120 兄(下)
時は、九重家での二人の兄の会話へと戻る。
光一の『衛護の判断に従う』という言葉に、真也は反射的に立ち上がった。
「おまっ……!」
衝動的に『お前』と口にしそうにすらなった。
先日、真也に対し、苗を『頼む』とまで言った光一が、苗が家族でなくなる結果を、受け入れるというのだ。
それは、真也にとって妹を見捨てるというのと同義であり、同じ兄として許せない発言だった。
しかし、真也の眼に映る光一の表情は、暗い。
光一の膝の上で強く握られた拳が『従う』が『賛成』ではないと、在り在りと表していた。
「九重先輩……」
真也は気づく。
光一は、『従う』としか言えないのだ。
彼もまた、九重家の者として、『必勝』の世界で過ごさざるを得ない者なのだ。
真也は浅慮を恥じながら、静かにソファへと座り直す。
「……すいません、取り乱しました」
「いや、気にするな」
光一は首を振り、言葉を続ける。
「従わねばならぬのは、それが『掟』だからだ。
九重となる者は、蛇のエボルブドでなければならない。そして、九重となった者は、敗北してはならない。敗北した『九重』がどうなるのかは……俺も、知らん。
……これが、誰も逆らうことのできぬ九重の象徴、『九重円治の遺言』であり、それ以降続く『掟』なのだ」
九重円治。それは殻獣の発生後、九重家を不動の存在へと押し上げた人間であり、九重家最初の『蛇のエボルブド』。
たとえ、日本を影から支えていたとしても、身内に対するその『理不尽さ』は、真也には理解できなかった。
「生徒会選挙の敗北。普通の高校ならばそれは大した問題ではないかもしれん。
しかし、こと東雲学園の生徒会選挙は、国疫軍の上層部へ登るための登竜門とも言える。その注目度は高い。
……そして、九重に敗北が許されないのは、『失敗する』余地のある事に手を出すな、ということでもあるのだ。
苗が、生徒会選挙に負けぬと判断した上で参加し、負けた事に、問題があるのだ」
光一に、真也は静かに言葉を返す。
「負けたから……掟だから、仕方ない。父親が言うから、仕方ない。
そんな理由で、九重先輩は……『妹』を、見捨てるつもりなんですか」
その声は、静かに震えていた。
九重円治の残した遺言にも、それに従い歪な家族関係を結ぶ九重家にも、そのがんじがらめの中で、それでも苗を気にかけていたとのだと信じていた光一の言葉にも、真也は落胆にも似た、ふつふつとした怒りを再燃させる。
遣る瀬無い怒りを隠しきれず、責めるような真也の言葉に、光一は力なくうなだれる。
「前も、言っただろう。俺は……分からんのだ。
俺と苗は、異母兄弟だ。しかも、たった3年しか、兄妹でない。そんな俺が、苗の兄と言えるのか? あいつは……俺を兄だと思っては……」
語尾が消え入るような光一の言葉が消え入るよりも早く、真也は光一に問う。
「兄と思われていない。それがどうしたんですか」
「……何?」
急に差し込まれた真也の言葉に、光一は訝しげに眉を寄せる。
光一が思い悩む『苗から嫌われている』という事実を一蹴するかのような言葉に、光一は真也をじっと見返す。
真也は、ほぼ睨まれているといってもいい鋭い眼光に、引くことなく、言葉を続ける。
「血が繋がってなくても……たとえ兄と思われてなくても。
……それでも、九重先輩が、苗さんのことを妹だって思ってるなら。九重先輩は兄であろうとするなら。そんなことはどうだっていいんです」
「どうだっていい? そんなこと……」
「どうだっていいです。
……俺に、苗先輩のことを『頼む』と言ったのは、気にかけていたからじゃないんですか?
