157 その日、日本では


 世界中が混乱する中、日本では――


「避難してください! シェルターへの通路はこっちです!」


 先ほどまで子供たちの笑い声であふれていたウィズリーキャッスルは、一転叫び声と怒号が飛び交う阿鼻叫喚の場と化す。

 宇宙から降下してきた殻獣たちの一部は既に地上へと辿り着き、至る所で戦端が開かれていたのだ。


 親とはぐれたのであろう幼い兄弟が道に座り込み、恐怖から震える。

 逃げ惑う人々は、誰一人として彼らを気に止めることすらない。


 バンが発生した時の手順は明確化されていたものの、全ての営巣地が管理されている日本では『殻獣災害発生時における心構え』の共有度は薄い。

 南宿バンを経たことで多少は改善されていたものの、それは『多少』でしかなく、その結果が如実に現れた混乱状態だった。


「こっちに! さあ! 走って!」


 右往左往する子供たちを見かけた直樹は大声を張り上げながら、腕を振って手招きする。

 叫ぶ直樹の服には、緑色の体液がベットリと付着していた。

 直樹はテーマパークに設置されたシェルターに保管されていた武装の片手剣を手に、やってくる殻獣を切り捨てては避難誘導を進めていたのだ。


 直樹に気づいた子供たちは、一心不乱にシェルターを目指して走り出し、直樹は彼らの行動に笑顔を浮かべて頷く。


(そう、その調子――)

「いやぁぁぁあ!」


 直樹がほっとしたのも束の間、喧騒の中でも一際目立つ女性の悲鳴が上がる。


 驚いて直樹が振り向くと、その先には中型――といっても、3メートルはあろうかという――甲虫型の殻獣が、女性に向け、本来の甲虫が持つはずもない人間の身の丈ほどの前腕を振り上げていた。

 悲鳴を上げた女性は転んでしまったのか地面にへたり込んでおり、ずりずりと地を這って逃げようとはしているものの、女性の運命は誰が見ても明白だった。


「くそっ!」


 『遠距離攻撃』を持たない直樹は自分の異能に歯噛みしつつも、それでも武装を構えて全力で走り出す。

 自分の異能の範囲内にさえ収められれば、異能の盾で女性を守ることができる。


 しかし、自分の異能の範囲を知る直樹は同時に理解する。女性までの距離は絶望的なものだった。


(間に合わない!)


