212 希望の国・東門


 早朝の『希望の国』の東門の前では慌ただしく『朝食』の準備が進められていた。

 今日の朝食になる『国民』たちの選別が行われ、悲鳴がこだまする。

 人間から見れば恐怖を掻き立てられる光景だが、人型殻獣達にとっては家畜の鳴き声——ニワトリや豚の声と大差変わりなく、『いつもの朝の風景』だった。


 そんな喧騒の中、城門の目の前に置かれたテーブルを、二体の人型殻獣が暇そうに囲んでいる。


 二体とも甲種——男性の姿をした人型殻獣。

 一体は脇の下からカマキリのようなカマの腕が生えており、もう一体は背中からアゲハ蝶の翅が生えている。

 カマキリの人型殻獣は胸の前で鎌の腕をすり合わせ、金属がこすり合わされたような不快な音を鳴らし続けながら、顔には不満を貼り付けていた。


『エアロン。お前はどう思う?』

『どう、って? なにが『どう』? タイタスは言葉が少ないんだよねェ』


 エアロンと呼ばれた翅の生えた人型殻獣は、緑の髪の間から飛び出た長い触角を指で弄り続け、明けたばかりの薄青い空を仰いだまま言い返す。

 そんな彼の反応にタイタスと呼ばれたカマキリの人型殻獣は顔を歪め、再度鎌を擦り合わせて不快な音を立てた。


『今の我々の状況だ!』

『んー、いつものやつでしょオ。東の先の『終着駅』とやらから敵が来ないかの見張り』

『生ぬるい! あんな人間どもの基地、さっさと滅ぼせばいい! 我は殺し足りんのだ!』

『この前、スザンナちゃんの力で虫たちを降らせても無理だったのに? 絶対めんどくさいよォ?』


 けらけらと笑うエアロンに対し、タイタスは眉を寄せて大きなため息を吐き出す。


『はるか西では潜水艦に乗って賊どもがやってきたと言うのに……なぜ我々は真逆の東門でじっとせねばならんのだ』

『あっちはあっちで対処してるでしょおヨぉ?』

『我々『名有り』が行けば百人力だ! 名前も無い、異能も無い者たちや虫共で押すよりも、我々が行った方がいいに決まっている!』

『はいはい。『将軍』サマは元気だねェ? ね? 子猫ちゃん?』


 エアロンは話半分に相槌を打つと、触角を弄っていた方とは別の腕を持ち上げる。

 その手からは鎖が生えていた。

 エアロンの異能である『鎖』の先には首輪が付いており、エアロンが鎖を引きあげると同時に「うっ」と、うめき声が上がった。


 声を上げたのは、人間の女性。エアロンのもつ鎖の先の首輪は、彼女の首で鈍く光っていた。


『戦い、見張り。そんな面倒なコトするより、ボクはこのコたちとずっと愛し合ってたいよォ』


 エアロンはニタリと笑うと、首輪に繋がれた女性を自分の膝の上へと乗せ、頬をべろりと舐め回した。

 女性は小さく悲鳴を上げ、そして恐る恐る口を開く。


「——。——……」

『うんうん、そうだねェ。いっぱい可愛がってあげるねェ』


 人型殻獣の二人には、女性の言っていることは分からない。

 しかし、エアロンはまるで自分に賛同しているかのように頷き、女性の頭を撫で回した。


『悪趣味な』


 タイタスは顔を顰めながら吐き捨てる。


『エアロン、貴様は悪趣味がすぎる。『食べ物』で遊ぶな』

『いいじゃァん? ちゃんとこのあと全部喰べるからさ』


 女性も、人型殻獣が何を言っているのか分からない。が、それでも何かを察したようで、声を荒げる。


「———。———! ———!!」

『あははは。うるさいなァ。何言ってるかわかんないよォ?』


 エアロンは笑いながら女性の髪を乱暴に掴み、自分の膝の上から乱暴に放り投げた。女性は悲鳴を上げながら地面を転がり、首輪についた鎖の限界点に達する。

 女性は首を引っ張られて停止し、喉への衝撃に咳き込む。


『エアロン』

『はいはい、『食べ物を粗末にするな』でショ?』

