135 彼らの作戦


 東雲学園の普段は物々しい巨大な門には華やかなコサージュが舞い踊り、『東雲学園文化祭』と大きな看板が掲げられている。

 昼過ぎとなっても未だ多くの出入りが続く賑やかな正面入り口に、大男の姿があった。


 筋骨隆々。鋭い青い眼光。白髪は丁寧にオールバックに纏められ、手には色とりどりの大きな花束。

 屈強な肉体はオーダーメイドの上等なスーツに仕舞われているが、体から発せられる圧は周囲の人間の視線を集め、そして逸させるに余りある。


 早足に過ぎ去っていく一般客たちに目を光らせる3人のボディガードも併せ、国疫軍ロシア支部少将、レオニード・ラーザレヴィチ・レオノフは完全に場違いだった。


 そんなレオノフを校門の前で迎えるのは3人の若きロシア人。


 その真ん中に立つレイラの姿を見て、レオノフは感無量、と目頭を押さえて呟く。


素晴らしいハラショー……なぜ男装をしているのかわからんが……それでも……可愛すぎるハラショー


 感無量の父親にレイラは歩み寄る。

 護衛を務める正規軍人たちがわずかに反応したが、その動きは眉間を押さえたレオノフのピクリとした小さな動きで塞き止められる。


『お前たち、娘との時間を邪魔するな。殺すぞ』


 と言わんばかりのレオノフの無言の威圧に正規軍人たちは冷や汗を流しながら二歩下がった。

 レオノフの目の前までやってきたレイラは、父親と同じ青い瞳を上げると一言。


「帰って」


 レイラの言葉に、周りの空気がざわりとする。ロシア語のわからない一般客たちすらも、気温が下がったように感じられた。


 レオノフは眉間を押さえていた手をゆっくりと外す。

 どうなってしまうのかと冷や汗を流す護衛たちやユーリイとは対照的に、手のひらの退いたレオノフの表情は、完全にデレデレだった。


「レーリャ、第一声がそれとは……父さんは悲しいぞ? さあ、花束を用意したんだ、受け取ってくれるか」

「わかった。もらう。はい、もらった。帰って」

「もー。そんなこと言わないでくれ、父さん泣いちゃう」

「もー、じゃない。気持ち悪い。帰って」

「ひどいなぁレーリャ。

 今はロシア支部の代表として日本の異能士官学校の視察に来ているんだ。いくらレーリャのお願いとはいえ、父さんは帰れないんだよぉ」

「……うそつき。帰って」

「ははははは。またまた。ところでレーリャ。わざわざ校門まで迎えにきてくれるとは……父さんは嬉しいぞ」

「それは、良かった。帰って」

「……そんな事を「帰って」」

「レーリャ……」


 強硬姿勢を崩さぬレイラに対し、レオノフは巨大な体躯を縮こませた。


 ロシア支部の軍人たちは過去一度も見たことのない悲しそうなレオノフに驚く。

 これはまずい、とソフィアとユーリイが会話に参加した。


「レオノワさん、あまり意地悪しないであげた方がいいですわよ?」

「そうだぞ、父さん悲しくて泣いちゃう」

「レーリャ。せっかくの親子団欒なんだ。恥ずかしがらずに。少将、久々に会って、レーリャも恥ずかしいだけなんですよ」

「なんだぁ! 恥ずかしがってたのか! このこのー!」


 ユーリイのアシストに対してレイラは殺意を込めた目線を返すが、レオノフは全く気にせず続ける。


「なにやらレーリャのクラスは喫茶店をしているのだろう? そこから見にいこう。父さん、楽しみだな!」

「いい加減に……」


 無意識に右手が握り拳を作るレイラの視界に、レオノフの後ろに立つ正規軍人の姿が映る。

 冷や汗。そして無理して頬を釣り上げた作り笑い。ユーリイも同様の表情だった。


 我に返ったレイラは、周囲の様子に気づく。

 周りの一般客も何事かと驚き、レイラたちに注目が集まっていた。


 これ以上、ここで問答をしても、無意味である。


 先ほど自分自身が言った『話を聞かない。自分の思い通りにしか動かない』男であると再確認した。

 レオノフをこれ以上説得しても無駄だ、とレイラは大きなため息をつく。


 この場でこれ以上目立つのは得策ではない。

 レイラはプランBへと移行する。


「……案内する」


 帰らせることができなかった場合は、一箇所に留まらせる。レイラはこの門から自分たちの喫茶店までのルートと、喫茶店内以外をレオノフに歩かせぬと決意し、父親を先導して歩き出す。


「そうかそうか! 行こうではないか! さあ視察だ!

 お前たち、しっかりついてこい。どうだ! うちのレーリャは素直じゃないが、かわいいだろう? そうだな?ダー?

