121 慰労会


 生徒会長の決まった放課後、苗と苗の選挙補佐たちは都内のレンタルスペースに集っていた。

 それぞれがジュースや菓子、大皿料理などを持ち寄り、選挙期間を共に戦い抜いた仲間たちとの『慰労会』の準備をわいわいと進める。

 結果がどうあれ、皆が東奔西走、戦い抜いたことに変わりはない。


 選挙の結果は……結末は、受け入れがたいほど余りにも『酷い』ものだった。生徒たちの声を捻じ曲げたような、立候補の取り消し。生徒会長の満流の、『生徒会軍務廃止は総意ではない』という言葉。


 それを受けて暗く落ち込むのは、卑怯な手を弄した彼らへの敗北のような気がして、みな、明るく振る舞っていた。


「すいません、遅くなりました!」

「間宮くん、待ってたよ!」


 遅れてレンタルスペースに飛び込んできた真也に雄基が笑いかけ、まひるがトコトコと真也の元へとやってくる。


「お兄ちゃん、なんの用事だったの?」

「ん、ちょっと、ね」


 真也はまひるの質問をはぐらかすように栗色の髪をひと撫ですると、慰労会の準備に合流した。


 慰労会の準備が整い、全員が飲み物を手にする。自然と苗へ注目が集まり、恥ずかしそうに苗が立ち上がった。


「今回は残念な結果となりましたが、みなさん、選挙補佐、本当にありがとうございました。わたしがここまで頑張れたのは、他ならぬみなさんのおかげです。

 最後に疲労から倒れてしまって……ご心配をおかけしましたがもう大丈夫です。今日は楽しみましょう!

