155 記念式典


 国疫軍アメリカ支部結成記念日。

 それはアメリカにおいて大切な日であり、国民の休日にも設定されている。


 8月4日のカウントダウンを待つ民衆が式典会場へと詰めかけ、ほぼ深夜といっても差し障りのない時間帯にも関わらず、ワシントンDCにある国疫軍北米支部の本部前広場は熱狂と祝福のムードに包まれていた。


 そんな明るい雰囲気の中、会場にいる国疫軍人女性のひとりは心の中で毒づいていた。


(ほんと、上手くいかない人生ね……)


 表情には出さず、それでも数秒に一度はこのような思いをこぼすのは、国疫軍アメリカ支部に籍を置く23歳の女性、キャシー・コールマン軍曹。


 彼女は、人生において上手くいくことが少なかった。


 オーバードとして覚醒した事……そして、その強度が4だったことは、他の人間からすれば『危険は伴うものの、安定し、名声高い人生』を得られたのと同義である。

 また、ヒーローとも言える国疫軍人という職業は、アメリカの中でもローティーンの憧れの職業アンケートにおいて――10歳から14歳……異能検査後の子供までを対象にしているにもかかわらず――毎年1位を獲得する憧れの職業だ。


 それでも、キャシーの子供の頃の夢はランキング外の『フラワーショップの店員』であり、間違っても『荒事屋国疫軍人』ではなかった。

 そこそこの士官学校へ行き、そこそこの成績で国疫軍への登用を果たした……果たしてしまった彼女は大歓声の中、頭を抱えたい心持ちだった。


(何でこんなことになったの……)


 熱狂的な観衆の目線を受けながら、キャシーは街頭のモニターに大きく映し出された自分の姿を横目で確認する。


 キャシーが身に纏うのは軍服ではなく、特注のオーバードスーツだった。


 短い金髪に真っ赤なルージュ。

 目元は近未来的なバイザーによって隠され、金属板が所々にちりばめられたスーツを纏ったキャシーの姿を見れば、10人が10人、好意的な表情と共に同じ感想を口にするだろう。


『トイボックスの相棒のアンドロイド、B.Bだ』と。


 実際にモニター越しに自分の姿を見たキャシーですら、B.Bにしか見えないほどの完成度だった。

 うまくいかない人生のせいで少々悪くなった目つきがバイザーで隠れているからこそ騙せる――といっても、誰もB.Bの素顔を知らない――のだが。


 キャシーはアメリカ支部の結成式典に『B.Bの影武者』として参加するため本部へと呼び出され、そして、あれよあれよという間に特注のオーバードスーツを着させられ、式典の場に立たされたのだった。

 

(知りたくなかった……まさかB.Bが、去年まで中学生だったなんて……)


 キャシーは今回の『任務』に併せて伝えられたアメリカの最高機密に愕然とした。


 アメリカ支部内ですら一握りの存在しか知らない『トム中佐』の正体。

 そして、トムではなく『B.B』こそが本物のトイボックスであるという情報を聞かされた彼女は、今後の人生においても厄介ごとに巻き込まれることが増えるのだろうなと、今度は小さく口を開けて本当にため息をついた。


(屈辱的なのは、日本の女子高生が私とほぼ同じスリーサイズを持ってるって点よね……)


 キャシーは身長が低いことを除けば男性を虜にする様な美しい肉体を持っており、普通のハイスクールであれば彼女の学生生活を華やかに飾っただろう。

 しかし悲しいかな、彼女はジュニアハイスクールからすでに士官学校へ通っており、そんな場所でこの身体は『作戦遂行の邪魔』とすら言われたのだ。

 生まれ持った長所すら短所となる。本当にうまくいかない人生だとキャシーは静かに歯噛みしながら、少し身動ぎした。


(くっ……胸のパッドが……ずれそう……)


 本当に屈辱的なのは、日本人の……しかも去年まで中学生だった相手に『追加で胸を盛らないと同じスリーサイズにならない』という現実だった。


 そんな彼女の耳もとで、スピーカー越しの声が聞こえる。


『キャシー軍曹、あまり動かないでください。今のあなたは『アンドロイド』なのですから』

「っ!」


 キャシーは驚いて姿勢を正し、ごまかす様に観衆へ手を振った。

 B.Bに手を振られたと思った観衆たちは盛り上がり、式典会場は更に熱を増す。


(うまくごまかせたかしら……?)


 キャシーは声の主であり、式典壇上の隣に立つ男性を目線のみ動かして視界に入れる。

 それは表向きアメリカの英雄『トイボックス・トム』だった。


『いい誤魔化しですが、いまだ脈拍は高い様ですね。ヒーリングミュージックでも流しましょうか?』


 流しましょうか? という言葉とともに、イヤホンから軽妙なカントリーミュージックがフェードインしてきた。

 どう考えても煽られているとしか思えなかったが、キャシーは無言を貫く。


 自分のイヤホンにトムの軽口が聞こえてくるが、当の本人は口を動かすことなく観客たちに向かって手を振っていた。

 その様子は、直前に伝えられた『トイボックスの正体国家機密』を否が応でも信じざるを得ない、アンドロイドならではの芸当だった。


『間も無く式典が始まります。もうそろそろヘラクレスも来ますから、安心してください。彼は私の素性も、今日のことも知っていますから』


 トムの労るような言葉とは対照的にキャシーは心の中で悲鳴を上げ続ける。


(全然安心できないわよ! むしろもっと緊張するって!)


