094 久しぶりの登校


 ルーティンは、一度崩すと復帰に時間がかかる。


 例えば武道の稽古は、1日の遅れを取り戻すのに1週間以上かかるという。

 まず、鍛練をしていない体を起こすのに3日。それから3日以上をかけて日々稽古をしている体にする。その後、何日も他のものよりも入念な鍛練をし、毎日稽古をしたもの達と同じところを目指すのだ。


「だから、しかたないのだ……」


 4日間学校を休んだ自分が、久々に学校へ向かうのがこれほどに嫌だなぁと思うのは仕方ないのだ……そういう体に……毎日学校へ行く体になっていないのだ。


「うん。かえりたい……」


 真也は、自分の『学校に行くのがだるい』という精神状態を崇高な修行者と並べ立てて擁護した。


「もうっ、そろそろ観念したら?」


 まひるは朝から浮かない顔でぶつぶつと言い訳をする真也に小言を言いながら、甘やかしまくって悪の道に引き摺り込んだ自分の行動を少し反省していた。


 昼過ぎの電車は座るに十分な空きがある。そのため真也とまひるは座席に座っており、それが余計に立ち上がるという動作を面倒と真也に思わせる。


 そんな怠惰の権化と化した真也に声がかけられる。


「おはよう、真也」


 真也が頭をあげ、声の主を見上げると、見慣れた金髪と、白い肌。そして青い瞳が目に飛び込んでくる。

 立っていたのはレイラであった。


 真也やまひると同様、デイブレイク隊の軍務によって半休を得ていたレイラも、たまたま同じ電車に乗り込んでいたのだ。


 真也はレイラに怠けているところを見られまいと姿勢を正し、自分の横に座るレイラに挨拶を返す。


「レイラ、電車の中で会うのは珍しいね」

「うん。昼から登校、毎日ならいいのに」


 朝の苦手な少女は、今日の登校時間に満足している様子で、よく見ればレイラの顔も怠惰の権化に近かった。


 まひるはレイラの様子にも肩を落としながらため息をつき、年上の2人はまひるの反応にもう少しだけ表情に力を込めた。


 レイラは思い出したように、真也へと告げる。


「真也、武装、どうする?」


 レイラの言葉に、真也は合宿で潰れた予定を思い出す。


「ああ、もうすぐゴールデンウィークだし、どこかの日に行こうか」

「それがいい。他のメンバーにも、予定、聞こう」


 真也とレイラの会話に、まひるが驚いて参加する。

 武装購入の話が出たその日にオリエンテーション合宿の話が割り込み、真也はまひるに話すタイミングを完全に失っていたため、まひるにとっては青天の霹靂だった。


「え!? お兄ちゃん、武装買いに行く予定だったの?」

「ああ。合宿で流れちゃったけど、クラスのメンバーと元々買いたいって話しててさ」

「私も行きたいなぁ……」


 まひるはすでに自分用の武装を持っている。しかし、休みの日に真也と出かけるというのは……しかも、自分の方が詳しくて真也をエスコートできるかもしれないという状況は非常に魅力的なものだった。


