171 発着場は混沌として(下)


 紫釉は、自分の口からこぼれ出た『化け物グァイゥー』という失言に、内心青ざめる。

 紫釉は作り笑いを浮かべたまま、多少強引に話をすり替えることにした。


「君は、日本人……日本支部かな?」

「はい。東雲学園の『デイブレイク』です」


 自分が中国支部であるのだから彼らは同じアジア圏の他国であろうとは分かる。

 それでも紫釉は日本支部かどうか確認したいという欲求を抑えられなかった。


 そして、同時に『もう一つ』試してみることにした。

 オーバードは共通概念会話によって多国語と言語を共有できる。

 しかし、先ほどの『化け物グァイゥー』の様に、咄嗟とっさに出た独り言は元の言葉のまま発されることがある。


「デイブレイク……『リィンミン』、か」


 と同時に、『意識的に』元言語を話すこともできるのだ。


「え? えーっと……」


 真也は言葉の意味が分からず、首を傾げた。


(どうやら、中国語は分からないようだな……)


 『黎明リィンミン』が分からない。であれば『化物グァイゥー』も分からないだろう。

 一般的な日本人の知る中国語は『你好ニーハォ』と『謝謝シエシエ』ぐらいのものだ。

 『黎明』は知らず『化物』は知っている。そんな偏った中国語の覚え方をしている日本人はいないだろう。


 真也の反応に紫釉はこっそりと胸を撫で下ろしながら、それを悟られぬように言葉を続ける。


「すまんな。元言語で聞こえたか? 黎明れいめい。夜明けの事だ」

「ああ! そうなんですか」

「いい部隊名だな」

「ありがとうございます」


 丁寧にお辞儀する真也に、紫釉は驚く。

 ハイエンド、しかも圧倒的な強さを持つであろうには、あまりにも『礼儀正しい』。

 中国支部にハイエンドはいないが、それでも強度の高いオーバードはそれに比例して高慢なものだ。


 紫釉の本質を見抜こうとする視線を受けた真也は、小さく首を傾げる。


「……?」


 真に強者はこうなのか、それとも、やはり鈴玉の目星が外れているのか。

 それとも、ただ単純によく分かっていないだけか。

 素人っぽい雰囲気のあるこの少年は、その可能性が強そうだ。


 いずれにしても、このまま首を傾げている真也を放置するわけにもいかない。

 紫釉は右手を差し出し、真也に握手を求めた。


「俺たちは中国、南翔士官学校の『天地乃剣』。隊長で特練兵長のシュウ紫釉シユだ、よろしく頼む」

「はい! よろしくお願いします!」


 笑顔で握手を返し、はきはきと明るい返事。


 鈴玉から化物だと聞かされていた分、肩透かしを食らった気分だった。

 真也の様子に紫釉同様安心したのか、万姫も真也へと手を伸ばし、自己紹介する。


「私は隊員で特練上等兵、ワン万姫ワンヂェンよ。よろしく。貴方は?」

「日本支部の特練二等兵、間宮真也です」

「間宮……二等兵だと?」

「二等兵、って……間宮さんは隊長さんではないの?」

「まさか! だって、二等兵ですから」


 強いイコール階級が高い、というわけではないが、ハイエンドは間違っても二等兵になど『なることすらない』だろう。


 現にイギリス支部の『道化師』は、学生でありながら『准尉』という階級にいる。

 16歳の准尉などあり得ないが、それを可能にしてしまうのがハイエンドという存在だ。


「隊長は九重先輩……えーっと、『映画監督ムービーメイカー』って二つ名の……」

「あ、ああ! 『映画監督』が隊長なのか」


 真也の言葉に紫釉は頷く。彼が隊長であるというなら、納得できる内容だった。

 『映画監督ムービーメイカー』。その名は中国にも届いている。

 中国支部も取り入れている『九重流』その家元であれば、ハイエンドであれども隊長の座を譲る……かもしれない。


「で、そちらの方は……もう大丈夫なんですか?」

「え?」


 悩む紫釉をよそに、真也は万姫の後ろへと視線を移す。急に視線を振られた万姫は驚いて後ろを振り向いた。


 そこには、目を細めて、体もしゅっと細くなった鈴玉の姿があった。


 体型は変わっていないが、肩をすぼめて横めに構えた彼女は、まるで天敵に会った時のフクロウのよう。

 鈴玉は真也から目を逸らしたまま、呟く。


「ワタシは木の枝デスよー。ほほー……」

「え?」

「ちょっと鈴玉!」


 万姫は鈴玉の肩を叩いた。

 叩かれた鈴玉は「ほぅっ!?」と悲鳴を上げ、恐怖の表情のまま、おずおずと万姫の後ろから自己紹介を始めた。


「り、鈴玉《リンユー》デス……よろしくネー……ほぅー……。

 木の枝みたいな、とるに足らない存在ですよー……。あ、あと、ハンカチありがとうございますー」

「い、いえ、どうも。李さん、ですか……」

「ごめんね。この子、ちょっと緊張してるのよ」


 万姫は彼女なりに最大限のフォローをしたが、真也は笑顔を引きつらせた。


(俺、なんかしたかな……いきなり見知らぬ男からハンカチを渡されて、困っちゃったか……?)


