158 合流?


 ウィズリーキャッスルで起きていた混乱は、ウィズリーオーシャンでも同様に進んでいた。


 上空空高くから翅を持つ殻獣がテーマパークに降り注ぎ、轟音を上げる。落下の衝撃で色とりどりのタイルが割れ、華やかな建築物が砕け、あちらこちらで『ギリギリ』と鳴き声が響き、恐怖の悲鳴が上がる。


「うわぁぁぁあ!」


 夏休みで行楽に来ていたのであろう、高校生くらいの青年が一際大きな悲鳴を上げて走る。


 その真後ろには、複数の中型殻獣たち。

 『大声を出し、目立つ存在は殻獣に狙われやすい』。小学校で習うような、避難時の『ダメな模範解答』を体現しながらの逃走劇。


 心構えがあったとしても、それでも、異臭を放ちテラテラと鈍く光る巨大な虫に囲まれれば……その巨躯が迫ってくれば恐怖心からこのような行動をとってしまうのは責められない。


 責められないが、同時に救えない行動でもあった。


 青年は地面に転がる瓦礫に足をとられ、派手に転ぶ。前のめりに地面に叩きつけられ、追いかけっこの終わりを見た殻獣たちは咆哮を上げる。

 青年は逃げるため急ぎ上体を起こすが、走り出す前に、本能的に振り返ってしまった。


 振り返った先には、六角形を張り合わせた大きな複眼。

 青年は、殻獣の巨大すぎる複眼に映る、大量の自分と目が合った。


 もう、逃げようなどという気は起きなかった。


 殻獣の上げる、小さな『ギギギギ』という音は、まるで舌舐めずりのようにねちっこく青年の鼓膜を打つ。


「あ、ああ……、た、たす、たすけ……」


 もうダメだ、と青年は目を瞑る。同時に、骨に響くような大きな音が複数回鳴り響く。が、彼の体に衝撃は訪れなかった。

 代わりに彼に降り注いだのは、大量の、粘る生暖かい液体。


「え、え、え……あ、く、くさい……ぞ?」


 青年は混乱から、率直な感想を述べる。

 そのまま目を開き、当たりを見渡すと、先ほどまで自分を追いかけていた殻獣たちの死骸が目に飛び込んできた。


「たすか、った……? 俺、助かった!?」


 興奮気味に声を荒げる青年の視界に、いつの間にか可憐な少女の姿があった。


 スポーティーで可愛らしい装いに反し、手には手斧が握られている。可愛らしいウサギの耳は、エボルブドオーバードであるという証。

 緑色の殻獣の体液が未だ滴る手斧は、青年に自分の命の恩人を教えてくれた。


「き、君が助けてくれたのか!?」


 目の前の『少女』は青年にとって『天使』に見えたが、そんな天使から出る言葉は、辛辣だった。


「静かに。なに、さっきからギャーギャーと。君死にたいの? ま、どうでもいいけど」

「え……あ、すいません」

「さっさと逃げて。シェルターは向こう」


 ぶっきらぼうな言葉だったが、整った顔立ちに、凛とした表情に、静かに青年を貫く赤い瞳に、彼の心は鷲掴みにされていた。


「あ、ありがとう。あの、俺……」

「走れ。ここからシェルターまでの虫どもは駆除した。でも、いつまた降って来るかわからない。安全なうちに行け」

「あ、ああ! ありがとう!」


 走り出した青年を見送った伊織は、大きくため息をつく。

 そして、その姿が見えなくなった段階で、ぐしゃぐしゃと頭を掻いて叫ぶ。


「あー……最悪。ほんっと最悪!」


 人命救助が最優先とはいえ、感謝と同時に『明らかに勘違いを伴った好意』を向けられるのは、伊織にとって苛立つものだった。


「またか。あーもう!」


 叫ぶ伊織の耳に、遠方からの戦闘音が届く。

 至る所から殻獣の出す音が聞こえるが、いちいち潰していてはキリがないため、殻獣と人、その双方がいるところを優先的に回っていた。


 苛立ちとともに伊織はテーマパークを走り抜ける。しかし、『彼』の苛立ちの原因は、それだけではなかった。


「喜多見さんも見つからないし! 間宮もいないし! せっかくお洒落したってのに! もうこの服着れないし! この液、くっせーんだよ! くそ虫どもがッ!」


 がるがると鳴き声が聞こえるような罵倒を溢しながら、伊織の目は次なる『ストレス発散の対象』を捕らえた。


「ぐぉうるぁぁぁぁッ! 3万円とレディースの店に行った羞恥心を返せぇ!!!!」


 一閃。


 ……というには、余りにも汚らしい掛け声だったが、それでも伊織の持つ手斧は殻獣の息の根を一太刀で止める。


「ふんっ!」


 伊織は自分よりも一回りも二回りも大きな殻獣の死骸を蹴り飛ばし、端に寄せた。

 避難のために通路を確保することは大切であると授業で習うが、どちらかというと個人的感情の強い蹴りだった。


「れ、レディース?」


 急に、伊織の耳に聞いたことのある声が飛び込んでくる。


