201 紙片


 アルファ小隊は作戦に遅延を発生させぬため、できたばかりの安全地帯前線基地を急ぎ離れ、森の中を進む。


 移動のために美咲が作り出した装甲車は内部に簡易ベッドまでしつらえた特別製。

 悪路のため流石に移動中は横になるのは難しいものの、明朝の作戦に支障が出ぬ程度には休息が取れそうだと皆内心胸を撫で下ろした。


 装甲車は枝葉を薙ぎ倒しながら黙々と進み、日が暮れてもお構いなしに進み続ける装甲車の中で気を張っているのは『波紋』のエリノア。

 『目』の鈴玉は、目視しなければその能力を発揮できないため、装甲車のハッチから上半身を覗かせながら、たまに鳴り響く太い枝の折れる音に「ほうっ!?」と悲鳴を上げていた。


「……今日は、ここで野営にしましょう。あとは、作戦開始直前に接近するわ」


 タブレットと睨めっこを続けていたアリスの一言を受け、警戒に気を張っていた二人を休ませながら、残りのメンバーで周囲の安全確保を進める。


 真也はレイラと共に殻獣の隔離電波装置を設置しに向かった。


 真也は慣れた手つきで10個ほどの音波発生機を装甲車を囲むように円状に並べ、真也の持つ最後の一個の設置を終わらせると、ぐ、と背伸びをする。


「こんなもんでいいかな?」

「うん」

「A指定群体にも、『これ』効くのかな?」

「……きく、と思う」


 レイラは自分の持っていた音波装置を起動すると、ちょこちょことつきまとうクーに向ける。

 クーはある程度装置が近づいたところで、目をぎゅっと瞑り、「やー!」と悲鳴をあげて真也の後ろへと隠れた。


「クーにも、ちゃんと効くんだ」

「みたい、ね」

「うー……」


 弱々しく威嚇するクーの頭をぽんぽん、と撫でて全ての装置をセットし終えると、真也とレイラは装甲車へと戻る。

 3台の装甲車は三角形を作るように並べられ、その中で淡く光るLEDランプを頼りに、隊員達が温かい飲み物を啜っていた。


 真也達の到着に、中国支部の飛龍が反応する。


「お、戻ったか」

「設置、終わりました。荷物取りに行ってきます」

「私は、ちょっと、用事」


 レイラの言葉に頷くと、真也は彼女と別れ装甲車の一つへと向かう。


 タラップを上り車内へと足を踏み入れると、そこにはアリスの姿があった。

 オーバードスーツを脱ぎ、ゆったりとした軍服のジャケットを羽織った彼女はゆっくりと湯気を上げる紅茶を啜りながら手に持った小さな紙片をじっと見つめており、その表情は険しいものだった。


