156 その日、世界では


 全世界で同時に発生した『宇宙からの殻獣災害バン』。


 それは、100年振りの大事件。


 『一度目』を実際に知る人間はほぼ皆すでに墓の下であり、再びというよりも、文献上の伝説を現実に受けたような規格外の衝撃が世界を包んだ。




 世界で起きているバンの情報はスイスにある国際防疫異能者連盟本部へと集約され、各国各支部からの報告に情報官たちは忙しなく動き回り、怒号を飛び交わす。


「続報! アメリカはワシントンD.Cの他、ニューヨーク、デンバー、レキシントンで発生!」

「西海岸側は!」

「報告はありませんが、モントレーとは連絡が取れていないそうです!」

「モントレーに関しては最悪を考えろ! メキシコやペルー、エクアドルから西側の情報抽出急げ!」

「はい! つ、続きまして中東の情報読み上げます!」


 本部の情報局は天地をひっくり返したような混乱に支配されており、情報が集まれば集まるほど彼らは顔を青ざめさせていった。


 今までの常識であった『一度営巣し、巣が破壊された地域には再営巣しない』という性質を完全に無視しただけでなく、世界各国の『主要都市』に集中しての殻獣災害。


「現在、人型殻獣はアメリカ、日本、中国、ルーマニアに出現! 精査は必要ですがインドとイタリア、オーストラリアでも同様の目撃情報あり!」


 場所に応じては新種『人型殻獣』が現れており、この災害は殻獣の本能による『営巣行動』ではないと想像するに難くない。


 明確な知性を持った『攻撃作戦』。


 殻獣との戦いが全く別の次元に移り変わろうとしている。

 国疫軍の本部に勤めるような精鋭たちであれば、すぐさまその結論に至る。しかし、それを理解するのは難しかった。


 理解することを否定したいという、藁にもすがる思いを抱かずにはいられない。


 これまでの常識が崩れ、知性を持ち、同時強襲などという戦術を使用する殻獣との『戦争』が始まる。

 しかも、各国が『管理された営巣地敵の前線基地』を国内に持っている状態での『戦争』。


 若い情報局員は共有されたチェックマーク災害地だらけの世界地図を前に、目を見開きながらゆっくりと首を振る。


「こんな……こんな状況は……」


 こんな状況は、悪夢という他に、ない。 




 午前4時のイギリスではエボルブドの少女がため息をつきながら殺風景な長い廊下を進んでいた。


 早足に歩く彼女は廊下を進みながらオーバードスーツのファスナーを閉めると、慣れた手つきで装備の各部ベルトの点検を済ませる。

 そして最後に、少女は首の後ろに手を回して長くうねった赤毛を服の中から追い出し、いつもの癖で赤毛の上にぴょこんと乗った小さな耳を手で揉んだ。


「ああ、ほんと最悪。この国には愚図しかいないの?」


 装備の着用を終えた少女は胸の前で拳を手のひらに打ち付け、苛立ちを隠さずに毒を吐く。

 それでも少女は足を止めることはなく、歩くたびに左右に揺れる『大きな尻尾』は、怒りからいつもの倍に膨らんでいた。


「レディに対してこんな時間に呼び出しなんて方面軍は気でも狂ったの?」

「わ、私もそう思うよ。でも、緊急事態なんだ。そんな怒らないで、ね?」


 声を荒げる少女を、スーツ姿の中年男性、ヒューイが必死になだめながら追いかける。

 中年がティーンエイジャーの後ろでご機嫌をとり続ける姿は滑稽を通り越して心が痛む光景であるが、それが彼の仕事なのだから、仕方がない。


「朝のティータイムはまたお預け!? 最悪ね! どうにかしてよヒューイ!」

「む、むこうで少しでも時間が取れれば、準備させるから。なんとか機嫌を戻してくれないかい、アリス?」


 アリス、と呼ばれた少女は「ハン!」と鼻で笑いながら通路を進んでいく。

 彼女こそイギリス支部に所属する『世界唯一の特練オーバード』、アリス・オルコット特別訓練准尉。ヒューイの仕事は、彼女の予定を把握し各方面と連絡を取り合う『専属エージェント』。