「駿河だったのか」


 ちょうど殻獣との戦闘中だった凱は、急な戦闘終了と伊織の襲来に驚いていた。

 凱たちAクラスの男子4人組も避難誘導を進めており、ありえるバッティングだったが伊織は自分の不運さにため息をつく。

 レディースの服を買いに行ったとバレるのは不愉快極まりない。


「いま、押切、レディースって……」

「なんでもない。駿河、さっき聞こえたことは幻聴だったよな?」

「いやでも……」


 反射的に伊織の言葉に異を唱えた凱に、伊織は詰め寄る。


「殻獣災害の時に戦死する国疫軍人の要因、0.16%、何か知ってるか?」

「なんでもない」


 伊織の言葉に、凱は顔を少し青くして黙る。

 婉曲な言葉だったが、一流校の生徒であれば誰でもその意味は一瞬で思い浮かぶ。


 『殻獣災害の時に戦死する国疫軍人の要因、0.16%』。それは、『味方による不本意な攻撃フレンドリーファイア』だった。


「押切!」


 脅しによって凱の口封じを終えた伊織のもとに、さらに合流する人物があった。


 それは、動きやすさを重視したのか、朝に着ていたチュニックを脱ぎ捨てたキャミソール姿のレイラだった。

 手に持った杭は真新しいが、それは都度レイラが新しい武器を作り出せるマテリアル異能者だからこそ。


 レイラの大きく晒された肩や腕に男子陣の視線が吸い込まれ、伊織は一つ咳払いをする。

 気恥ずかしそうに視線を逸らしたクラスメイトたちの様子に気がついていないのか、レイラは周囲を見渡す。


「ここの、進捗は?」


 レイラの言葉に、伊織は耳をピンと立てて周囲の音を拾う。未だ大空を覆う殻獣たちの数と比べるのであれば、地面に降り立った殻獣たちの発する音は、比較的少ない。


「シェルター近辺はだいたい駆除できてるはず。でも、次から次だ。これで襲撃が終わりとも思えないし、上にもまだまだいるだろうな」

「……そうね」


 レイラは短く返事すると、気もそぞろに、伊織や凱たちに質問する。


「真也は? 見なかった?」

「ボクは見てない。電波も、民間のは繋がらないから連絡の取りようがないし」

「間宮かぁ。こうなる前、向こうの方に歩いて行ったのは見たけど……」

「そう……」


 真也の状況が把握できない。

 その事実に、レイラは少しだけ眉を寄せた。


「みんな!」


 真也の行方を思案する彼女らのもとに、当の本人が走ってくる。

 服装は他のクラスメイトたち度同様に、何度かの戦闘を経たと思しき格好だった。


「お、間宮か! おーい! こっちだ!」


 凱が大きく手を振り、真也は小走りに彼らのもとへ向かう。


「駿河、避難は進んでる?」

「ああ、一応な。このエリアはだいたい終わったよ」

「そっか、よかった」


 凱の言葉に胸を撫で下ろす真也は、伊織とレイラの方へと振り向く。


「レイラも、伊織も、遅れてごめん。さ、避難進めよう」


 やる気充分な真也と目が合ったレイラは何か言おうと一瞬口を開いたが、そのまま首を傾げる。


「……真也?」

「なに? レイラ」

「……なんでも、ない。ここの避難は、駿河たち、任せて、いい?」

「え? うん」


 凱の返事を受け、レイラは真也の腕を掴む。


「私たちは、北側、回る、から」

「れ、レイラ?」


 急にレイラに腕を掴まれた真也は少し顔を赤らめたが、徐々にその力は強くなる。

 『離す気はない』と言わんばかりに掴んだ手に力がこもり、真也は痛みから少しだけ表情を歪めた。


「ボクも行く。駿河、ここは頼んだ」


 そんな二人の様子に、伊織も声を上げる。その表情は怒っているというよりも、真剣なもの。

 間髪入れずに返事をする伊織に驚きながらも凱は再度頷いて、3人を見送った。




 凱たちの元を離れ、普段のウィズリーオーシャンでは考えられないほど、ひとけのないエリアに3人はたどり着く。


「ね、ねえ、レイラ。ここに何かあるの?」


 レイラに腕を引かれるまま歩いていたものの、避難を進めなければ、と考えていた真也が声をあげた。


 レイラは周囲に人がいないことを確認すると真也の腕からスッと手を離し、少し距離を置く。

 そして、一挙手一投足を見逃さぬと言わんばかりに強い視線を投げかけた。


「貴方は、誰?」


 急になにを言い出すのか、と真也はたじろぐ。

 真也を見つめるレイラの瞳からは、感情を読み取ることはできなかった。


「えっと……どしたの? レイラ」

「そういうのいいから」


 混乱する真也に、伊織も同様に鋭い視線と言葉を突き刺す。

 急に二人から睨まれた真也は数歩、後ずさった。


「なんだよ、伊織まで」

「ボクを名前で呼ぶな。殺すぞ」