 乾杯!」


「「「かんぱーい!」」」


 声を揃えてグラスを掲げ、選挙補佐の激務による疲労を吹き飛ばすような笑い声がレンタルスペースにこだました。


 雄基は空気に酔っているのか、普段よりも大きな声でグラスを片手に今回の選挙結果について考察する。


「今回の問題提起は、東雲学園に必要な事だったよ。苗さんの選挙参加は、すごい旋風を学園にもたらしたんだ。

 いつまでも、この格差が続かない。そんな気がするよ!」


 笑顔の雄基に、他の選挙補佐たちも追従する。


「そうそう! 今年は無理でも、きっとこの流れを継ぐ人が現れますよ! ね?」


 先輩たちからニコニコとした目線を向けられた真也はたじろぐ。


「えっ、お、俺ですか!?」

「そりゃね! みんな期待してるよ!」


 東雲学園に長く続く『純東雲』の特権。それらを廃し、生徒全員が『公平』に過ごせるようにする。目の前の少年なら、それができるかもしれないと、皆期待を寄せていた。


「お兄ちゃんが生徒会長かぁ。……悪くない。むしろいいかも」

「まひる!?」


 まひるまでもが乗り気になっているとなると、これは本格的に逃れられそうにない、と真也は焦る。


 今回、選挙の争点となった東雲学園の闇を、そのままにしておけないという気持ちは真也にもある。

 しかし、真也にとって『生徒会長』は重すぎる役職だ。自分が光一のようにスマートに人々を導けるとは到底思えなかった。


 そんな真也にトドメを刺すように、黒いポニーテールが揺れて、真也の視界に苗が映る。


「ふふふ、来年が楽しみですね」

「な、苗先輩まで!」


 満場一致となった会場に雄基は満足そうに笑い、真也の肩を叩く。


「なら、僕は来年も補佐に回ろうかな」

「い、いやいや、三年生は国疫軍の登用試験があるんですから、そっちに集中してくださいよ!」

「ははは、ありがとう。といっても僕は進学予定だけどね。僕は異能研究職に進もうと思ってて」

「東異研ですか?」

「東異研!? ……まあ、行ければいいけど、そんな超一流の研究所なんて……。

 っていうか、そんなことを気遣ってくれるってことは、間宮くん、やっぱり出馬するの?」


 話題を変えても、すぐに真也の出馬についてに話題が戻ってくる。

 どんどんと逃げ場がなくなり、このままでは間違いなく来年に『生徒会選挙』に出させられる、と真也は大声を出す。


「し、しませんよ!」

「え? 真也さん、生徒会選挙に立候補しないんですか?」


 真也の否定の言葉を聞いた苗は、わざとらしく驚いた声を出す。苗の、周囲のノリに合わせた言葉に一同は笑う。


 選挙補佐たちの笑いが溢れる中、真也は考えてしまう。


 冗談めいた苗の言葉の奥に、どのような思いがあるのか。自分が『敗北』した選挙を……どんな気持ちで真也へと引き継がせようとしているのか。

 こうなってしまうと、意志の弱い真也はもはや否定できなくなってしまうのだった。


「う、い、今のところは……選挙は……考えて、ないです……」

「お、迷い始めたね! じゃあ、みんなで間宮くんを説得だー!」


 雄基が真也に詰め寄り、選挙補佐たちが真也を囲む。


 真也は周りを囲む先輩たちやまひるをたしなめながら、苗の様子をちらりと目に留める。

 苗は少し遠くから真也たちを見つめて微笑んでいたが、その瞳は、笑いきれていなかった。


 自分のために選挙補佐をしてくれた生徒たちに心配をかけまいとおどける苗に、真也は静かに心が痛んだ。




 慰労会が終わり、バラバラと皆が帰る中、真也はまひるに『大事な用がある』と告げて先に帰宅させる。

 まひるは訝しんだが、それでも真剣な真也の様子に「わかった。早く帰ってきてね」とだけ告げると去っていった。他の選挙補佐たちも、雄基が政見放送前に見た『二人の仲睦まじい様子』の噂を聞いており、気を遣っていそいそと帰宅する。


