129 文化祭、前日!


 文化祭前日。性別反転メイド喫茶は、最後の大詰めを迎えた。


 夕日の差し込む多目的室内では、完成を目指して生徒たちが忙しなく行き交い、その中心で直樹が指示を飛ばす。


「看板出来たから、手の空いてるやつでそれぞれ配置してきてくれー!」


 直樹の指示を受け、数名のクラスメイトが立て看板を片手に2個ずつ、計4個を運んでいく。

 普通の高校生に見える彼らも、本来は人間を越えた力を持つオーバードであり、看板程度、羽を持つようなものだった。


 多目的室に、男子生徒が入ってくる。その手には、大きな冷蔵庫。

 前を見づらそうに上体を横に背けるが、その顔は平然としていた。


「冷蔵庫どこ置くー?」

「葛城ー! 流しのホース、外から引っ張ってくるって! 受け取るの頼む!」

「冷蔵庫はキッチン台の奥、ホースはちょっと待ってて! 悪いけど、冷蔵庫置いたらホース受け取り行ってくれ」

「おっけー」


 そんな中、食材班の伊織と衣装班の真也は、慌ただしい皆を眺めていた。


 彼ら事前準備班は直前ともなると準備を済ませ、『実働班』として割り振られたクラスメイトたちの補佐と、自分たちの仕事の最終確認のみ。

 特に衣装班の真也は、物がきてからは水樹のみで事足りる……というより、彼が口出しできる部分はほぼ残っていなかった。


「いやー、とうとうだね」


 最後まで女装をすることに二の足を踏んでいた伊織だったが、実際に完成してくると、楽しみな気持ちが生まれてきたのだろう。

 耳をぴこぴこと動かしながら、両腕を組んで現場監督さながら、見守る。見守るだけ。


「伊織、何もしてないじゃん」

「したよ! スコーンとか買ってきたよ!」

「はいはい」

「ぐぬぬ」


 そんな2人の近くを通り過ぎていく水樹はメイド服を手に笑いかける。


「それでいいんだよ、押切くんは。文化祭当日にしっかりやってくれれば、クラスみんな満足だからー」

「うっ……」

「明日、しっかりメイクするから、楽しみにしててね?」

「……そういえばボクの服は? さっき確認したら、まだなかったんだけど」

「あー、押切くんの服は特別製だから。もうすぐ届くと思うよ?」

「と、特別製……ちょっと憂鬱になってきた……」


 げんなりする伊織に真也が笑っている所へ、直樹が設計図片手にやってくる。


「なあ、間宮、前言ってた紅茶の入れ方のマニュアルなんだけど」

「ああ、貰ってきたよ。今渡すね」


 苗にお願いして手に入れた、九重家執事の木内謹製、紅茶の入れ方マニュアル。すこしでも喫茶店を良いものにするためのそれを、真也は鞄から取り出す。


 手渡そうとするが、その前に直樹が手で制し、申し訳なさそうに口を開いた。


「悪いんだけど、先にコピーしてきてもらっていいか? 5枚くらい。張り出す他に、調理班にも配るから」

「分かった、行ってくる」


 真也は直樹の指示を受け取ると、クリアファイルにマニュアルを戻した。

 真也と話している間も直樹のもとには次々と生徒が訪れる。


「葛城ー! テーブルクロスどこー?」

「3って書いてある箱! あ、そうだ間宮、悪いんだけど、これもコピーしてきてくれないか?」


 直樹が真也に渡してきたのは、性別反転メイド喫茶のチラシ。


「チラシ? 前コピーしてなかったっけ?」

「ああ。それが、駅前でビラ配りしてる宣伝班から連絡が来て、多めに持ってったの全部配っちゃいそうでさ」

「へぇ……みんなやる気だね」

「おう。絶対一位取らないとな!」


 一位の商品、遊園地のワンデーパスを目指し、直樹はにこやかにガッツポーズをとった。


「葛城ー!」

「おー、今行くー! じゃ、頼んだ、間宮。チラシは300頼むな。こっちに置いてるのと合わせてちょっと余るくらいだと思うから」

「分かった」


 真也は直樹からチラシを受け取ると、それもクリアファイルへと仕舞って立ち上がる。


「なあ、ボク荷物持ちしようか?」

「いや、300枚くらいなら平気だよ」

「えー……なんか、嫌な予感がするんだよなぁ……」


 伊織は唇を尖らせ、耳を脱力させた。

 無理にでもついて行こうかと伊織も立ち上がるが、真也と一緒に行動したいという伊織の願いは、水樹からの言葉で打ち砕かれる。


「押切くーん! 衣装届いたから着てみてー!」

「うげ」


 真也は、伊織の仕事が出来たことに笑いながら彼の背を押す。


「さ、行った行った」

「はぁ……分かったよ」


 真也が伊織を残して多目的室を出ると、入れ違いに教室の中から「聞いたことある足音だと思ったら、やっぱ夢子さん!?」と、伊織の驚く声が聞こえてきたが、聞こえなかったことにして真也は階段を駆け下りた。