「あの、すいません。ハンカチ、捨ててもらってもいいので……」

「え? あ、いえ、捨てませんよー! そんな、大それたことー!」

「大それた?」

「家宝にするので許してくださいー……」

「いや、そんな」


 目に見えて混乱している鈴玉を落ち着ける様に、万姫が口を開く。


「鈴玉。彼、礼儀正しい人だから安心して、ね? というか、落ち着いて?」

「でもー。でもー、万姫。彼、見ると、ぐぉぇぁ! って感じでー……」

「ぐおえあ?」

「何でもないですー! ほほぉー!」

「うおっ」

「鈴玉、ちょっと何してるの!?」


 急に鈴玉に『威嚇』された真也は驚いてのけぞる。


 中国支部の代表としてこの場にいるにもかかわらず、あまりの取り乱し様に、紫釉はため息を吐いた。


「……騒がしい隊員たちですまん」

「い、いえ……俺の方こそ、なんか混乱させちゃったみたいで」


 恐縮し合う真也と紫釉の背後から、声がかかる。


「おい、『日本人ヤバニィー』。またナンパか?」

「サイード、さん……」


 真也に声をかけてきたのは、昨日娯楽室で出会ったタリフラスタンの特練兵、『サイード』だった。

 サイードは顔全面を覆う波型の意匠をより曲げて、怒りの混ざった笑顔を浮かべる。


「女のケツばっかり追いやがって。

 ……せっかく広い場所にいるんだ。どうだ、楽しいレクリエーションでもするか? ああ?」


 真也を挑発する様に、サイードは拳を打ち鳴らし、真也はそれに対し、静かにサイードを見つめ返した。


「ほぅっ!?」

「ちょっとぉ! 何言ってるのあんた!」


 静かに見つめ合う当の二人を置いて、鈴玉と万姫は悲鳴に似た声をあげる。


 勝手に喧嘩を始めるというのが非常識であるが、なによりもここで『化け物』級の異能を発現されて巻き込まれては敵わない。

 戦々恐々とする中国支部の面々とは相反して、サイードは眉間にシワを寄せる。


「あ? んだよアジア人。てめぇもこの日本人ヤバニィーのオンナなのか?」

「違うわよ! 問題を起こさないでほしいだけ! あまり勝手だと、貴方の隊の隊長に怒られるわよ!」

「俺だ」

「は?」


 万姫は固まる。何かいま、聞いてはいけない言葉を聞いた気がした。

 この乱暴で、粗野で、自分が何に喧嘩を売っているのか分かっていない馬鹿を、颯爽とタリフラスタンの部隊長が連れて帰ってくれるはず。


「俺が、タリフラスタン部隊『ブルカーン』の隊長、サーディク・イブン=サイードだ」


 サイードの二度目の発言で、万姫の希望は断たれた。

 横でプルプルと震えていた鈴玉も、静かに一筋の涙を流す。


「あー……終わったよー。

 せめてー、避難するまで喧嘩待ってもらえませんかー……ほぅー……」


 サイードは体躯を折り曲げ、わざと真也と目線を合わせる。


「で、どうする。やんのか? やらねぇのか? あ?」


 凶暴な瞳だったが、真也は一切引かず、その瞳を見つめ返す。

 昔であれば、怒ったかもしれない。怖がったかもしれない。


 しかし、今の真也は、はっきりと自分の意思を伝えることができた。


「サイード隊長、隊員同士の私闘は厳禁です。お断りします。

 俺たちの力は、『そういうこと』に使うものじゃありません」

「……ハッ、やっぱアジア人は軟弱だな。お前らみたいな『鳥籠野郎』が同じ隊ってだけで虫唾が走るぜ」


 冷静な言葉にサイードはつまらなさそうに姿勢を戻すと、苦虫を噛み潰した様な顔で吐き捨てた。


「俺の隊員に、何用だ」


 限界からは遠のいたとはいえ、未だ続く一触即発の空気を割って、光一が合流する。

 サイードは光一の『雰囲気』に押され、少しだけ真也から離れた。


「ふん。ただの『懇親会』だ」

「それは結成式の後に予定されている。それまで待て」


 光一は眼鏡をかちゃりと持ち上げると、静かに、言葉を続ける。


「楽しい懇親会を、日本支部として盛り上げてやる」


 光一の言葉の意味を理解したサイードは、再び笑顔を作った。


「はっ! 隊長さん、話が分かるな。じゃあな、『女たらし』」


 離れていくサイードの背に、鈴玉は弱々しく言葉を投げかける。


「ほほぅー……勘弁してぇ……」


 場が落ち着いた様子に、光一は中国支部の面々へと小さく頭を下げる。


「なにやら怯えさせてしまった様ですまないな」

「いえ、『ああいう手合い』に絡まれるのは、それこそ野良犬に手を噛まれる様なものです。お互い様かと」

「そういっていただけると、助かる。しかし、俺が言いたかったのは——」


 光一は、紫釉から視線を外し、鈴玉へと向き直す。


「君の『目』に、対してでもあったのだがな」


 紫釉は光一が鈴玉の異能のことに感づいていることに驚き、額に手を当てた。


「……それこそ、お気になさらず」

「ほぅー……もう勝手に『視』ないのでー。勘弁してくださいー……」


 どこまでも萎縮する鈴玉と、未だよく状況が分かっていない真也。

 彼らの耳を、スピーカーからの声が打つ。


『整列してください。まもなくアンノウン結成式と、第一号作戦初期全体ブリーフィングを開始します』


 その言葉に、真也も、また周りの部隊員たちも、無意識に背筋が伸びた。

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