125 決選投票


 放課後、Aクラスの面々は張り詰めた空気を伴って、教室から誰もかけることなく、教室に残っていた。

 既に全ての授業が終わっており、教壇に立つのは教員ではなく、委員長の直樹。


「……では、投票でいいですか?」


 真剣な表情の直樹に、数人のクラスメイトが頷く。

 このままことが進むかと思われたが、教室の一番後ろ、窓際の席から声が上がった。


「待て」


 静かに、威圧するような声を上げて席から立ち上がったのは伊織。


 普段、大勢の前で発言するような人間ではない伊織の『待った』に、クラスメイトたちは冷や汗を流す。

 

 しかしそれでも、クラスの代弁者たる直樹は一歩も引くことなく、伊織を見つめ返した。


「なんだよ、押切。投票……これ以上民主主義的な決定方法はないだろう」

「民主主義? くじ引きで決定しても構わないだろ。ボクはくじ引き以外認めない」

「じゃあ、投票にするか、くじ引きにするか、どうやって決める? それもくじ引きか? それとも、投票にするか?」

「ふざけやがって……」


 伊織は毒づきながら、たん、たん、と足を鳴らす。


「悪いな押切。俺一人の問題でも、お前一人の問題でもないんだ。

 クラス全体の問題を、お前一人の意見でねじ曲げることはできない」


 有無を言わせぬ、という直樹の言葉。そして、その直樹の言葉に対するクラスメイトたちの無言の賛同。

 伊織は怒りに体を震わせるが、自分の意見が通らなさそうなことは理解できた。


「……分かった。投票でも構わない。だた、記名式にしろ」

「記名は認められない。無記名で行く」

「葛城っ……お前!」


 否定するばかりの直樹に、伊織は耳をピンと立て奥歯を噛んで睨み付ける。


「伊織、落ち着けって」


 真也は伊織へと声をかける。

 真也には伊織の気持ちがよく分かったが、いまにも飛びかかりそうな伊織をたしなめずにはいられなかった。


 誰にも寄り付かない伊織を説得できそうな唯一の人間、真也が動いたことで、クラスメイトたちは静かに胸を撫で下ろす。


「これが落ち着いていられるか! 間宮、お前はどうするつもりなんだよ」

「俺は……」


 いざ聞かれると、真也は口籠ってしまう。


 そんな真也の反応は、伊織には簡単に予想ができた。

 普段の主体性のなさ。そして、じわじわと上がってきているクラスへの影響力。これを利用しない手は無い。

 逆に彼を『くじ引き賛成派』へ引き入れようと口を開きかける。


「私は、記名であれ、ひとつめ以外に、投票する」

「レオノワ!?」


 しかし、伊織の発言よりも先に、レイラが割って入った。

 この硬直した空気を動かすために、レイラは自分のスタンスを明かしたのだった。


「……そうか、レオノワも『そっち側』ってわけか」


 友人だと思っていたレイラの言葉に、伊織は肩を震わせる。

 レイラは、それは伊織の勘違いだと首を振る。


「違う」

「なにが違うんだよ!」


 レイラは伊織に睨まれながら、少し目線を外して恥ずかしそうにボソリと告げた。


「……おばけ、こわい」

「あ……そうなの?」


 レイラの意外な回答に、伊織は耳をへにゃりとさせ、脱力しながら返事した。



 ホワイトボードには、『文化祭の出し物』と銘打たれた案が並んでいた。



 案は『お化け屋敷』と『全員メイド喫茶』、『性別反転メイド喫茶』。そして、『女装喫茶』。


 あまりにも偏ったラインナップ。


 普段は伊織のことを遠くからしか見られず、話しかけづらいクラスメイトたちが此れ幸いにと『伊織の女装姿』を見るため、文化祭でのクラスの出し物の案の中に『女装ネタ』を忍ばせたのだ。


 最初にくじ引きで4つまで案を狭めた結果、四分の三が女装という惨状になったのだ。


 伊織も、『自分が適当に書いたお化け屋敷以外、女装しか存在しない』ラインナップの異常さに気がつき、決定までくじ引きでの決定を進言したのが、つい今し方。


「押切。くじ引きでも、75%、同じ」

「投票と違って25%の救いがあるだろ!? けっこうでかいよ! 25%は!

 どうせ投票なら記名式にして、女装関連に投票したやつ全員殺す。それがボクに残された最後の悪あがきなんだよ!」

「まあまあ。そんなに嫌なら押切はキッチン側にいればいいよ。メイド服は着てもらうけど」

「葛城! 貴様ァ!!」

「女装、いいじゃぁん。せっかくの文化祭だしぃ」

「それにー、別に押切さんの女装が見たいから、ってだけでこのラインナップになったとは限らないしー。ね?