 一階の事務室へ行き、コピー機を確認したが、あまりにも多くの生徒がコピー待ちをしており、自分が印刷できるのがいつになることやら、と真也は肩を落とす。

 事務員の勧めで、真也は人が少ないであろう違う校舎へと向かうことにした。




 夕日が構内を照らす中、多くの生徒が生き生きとした様子で文化祭の準備を進めている姿が真也の目に飛び込んでくる。


 大きな看板を作る者、大きな荷物を搬入する者の他に、泊まりがけでの作業に備えてコンビニで買い出したのであろう飲み物や弁当を運ぶ者もいた。


 普段は殻獣と戦い、軍人として任務をこなす。

 死の危険すらある世界と隣り合わせの彼らも、文化祭という一大イベントに向けてはただの高校生として準備すら楽しんでいた。


 真也は無事にチラシと紅茶の入れ方マニュアルの印刷を終え、準備しているクラスメイトたちの元へと戻るために構内を進む。


「真也」


 構内を歩く真也に声がかけられる。

 反応して振り向くと、レイラがベンチに腰掛けていた。 


「レイラ。こんなところでどうしたの?」

「ちょっと、休憩。人が、多くて」

「確かに。俺も印刷するだけで違う校舎に行かされたよ」

「……みんな、もっと早く、準備すれば、いいのに」

「それは、俺たちも一緒だよ」

「たしかに。人のこと、いえない」


 レイラは微笑むと、目線を2、3度泳がせてから、ぽんぽん、とベンチの自分の隣あたりを叩くと、口を開く。


「……すこし、話そ?」

「え、あ、うん」


 レイラの提案に驚きながらも、真也はレイラに指定された、彼女の隣へと腰掛ける。


「……真也、最近、忙しそうだった」

「ああ、まあ、選挙でね」

「……危険なこと、してない?」

「選挙だよ? 何も危険なんてないさ」

「そう……ならいい、けど」


 釈然としないレイラに真也は言い訳をするが、内心冷や汗を流す。

 九重家の問題に首を突っ込んだこと、そして満流とやりあったこと。それは危険なことだと言い切れないが、『何もなかった』で済ませられるほど平和的なことでもなかった。


 これ以上この話をするのは良くないな、と真也は話題を変える。


「そういえば、レイラ、何してたの?」

「家庭科室。アイロン、貰いに」


 レイラが目線を動かした先、ベンチの横にはアイロンが複数入ったダンボールと、アイロン台が立てかけてあった。

 真也は雑用をしていたが、レイラは衣装班としてしっかりと仕事をこなしていた。


 真也はダンボールの中のアイロンを眺め、感想をこぼす。


「アイロンがけかぁ。みんな本気だね」

「文化祭は、二日、ある。初日終わったら、真也も、ね?」

「任せてよ。家では自分でアイロンかけてるから」

「うん。頼りに、してる。私、苦手」

「あれ? レイラって、一人暮らしだよね?」

「そう」

「アイロン苦手、って……いっつも服キッチリしてるじゃん。今日のワイシャツもきちんとしてるし。大丈夫だって」


 真也は笑いながらレイラに告げるが、対照的にレイラはダラダラと汗をかく。


「……レイラ?」

「い、や……その……クリーニング……」


 気まずそうにレイラは視線を背ける。

 歴戦の主婦もかくやと言わんばかりの真也が、服を毎回クリーニングに出すという散財を許すとはレイラには思えなかった。


「い、いや、これは、必要な、出費で」

「まさか、家に洗濯機すらないとか言わないよね?」


 レイラの言葉を塗りつぶして質問してくる真也に、レイラはたじろぐ。


「あ、ある。流石に」

「じゃあ、何でクリーニング使うのさ。勿体無いでしょ」

「洗濯機……回し方が……」

「うそでしょ!?」