 真也と苗、二人だけがレンタルスペースに残っていた。


 苗に話さなければいけないことがあるのでありがたい限りではあるが、しかし早急に誤解を解く必要があるな、と真也は内心焦る。

 しかし今は、まず解決させるべき問題があった。


 レンタルスペースに二人きりになると、苗は先ほどまでの明るい様子が嘘のように、静かにソファの端に腰掛けていた。


 そんな苗の向かいに真也は腰を下ろし、向き合う。


「苗先輩……ちょっと、お話ししませんか」

「ええ。もちろんです。真也さん」


 苗は皆の前では『元気な姿』を被っていたが、真也と二人きりになった今、表情は暗い。

 その変化は、咲いていた花が全ての力を出し尽くし一夜で枯れるような、儚いものだった。


 先に口を開いたのは、苗。


「私が保健室で言ったこと、忘れてください。おこがましいにもほどがありました。碌に結果も残せない私なんかが……」


 肩を震わせながら告げられた苗の言葉を、真也は制する。


「待ってください、苗先輩。俺は、苗先輩を忘れるつもりなんてありません」


 苗は真也の言葉に、薄い笑みを作る。


「真也さん……」


 満面の笑みとはいかないのは、彼女の希望が叶えられた事が同時に『彼との決別』を意味しているからだ。

 そして同時に、保健室で『任せて』と言った真也の言葉が成し遂げられなかったことをも意味している。


 だからといって苗はそんな彼を責めるつもりはなかった。もとより無理なことだったのだから。


 しんみりとする苗に、真也は笑いかける。


「忘れられませんよ。これからも一緒なんですから。一緒にいるのに、忘れるなんて無理ですよ」

「真也、さん……?」

「苗先輩。安心してください。苗先輩が九重でなくなることなんて、ありません」

「……?」


 真也は、光一とともに苗が思い悩む『前提』を崩してきたばかりだ。

 興奮を抑えきれず、真也は早口に苗へと告げる。


「九重先輩が、苗先輩のために動いてくれました。

 苗先輩は今年、副会長です。九重先輩が手伝ってくれて、ついさっき副会長の座を、相模先輩からもぎ取ってきました」

「そんな……兄さん、が……手伝って?」


 いつも自分に対して辛辣な兄が、自分のために満流を説得した。


 真也の口から出た言葉を、苗は信じきれなかった。


「で、でも、副会長になったところで……生徒会長選挙には負けたわけですし……」

「『長期的な勝利』。そう九重先輩は言ってました。

 『生徒会選挙の勝利』ではなく、『歪みを正すことこそが勝利』って。

 人間は急な変化には対応できない。急な変革を行なっても、また歪みが生まれるだけ。問題を明らかにし、副会長になることで、歪みを正す土台を作った、って。

 だから、苗先輩は『敗北』してない。衛護さんも、その言葉にきっと納得します。九重家にいられるんですよ!


 真也は苗を励ますよう、身振り手振りを加えて説明する。そして、喜色一面から打って変わり、真也は気まずそうに苗へ言葉を続けた。


「……苗先輩。実は俺、謝らなきゃいけないことがあります。……政見放送の案なんですけど、あれは、九重先輩から教えてもらったことです」

「……そう、ですか。なんとなく、そうかもしれないとは思ったんですが……」


 真也の言葉に苗は驚くことなく、腑に落ちたように呟く。

 選挙の抜け道や心理学を知り尽くしたような真也の提案は、光一の差し金と言われてもなんらおかしくは無いものだった。


「苗先輩は、九重先輩から『どうとも思われてない』なんて言ってましたけど……そんなこと、やっぱり無かったんですよ。

 俺が九重先輩に相談した時、先輩は頭を悩ませながら、苗先輩のために作戦を考えてくれました。

 政見放送の時も、つい今しがた、相模先輩から副会長の座を確約させた時も!」


 せっかく、光一が苗のために苗を救うために行動し、苗を救った。

 ならば、全て打ち明けて光一と苗の仲を取り持つに、今以上に良い時はない。真也はそう思い、真実を打ち明けた。


 しかし、真也の言葉に、苗は首を振る。


「……それは、真也さんが相談したからですよ」

「そんなことありません。だって、九重先輩は……」


 頑なに光一を否定する苗に真也が言葉を続けようとしたが、その言葉は、苗の叫びによってかき消される。


「あの人は! 私のことなんて、どうとも思ってないですよ!

 私が『九重』になってから……出会ってから、あの人は、一度も私を助けてくれなかった!」


 その目は怒りと悲しみに満ち満ちていた。

 真也は苗に真実を伝えるために、彼女よりも大きな声を放つ。


「それは! 九重先輩だって、悩んでました!

 苗先輩が、自分に助けを求めないから、どうすればいいのか、って」

「関係ないです! だって、たすけ、たすけて、なんて……」


 苗は取り乱したように声を張り上げ、言葉もしどろもどろだった。

 深く拗れてしまった兄妹の仲。それは、ここにきても苗の心を縛る。


「私は……私は……守って欲しかった。助けて、なんて……言えなかった……誰も、真也さん以外は誰も、今までわたしを守ってくれなかったっ!」


 苗は俯き、現実をみたくない、と言わんばかりに顔に手を当てる。

 そのまま動かなくなった苗に、真也は優しく語りかける。


「……先輩は言ってました。何度も言ってました。『俺は、兄なのだろうか』って。

 苗先輩のことを『妹じゃない』ではなくて。『兄じゃない』って。九重先輩だって、苗先輩と兄妹になりたくって、もがいてたんですよ」


 真也の言葉と同時に、レンタルスペースのドアが開く音がする。


「苗」


 レンタルスペースに、二人とは違う声が響く。


 驚いて苗が振り返ると、そこに立っていたのは夕闇を背にした光一だった。目尻を赤くした苗は、驚きに目を見開く。


「にい……さん……」


 反射的に、弱々しく苗は呟いた。『兄さん』と。


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