「現場で紅茶を飲めって!? そんなのティータイムじゃないわ! ヒューイ、貴方も愚図ね!」


 災害現場で紅茶をというのはいささか無理があるものの、なんとか絞り出したヒューイの出した案にすらアリスは噛みつく。


「いい!? 今週は3日しか朝のティータイムを取れていないの! こんなの、英国淑女の生活じゃない!」

「……アリス、この前欲しがっていたインド産の茶葉、昨日の夜届いたんだ。それを持っていこう。

 私が淹れるから。スコーンもギモーヴも君の好きなやつを用意する。どうだい?」


 ヒューイの提案に、いままで止まらなかったアリスの歩みが一瞬だけ止まる。


「そう。なら……まあいいわ。

 さっさと終わらせましょう。それは後回しね。アフタヌーンティーまでにはロンドンを救うわよ。『道化師クラウンは大衆のために』。でしょ?」

「そう、そうだよ! 流石! よく分かってるね『アリス准尉』!」


 怒りながらも、自分の仕事である『民衆を救う』ことを忘れないアリスに、ヒューイは感銘を受け首を縦に振る。

 我がままな女の子だが、それでも『特別訓練准尉』という役職に違わぬその理念に、彼の目頭が熱くなった。


 しかし、そんなヒューイを一瞥もせず、アリスはため息と共に吐き捨てる。


「こんなことなら『宮廷道化師ジェスター』って名前にしておけばよかったわ。愚図の相手はもう懲り懲り」

「アリスぅ! 頼むから――」

「ヒューイ、もうすぐヘリポートよ。黙ってて」


 アリスの言葉と、通路の終わりはほぼ同時だった。


 びゅう、と強い風が吹き、アリスの大きなリスの尻尾がたなびく。


 眼前に広がるヘリポートには彼女を災害現場へと運ぶための軍用ヘリが待機しており、ライトが昼と見まごうほどに周囲を照らしていた。


「アリス、マスコミだ」

「ヒューイ『さん』。分かってますわ」


 廊下を出た瞬間、アリスの纏う雰囲気は一変した。先ほどまでのわがままも怒りも元からなかったかのように引っ込み、胸を張って堂々とヘリポートに歩を進めた。


「『道化師クラウン』だ!」「オルコット准尉! 一言ください!」「ロンドンへ向かわれるとのことですが、意気込みを!」


 午前4時という時間にもかかわらず、大勢の報道陣がアリスから一言もらおうとヘリポートへと集まり、アリスの歩みを邪魔しないギリギリまで詰め寄る。

 アリスがヘリまでの足を止めることはなかったが、彼女は先ほどとは打って変わった声色で、報道陣に語りかける。


「皆さん、ご機嫌よう。不安を懐く皆さんを励ませるのであれば、私は皆さんとお話をしたいのですけれど……今は、一刻もはやく、戦っている戦友たちのもとへ向かいます。

 この『道化師クラウン』がいる限り、イングランドが脅かされることなど有り得ませんわ!」


 アリスの力強い言葉に報道陣はシャッターを切り、テレビカメラを向け、その一台に向かってアリスは振り返った。

 わざとらしく一度真剣な表情を作り、胸に手を当ててメッセージを伝える。


「国民の皆様、シェルターをお持ちの方は避難し、お持ちでない方は近くの公共シェルターか地下室へ。国疫軍人だと名乗る者が現れても、絶対にバングルの起動を求めてください。

 必ず私共が殻獣を排除します。皆さんは、今しばらく身を守ってください。お願いします」


 模範的な国疫軍人らしい受け答え。避難の際の手順を伝え、人民を安心させる彼女の言葉。

 報道陣は『学生でありながらも、国疫軍人の鑑』たるアリスに感嘆の声を漏らし、優雅に力強く進む彼女がヘリに乗り込むまでの間、熱烈な視線を投げかけ続けた。


 アリスの後に続くヒューイは報道陣に「後日時間をお作りしますので」と短く伝えるとヘリに乗り込み、ドアを閉めた。


 プロペラが音をたて始め、報道陣は後ろへと退避する。

 ヘリが上がってもなおカメラをアリスへと向ける報道陣が豆のように小さくなり、アリスは手を振るのをやめてベルトを体に装着しながら小さく頭を振る。


「はぁ……ほんと嫌。みんなみんな、愚図ばっかり」


 アリスの呟きはヘリの音にかき消され、同乗する誰にも聞こえなかった。




 未だ8月3日の20時であるアラスカでは、ボロボロのコートを着た少年少女たちが森の中で休憩を取っていた。


 アラスカがアメリカの一部として受け入れられていたのは『100年前』まで。

 いまも『一応』アメリカの領土であるが、その実アラスカは殻獣の巣が蔓延し、人が踏み入ることの叶わない不毛の地だった。そんなアラスカの殻獣との戦いの最前線、アンカレッジ。