 レイラは浮世離れしている印象があったが、まさか現代において洗濯機の回し方がわからない人間がいるとは、と真也は驚きの声を上げ、レイラは慌てて手を振る。


「いや、ボタンを押す、のは、分かる! でも、洗剤? 柔軟剤……? ネットとか、ドライとか……」

「いやいやいや、それくらい分かるでしょ」

「真也。真也の家事力を、基本にしては、だめ」

「そうかなぁ?」


 首をかしげる真也に、レイラは静かに呟く。


「……いっつも思う。真也は、ちゃんと生活、してるな、って」


 レイラは遠くを見つめ、そのまま言葉を続ける。


「私は、ずっと、戦ってた。それ以外、何も、ない。すこし、本を読むくらい」


 戦う以外、何もない。レイラの口から出たあまりにも寂しい言葉に、真也は否定しようと顔を向ける。

 レイラは、過去を思い出すように瞳が閉じており、その表情は様々なことを反芻し、苦味に満ちていた。


 そんな彼女の表情に、真也は思い至る。


 自分は、レイラのことを、何も知らない、と。


 彼女が、どんな風に『戦ってきた』のか知らない真也が否定するということは、彼女の今の表情を何も知らぬまま否定することであり、彼女の過去を否定することだと思い至った。


 そして、思い至ってしまったから、なにも、言うことができなかった。 


 レイラは数瞬、そうしていたが、再度笑いかける。


「真也は、すごい。きっと、真也の奥さんは、幸せもの」


 真也は上手くはぐらかされた気がしたが、好きな女の子に『奥さんは幸せ者』と言われて頬を赤らめないわけがない。


「え、あ、そう……かな」

「あ、でも、家事に、厳しそう。間違えたら、怒られそう。『洗剤入れる量、多い!』って」

「そ、そんなこと言わないよ! 絶対言わない!」


 レイラは必死な真也に「ほんとに?」と言いながら声を上げて笑う。

 真也もつられて笑いながら、バツが悪そうに頬を掻いた。


「真也、私、楽しいよ」

「え……?」

「いろいろ、有った。でも、こうして、いろんな人と、話したり、文化祭、作ってる」


 レイラは自分の胸に両手を当て、この騒がしい学園の雰囲気を味わう。


「それは、きっと真也のおかげ。真也が、私を、みんなの輪に入れてくれた」

「そんな、俺は何も」

「ううん。そんなことない。君がいて、よかった。同じ学校で、よかった」

「レイラ……」

「真也、ありがとう」


 真也は、レイラの言葉を受けて考えを改める。

 レイラの過去はわからない。しかし、未来なら、一緒に過ごせる。


 自分の知らない彼女の過去よりもまず、これからのことを考えよう。


 それに、何よりも、彼女から感謝されたことが、真也は嬉しかった。

 最近はすれ違うことやアクシデントもあったがそれでもレイラの中で少しでも自分が『特別』であると思えた。


 レイラは立ち上がると、アイロンが詰まったダンボールとアイロン台を軽々と持ち上げ、真也に微笑む。


「本当に、助かってる」

「そ、っか。うん、助かってる、んだ」


『助かってる』


 その言葉選びは、果たして恋愛感情を含んでいるのか、際どいラインだった。


「さ、戻ろ?」

「う、うん。アイロン台、持とうか?」

「ありがと、助かる」


 真也は意外とすぐに出てきた二度目の『助かる』を聞き、どの程度彼女の特別になれているのかと頭を悩ませながら、レイラの後に続く。


 そんな真也は気がつかなかったが、レイラの足取りは、いつもより少し軽かった。


 全校生徒を挙げての賑やかな準備は夜遅くまで続き、『東雲学園文化祭』、その準備の全てが完了した。

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