204 9,9 vs 10 (上)
ルイスとオーガスタスは、日の登り始めた夜明けのアラスカの大地で、お互いの拳をぶつけ合う。
二人は同じ異能でありながら、その戦い方は正反対のものだった。
オーガスタスの拳は一振りごとに空間ごと押しつぶすように轟音をあげ、ルイスは全身の筋肉を使い、紙一重で躱し続けては合間に差し込むように、的確に攻撃を当てる。
ルイスの強度であれば、拳一つで生半可な人間——殻獣でさえも無力化できるが、オーガスタスは何度受けても、全く効いていないように思われた。
「ぐっ!」
ルイスは大ぶりな右フックをかろうじて躱す。
拳自体を躱しても、その余波のような風に体を引き寄せられる錯覚を覚えるほどの剛腕。
ルイスはオーガスタスの一挙手一投足、目線すら見逃さぬように全神経を集中させ、ひりつくような死の圧を一つ一つ処理し、効いているかどうかわからぬまま、それでも拳を打ち込む他なかった。
「くっそ! 速すぎんだろ!」
コナーは『錨』の異能でルイスの援護をしようと右手を伸ばして狙いを定めようとするが、二人の戦いはあまりにも激しく、狙いを定められずにいた。
「つーか……これほどなのかよ。強度9と——『
「純粋な腕力の分類的には、そこまで差はないはずなのに……」
焦るコナーに、シアーシャも同意する。
国疫軍の分類において、エンハンスドの強度10はオーガスタスただ一人だが、その能力を元にして、1から9までを定めており、ブラボー小隊結成時に共有されたルイスの肉体的強度の数値は、オーガスタスより劣るもののそこまでの差は無かった。
無かったはずなのに、実際には、一方的に思える戦闘が目の前に広がっていた。
「いつまで遊んでいるつもりだ! 『
オーガスタスの右の大振りを、ルイスは全身を使い受け流す。
ルイスは受け流したまま身体を捌き、反転しながらオーガスタスの後ろへと回り込むが、オーガスタスは咆哮と共に左の裏拳を放つ。
風を『切る』どころか、風を『叩いた』ように、「ぼっ」と鈍く低い音をたてながら迫る拳を、ルイス上半身を退け反らせて避け、そのまま上半身のバネを使って右ストレートを叩き込む。
ルイスの拳がオーガスタスの顔に迫るその瞬間、ルイスの視界に、オーガスタスの右腕が急に現れた。
「ぐっ」
「ぬぅっ」
お互いの拳が交差し、お互いの顔面を捉える。
二人ともよろめくが、先に前に出たのは、オーガスタス。
強度の差もさることながら、長年の経験と闘志によって支えられたオーガスタスの肉体はダメージによる混乱を無視してでも前に出ることを可能にしていたのだ。
オーガスタスは素早いステップインでルイスへと距離を詰め、そして、ピクリと眉を動かすと、右側から急接近してくる刃を躱した。
「これも見えてんのかッ!」
刃が空を切り、オーガスタスの左側に着地したのは、伊織。
オーガスタスにとって最も困難な相手はルイスだが、しかし、伊織の存在も忘れてはいなかった。
人間は、トドメを刺す直前が最も油断しやすい。
伊織の『ここぞ』というタイミングで横槍を入れてきたセンスに、オーガスタスは笑顔を強めた。
「ははは! 危ねぇじゃねぇか!」
ルイスはダメージを振り払うように頭を振ると、ゆっくりと立ち上がる。
「押切さん、助かりました」
「水差すなとか言われなくてよかったですよ」
「世界の危機に、そんなわがままは言いませんよ」
「よかった。戦闘狂じゃなかったんすね」
「私のことを、そ、そんな目で見ていたんですか……」
ショックを受けるルイスに対し、伊織は悪びれもせず鼻を鳴らして「ふ」と笑った。
伊織は武装の片手剣の握りについている、バイクのブレーキのようなレバーを指で引く。
すると、がしゃり、と音がして片手剣の刃が外れ、地面に落ちた。
その刃は、紙の様に薄く、伊織の異能の速度について来られず、ぼろぼろになっていた。
刃が脱着可能なそれは、オリエンテーション合宿の際は修理に出していた、伊織の本来の武装。
『結城武装店』薫製の片手剣、『特別武装・
『特別武装・常初撃』の薄い刃はメジャーのように丸められて鞘に『装填』されており、握りしかない剣のグリップで引き出して必要分を切り取り、『使い捨てる』武装だ。
刃は非常に薄く、同時に鋭い切れ味を持っているが、脆い。
異能で速度を上げて攻撃する伊織は通常武装では損耗が高く、また彼自身、武装の扱いが雑だった。
そのため、武装職人・結城公孝は『使い捨て』の武装を彼のために作ったのだった。
伊織は腰につけた円柱状の鞘から、再度刃を引き出す。
ぱきり、と音を立てて必要分を切り取った伊織はオーガスタスに刃を向けるが、非常に薄い刃は、オーガスタスからは存在しないようにすら見えた。
「どんなに頑丈でも、流石に『これ』なら、あんたの首だって切り落とせるぜ。……次はその首を狩り落とす」
「は!
