136 彼女の作戦


 東雲学園が文化祭に沸く中、クーは1人、焦燥感を募らせて林の中を駆ける。


 クーは他の人型殻獣よりも鼻が効く。

 それは多くの異能者も、そして『元仲間たち』も何処にいるか分かるほどだ。

 研究所に何度か会いにきてくれた真也の……クーにとって特別な彼の匂いは、今や彼がどこにいようとも、研究所の部屋の中から分かるほど、記憶に刻まれた。


 なぜ分かるのかクーにも分からなかったが、それはきっと、愛の力だ。

 ……と彼女は信じていた。


 クーは昨夜も日課の『彼の匂いの確認』をした。どこにいるのだろう、そんなことを考えながらの至福の時間。


「……あれ?」


 クーが匂いの確認をすると、その時に『知っている匂い』を感じた。

 直後クーは研究所のドアを破壊し、一も二もなく飛び出した。


 彼のもとに、『あいつ』が近づいている。まずい、まずい、まずい。


「こんどは、こんどこそは! ぜったい!」


 飛び出した直後は首についていた輪っかからビリビリとした痛みが発されたが、一晩経って首輪の電源が切れ、彼女を邪魔するものは無くなった。


 邪魔されぬよう、人目を避けて街を駆け抜けて、早朝、クーは東雲学園の植林地にたどり着く。

 途中から詳しい位置が判別できなくなったが、それでも林の中を捜索し、クーはとうとう『何か』を見つけた。


「なに、あれ……」


 その場にいたのは、よくわからない空間の歪みだった。

 クーは自分の知らない『なにか』に一瞬怯んだが、それでも、彼女自身の想いに背を押され、声をかける。


「おい、おまえ。しんやをきずつけるつもりなら、ゆるさない」


 そう呟くとは歪みは掻き消え、その場にいたのは彼女と同じくらいの背丈の『元仲間』と同じ存在だった。


 クーと同じ緑色の髪の毛は長く、クーと同じ金の瞳は驚いた様に見開かれている。


 クーは肌を隠すために茶色いコートを着ていたが、少女は乾いた血の様な深い赤色のゴシックドレスを身に纏っていた。

 足元まですっぽりと隠れるそれは、クーからすれば『動きにくそう』と感じられた。


「あら、あんた誰?」

「……おまえこそ、だれ。あいつじゃない」

「あいつ? 誰のことよ。

 ていうか……短髪で、女の……もしかしてあんた、ジュ――」



 思案する少女の姿は、クーにとって奇襲のチャンスだった。


「キィッ!」


 少女と話すつもりなど無かったクーは喋っている途中の少女へと、姿勢を低くして飛び込む。


 自分の姿を隠す様にコートを脱いで相手へと放り投げ、視界を切り、クーは背中から生えている一対の節足を突き出し、コートごと少女を貫く。


「ぐ……」


 唸ったのは、クー。

 不意打ちの一撃は、コートしか貫いていなかった。


 直後、後ろから声がする。


「話している途中に攻撃なんて、ただの虫たちよりもひどいオツムね。

 ……いや、そーでもないか。ま、虫レベルってことね。私は文化的だから、ちゃんと誤りは訂正するの」


 いつのまにか少女はクーの背後へと移動していた。


 どうやって一瞬で移動したのかクーには見当もつかなかったが、だからといって引くわけにはいかない。

 焦るクーと対照的に、人型殻獣の少女は余裕たっぷりに口を開く。


「アタシの名前は、キャタリーナ。

 虫レベルのアンタの脳みそを圧迫しちゃ申し訳ないから別に覚えなくてもいいけど、覚えててもいいわよ」


 キャタリーナの嘲笑に反応せず、クーは視線を離さずに質問する。


「きゃた、りーな……なにしにきた」

「それをアンタにいわなきゃいけない理由って、ある? まあ、知りたいなら、教えてあげる。『ある男の始末』よ」

「わかった。しんで」


 クーは言い放つと、再度地面を蹴り、キャタリーナに肉薄する。


 一度目の突進よりも素早く飛びかかるクーを、キャタリーナは笑いながら躱す。

 その動きは、キャタリーナ自身がそのまま横にスライドした様な不自然なものだった。