政見放送を手伝ってくれたのは、苗先輩のためじゃなかったんですか?」
真也は光一の言葉を塗り潰す。彼の口から出る『言い訳』を、彼の異能のように『傷つける前に』跳ね返す。
「九重先輩。今だって、こんなにも、苦しそうじゃないですか。妹のために、苦しんでるじゃないですか」
真也の言葉を受け、光一は、はっと気づく。
自分の眉頭が、頬が、肩が、硬直するほどに悔しさを噛み締めていたことを。
体の節々から溢れでる苦味に気づいた光一に、真也は微笑む。
「……なら、助けましょうよ。今、九重先輩がその手を離したら、苗先輩は、今度こそ、本当にひとりぼっちになっちゃうじゃないですか。
たとえ、苗先輩がひとりぼっちだって思ってても、本当は1人じゃない、って……そう言ってあげればいいじゃないですか」
「しかし、俺は……助けてくれなどと言われていない」
最後の悪あがきのように溢れでた光一の言葉に、真也は笑ってみせた。
「助けて、って言われなくても、助けたいと思うなら、助けていいんですよ。
そのあと『助けてなんて言ってない』って怒られたら、それはその時、謝りましょう。『助けるな、って言われてない』って言い訳しながら」
真也の言葉に、光一は頭を伏せる。
後輩に好きに言われ、悔しいからでは無い。
身勝手な真也の言葉に怒りを抱いたからでも無い。
『助けたければ、助ければいい。非難されたら、あとで謝ればいい』
こんな無茶苦茶な理論で釣り上がる頬を、真也に見られないためだった。
「……暴論だな」
「持論です」
真也は自信満々に言い放った。
「俺も、力になりますから。俺は……『守れない』なんて……助けられないなんて嫌なんです」
「間宮……」
「俺は、九重先輩だって守ってみせますよ。俺は、俺の手の届く全員を、守りたいんです」
それは、真也がこの世界に来たときに宣言した言葉であり、この世界の自分に『託されたこと』である。
過去、大切なものを救えなかった真也にとってこの決意は、自分が自分でいるための、決して曲げてはならない信念だった。
真也の言葉に光一は呟く。
「俺すらも、か……」
目の前の少年は、光一まで救うと断言する。
家を追い出されるかも知れない、今後どうなるかわからない『妹』だけではなく、妹を失う『兄』すら、救うと断言した。
「……間宮、お前がここまでお節介な奴だとは思わなかったぞ。
俺は『助けてくれ』などと言った覚えはないのだが?」
光一はわざとその言葉を使い、真也はにやりと笑う。
「助けるな、って言われてません」
光一に、真也の表情が伝染する。
笑顔の光一の心を駆け巡ったのは、諦めにも似た感情だった。
(厄介な奴に目をつけられたな。俺は、苗は、そして……九重は。
普通、このような話を聞かされ、第一に『なんとかする』事をここまで自然に考えられるものなのか?)
この男は、誰彼構わず救わなければ気が済まないのだ。
光一は眼鏡をかけ直すと、先程までの様子と打って変わって力のこもった瞳を真也へと向ける。
「間宮、『助けてくれ』。俺に、策がある。でも、俺1人では、苗を……妹を救えない」
真也は一も二もなく頷く。しかし、一抹の不安が残っていた。
「ここから、苗先輩を救う……。
九重先輩。衛護さんに……お父さんに逆らうことになるかもしれませんよ」
真也は、一度は衛護の言葉に従う、と言った光一が本当に抗えるのだろうかと邪推してしまう。
光一や苗の様子から現当主、九重衛護は非常に強大な存在に思えた。
「なに、逆らうのではない。『説得する』だけだ。父上が結論を下す前に、その前提を覆す。
間宮が、手助けをしてくれるのなら、可能だ」
光一は、『苗が敗北した』という前提を覆す、と言うのだ。
「そんなこと出来るんですか!?」
驚く真也に、光一は不敵に笑う。
「……俺を誰だと思っている。九重に敗北はない。さあ、作戦会議だ」
光一は、真也に根負けしたことは『敗北』ではなく、説得に応じたのだ、と心の中で言い訳しながら、後輩に自信満々に言い放った。
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