 伊織は心底不愉快と言わんばかりに、真也へと手斧を向ける。


 急に剣呑な反応を見せる二人に、『真也』は観念したようにため息をついた。


「……ここまですぐ分かるものなのですね。模倣率は98.2%はあったのですが」


 呟く『何者か』に、レイラは静かに言い放つ。


「全然、違う」

「で、お前は誰だ」


 レイラに続いての伊織の質問に、青年は真剣な表情を伴って口を開く。


「私は、『マスター』によって作られたアンドロイドです」

「喜多見に?」

「はい。名前は『ナイト』と言います。間宮真也さんの姿を模した、『トム』のような存在だと思ってもらえれば問題ありません」


 真也の姿を模したアンドロイド。

 凱や他のクラスメイトたちが完全に騙されたように、その姿は真也と瓜二つだった。

 それにも関わらず、レイラと伊織に一瞬で見破られたナイトはばつが悪そうに頭を掻く。その動きも、真也そっくりだった。


 伊織はそんな『偽物』の動きに眉をしかめる。


「喜多見はどこにいるんだ? 間宮も一緒なのか?」

「はい」

「どこ?」

「それは……言えません。そんな上で申し訳ないのですが、お願いがあります」


 ナイトの提案に、伊織は鼻を鳴らす。


「虫がいい話だな」

「ごめん」


 伊織の言葉に、ナイトは『困ったような笑顔』を作った。


「……その顔を今すぐ止めろ。粉々にするぞ機械風情が」


 感情を持たぬはずのナイトの背筋が凍るような一言。

 言葉を発さなかったものの、レイラからも同様の雰囲気を感じ取った彼は急ぎ表情を戻す。


「申し訳ない。……で、お願いなのですが、私を間宮真也さんの代わりに作戦行動に組み込んでいただきたく。

 どちらか付き合っていただけますか?」


 ナイトを『間宮真也』として避難活動に従事させる。

 その意図がわからず、レイラは首を傾げる。


「なぜ?」

「本人の代わりになるためです」

「代わり? 真也に、なにか、あったの?」


 レイラはそんな予想を立て、ナイトへと詰め寄る。

 杭を掴むレイラの手に少し力が入ったのをナイトは感じ取り、慌てて弁解する。


「詳細は話せませんが、間宮真也さんに何かあったわけではありません。

 それに……間も無く意味はわかるかと」

「どうだか」


 敵意を隠さず、伊織が噛みつく。ナイトはそんな伊織に対し、丁寧に言葉を重ねる。


「そこは信じてもらうほかありません。マスターも私も、あなた方と、そして他でもない間宮真也さんの『仲間』ですよ」


 ナイトの言葉を受け、レイラは静かに息を吐き出す。


「……ここで、問答していても、仕方ない」


 レイラと伊織の視線が交差する。


「私は、真也のところに、向かう」「言っとくけど、ボクはやだ」


 さらに、二人の声も重なった。

 お互いがお互いにナイトを押し付ける方法を模索する、一瞬の沈黙が空間を包む。


「……こうしている時間がもったいない。少し進んだ先にもシェルターがある。そこで適当に放り出すってのはどう?」


 伊織の提案に、レイラは頷く。お互い、考えている時間が何よりも勿体無いと結論付けたのだった。


「それが、いい。シェルター、武装もある」

「ああ。それで殻獣を散らしながら避難誘導でもしてりゃいいだろ?」

「機械。それで、いい?」

「ナイト、です。それでいいと思います」

「よし、2人でさっさとこのポンコツを持っていこう」

「……これは手厳しい」


 一応の合意が取れた二人と一体は、シェルターに向けて走り出す。

 災害中とはいえ移動速度は相当のものであり、彼女と彼の内心をよく表したものだった。


 走りながら、伊織はレイラに質問する。


「ちなみに、レオノワ、なんでこいつが間宮じゃないって分かったんだ?」

「え、なんで、って……押切も、分かった、って」

「いや、念のためな」


 伊織はナイトから発せられる超微細なモーター音と、話す際の言葉の違和感で気がつくことができた。

 しかし、それは自分のもつ『異能』によるもの。


 そういった『特殊能力』のないレイラが真也とナイトの差に気がついたのは、伊織としては驚きだった。


 そんな伊織の驚きを知らぬレイラは特に悩むことなくするりと返答する。


「顔が違う。仕草が違う。喋り方が違う。……でしょ?」

「……そっか。レオノワ『も』分かるか」

「うん」

「なるほど、改善に役立てさせていただきます」


 ナイトはレイラの指摘に舌を巻き、伊織は少しだけ黒い感情が揺らめくのを感じた。

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