「…… はいダーもちろんですエト ヴィエルノ

 

 鋭い眼光に戻ったレオノフに頬をひくつかせながら、護衛の男たちは返事した。




 一方、学園内。伊織は耳を四方八方へ向けながら構内を歩く。

 もしも植林地からクーが出てきていた場合、多くの人間に発見される可能性が高まり、同様にレオノフに見つかる危険性も跳ね上がる。


 そのため、捜索は学園内を虱潰しらみつぶしにするように、植林地に向けて輪を狭めながら行われていた。


 偽装のため『性別反転メイド喫茶』の看板を持ちながら歩く伊織は大量の目線を集めるが、その表情は愛想がいいというには程遠すぎる、真剣な顔。


「あいつの足音とか覚えてないんだよなぁ……話し声を拾うしかないか」


 伊織の耳には何十人、何百人の話し声や足音が飛び込んでくる。

 ついでに下卑た声も届くが、無視を決め込みながらクーの痕跡を探していた。


「雑音が多いな……遠くの音が全然拾えない」


 ぼやく伊織の目の前に少女がやってくる。それは、ジャージ姿のまひるだった。


「押切先輩」

「間宮妹か。どうした」


 まひるは真剣な表情で、伊織に小さな声で話しかける。


「私、先輩のこと、好きじゃないです」


 周囲の人間に聞こえないほどの小声だが、伊織の耳には十分な声量だった。

 いきなり『嫌いだ』と言われた伊織は、鼻で笑う。


 伊織は、今更言われなくても知っていた。

 彼女から出てくる言葉に、好意的な感情が含まれていたことなど皆無だったのだから。


「……いま言うことかそれ? ま、どうでもいいけど」


 手に持っていた喫茶店の看板を下ろし、不敵な表情で向き合う伊織に、まひるは深々と頭を下げた。


「……でも、あの虫女は、大嫌いです。だから、見つけたら教えてください。

 私も先輩に全面的に協力しますから」

「へぇ。直前の言葉からの繋ぎで、そういうこと言う?」

「嘘をついても、押切先輩にはバレちゃうんですよね?

 なら、全部言います。言った上で、お願いします」


 まひるは顔を上げ、伊織を見つめる。

 その瞳の奥には、伊織が初めて見る『鈍い光』が煌々と灯っていた。


「誰よりも先に、あいつを見つけたいんです。グリーンウッド曹長が来たら、それこそ全員が位置を特定できてしまいます。あと、5分しか無いんです。

 それより、前に……見つけたいんです」


 二回目の『見つけたい』には、もっと深い意味が込められていた。


 まひるにとって、クーは『人型殻獣』であり、そして人型殻獣は『兄の仇』。

 まひるのジャージの下に隠されているであろう、彼女の武装のナイフがカチャリと音を立てる音も、伊織の耳には明確に届く。


「なるほどね。まあ、どうでもいいけど。ボクは仕事をするだけさ」


 どす黒い感情を受け取った伊織は、自分のロッカーから取ってきた小型のボールをまひるに差し出す。


「これ」

「なんですこれ?」

「ボク専用の集音マイクだ。全部で3個ある。持ってけ。……ミスるなよ」


 まひるは3つの集音マイクを手に、伊織の言わんとする事を理解する。


「分かりました。どこへ行けばいいですか」




 3ーAの出し物は、『屋台通り』。

 教室の中に複数の屋台を設置することでメニューを増やし、顧客の同線を複数用意しつつ回転率で売り上げコンテストを目指していた。


 そんな屋台の一つ、『たこやきさん』と銘打たれた屋台の鉄板の前で光一は手早くたこ焼きを返しつつ、隊員たちからの報告を待っていた。


『あー、あー、光一、聞こえるかー?』

「ああ、聞こえる。……たこ焼き2パック、あがるぞ!」


 急に飛び込んできた修斗の声に驚くことなく、熟練を思わせる滑らかな手つきのまま光一は返事する。

 耳に嵌められた小さな無線機に集中しながら、それでも光一は調理の手を止めない。


 光一の言葉に、修斗はくくく、と笑う。 


『忙しそぉやん』

「お陰様だ。で? 見つかったか?」

『いや、おらん』

「ならなぜ、いま連絡を」


 光一の疑問に対して、修斗は真剣な声色に変わる。


『レンバッハくんが煙の異能の歪みを見つけた。強度3くらいの薄めのやつや。

 体に衝撃を与えんでも、現実を認識した時点で解けるやつ』


 強度3の煙の異能。幻影を生み出す煙の異能は、その強度によって幻影の強固さが決まる。

 強固さの低い幻影は、その場に『何があるか』を認識した時点で解けてしまうため、逆説的に『これがあるのではないか』と強く念じることで幻影を打ち破ることができる。


『光一、今異能使ぉとるか?』


 煙の異能は、距離によって威力が減退する。強度10を誇る光一でも、発動地点が遠ければ強度3程度になることもある。

 ルイスからの報告を受けた修斗は、彼が見た幻影が光一のものか確認するために連絡をしたのだった。


「……どういうことだ」

『やっぱ光一やないか。俺も確認したんやけど……クーがおると思っても異能が解除されへんかった』

「客の誰かではないのか? 恥ずかしがり屋の士官学校生かもしれんぞ。……明石焼き用、上がったぞ!」

『そんなに煙の異能っておらんやろ。で、や。『それ』が人間やと思っても、解除されへんねん』


 修斗の言葉に、光一の手が一瞬止まる。


『誰が……いや、『何』がそこにおるんやろな?』


「……その煙は決して破るな。気づかれることなく、お前が追跡しろ」

『言われれんでもそうしとる。体に衝撃を与えず移動、って難儀やわほんま。ほな、また動きがあったら連絡するわ』


 人間でも、クーでもない『何か』。それが学園内にいる。

 光一は真也に『往々にして最悪の事態になるのが我々の仕事』と言ったが、光一の想定以上の『最悪』が訪れている。


 そんな予感がした。


「……一体、何が起きている……? はい、たこ焼き一丁!」

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