「……あの、失礼します」


 彼女の真剣な表情に、真也はなんとなく間が悪そうだと小さく挨拶する。

 その言葉に、アリスは驚いたように目を見開き、真也へと視線を向けた。


「……あ、ああ。貴方だったの」

「音波装置、設営終わりました」

「……そう」


 バツが悪そうに返答したアリスは、手に持った紙片を再度一瞥して、その後備え付けのテーブルへと放り投げた。


「これ、どういうつもりかしらね」

「え?」


 アリスの言葉に、真也は疑問の声をあげる。

 彼女が見ていた紙片の内容について真也は何も聞く気はなかった。彼女の表情や反応から、あまり触れない方がいいような気がしたからだ。


「……あなた、英語は読める?」

「え、ええと、少しなら」


 おずおずと返答した真也に向けてアリスはテーブルに乗せた紙片を押し出す。


 読め、ということなのだろう。


 真也が紙片へと視線を落とすと、そこには短い英文が書かれていた。

 そこに書かれていた内容に、真也は眉を潜める。


「『彼はあのとき、リースに居た』……」

「リース。エディンバラのことでしょうね」


 リースという地名は、真也も授業で聞いていた。

 『異能者による殺傷事件』が起きた土地であり、犯人も未だ捕まっていない。

 異能者を管理する連盟にとって、最大の恥であり忘れられぬ事件。


 その犯人は、いまだに『最上級指名手配』されている。


 そのリースの名と、『あのとき』といういかにもな言葉。

 間違いなく、リースでの事件に『彼』が……ウィリアムが関与しているのだということだろう。


「この紙は……?」

「ロシア支部の彼から渡されたわ」

「ユーリイさんが?」

「ええ。彼が異能を解除するとき、あなた達には分からぬように私に渡してきたわ。

 ……彼は、どこまで知っているのかしらね」


 アリスは腕を組んで椅子に背を預けると、大きなため息を吐き、ぼそりと言葉をこぼす。


「私も、4年前……リースに……あの場にいたの」

「……え?」

「リースの事件、どこまで知ってる?」

「殺傷事件が起きたこと、くらいしか……」

「……まあ、そうよね」


 しばしの沈黙が装甲車を包んだが、再度アリスが口を開いた。


「あそこは、地獄だった」


 意図せず顔が歪み、リスの尻尾が不安げにアリスの体を包む。

 虚空を見つめているが、その目には過去の情景が浮かんでいるのだろう。


「無差別の、キネシス能力による殺害。リースで行われた小さな祭りの場で……動き出し、逃げたものから、殺された。

 殺される理由は、『逃げた』から、いえ……『動いたから』というだけ。私は、動かなかったから生き残ったの。……いえ、動かなかったんじゃない。私は恐怖から微動だにできなかった。家族は無事だったけれど……でも、あの日死んだ人たちの命は平等なもの。

 もしも、『フェイマス』が……『ウィリアム』があの事件に関与しているのなら……決して許されることじゃない」


 怒りというには静かな、理知的な言葉とともに、彼女の瞳に再度力が戻る。


「その年の覚醒検査で、私は能力に目覚めた。ハイエンド、という、最上位のね。これは運命よ。

 私は、決して許さない。人間に異能を使う人間を。殻獣以外を傷つける、異能を」


 アリスは立ち上がる。真也の目の前まで歩を進め、彼の手から紙片をつまみ取ると、はっきりとした口調で宣言した。


「私は、『これ』を知っても、間違わない。私情を作戦に挟まないわ。ただただ、冷静に奴らを『確保』する。その上で法の裁きを受けさせる。

 ……もちろん、抵抗すれば作戦上必要行動として『処理』する。でも、それには決して、異能は使わない。私の腕力だけで、武装の刃で、殺す。私は間違わない。正確な判断の上で、必要な行動を取るわ」


 アリスは真也に告げると、振り返り元いた椅子へと歩いていく。


「……その、なぜ、教えてくれたんですか?」


 紙片を手から抜き取られた真也は呆気に取られていたが、気になったことを口にした。

 アリスは真也の言葉に対しぴくりと肩を震わせたが、振り返ることはなかった。


「……何を?」

「リースのこと……その、なんで、俺に……」

「あなたに全て話したのは、証明のためよ。隊長が何か迷っているように見えたら、隊員は不安になるでしょう」


 アリスはそのまま椅子に座ると、飲みかけの紅茶を再度持ち上げる。


「あと……、誰かに知っていて欲しかったのかも、知れないわ」


 視線を落とした先にある澄んだルビーの水面に映る顔は、自分が思っていたよりも弱々しいものだった。




 一方、夏の夜空の下、装甲車からほんの少し離れた暗がりでレイラは一人佇んでいた。

 右手に持ったか細いペンライトの光が照らすのは、手元の『紙片』。


 アリスが持っていたものと同じ大きさのそれは彼女のものとは少し違い、ロシア語で書かれ、その長さは数行に渡っている。


「……そういう、こと」


 ペンライトの明かりを頼りに全文をしっかりと読んだレイラは、ぼそりとこぼした。


 レイラが、ユーリイからの報告の場に呼ばれた理由。

 ユーリイの過去の行動。

 そして、なにより……自分がここにいるわけ。

 己がやるべきこと。させてはいけないこと。


 その全てを、理解できた。


 長々と書かれている最後の一文を、レイラは再度読み返す。


『この作戦の成否は、君にかかっている。君は『特別』だ。彼は、君が殺せ』


 この隊でレイラ以外にロシア語の文章を読めるものはほぼいない。真也が少しだけ読める程度。

 それでも、レイラは入念に紙片を破り、空へと放った。

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