子のない言葉だったが、治癒担当の隊員の見立てや、共通概念会話が成立していないことから、まるっきりあり得ないとも言えなかった。


「では、貴方は——」


 もう、異能を使えないのか。そうルイスが問う前に、オーガスタスは体を拘束されたまま首を振った。


「永遠に、というわけではない。そのうち復活する。だが、今の俺は一般人と変わりない」

「そうですか」

「なにを、ホッとした顔をしている。異能が戻り次第、また暴れるかもしれんぞ」

「また止めます。何度でも」


 ルイスは真っ直ぐにオーガスタスを見据えて言い放ち、続いて気になったことを質問する。


「『ピュアブラッド』が異能を消すというのであれば、それを利用しようとは思わなかったのですか」

「そんなことをしては殻獣に世界を喰われるだけだ。それは俺の本意ではない。

 殻獣の脅威を無くし、その上で、人を異能から解放する。それが俺の願いだ」


 どこまでいっても、異能を消すと言い続けるオーガスタスに、ルイスは静かにため息をつく。


「……オーガスタス、貴方は、なぜこんなことをしたのですか」

「異能を消すためだ」

「それは、聞きました。……何が、そう思わせたのです」


 ルイスとオーガスタスの間に、ほんの少しの静寂が流れた。


「……エンハンスド・キャンプだ」


 それは、聞き逃してしまいそうな小声だった。

 意外な言葉に、ルイスは首を傾げる。


 エンハンスド・キャンプ。

 それは、各支部で行われる、エンハンスド異能者たちの異能強度の決定会議だ。


 異能物質を測定しただけでは強度を確定できないエンハンスド異能者たちの強度を決めるため、異能物質測定のほか身体能力検査を含んだ数日間に渡る『合宿キャンプ』は、エンハンスドのみの異能者全員が通る道だった。


「キャンプが、どうかしたのですか?」

「お前も出たのだろう?」

「はい。日本支部でしたが」

「数日間、笑い合い、共に訓練し、自分の力を信じ、全力を出し、検査と訓練を駆け抜ける。

 俺は、あれが好きだった。——ただ一点、最終日の光景を除いて」

「最終日の、光景?」


 ルイスにとって、エンハンスドキャンプは自分の限界を知る、とても有意義なものだった。

 キャンプでの経験は今の自分を形成する、大きな部分を占めている。


 そんなキャンプで、オーガスタスの信念を揺らがせる何かがあったとは思えなかった。


「最終日に、何が見えたのですか」


 続けて言いよるルイスに対し、オーガスタスは鼻を鳴らした。


「日本支部でも、どの支部でもある風景だ。お前は、強度9。いや、『9,9』か。

 最終日はどの支部も強度ごとに列をなす。お前は最前列に並んだろう? ……ならば見えまい」

「何が、ですか」

「訓練を終えた者たちの顔だ」

「顔……?」

「そうだ。アメリカ支部のエンハンスドキャンプの最終日に、彼らに訓辞を授けることが俺の仕事のひとつだった」


 未だ、オーガスタスの言葉の意味を理解できないルイスは訝しげな表情を浮かべ、そんな彼へと、オーガスタスは言葉を続ける。


「異能強度3と判断された者は、国疫軍への登用の道を失う。最終日まで訓練を突破しようとも、ただほんの少しの差であっても、即座にその場を去らなければならない。

 彼らは、強度順の整列で随分と後ろに並ぶ。彼らは、どんな顔をしていたと思う? どのような心持ちだったと思う?」

「……悔しい、でしょうか」

「いや、——『無』だ。一切の感情のない、虚な瞳だ。12歳の、少年少女たちがだぞ?

 あれだけ日々記録を更新することを願い、努力し、戦った者たちが、いざ、格付けを終えた途端、全て『終わった』と達観するのだ。その瞬間に、俺は向かい合った。何度も、何度もな」


 ルイスは、自分の並んでいた列の後ろで、そのような表情が浮かんでいたのかと思うと、少し底冷えするような心持ちになった。


「もっと恐ろしいのは、その顔をしているのは、『全ての少年少女たちである』という点だ」

「全て?」

「そうだ。3も、7も、9さえもだ。

 皆、自分の立ち位置を知る。それは、社会の中では必然ではあるが、こと異能に関しては違う。

 格付けが、一生涯ぶん、済んでしまうのだ。向上も、危機もない。横に並ぶものに対する対抗心も、前に並ぶものへの闘争心も、後ろのものに対する自負も、何もない。

 ……俺も、過去その列に並んでいたと思うと、嫌悪感すら湧き出た」


 オーガスタスは首を動かすと、ルイスへと視線を向ける。


「お前は、どうだった?」


 ルイスはそのオーガスタスの瞳に『無』を見たような気がして、逃げるように視線を落とした。


「それは……。ですが、私は、あの列に並んだことを、誇りに思っています。

 正直なところ他の方がどうであったか、見ていませんでした。……だから、あなたがどれほどの無力感に襲われたのか、わかりません」


 ルイスは、じっと自分を見つめているであろうオーガスタスの瞳に、どうすべきか思案する。

 思いつかないながらも、それでも、自分の思いは、憧れの『英雄』へと伝えなければならない気がした。


「……でも、それでも私は、あの時、未来への活力と、これから続くであろう切磋琢磨と、努力と、人類を守るのだという想いに溢れていました。

 それは、今でも鮮明に思い出せます。きっと一生、忘れることはありません」


 その想いは、きっと自分だけではなかったはずだ。

 異能というものを、正しく『守る力』だと理解している者は、きっと自分以外にもいたはずだ。


 いや、いる。


 ルイスは、そう考えているはずの人間を、知っていた。


「それは、あなたもそうだったのではないですか? でなければ、嫌悪感など……絶望など、感じなかったはずです」


 ルイスは視線を返す。

 今度は、オーガスタスの瞳が逃れるように泳いだ。


「私は、その想いを伝播させることこそが、真にやるべきことだと思います」

「簡単に言う」

「……もっと困難な事へ挑み続ける男を、一人知っていまして。それに比べれば、簡単ですよ」


 手の届く全ての人間を守る。そう言い続け、遊園地一つを救い、新東都を守り、アラスカでも救援に向かって全滅を防いだ少年。

 彼は、ルイスの後輩だが、尊敬できる『漢』だった。


「やってみせます。決して折れず、進んでみせます。

 ……何せ私は、『9,9』。辿り着かぬ『10』へ、進み続ける男ですから」


 ルイスが言葉を締め括るのと、彼の持つ無線機がオープンになったのは、ちょうど一緒だった。


『聞こえる? レンバッハ特練上等兵。急いで来て』

「はい。どうしましたか隊長」

『北門で戦闘が始まったわ。余波の可能性を考えて、一度集合』


 ルイスは無線機を口元へとあてる。


「オーガスタスはどうしますか?」

『手順通りの拘束よ。エンハンスド10でも振り解けないわ。万一異能が戻ってもピュアブラッドも取り上げているし』

「……分かりました。向かいます」


 ルイスは最後にチラリとオーガスタスへと振り返る。

 『英雄』はこちらとの話は終わったと言わんばかりに瞳を閉じ、じっとしていた。


 ルイスは小屋を後にし、他のメンバーと合流する。


 彼らが侵攻のために移動する直前、再度確認に来る頃には、オーガスタスの姿は忽然と消えていた。

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