205 9,9 vs 10(下)
「俺の願いは、『異能の消滅』だ」
異能の消滅。
オーガスタスの、『大それた』という言葉ですら足りぬほどの目標は、ルイスにとって必要性以前に可能性すら無いように思える。
しかし、荒唐無稽な『目標』は、異能によって真偽を確かめられる伊織でなくとも『本気』だと分かる力強さを伴っていた。
オーガスタスは怒りに顔を歪めながら、言葉を続ける。
「異能は、人類を腐敗させた。異能者は生誕を持ってして区別され、覚醒し、人を『辞めさせる』。こんなものを認めるわけにはいかん」
オーガスタスは、語ったところで、ルイスや『アンノウン』の隊員たちに話したところで理解されると思っていない。
しかしそれでも、問われたからには応えなければならない、根底にある想いだった。
「人類とは——いや、『生命』とは、切磋琢磨だ。
すべての生命は進化し、淘汰され、変異し、繋ぎ、この地球に息づいてきた」
オーガスタスは、問う様にルイスへと視線を向ける。
先ほどまでの敵意から一転、憐憫を感じさせるような、静かな瞳だった。
「今のこの世界はどうだ? 異能を中心としたこの100年は才能が総て。国は個人ではなく異能を以ってして人を見定め、低く割り振られた者たちに思考を放棄させる。それが異能、それが強度だ」
異能によって、格差が生まれる。
それは確かに、大きくは国ごとに、そして小さくは個人間ですら存在していた。
高位のオーバードは、国疫軍に所属する必要があるとはいえ、非オーバードと比べて生活を保護され、高い給金を得る。
社会的なものだけではない。
体格や筋力のトレーニングでは覆せないほどの強靭な肉体も、非オーバードにとっては覆せぬ、恐ろしい点であった。
「『異能』は人の意思で得るものではない。努力でも、進化でも、変異でも、血脈でもない。
ただただ、地球から与えられる『くじ』の結果に過ぎん」
オーバードへの覚醒は、現状、法則性が全く発見されていない。
エボルブドの偏りはあれど、まず『覚醒するかどうか』は、完全にランダムなものだった。
「そのくじのせいで! 『10』たる私のせいで、何人が『二番目』を甘んじさせられたか。それを求められたか。
人の努力を、意志を否定する異能を消す! それが私の贖罪だ!」
オーガスタスは宣言とともに己の胸に刻まれた『雄牛』を、拳で強く叩く。
その音は、まるで判決を告げる小槌の音のように、周囲に静寂を呼んだ。
「異能を、消す……嘘でしょ……?」
隊長であるシアーシャは唖然として呟く。
長年国疫軍で活躍していた『英雄』の、その活躍を否定するかのような『宣言』だった。
「異能とは本来、殻獣から人類を守るためのものです」
隊員たちが困惑する中、ルイスだけは真っ直ぐにオーガスタスへと視線を返した。
確かに人類は『オーバード』と『非オーバード』で区別される。差別だって存在する。
ルイスも、そんなことは知っている。
しかし、それでも。異能は殻獣に対抗できる、人類の数少ない『希望』なのだ。
「異能の最も重要な点を……人を守る力であることを差し置いて、異能を消すというのですか」
「だからこそ、俺は『
異能は、殻獣に対する『防衛本能』だ。地球が殻獣を排除しようとする力。であれば、殻獣がこの星の一部になれば、この力は消える。
これは、『異能』によって『人』が……『個人』が喰い殺されぬための戦いなのだ!」
オーガスタスは拳を力強く握ると、構え直す。
「俺は、人の未来を殺さぬために——異能を消すため、殻獣を世界の一部にする!」
「……ふざけんなッ!」
鬼気迫るオーガスタスの叫びに対し、最初に反応したのはアラスカ支部のコナー。
普段のお調子者の彼からは想像できない、激しい剣幕をオーガスタスへと向ける。
「この光景を見て、それをマジで言ってるなら……頭おかしいだろ! 偉そうに言いながら、アンタのやってることは人を虫に食わせてるだけだ! 人は、虫どもとは相容れねぇ! 世界の一部になんて、なれるわけねぇだろが!」
コナーの咆哮とは対照的に、オーガスタスは静かに頷いた。
「確かに人型を含め、殻獣は人間を好んで喰う。
……しかし、人を喰わなくとも生きていけるはずだ。でなければ、給餌のない、管理された営巣地は存在せん。改善の余地はある。そうすれば、人類との共存は可能だ」
「んなこと、信じられるかァ!」
「コナー! だめ!」
シーアシャの静止を聞かず、コナーはオーガスタスへと走り出す。
しかし、コナーの怒り任せの突進が百戦錬磨のオーガスタスの喉元へと届くわけがなかった。
「じっとしていろ」
「ぐぅッ!」
オーガスタスは流れるような体捌きでコナーを地面へと組み伏せた。
腕を取られ、自身より遥かに強い腕力で押さえつけられたコナーは、必死にもがきながら叫ぶ。
「くそ! 離せ! 離せよ!」
他の地域よりも、命の危険に近いアラスカの大地で活動するコナーにとって、オーガスタスの言葉は、決して許されないものだった。
幾度となく、実際に目の前で仲間たちが喰われ、その度に涙する人々を見た彼にとって、『見も知らぬ未来の人間』の為に、今目の前にいる人間たちが死んでいいなどとは、全く思えなかった。
「虫どもは、マルクを、フィオナを、テリーもラークも食った!