 一度ならず二度までも攻撃を躱されたクーは、再度節足を地面に差し込み、急ブレーキをかけてキャタリーナへと振り向く。


「ふぅん、ウィルのお気に入り、って言ってもこんなもんか。

 アタシと違って、ぜんぜん文化的じゃないわね」


 一方のキャタリーナは追撃するでもなく、薄く笑っているだけだった。


「うぃる、しってるの?」

「ウィルを知ってるもなにも……あんたと会ったことがないだけで、アンタと同じ……人間からしたら人型殻獣? だっけ? それよ。

 産み落とした女王が違うだけ。いわば仲間よ?」


 キャタリーナの言葉に、クーは噛みつく。


「なかま……じゃない。いまのわたしのなかまは、しんや!」


 力強く言い放ったクーに対して、キャタリーナは相貌を歪める。


「……何それ。ウィルのおかげで、生きてられるってのに。

 ウィルからは『連れ帰れ』って言われてるけど……イタイ目に遭ってもらった方が良さそうね。

 しつけ、っていうんでしょ? 文化的な者として、そういうところはちゃんとしないと」


 キャタリーナはクーに対して向き直り、ドレスのスカートをゆっくりと持ち上げる。


 クーはキャタリーナが何かする前にこの戦いを終わらせるべく、節足を地面に突き刺し、カタパルトから打ち出された砲弾の様にキャタリーナへと飛びかかる。

 その速度は1度目よりも、2度目よりももっと速く。一瞬にしてキャタリーナの不遜な表情が眼前に迫る。


 貰った。


 クーの確信とともにキャタリーナの顔面に節足が届くというその時。


「ピィッ!?」


 悲鳴を上げたのはクーだった。

 横っ腹に衝撃を受けてクーは吹き飛ばされる。


 クーは転がりながら、何が起きたのかと混乱しながら、なんとかキャタリーナと距離を取る。


 直前まで、キャタリーナは微動だにしていなかったはず。

 クーがキャタリーナへと視線を戻すと、そこには先ほどまでなかったモノがあった。


 クーの足ほどの太さの大きな『ムカデ』。その体躯から繰り出された体当たりによって、クーは吹き飛ばされたのだ。


 噛みつかれこそしなかったものの、大きな体で薙ぐように体当たりを受けた脇腹は、未だに鈍い痛みを伝えてくる。


「何度も同じこと……。戦い方も虫レベル!

 せっかくの知能を全くうまく扱えてないのね!」


 キャタリーナの声に弾みがつき、クスクス、と言葉尻には笑い声すら伴い出し、対照的に大きなムカデはクーに向かって牙を広げる。


 ムカデの先はクーの死角をつく様に大きく迂回しながら、キャタリーナのスカートの下へと続いていた。


スカートの下には長いムカデの胴体が折り重なるように蠢いており、先ほどの『平行移動回避』はムカデによって行われたのだ。


「なに……これ……?」


 戸惑うクーに、キャタリーナは少し凹凸のある胸を自慢げに突き出しながら、自分の首を指差す。

 そこには、黒いムカデが首を一周するような意匠が刻まれていた。


「この子は私の異能よ! チョーカーみたいな、『百足ムカデ』の意匠。お気に入りなの。

 ウィルも可愛いって言ってくれたし、アクセサリーみたい。文化的よね?」


 キャタリーナの言葉も話半分に、クーはいつ襲い掛かられても平気なようにじっとムカデを見つめていた。


 そんなクーに、キャタリーナは笑いながらムカデの頭を一振りする。


「可愛いでしょ? アタシの尻尾!」

「いのう……しっぽ?」

「そう。アンタでいうところのその腕? と同じ。

 で、で、アンタもそれ以外にもあるんでしょ? 力が」


 そわそわと値踏みするように、キャタリーナの視線がクーを舐め回す。


「ない」

「あはは、嘘ついてどうすんのよ。ま、探知系の異能だって聞いてるけど。

 アタシは違うんじゃないか、って踏んでるのよね!」

「たんち……なにそれ」

「あら、知能どころか、異能すらもまともに使えないの? ホントに文化的じゃないわ!

 ウィルもアンタを甘やかしすぎよねぇ……! まあ、いいわ。アンタを連れ帰れば褒めてもらえるし?

