203 雄牛の英雄


 『ヘラクレス』が生きている。

 一時は沸いたブラボー小隊の面々であったが、時間が経ち、その内容は諸手を挙げて喜ぶだけでは済まされないことに気がつく。


 生きる伝説であり、アメリカ支部の重要人物でもある『ヘラクレス』をどうすべきか。

 人類最強とも言われていた男。しかし、人型殻獣に敗北し、捕らえられていた男に対して、どう接していいのか。


 作戦はどうなるのか。


 シアーシャが急ぎ『i』の本部へと連絡を取ったが、本部でも予想外の事件だったらしく、「ブラボー小隊が中央の城へと侵攻する作戦第二段階に入る前までには連絡する」、と忙しなく通信を終えられてしまった。


 未だ人生の経験不足な彼らは必然、判断に困ることになる。


 結果、『ヘラクレス』と共に西門まで戻ってきたシアーシャを、ブラボー小隊は神妙な面持ちで迎える結果となった。


 安全確認の取れた西門へとシアーシャと共に歩いてきた『ヘラクレス』アイザック・オーガスタス大佐は、多少やつれているように見えるもののはきはきとした様子だった。


「すまんな、ちびっこども」


 オーガスタスは恥じるように頭をかきながら、集合したブラボー小隊の面々を見渡す。


「いえ……この度は」

「作戦中の戦闘敗北は自己責任。そういうもんだ」


 言葉に詰まるシアーシャに、オーガスタスは笑いかける。

 特練兵たちに対し、なるべく負荷をかけまいとするようなニヒルな笑顔に、シアーシャはほんの少しだけ表情を緩ませた。


「もしや、お前ら……中将肝煎りの学生特別部隊か」

「それは……」

「ああ、いい。話せんことくらいわかっとる」


 言葉に詰まるシアーシャに笑いかけながら、オーガスタスは自分の周りを囲むブラボー小隊の面々を見渡した。


「オーガスタス大佐、申し訳ありませんが……拘束を」


 申し訳なさそうにオーガスタスへと声をかけたのは、ルイス。

 彼の手には、拘束用の細い樹脂製の紐が握られていた。


 たとえ相手が英雄と呼ばれる男だとしても、本部から指示のない今、特別な対応をするわけにもいかない。

 それに、ルイスは『ヘラクレス』のことを信頼していた。


 英雄たる彼ならば、納得してくれるだろう、と。


 そのルイスの考えの答えは、笑顔によって返される。


「ああ、やってくれ。形式的なもんだろうが、形式は大切だ。

 ん? ……お前、『雄牛』なのか」


 オーガスタスは両手首を合わせて前に伸ばしながら、ルイスの顔を見て驚き、声を上げた。

 ルイスの顔の左半分には、大きく『雄牛』の意匠が描かれている。顔を見ればルイスがどの様な異能者かは文字通り一眼で分かる。


 同じ『雄牛』の異能者であり、『英雄ヘラクレス』と呼ばれる男に言及され、ルイスはほんの少し頬を持ち上げながら返事をする。


「はい。9であります」

「9か。……どんな『名前』だ」


 対するオーガスタスの表情は、真剣なものだった。

 オーガスタスの言う『名前』とは、二つ名のことだろうとルイスはすぐに理解する。


「それは……」


 ルイスは自分の『二つ名』を言うべきかと一瞬固まり、ルイスの反応にオーガスタスはゆっくりと頷いた。


「言いづらいか? ……だろうな。

 どの支部も、『後継者サクセッサー』だの『二番手セカンド』だの。手前が二番目だと言わんばかりの名前二つ名をつけやがる。

 本人の意思や功績など関係なく……必ず二つ名を『持たされる』。そんな二つ名など、言いたくないだろう」


 オーガスタスは苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨てた。


 彼の言う通り、エンハンスドのみの高位異能者は、必ず二つ名を持っている。


 『ヘラクレス』というエンハンスド10に対する敬意と憧れ、そして他支部への牽制から、どの支部もエンハンスド9の異能者には、オーガスタスが引退した後は自分の支部の異能者がそれを継ぐと主張するような二つ名をつけていた。