「変な名前で呼ぶな。『
「お前も二つ名持ちだったか。……異能が優秀な者は、やはり優秀になっていくものだな」
オーガスタスはボソリと呟くと、構えを取る。伊織の思惑通り、先程の言葉によって二対一を意識づけられ慎重になったのだろう。
お互いが見合い、戦闘に空白が生まれた。
伊織はオーガスタスから視線を外すことなく、小声で横に並ぶルイスへと話しかける。
「先輩、どうします? 救援呼びます? 逃げます?」
「どちらも許してはもらえないでしょう。今彼が私に集中しているのも、彼の気まぐれです。
背を向けた瞬間に他の隊員を襲われては、私の足では追いつけないでしょう」
冷や汗を流すルイスへ、伊織は疑問に思っていたことを投げかける。
「先輩、エンハンスド10は、『あんなに』なんですか。ぶっちゃけ、歩く超大型殻獣ですよあれ」
「……私も思っていました。あれは、エンハンスド10の……本来の『英雄』の速度を、大幅に超えています」
「確かなんですか?」
「ええ。ファン、でしたから」
ルイスは自虐的に笑い、そして、頬を引き締める。
「あれが、本来の強さなのか、それとも……」
「『ピュアブラッド』ってやつ?」
「ええ。間宮さんが仰っていた、人型殻獣の特殊能力が向上したという薬品を、服用しているのかもしれません」
「……まあ、どちらにせよ、今の『アレ』とやりあうしかないわけか」
「そうですね」
伊織はめんどくさそうに唇を尖らせる。
一方のルイスは、真剣な表情のまま、言葉を続けた。
「私には、『英雄』が……かの漢が意味もなく離反するとは考えられません。一体、なぜ……」
「……さっき先輩が言ってましたけど、世界の危機です。聞き出すような暇なくないすか」
「世界の危機だからこそですよ。我々は、失敗できない。
説得します。そうでなくとも、少しでも戦意を削ぐことができれば、勝ちの目は高まります」
「説得、ねぇ……」
伊織は、耳をぴくりと動かす。
伊織が聞き取った、ルイスの言葉の裏の想いは『いらだち』。薄く引き伸ばされ、本心の下敷きにされたルイスの本心に、伊織は小さくため息をつく。
(おーおー。正義感か、それとも失望か。さっきの言葉は半分本心、半分嘘、ってとこか。
……半分本心だからこそ、先輩は曲がらないだろうな。まあ、多少の隙でも出来れば儲けもんか)
伊織にしてみれば、オーガスタスがどうなろうと関係ない。ルイスの怒りも、説得も、どうでもいい。
一刻も早く終わらせ、最近やっと見つけた、幸せな元の生活に戻りたい。
「まあ、頼みますよ」
「ええ」
返事を返したルイスはゆっくりと構えを解く。
相対するオーガスタスは、不思議そうに片眉を持ち上げた。
「どうした?」
「なぜ、こんなことをするのですか。人類の英雄たる貴方が、なぜ、人型殻獣の肩を持つのですか」
ルイスの真摯な声に、オーガスタスはため息をつく。
「話し合いの段階はとうに超えている。貴様と話している時間など、無い」
オーガスタスは吐き捨て、一瞬で距離を詰めて拳を振りかぶる。
目にも止まらぬ速さの接近に対し、ルイスは微動だにしない。
「先輩ッ!」
伊織は武装を構えて飛び退き、大声で叫ぶ。しかし、ルイスは真剣な表情のまま仁王立ちを続けていた。
重い衝撃音が響き、周囲の隊員たちは短い悲鳴を上げる。
しかし、顔面に迫るオーガスタスの重い拳はルイスの顔面に届くことはなかった。
ルイスは、自身の持つ力の全てを発揮し、オーガスタスの拳を両手で受け止めていたのだ。
「なぜですかッ! 『
ルイスの両腕は全力を以ってしても震え、両腕の筋肉が悲鳴を上げる。しかし、ルイスは一歩も引かずに、再度、同じ言葉を投げかけた。
歯を食いしばり、一歩も引かぬ、とルイスは鋭い眼光をオーガスタスへとぶつけた。
「……なぜ、か」
オーガスタスは観念したように息を吐き出し、ゆっくりと拳を引く。
牽制するように他の隊員たちを見渡し、再度視線を『
「俺の願いは、『異能の消滅』だ」
そう告げる『英雄』オーガスタスは、怒りと、失望に満ちた表情だった。
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