『わかっているならやめんか』

『喰う前に自分と戦わせるタイタスに言われる筋合いはないよォ』


 エアロンの指摘に、タイタスは頬を吊り上げる。


『最後のチャンスをやっているのだ。慈悲だ、アレは』

『木の棒を渡しといて? よくいうヨォ。ボクらは似た者同士、デショ?』


 タイタスのにやけ顔がエアロンに伝播する。

 エアロンは立ち上がると、ゆっくりと鎖を引っ張り始める。


『さあさあ、逃げないとゴハンになっちゃうヨォ?』


 倒れたままであった女性は地面を引き摺られ、砂の地面との摩擦の痛みから起き上がる。


「——! ————!」


 女性は叫びながら、必死に逃げようと地面を掻く。

 しかし、人間よりはるかに優れる人型殻獣の腕力に敵うわけもなく、ずるずるとエアロンの元へと手繰り寄せられていく。


『あはは、もっと頑張らないとォ! 逃げられないよォ!』


 エアロンは笑いながら、ゆっくり、ゆっくりと鎖をたぐる。


『大丈夫だヨォ! ちゃんとぐちゃぐちゃに犯してから、食べてあげるからサァ! 君のゼンブをちゃぁんと味わってあげるヨォ! ヒヒ、ヒヒヒィャハ!』

「——! ———!!」


 女性は、背後から投げかけられる言葉の意味を理解できない。

 それでもエアロンから発せられる言葉の雰囲気や彼の表情から、自分の身におぞましい恐怖が迫っていることは容易に予想できた。


 エアロンは舌舐めずりをしながら、愉しむようにゆっくりと鎖を手元へとたぐる。

 少しづつ、少しづつ、死への——それ以上の絶望への距離が近づく。


「——!!!」


 大粒の涙をこぼしながら、女性は一際大きな声で叫ぶ。



 それに呼応するかのように、爆音を伴って黒い影が地面へと降ってきた。



「——!?」

『うわっ!? なにサァ!?』


 エアロンは音に驚き、声を上げる。

 爆音もさることながら、先ほどまで引いていた鎖が切れ、さらにはボロボロと崩れていったからだ。


 一方の女性は必死に抗っていた力のまま、前方に飛び込んで地面へとへたり込む。


「——?」


 女性も、何が起きたのか理解できずに自分の首輪に触れる。

 彼女を縛っていた首輪は、急に朽ちたかのように崩れていった。


『……あれ、は』


 タイタスが、呆けた声を上げる。

 彼の目線の先にあったのは、地面にめり込んだ一枚の黒い板。

 ——否、黒い棺の蓋だった。


「……一歩たりとも、動くな」


 刺さった黒い板とは違う方向から、静かな声が東門の前に広がる。


 東門の喧騒が続いていれば容易くかき消されそうなその声は、轟音に驚いて停止した彼らの耳にしっかりと届いた。


 声の方向へと、全員の視線が集まる。


 テント群の外。東門へと歩いてくる人間の姿があった。


 全身黒一色のコート姿。顔の下半分は鋼鉄製のマスクに覆われているが、真っ直ぐに伸びる視線からは、明確な『怒り』が放たれている。


 右手には、真っ黒な大鎌。

 背には、12枚の『棺』の盾。


 その男は、アルファ切り込み小隊の一番槍。『葬儀屋アンダーテイカー』。


 間宮真也、その人だった。


「もう一度だけ言う」


 真也は歩みを止めぬまま、再度言葉を紡ぐ。 


「動くな。動いた者は、敵と見做す」


 真也は、歩みを止めずに、東門のテント群を抜けていく。

 作業を行なっていた人型殻獣も、彼らに捕らえられていた人間たちも、誰も動くことができなかった。


 人間たち——非オーバードの彼らは『共通概念会話』は行えない。

 であれば真也の言っている言葉の意味はわからないはずだが、それでも動こうと思えなかった。


 目の前を、死の運命が歩いていたから。


 少しでも動こうものなら、否、少し呼吸を荒げて音を出しただけで、目の前の『死神の鎌』が自分の首を落とすのではないかと幻視してしまった。