 『ヘラクレス』……アイザック・オーガスタス大佐。アメリカ支部の一人目の英雄として名高い『今世唯一のエンハンスド10』の異能者。『大佐』という階級もさることながら、知名度も相まって自分にとっては雲の上の様な存在だ。


 アメリカ支部の結成記念式典にアメリカ支部を代表する英雄二人が参加するのは当然のことだが、その場に自分がいるのは、どう考えてもおかしい。


(というかトイボックスは本来日本人のハイエンドで、こっちが強気に出られないのはわかるけどさ! なんで当の本人は今日来てないのよ! 式典に参加する以上に大切な用事でもあったっていうの!?)


 キャシーの嘆きに合わせて、遠い日本のテーマパークで一人の少女がくしゃみをしたが、その事をキャシーは知る由もなかった。




 キャシーがひとり悶々とする中、会場に一際大きな歓声が上がり、噂の人物が壇上へと上がる。


「おう、中佐。久しぶりだな」


 ぶっきらぼうな言葉に反応したトムは、振り返って握手を求める。


「お久しぶりです、オーガスタス大佐」


 トムと握手を交わすのは、もちろん『ヘラクレス』アイザック・オーガスタス。筋骨隆々、身長は2メートルほどで白髪の混じった黒髪は、アメリカが人種の坩堝るつぼであることを思い出させる。

 年季が入っているが清潔な軍服には色とりどりの勲章が並び、笑顔を強める彫りの深い顔には同様に長い人生を感じさせる皺がうっすらと浮かんでいる。


「もうこの歳になると深夜の馬鹿騒ぎは辛いんだがな」

「何をおっしゃいます。『まだ』52歳でしょう。まだまだ現役で頑張ってもらわねば」

「ははは。後進がしっかりしてさえくれりゃあ、いつでも隠居したいんだがな……と『伝えといてくれや』」


 アイザックの小さな苦言に、トムは困ったような人間臭い笑顔を浮かべる。

 トムの反応に気を良くしたのか、アイザックは笑顔を強めながらトムの側に立つキャシーにも視線を向ける。


「んで、お前さんが……『B.B』か」

「……はい」


 まじまじとキャシーを見つめたのち、アイザックはニヤリと笑う。それは、おもちゃを見つけた悪ガキのような、悪戯っぽいものだった。


 アイザックはキャシーの前を歩き、彼女を自分とトムの間に挟むように陣取る。


(なんで私を間に挟むの!?)


 キャシーは両側からの大物オーラに気圧されながら混乱し、アイザックが『この場で一番弱い人間を守る』ために両側を抑えたという事実にたどり着くことができなかった。


「まあ、よろしくな『嬢ちゃん』」

「……はい」


 キャシーは冷や汗をかきながら緊張の面持ちで短く返すが、周りにはバレなかっただろう。

 ここにきて、顔を隠すバイザーと『アンドロイドのふりをしなければならない』という縛りが、彼女を救ってくれたのだった。




 時刻も23時半をまわり、間も無く式典が始まるかという時間になって、周りの国疫軍人同僚たちが忙しなく動き始める。


「……おい、『箱』の」

「ええ。何かありましたね、これは」


 なんらかの違和感を感じ取った二人の間で、キャシーは質問したい気持ちを抑えながら二人の声に耳を傾ける。


「お前の方に連絡は?」

「まだ……いえ、来ました」


 トムは話の途中だったが、耳に付けたイヤホンに手を当て、しばし音声に集中する。

 その内容は非常に気になるが、今までの人生経験からキャシーは本能的に『とてつもなく良くないことだ』と直感する。


 そのキャシーの予想通りに、トムは呟く。


「不味いことになりましたね」

「おい、なんて言ってる」


 アイザックがトムに詰め寄るが、トムの返答よりも先に3人の元へと軍服の男性が走り込んでくる。


「大変です! バンが発生しました!」


 よりによってアメリカ支部結成日に殻獣の襲来。まるで『狙ったかのような自然現象』に、アイザックは驚く。


「あァ? バンだと? この式典直前にか。ははは!

 気概があるじゃねぇかクソ虫どもが! 営巣目的地はどこだ!?」


 アイザックの豪胆な言葉に、男性は怯みながらも報告する。


「『ここ』です! いえ、『ここも』です!」


 『ここ』。その一言でキャシーは気が動転し、『ここも』と言われても何を言っているのか理解できなかった。


「どっ……」


 反射的に『どこなんですか!』と叫びそうになったキャシーは自分の立場をギリギリで思い出し、吐きかけた言葉を飲み込む。

 男性軍人は一瞬訝しげにキャシーを見つめたが、それよりも優先させるべき、上官への報告に集中する。


「全世界的に同時多発バンです! 襲来は……宇宙そらから!」

「宇宙からだァ!? 対空警戒網はどうした!」

「そ、それが、『まるで狙ったかのように』破壊されているようです!