 高位異能者は芸能人のような扱いを受け、支部内はおろか、世界的な『影響力』を持つ。


 どの支部も、『ヘラクレス』がエンハンスドのみの能力者で最強であると認めている。

 だからこそ、圧倒的な力、華々しい経歴。生ける伝説と呼ばれた彼の名声を『引き継ぎたい』と渇望していた。


「ひどい話だ。生まれついての力で、優劣をつけられて……二番手を、『強要』される」


 話の筋がわからなくなってきたルイスは沈黙のまま彼の両手を縛るが、その間もオーガスタスは語り続ける。


「お前は、異能についてどう思う。不平等だとは思わんか」

「……申し訳ありません、大佐。おっしゃられる意味が、わかりません」


 要領を得ない質問ばかりを受け、ルイスは内心首を傾げる。

 一方のオーガスタスは、強い決意を秘めた瞳をルイスへと返した。


「お前も、『被害者』か。……やはり、こんな『力』は、いらねぇな」


 あまりにも攻撃的なオーガスタスの言葉に、ルイスはおずおずと口を開く。


「それは——」


 ルイスの質問は、樹脂製のワイヤーがはち切れる激しい音にかき消される。


「そのために、お前達にウィリアムを殺させるわけにはいかんのだ」


 驚くルイスの目の前で、オーガスタスはその両手を大きく広げていた。

 オーガスタスは、今ちょうど結ばれた両手の拘束を、まるで薄紙を破るように引きちぎったのだ。


 敵首魁、『ウィリアム』の名。先の見えない話の終わりは、唐突にもたらされた。


「『無名アンノウン』よ『誰も知らぬ者アンノウン』のままに、死んでくれ」


 先ほどまでとは違う、敵意のこもった呟き。


「大佐、一体何を——」


 何事かとブラボー小隊が躊躇した一瞬の間に、複数度の激しい打撃音が響く。


「……まず、3人」


 ルイスは背後からの呟きに驚き、振り返る。先ほど目の前にいたはずのオーガスタスが、背後へと移動していた。


 オーガスタスの言葉の意味に気がついたルイスは、周囲を見る。瞬きの間に、小隊の人数が減っていた。

 一つ遅れて、遥か後方で人間が地面を転がる音が耳を打つ。


 目にも止まらぬ速度で、三人もの人間が、殴り飛ばされていたのだ。

 それは、オーガスタスによる、明確な『攻撃』。目にも止まらぬ先制攻撃だった。


 国疫軍の英雄が、なぜ自分たちを攻撃するのか。


 あり得ない現実に皆が戸惑う中、少女の喝が場に放たれる。


「『ヘラクレス』離反! 隊長判断にて『未許可営巣地侵入者』として対処する! 戦闘開始ッ!」


 誰よりも早く声をあげたのは、ブラボー小隊を任されたシアーシャだった。

 事態を強引に飲み込み、頭の中を駆け巡る疑問符を放置しながら、残った7人はオーガスタスから距離を取る。


 同時に、シアーシャが地面に手を当て、叫ぶ。


「『従者召喚』!」


 直後、シアーシャの異能である黒い大きな人型異能物質——『従者』が、地の底から這い出すように現れた。

 巨大な首輪をつけた黒い人型の存在は、口から悲鳴のような咆哮をあげ、ぬるりと立ち上がる。


「『解放』ッ!」


 シアーシャの言葉と同時に『従者』の首輪がばきりと音をたてて壊れ、オーガスタスよりも大きな『従者』は、その高い頭上よりも高く腕を振り上げる。


 そして、『敵』だからではなく、純粋に一番近い人間へと——オーガスタスへと拳を振り下ろした。


 圧倒的な暴力に思われたその拳は、オーガスタスの眼前で止まる。


「退避の必要はねぇぞ。こいつは、これ以上暴れねぇ」


 静かに言い放ったのは、オーガスタス。

 人形殻獣ですら抑えきれず、その身を粉砕した『従者』の一撃を、彼は片手で平然と受け止めていた。