 たまたまだよ、たまたま」


 一向に納得しない……できるわけもない伊織に、クラスの中でも大きな発言力を持つ女子2人組、姫梨が声をあげ、水樹も黒い丸耳をぴこぴこと動かしながら追従した。


 伊織はこの悪あがきが成功しない未来を感じ取り、ため息とともに告げる。


「……決めた。ボク、文化祭休むわ」


 その言葉に、クラス全体がざわめく。


 折角女装ネタを入れたのに、一番の目当てが文化祭に参加しないとなると、男子たちにとってはただ女装するだけという、損しかないものになってしまう。


 真也の後ろに座っていた男子生徒、駿河凱するががいが慌てて真也の肩を叩く。


「……なあ、間宮……頼む、説得してくれ」

「えぇ……」

「お前だって見たいだろ? 押切の女装姿」

「いや、別に……」


 思いの外乗り気でない真也の様子に、凱は言葉を続ける。


「じゃ、じゃじゃじゃあ、考えてみろよ。メイド服のレオノワさん」


 メイド服のレイラ。


 普段あまり見ることのないスカートの裾を持ち上げながらの優雅な一礼で、普段無表情なレイラが、ほのかな笑顔とともに『おかえりなさいませ』と自分に語りかける。

 白いプリムローズは、彼女の美しい金髪によく似合うだろう。


 『ご主人様……だめ、私は……メイド……っ』


 レイラが恥ずかしげに頬を赤く染めるところまで想像した真也は、ゴクリと唾を飲んだ。


 真也が揺らぎ始めたのを感じた凱は、さらに畳み掛ける。


「さらには、執事姿の……男装の麗人のレオノワさん、って手もあるぞ」


 今度は、髪をお団子にして、知的そうなモノクルを掛けたレイラが『御坊ちゃま、勉強のお時間ですよ?』と真也に語りかける。

 スラット長く伸びた足、モデルのような体型にはフォーマルな男装は間違いなく似合う。


『さあ、御坊ちゃま、一緒に『お勉強』しましょう……?』


 男装しているからこそ、レイラの美しさはより際立つだろう。


「……いいかも」

「ほぉう、間宮。お前ってやつは……」


 妄想が表まで溢れ出て、ニヤニヤと気持ちの悪い笑みを浮かべる真也の言葉を、兎のエボルブドたる伊織が聞き逃すわけがなかった。


 真也はそんな伊織に対して、急ぎ真剣な表情を作る。


「伊織……あのさ、伊織が文化祭休みたいってなら、俺は止めない。

 女装したくなけりゃ、しなくてもいいと思う。それは、伊織の自由だ」


 真也は、力強く宣言する。


「でも、それでも俺は、性別反転メイド喫茶に投票する」


 真也は執事姿のレイラの魅力に抗えなかった。


「自分を犠牲にしてまで!?」

「……俺も、見てみたいものが、あるんだ!」

「なにをカッコいい風に! 死ねッ!」


 完全にヘソを曲げた伊織の元に、すすす、と姫梨が近寄る。


「ねねね、いおりん」

「……なに? 桐津さん」

「いおりんのメイド服、絶対可愛いと思うよぉ?」

「だからなに?」


 不機嫌そうな伊織に、姫梨はこっそりと耳打ちする。


「もしかしたら、『彼』もドキっとするかもねぇ」

「なっ……」


 伊織は姫梨の言葉から妄想する。


 女装は心底嫌だが、それでも自分がメイド服を見れば、そこそこ女の子っぽい姿になるだろう。

 それは、真也にとって魅力的に見えるのではなかろうか。

 今は、ただの友人としか見られていなくとも、気になる対象として、自分が映るのではないか。


『伊織、ごめん、男だって、わかってるのに俺……伊織っ!』


 そこまで妄想した伊織は、ぼそりと呟く。


「……本当か?」


 伊織の言葉に、姫梨は「んー?」といたずらそうに笑ったままだった。

 伊織はじれったそうに、小声で再度確認する。


「だから! ……本当に、ドキって、するかな?」


 伊織は不安と期待が入り混じった表情で、上目遣いに姫梨へと問いかけた。

 大きなウサギの耳が自信なさげに垂れており、庇護欲をくすぐるその仕草に、姫梨は心の中で叫ぶ。


(その表情ですでにドキってするよぉぉぉ! もおぉぉん!)


 姫梨は心の中で悶えながら、それを一切出さずに、親指を静かに立てる。


「もちろぉん。姫梨チャンが腕によりをかけますよぉ?」


 姫梨の言葉に伊織は耳をぴこぴこと動かして思案した後、顔を赤くしながら、宣言した。


「……ボクは、お化け屋敷に投票するけどね」


 『投票』を認めた伊織の言葉に、姫梨は笑う。


「ふふふ、素直じゃないなぁ。一票ごときじゃ覆らないから安心して?」



 こうして、ほぼ満場一致にてAクラスの文化祭の出し物は『性別反転メイド喫茶』に決定したのだった。

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