 配属辞令を受ければ大の大人も涙する人類圏の最前線『アンカレッジ基地――別名、終点駅』近郊の森。


 それが、彼らが『休憩』を取っている森だった。


「おいおい、同時多発バンだってよ、くぅーっ!」


 短く切り揃えられた金髪の乗った頭を振り回しながら、一人の少年が端末を見つめて興奮気味に大声を出す。

 彼の着ているコートがバサリバサリと音を鳴らし、土埃が舞った。


 木の幹にもたれかかり休憩を取っていた一人の少女が土埃に眉をひそめ、自分の横に置いてあった鞄にかかった土埃を払い除けて低い声を放つ。


「ねえ、コナー。じっとして」

「ああ、すまねぇな! シアーシャ」


 金髪の彼をコナーと呼んだ少女は大きなニット帽を被り、口元どころか鼻までをすっぽりと隠す大きなコートを羽織っていた。

 唯一露出した瞳は訝しげにコナーを見つめている。


「それで……多発バンって、嘘でしょ?」

「いやいや、本当だってシアーシャ。みろこのネットニュース! D.Cでは結成式典にドーン、だそうだぜ! ひゃー! こえーな、おい!」


 コナーが差し出した端末に表示されたニュースを流し読みしたシアーシャは、大きくため息をつく。


「そうなの……。私はとうとうあんたが壊れたのかと思った」

「ひっでーなおい! まあ、壊れてたほうがマシかもしんねぇけどな! こんなん、まじやべーだろ!」


 シアーシャのきつい言葉すら笑い飛ばし、大興奮のコナー。それ引き換え、シアーシャも、また、近くで休憩を取る他の少年少女も反応は薄かった。

 あまりにも誰も反応を返さず、そのせいでずっとうるさいコナーを黙らせるため、シアーシャは嫌々ながら彼の言葉に同意する。


「……やってらんないわね」

「ホントだよな! おいイアン! 同時多発バンだってよ! 世界中が、もう、ぐわー! だぜ!」


 コナーは興奮のまま、イアンと呼びかけながら木の上を見る。

 そこには、木の幹にもたれかかり、太い枝の上に座る少年がいた。

 色素の薄い肌と、鈍色の瞳。ぼさぼさの茶髪の上では同じ茶色の尖った動物の耳がピンと立っていた。


「……へぇ」


 イアンと呼ばれた彼は、視線をやることもなく、興味なさそうに呟いた。


「おーい、反応悪いぜ兄弟!」

「いままでと何が変わるのさ」


 イアンの吐き捨てるような言葉にコナーは一瞬目を丸くして、それから声を上げて笑った。


「ははは! ちげぇねえ! 俺らの生活は何も変わんねえか!」

「ま、1日の小休憩は2回になるだろうけどね。明日に限っては無いかも」


 イアンの言葉に、今度はシアーシャが反応する。


「嘘でしょイアン、それは死活問題じゃん。生活変わってる」

「シアーシャ。こんなつまんない嘘つかないよ。コナーじゃあるまいし」

「ひっで!」


  コナーの大仰な反応に、周りから小さな笑いが漏れる。

 場を和ませた当のイアンは自分の端末をチェックすると眉を潜め、ため息をついた。


「……みんな、今日はベッドで寝れないよ。追加命令が来た」

「嘘でしょ……。イアン、フィオナとマルクは?」

「置いてく。『粉袋こなぶくろ』からバングルだけ出しといて。そうすれば後で回収できるから」


 イアンの言葉にシアーシャは表情を歪め、自分の横に置いていた大きな鞄にそっと手を置いた。


「……最悪」

「俺もそう思う。でもそれが『上からの命令』だ、行こう。生きる為だ」


 イアンの言葉に反応し、休憩を取っていた少年少女は立ち上がった。

 シアーシャは粉袋と呼ばれた鞄から2つの識別バングルを取り出し、カバンの外側に括り付ける。


「全部、嘘ならいいのに……」


 シアーシャの呟きは闇の中に吸い込まれ、ものの15秒で支度をした彼らは音もなく森の奥へと消えていった。

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