 直樹が残酷な現実を予感し、それでも必死に腕を伸ばす中、一瞬、視界の端に『黒い風』が映る。


 次の瞬間、殻獣の腕が弾け飛んだ。


「なにッ!?」


 直樹は驚きながら、それでも速度を落とさずに女性の元へと駆け寄り、腕が吹き飛ばされたことに混乱する殻獣の脳天へと片手剣を突き込む。

 ぐじゅり、と頭部が潰れる音と手応えを感じながら、片手剣を更にぐるりと半回転させ、深くねじ込んだ。


 脳を破壊された甲虫型殻獣は体をびくりと奮わせると、横倒しにその巨体を倒す。


 緑色の体液がぼたぼたと身を汚す中、女性はあまりの出来事に悲鳴を上げることもせず、呆然としていた。 


「え、な、なにが……起きたの……?」

「分からない、でも助かったんだ! さあ、早く避難を!」

「そ、そうね! あ、ありがとう! あ、あの、本当に……」

「礼なんかいいから! はやく逃げて! まだどこに殻獣がいるか分からないんだ!」


 直樹の必死の形相に、女性は自分の置かれた状況を思い出し、大急ぎで立ち上がる。


「あの入り口にいる兄弟を頼みます!」

「は、はい!」


 女性は直樹の指し示す先のシェルターへと走り出し、子供達を連れてシェルターの中へと消えていく。

 直樹は彼女達を見送ると、自分の目の前で起きた『謎の破壊』に首を傾げる。

 片手剣に付着した体液を振り払い、殻獣の『粉々に破壊された前腕』を見つめた。


「さっきのは何だったんだ……?」


 殻獣の前腕の破壊痕は物理的なものに思えた。しかし直樹の目撃した『黒い風』がこの破壊をもたらしたのだとして、直樹にそのような異能の心当たりはなかった。


「いや、それは後か……今はとにかく、避難を進めないと……」

「葛城クン!」


 思考をリセットし、振り返った直樹のもとに走ってきたのは、姫梨。

 最初、直樹と姫梨は一緒に行動していたが、バン発生の一報と共に直樹は避難をすすめ、姫梨は本部への連絡と他のクラスメイト達との情報共有を進めていた。


「桐津! どうだった?」

「うん、オーシャンの方でも皆で避難進めてるってぇ! あと、キャッスル側のシェルターのビーコンや環境機器の起動は終わったよぉ」

「分かった。向こうのほうが人員は多いだろうから……こっちの方がより気張らないとな」

「ここの避難は?」


 姫梨の言葉に、直樹は周りを見渡す。

 見える限りの中では避難は完了しているように思われた。


「おそらく完了だろう。もう少し待ってからシェルター入口を施錠する。そしたら次に行こう」

「うん。そうだねぇ」


 姫梨は力強く頷き、そして思い出したように手をポンと叩く。


「そういえば、本部に報告したら、援軍も来てくれるって言ってたよぉ」

「援軍、か……前ほどの援軍ならありがたいけどなぁ」


 前ほどの援軍。それは、合宿の際の突発バンで彼らを救った援軍。たった一人で――正確には一人と一体で――全員を救った男。


「あはは、そう思いたくなるのはわかるよぉ。でも、『トイボックス』は今アメリカでしょ?」

「だな。援軍到着予定は?」

「『すぐ』としか」

「また、そういう抽象的な連絡を……」


 直樹はため息をつきながら、ふと思い出す。

 たしか姫梨の異能は『遠距離攻撃』だ。さっきの殻獣撃破は彼女の手によるものなのだろうか。


「そういえば、桐津……さっきなんだけど――」


「ねえ。あれ、なに……?」


 しかし、姫梨は直樹の質問を遮る。

 姫梨の視線の先を直樹が追うと、見たこともない光景が広がっていた。


 見たこともないような大きさの殻獣と、その上に立つ『緑色の人間』。

 そして、その殻獣が引き連れる、雲ひとつない青い空を汚す黒いまだら模様。


 それは、空を埋め尽くす殻獣の群れだった。


 背景が夜空ではなく晴天であるせいか、それとも実際その通りなのか、過去、ロシアの営巣地で遭遇したバンの群れの倍近くはあろうかという大群。


 しかし直樹も姫梨も、そんな大群より先頭の存在から目が離せなかった。


「アレ、絶対……ヤバい、よね……」

「あ、ああ」


 遥か遠くにいるにもかかわらず、その表情を読み取ることができない距離にもかかわらず、その『人型の何か』は自分たちに対して残忍な笑顔を浮かべていると幻視してしまう。


 『緑色の人間らしきもの』が何なのか全く知らない特別訓練兵の彼らでも、『それ』が明かに危険なものであると本能的に理解できた。オーバードとして、『免疫機能』として、かの生物に対して本能が警鐘を鳴らし、体の底が、震え上がる。


「あれ、『人間』か……?」

「いや、でも……もしかして、人間の姿をした殻獣……とか?」

「そんなわけ……」


 直樹は姫梨の言葉を否定しようとするが、しかし、その殻獣の姿と大型の殻獣の上に座る様子から、姫梨の言葉をまるっきり否定することもできなかった。


 直樹と姫梨が見つめる中、緑色の人間は愉快そうに腕を上げ、そして振り下ろす。


 それを合図にして殻獣の大群が次々と天から降り注ぎ始めた。


 見たまま、誰でも理解できるような、『攻撃開始』。


 直樹も姫梨も驚きから声を上げる。


「あいつ、殻獣に指示を出した!? まずい! まだ避難が終わってないってのに!」

「対空迎撃網は!? ……さっき、報告したのにぃ! あんな数、無理だよぉ!」


 普段授業で習っていた『対空網』は、ここへと落ちてくる虫を、ただの一匹も『迎撃しない』。

 直樹はその現実に一つの予想を立て、表情が歪む。


 現在、日本各地での状態については情報が錯綜し、正確な状況は把握できていない。

 しかし、もしもバンが新東都中……日本中で起きているのであれば、『娯楽施設ここ』の優先度など、低くて当たり前だ。

 『政治的急所』『軍事施設』『インフラ関連施設』『住宅街』。他に対空網が守らなければいけない場所など、いくらでも思い浮かぶ。


「……多分、『他を守ってる』んだ。くそッ……!」


 そう理解できても、それでも、今まさに目の前に広がる光景は直樹の心を砕きそうになる。


 この光景は、自分たちに残された時間がほぼゼロということを表しており、自分たちが戦うべき殻獣の数がほぼ100ということでもあったのだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る