 大群でやってきており、各国で迎撃してますが間に合いません! まもなくここもエンゲージします! 総数は不明!」


 報告に対し、キャシーは完全に固まる。


 この場でバンが発生しただけではなく、全世界で同時多発バン。よりによって、こんな『大役』を任されているときに。


 どうすればいいのか。逃げるべきか。いや、アンドロイドB.Bはそんなことをしない。

 国家機密を守らなければ。いや、守る必要はあるのか?  この一大事に? このまま演技を続ける? 殻獣が押し寄せるここで? バレるに決まっている。自分はただの強度4の『雷光』異能者。身を守るのが精一杯。演技を続けるならその異能すら使えないのに。ああ、お母さんと喧嘩して出てきちゃったんだった。ネコに餌あげたっけ――


 思考回路が完全にショートし、キャシーは自分の視界が一瞬にして狭まるのを感じ……そして意識を失った。


「び、B.B特務官!?」


 急に地面へ倒れたB.Bに男性は目を回すが、トムは落ち着いた様子で彼をなだめる。


「ああ。他の武装に回すため内臓バッテリーを切りました。そのまま、そこに置いておいてください」

「そうなんですか! ……バッテリーだったんですね」


 さも当たり前のように差し込まれたトムの言葉に、軍人は安心する。異能で作られたアンドロイドが急に倒れたとしても、『それを作った本人』が理由を説明したのだ。

 そして『他の武装に回すため』という理由まで述べられれば、もはや疑う余地はなかった。


「内緒ですよ?」

「は……ハッ!」


 人差し指を立ててこっそりと告げられたトムの言葉に対し『極秘情報を知ってしまった』と当て外れな緊張をした彼は、背中をバァン、と叩かれる。叩いたのは、楽しそうに笑うアイザックだった。


「ははは! 面白え、やってやろうじゃねぇか虫ども! おら、さっさと一般人たちをシェルターに避難させろ!」


 アイザックはこれから起こる『祭り』に高揚し、軍服の上着を脱ぎ捨てて拳を鳴らして今か今かと天を見上げる。

 同時にアラートが鳴り響き、軍人たちが大越で避難誘導を開始した。


 急なアラートに驚いた人々は一瞬固まるが、幼少から『殻獣災害時の心得』を教えられていた彼らの混乱は比較的少なかった。


「落ち着いて、避難してください!」「本部地下のシェルターへ移動します! 押し合わずに!」「女性や子供を先に通してください!」


 軍人たちは大声で一般人を誘導し、人々は従いながらもスマホを周囲へと向け、動画を撮る。

 SNSなどでこの事件が話題になるだろうな、などと考えているのだろうが『これが今、全世界で起ころうとしている』と知る人間は居なかった。


 人々のカメラ、そして対空警戒を強めるために動き出したサーチライトが、程なくして一点に集まる。


 式典が行われる広場の中央上空。そこには、宙に浮かんだ一人の『女性』の姿があった。


「なんだ、あれ……」


 群衆の中からこぼれ落ちた声は、その場の総意だった。


 女性の背中からは、忙しなく動く大きな2対の翅と、禍々しい鉤爪のついた虫の腕が生えている。

 高い身長、長髪と女性らしさを前面に押し出した身体つきは、男性どころか女性の目すらも引き、心を鷲掴みにするだろう。


 宙に浮くなどせず、肌が緑色でなければ。


「おい中佐、アレが噂の……」

「ええ。『人型殻獣乙種』とやらでしょうね」


 直前にアメリカ支部の上層部でも話題に上がった存在。

 まさか、本物をこんなに速く見ることになるとは思わなかったアイザックは、一挙手一投足を見逃すまいと人型殻獣に注目する。


 全身緑色の彼女は群衆からの視線が十分に集まったことを感じ取ると、微笑みを強め、ゆっくりと口を開いた。


「キィィィィィィィィィィィ!」


 広場に響き渡る高音。

 それは一般人はおろか『オーバード』さえ震え上がりそうな凶暴な『咆哮』だった。


 人々は反射的に足を止め、耳を塞ぐ。不安から天を仰ぎ、軍人たちすらも『不安感』から彼女から目を離すことができなかった。


 しん、と静まり返った広場に、透き通った声が広がる。


「はじめまして。私は――ハーミア。皆さん、この世を正しい姿に戻す組織……『フェイマス』の結成式典へようこそ」


 急な宣言に、一般人はもちろん、共通概念会話能力を持つオーバード達も、ハーミアと名乗る殻獣の言葉の意味は理解できなかった。


 しかし、それが『宣戦布告』を表していることを、その場の全員が感じ取った。

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