 真也は、まるで時が止まったかのようなテント群を抜け、エアロンに捕らえられていた女性の元へと歩み寄る。

 目の前までやってくると、膝をついて彼女へと手を伸ばした。


「大丈夫ですか。助けにきました」


 真也の言葉も、やはり彼女には通じない。

 しかしそれでも、女性は目の前の存在が救いであると確信し、涙を流しながら真也の手を取った。


 女性の手を取った真也は、「あ」と小さく呟き、再度女性へ話しかける。


Everything is OK.もう大丈夫 There is no danger.もう安全です | ahh…Does this make sense?《えっと…この英語伝わってますか?》」

「YES…YES…」


 女性は真也の言葉に、何度も頷く。

 真也は表情には出さないものの、内心ほっと胸を撫で下ろした。


 そんな真也へと、怒りの叫びが投げかけられる。


『ふざけるなヨォ!』


 大声を張り上げたのは、エアロン。

 己が獲物を横取りされた彼は、蝶の翅を大きく羽ばたかせ、真也を指差す。


『てめ——』


 しかし、エアロンの激昂は、途中で止まった。


『う……』


 不意に緑色の液が顔にかかったタイタスは、ブルリと体を震わせる。

 怒りのまま一歩踏み出したエアロンの頭が、どこかに消えていたからだ。


『お、お前ら! 何をしている! 『将軍』タイタスの命令だ! 奴を殺せ!』


 タイタスは声を張り上げる。

 完全に心を恐怖に支配されたが、それでも彼は『名有り』として、引くわけにはいかなかった。


『キィィ!』『ギィ!』『ィィィイイ!』


 朝食の準備を進めていた人型殻獣はタイタスの言葉に反応し、真也へ向かって飛びかかろうとする。


 しかし、2歩も進むことはできなかった。


 ぱしゃん、ぐしゃ、べき。

 跳び掛からんとした人型殻獣たちは、棺の盾に殴打され、砕かれ、残酷な音と共に崩れ落ちる。


 圧倒的な暴力により、再び東門に静寂が訪れる。


『ぐ、ぬ……』


 号令を出したものの一歩も動かなかったタイタスのみが、人型殻獣の生き残りだった。


『わ、我と一騎打ちせよ!』


 タイタスの叫びに、真也がゆっくりと振り返る。


「したければ勝手にすればいい。動けるならな」


 鋼鉄のマスクがそのまま喋っているような、冷たい声だった。


『ギィィィィ! 一騎打ちだ! 我と、『将軍』と勝負せよ!』


 タイタスは恐慌状態になりながら、真也へと一直線に飛びかかる。

 しかし、棺の盾がタイタスを襲うことはなかった。


(一騎打ちと言う言葉を受けて異能を使わなかったのか!)


 タイタスは真也の行動にほくそ笑む。


『油断したな!』


 タイタスは右腕を真也へと向ける。

 タイタスの力は『熱波』。その手からは人間には耐えられないほどの熱風が放出される——はずだった。


「油断なんて、するか」


 どこまでも冷静な声のまま、真也は言い返した。


『ア……レ……?』


 タイタスは、目の前の光景に首を傾げたくなった。

 異能を放出するよりも速く、右手が消失していたのだ。


 まだ遠く先にいたはずの真也が、いつの間にかタイタスの目の前で、大鎌を振り上げている。

 いつ接近されたのかも、いつ大鎌が振り上げられたのかも、タイタスには全く分からなかった。


 彼の右手は、真也の振り上げた大鎌に『刈り取られた』のだ。

 タイタスは目を見開き、言葉を発する。


『た、頼む——』


 タイタスの言葉の続きは、大鎌の振り下ろされる「ひゅおん」という音にかき消された。

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