今後、どうにかなるまで食われ続けろってか! 今救出された奴らも、喰われて当然だったってのか!」
「……いつかは必要になる。何も、お前が喰われる必要はない。『アンノウン』本部が作戦失敗と判断するまで、おとなしく——」
オーガスタスの言葉は激しい殴打音と共に途中で途切れる。
同時にコナーの体の拘束が解け、彼は上を見上げる。
見上げた先には、右腕を振り抜いたまま、怒りに目を見開いたルイスが立っていた。
「レンバッハ、さん……?」
ルイスの形相に、コナーは呟く。
短い付き合いではあるが、ルイスが紳士的な男だと思っていたし、その考えは全くもって当てはまっていた。
しかし、自分の目の前に立ち、無言でオーガスタスを殴り飛ばした男の顔は、コナーも、そして、同じ日本支部の伊織ですら見たことのない、恐ろしいものだった。
「オーガスタス。言いたいことは、分かった。だが——」
ルイスは、自身の怒りを抑え込むように静かに呟く。
「『フェイマス』の思い通りになど、させるか。……人が喰われて良しとする? それを、他ならぬ『英雄』が認める?」
ルイスは自身の性格から、突発的な怒りを押さえ込もうと、冷静に話そうとする。
しかし、その努力は、同様に自身の性格上、できる訳がなかった。
「そんなもの——クソ喰らえだ!」
誰よりも優しく、誰よりも仲間想いな男は拳を振り上げ、オーガスタスへと走り出す。
テクニックも、戦術もない。
ただ、目の前の『敵』を止め、その野望を打ち砕くために、走り出す。
程なく二人の間合いは『お互いの両腕が届く距離』に狭り、そうすれば必然、空間を押しつぶすような必殺の拳の応酬が開始された。
「お前も自分を殺すのか! 世界のために、受け入れるのか。『
「甘んじる? はッ! 笑わせるな!
私は、この名に誇りを持っている! これは、届かぬ『10』へ、進み続ける誓いの名だ!」
一撃でも受ければただでは済まない全力の拳を繰り出しながら、お互いの言葉が交差する。
ルイスは自分の信念を拳に乗せ、オーガスタスへとぶつけ続ける。
「『10』の名を勝手に恥じ、二番手たちを憐れみ……果てには殻獣に傷つく人を見捨てる?
まだ、『10』を奪われるのが怖いから、などとほざいてくれた方が、哀れみすら感じられたぞ!」
右フック、スウェイ、左ストレート、前蹴り、ダッジ、バックステップ、ステップイン。
ゼロ距離で行われる拳闘は激しさを増していく。
お互いを打ち据え、お互いに歯を食いしばりながら、拳を、脚を、回し続ける。
「その『10』は! その名は、もはや強度ではない! 人々を守る軍人たちの、その最前列に立つ者の証だ!
オーガスタス! 貴様にその名を、二度と名乗らせるものかッ!」
ルイスの全身の力を込めた右ストレートが、オーガスタスの顔面を真正面から打ち据える。
「っぐ!?」
その拳を受け、初めて、オーガスタスが後退した。
よろよろと後退したことでお互いの距離がほんの少し開き、戦いに間が生まれる。
(……切れてきたか)
オーガスタスは後ろに飛びのき、内心舌打ちをしながら懐から小瓶を取り出す。
手に持っていたのは、『ピュアブラッド』。
異能を強化し、異能を消すという無謀を、可能に変える秘薬だった。
「今だ! あいつを止めろッ!」
オーガスタスの行動に、伊織が大声で叫ぶ。
声に反応し、オーガスタスが振り向くと、まるで予想していたかのように、アンノウンのメンバーが彼を取り巻いていた。
「何!?」
驚くオーガスタスに対し、シアーシャが腕を伸ばす。
「『従者召喚』!」
シアーシャは従者を生み出し、即座にその拘束を解く。
未だ地面から上半身しか現れていない状態ですら、従者はオーガスタスへと掴み掛からんと暴れ出した。
「小賢しいッ……!」
オーガスタスは従者から逃れようと下がる。
『ピュアブラッド』を手に持っているが故に、拳を振るうことができなかった。
従者に気を取られたその一瞬、オーガスタスのそばに迫る影があった。
「甘いな! 『元』英雄!」
オーガスタスの横を駆け抜けた伊織の手には、赤い液体の入った小瓶。
目にも止まらぬ素早さで、伊織は『ピュアブラッド』を奪い取ったのだ。
「貴様!」
「そうはさせねぇ! 『錨』!」
オーガスタスは伊織につかみ掛からんとするが、その動きを阻んだのは、コナーの『錨』。
伊織の姿が遠くへと離れていき、彼とオーガスタスの間には、再度ルイスが陣取る。
瞬く間に行われた簒奪に、オーガスタスは顔を歪めた。
「……気づいていたのか」
「いんや。ただ、『何かある』とは思ってたよ。時間を気にする『何か』がね」
ルイスの奥で、伊織は奪い取った『ピュアブラッド』を手の中で遊ばせた。
「『俺には時間がない』。さっき言ってた言葉だ。言わなきゃよかったな。実感こもり過ぎだぜ」
「……その耳は、飾りではないか」
「数の少ないエボルブドの中でも、うさぎは特に希少だからね。流石の『エーユーサマ』も知らなかったか?」
伊織は耳をピクリと動かし、ニヤリと笑う。
「この薬が、アンタが『強すぎる』理由だな? そして、おそらく……時間制限付き」
オーガスタスはピクリと眉を動かす。
伊織は、そのオーガスタスの様子に鼻を鳴らした。
オーガスタスの目の前に立ち塞がるルイスは、ゆっくりと構え直す。
「7対1。言っておきますが、私は1対1で決着をつけたいなど『甘えた』ことはしません。全員で確実に行きます。
普通であれば……さあ、どうするか、と問うところですが——今に限っては、こう言わせてもらう」
ざ、と砂を巻き上げながら腰を落とし、オーガスタスを鋭い視線で睨み返した。
「観念しろ、オーガスタス」
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