 『従者』は怒り狂ったようにもう一方の腕を水平に薙ぐ。

 オーガスタスは向かってきた腕も受け止めると、力を込める。


「ふむ、まあまあだが……脆い!」


 オーガスタスは両腕を力強く捻る。

 抑えられていた『従者』の両腕は、動きにつられて木の枝のようにぺきり、とげた。


 両腕を失い、普通の人間であれば混乱するところであるが、異能物質でしかない『従者』は、暴力を遂行するために残った頭を振り下ろす。


「いい闘志だが……寝とけ、デカブツ」


 その頭部は、受け止められることすらなく、真っ向に振り上げられたオーガスタスの拳によって、粉々に砕かれた。


「そんな!?」

「うそだろ!?」


 『従者』の強さを知るシアーシャとコナーが混乱する中、追撃を行うことなくオーガスタスは後ろに飛んだ。


「思い切りがいいな」


 オーガスタスは凶暴な笑みを浮かべながら右腕を持ち上げ、顔面をガードする。

 直後、その右腕へと、蹴りが刺さった。


 彼が受け止めたのは、速度を上げて跳び膝蹴りを放った伊織。


「これをガードすんのかよッ!」


 伊織は毒づきながら宙返りをして着地し、唖然とするアラスカ支部二人へと叫ぶ。


「何慌ててんだ! 動け——ッ!?」


 伊織の声は、途中で止まる。目の前に、オーガスタスの姿があったからだ。

 伊織は距離を離したはずだったが、音も無く瞬間移動のように目の前に現れたオーガスタスは、無言のまま右腕を振りかぶっていた。


「危ねぇ! 抵抗倍化ッ!」


 今度はコナーが叫び、オーガスタスへと腕を伸ばした。

 コナーの異能が発現し、ほんの少しだけ、オーガスタスの速度が落ちる。


「っぶね!」


 元の速度からすれば雀の涙ほどの差だったが、伊織が回避するには十分な『時間』だった。

 伊織は跳び退くと、同様に距離を取りながら『錨』を発動し続けるコナーの横へと着地する。


「助かった」

「おう」

「ん! 重いな! 面白い!」


 コナーの異能『いかり』による『対象の受ける抵抗の倍化』に、オーガスタスは再度笑顔を強めた。

 抵抗が増しているにも関わらず、オーガスタスは伊織とコナーの元へと飛び込む。


「戦闘狂が!」


 距離を取って戦いたいが、それは相手も分かっている。

 こちらが考える間を与えず、ただひたすらに突っ込んでくる。


 伊織の持つ『兎』、速度向上の異能ですらガードされた『エンハンスド10』の身体能力に、どう立ち向かうべきか。

 一瞬思案する伊織の横を、人影が飛び出していった。


 直後、これまでで一番の、爆発と聞きまごうほどの衝撃音。


 オーガスタスは衝撃で後退し、音を鳴らした本人が、伊織たちとオーガスタスの間に立ち塞がっていた。


「……ルイス・レンバッハ。日本支部所属、特練上等兵。『.9コンマナイン』の名にかけて、貴方を止めます」


 立っていたのは、ルイス。


 エンハンスド9とエンハンスド10の、拳の交錯。

 それは、もはや人間どころか歩兵戦の域すら超えた、規格外の純粋な力の応酬だった。


「お前の二つ名は『.9コンマナイン』か。10に最も近い……9.9、と言いたいのか。ふざけた二つ名だ。

 日本支部も酷な名をつける」


 オーガスタスは、目の前のルイスに応えるかのように上着を脱ぐ。

 年齢を感じさせない鍛え上げられた肉体の中央には、『雄牛』の意匠が刻まれていた。


「まあいい。『.9コンマナイン』よ……コンマ1の差、味わうがいい」

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