 それに、……もう、ゲンカイ!」


 目の前に獲物が……しかも、自分より劣る獲物が現れたことは、自称『文化的』なキャタリーナの本能を刺激するに充分だった。


「キィィィィィィィィイイイイィィィ!!」


 キャタリーナは獰猛な鳴き声を上げる。

 どのように振る舞おうとも、彼女の本性は、獰猛な獣だった。


「さ、一緒に踊りましょおおお? あははははは!」


 キャタリーナは、本性を露わに金眼を見開き、言葉通り、彼女の尻尾であるムカデが舞い踊る。


 植林地に生い茂る林の中を縫うように、ムカデは百足ムカデの名を超える数はあろう足を動かして進んでいく。

 キャタリーナのスカートの下からムカデの尻尾が伸び続け、クーは『どこまで伸びるかわからない』恐怖から、後ろに飛び退いた。


 クーが立っていた場所を、一瞬遅れてムカデの頭が空を噛み、キャタリーナは拍手を送る。


「あはは、じょうずじょうず。さ、逃げてもいいけど、逃げ切れるとは思わないことね!」


 キャタリーナの言葉を聞き流しながら、クーは節足を使い、木々を飛び越えて移動する。

 あっという間にキャタリーナの姿は木々の中へと消え去るが、彼女の尻尾はクーを追い続ける。


 キャタリーナから一度姿を隠さねば。

 あのムカデがどれだけ伸びるのかは定かではないが、クーの節足よりも長いあれは、厄介だ。




 ムカデの尻尾が追跡を諦めたのか、それともわざとなのかは分からないが、逃走劇は思いの外短く、1分も木々を転々とした頃、クーはムカデからの追跡を振り切るに至る。


 クーは節足を使い、木に掴まって身を隠していた。

 木々を彩る初夏の青々とした葉は、彼女の肌の色も相まって姿を隠すのに十分だった。


 クーは考えるのが苦手な頭を必死に回転させる。


「どうする……」


 キャタリーナとかいうあいつは、『あいつ』じゃない。

 しかし、真也に『危害を加えるかもしれない』ならば逃すわけにはいかない。

 ここで、仕留めなければ。


 しかし、このまま戦って、『あいつ』が自分より先に真也の元へ辿り着いてしまっては元も子もない。


 グルグルと思考の渦に捕まったクーのすぐそばの枝が、がさり、と揺れる。


「っ!?」


 驚いたクーは音の鳴る方を片方の節足で突こうとし、直前でその動きを止める。


「おま、えは……」


 目の前にいたのは、クーの記憶の中では真也と一緒に一度だけ研究所に来た少女。


 間宮まひるだった。


 まひるは先ほどのやりとりを樹上から観察しており、新たに増えた存在に驚きながらも『彼女たち』を消すために虎視眈々と身を潜めていた。

 余りにもクーの分が悪そうだと判断したまひるは、目的不明のキャタリーナよりは、今のところ兄に危害を加える心配のないクーに加勢をすることに決め、彼女の前に姿を現したのだ。


「……静かにして。さっきまで見てたけど、あのバケモノは……なに?」


 枝の上に身を置くまひるからクーに投げかけられた声は、いつもの天真爛漫な彼女からは想像もできないほど、冷たい口調だった。

 一方のクーは、全く気にすることなく言葉を返す。


「しらない。きゃたりーな、って言ってた」

「それは聞いてた。知らないって……本当に?」

「ほんとう。……おまえ、しんやの、なかまだよね?」


 クーの言葉に、まひるはひくりと頬を動かす。


「当たり前でしょ」

「なら、おねがいが、ある」


 クーは、真剣な表情でまひるへと告げる。


「てつだって。あいつが……『ぷろすぺろー』が、ここにきてる」


 プロスペロー。その名はまひるも聞いていた。


 真也を一度瀕死にまで追い込んだ人型殻獣。

 そして、自分の一人目の兄の仇の名だった。まひるは眼光を鋭くし、クーに詰め寄る。


「プロスペロー……!? どこにいるの? あんたが連れてきたの!?」


 そのような勘違いをされるのは、クーにとって許せなかった。


「ちがう! わたしは、あいつをしんやにちかづけたくないの!

 だから、すぐに『きゃたりーな』をころさないと!!」


 興奮したクーは大声を出し、次の瞬間、彼女たちの隠れる木の幹をへし折れ、木が傾く。


 二人が下を向くと、いつのまにかキャタリーナが現れ、彼女の尻尾が木に巻きつき、幹を捻じ切ったところだった。


「だぁぁぁれを殺すですってぇ!?」


 獰猛な笑顔でクーたちを睨むキャタリーナ。その表情は、文化的とは程遠いものだった。

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