「まひるは友達と遊ぶんだっけ?」


 真也の言葉に、まひるはため息を吐く。


「うん。全部予定入れちゃった……もうっ、なんで教えてくれなかったの!」


 真也が合宿に行っている間に、クラスメイトとともに遊ぶ予定を満載してしまったのだった。

 今考えれば1日くらい真也との時間を作ればよかったと後悔するが、家にいる間は一緒に居られるという過去の慢心にいまさら文句を言っても仕方がない。


 それに、今から真也のために日程を調整しても、真也に見抜かれて、友人との予定を優先するように言われるのは予測できた。

 自分の兄は、なぜか自分のことに対して、異様に目端が利くときがある。その感の良さが、自分の本当の思いに対して働いていないのは不運であり、幸運であったが。


 まひるががっくりと肩を落とす様子に、真也は頭を掻きながら弁明する。


「いや、ごめん。ゴールデンウィークに行く、ってのも今決まったし……」

「ごめんね、まひる」


 レイラも、真也とともに謝罪をしてくる。こうなっては、今更そちらに予定を合わせるのは手遅れな状態だった。


「……うう……しょうがないかぁ……お兄ちゃん、武装店行くなら、まひるの武装もメンテ持ってって?」


 まひるは意識を切り替え、お願い事を言うことにした。

 せめても自分が参加できないとしても、出かける真也の予定に、自分の『存在』を残したいというわがままだった。


「ええ……」


 真也は聞きなれない面倒そうなお願いに顔をしかめるが、まひるは真也の肩をぽふぽふ叩いて反抗する。


「いいじゃん、それくらいー! お兄ちゃんのけちー!」


 まひるの様子に、レイラは微笑みながら真也に告げる。


「真也、それくらい、してあげるべき」

「……分かった。でも、俺本当に武装に関しては良く知らないからね?」


 1対2となった真也は、まひるの要求を飲むことにしたが、それでも武装に関しては本当に素人だ。合宿中に片手剣の武装固定法は伊織から習ったものの、それ以上のことは本当に何も知らないのだ。


「大丈夫! レイラさんも一緒に行くなら、レイラさんならわかると思うし」


 まひるの言葉に、特練上等兵という、学生では最高峰に近い国疫軍人のレイラは、意外にも表情を固め、目線があちらこちらへと流れる。


「……う、うん」


 レイラの様子に、まひるは首をかしげる。


「あれ、レイラさんも武装あんまり詳しくない?」

「私の異能、そのまま、武器になるから……」


 レイラの言葉に、真也は作戦中の彼女の姿を思い出す。

 確かにいつもレイラは殻獣を相手に舞い踊るように、異能で生み出した杭を槍のように、時には棍棒のようにふるっていた。


 それは、真也にとって印象強い光景であったが、しかし確かに、武装をその身につけているところは、見たことがなかった。


「でも、まあ、メンテ。うん。メン、テ。ナンス? もっていって、言う。……他にある? あ、ある、の? ……ない、よね?」


 そして、いつもより早口で喋りながらぐるぐると視線を泳がせているレイラの様子は、真也に、自分ほどではないが武装に関してあまり明るくないのだと確信をもたらすレベルであった。


「……まあ、なんとかするよ。伊織は詳しそうだし」


 武装購入の水先案内の要は、合宿中も武装についてあれこれと教えてくれた伊織だろう、と真也は言葉をこぼしたが、それに大きく反応したのは、やはりまひるだった。


「押切先輩」


 真也のつぶやきにおうむ返しをするように伊織の名を呼んだまひるは、顔にしわを寄せる。


「……押切先輩も行くの?」


 真也は急にまひるの語気が少々強くなったことに驚きながらも言葉を返す。


「え? まあ、予定が合えばだけど……元々クラスのみんなと行く予定だったし」


 まひると伊織は仲が悪かったろうか、と真也は首をかしげる。

 仲が悪くなるほど、2人にそれほど面識があったとは思えないし、以前に伊織と遊んだ後にまひると話した時は、今のような態度ではなかったはずだ。

 それとも、その後に何かあったのだろうかと真也は記憶を手繰るが、思い当たる接点は土曜の軍務とデイブレイクの初軍務で大岳営巣地でチームに分かれた時くらいだった。


 その時に何かあったのか、それとなく伊織に聞いてみようかと真也は心に留めた。


 一方、不機嫌そうなまひるは少し考えたあとに口を開く。


「……まひるの武装のメンテ」


 ぼそりと呟いた言葉には、続きがあった。


「と、ゴールデンウィーク中は添い寝ね!」


「「えっ」」


 驚いた真也とレイラの声が重なる。


「……お、おい、まひる」

「いいじゃん、それくらい! だって、おにいちゃん、また押切先輩とお出かけするんでしょ?」

「え? また、って」

「だったら、その分まひるも甘やかしてくれないと!」

「えぇ……」


 まひるのよくわからない理論に、真也は弱々しく声を漏らす。


「……ついたよ。ほら、いこ、お兄ちゃん」


 真也の声を塗りつぶすようにタイミングよく停車した電車に反応したまひるは、先に立ち上がると歩き出す。


「まひる、流石に添い寝は……」

「なに? 家族じゃん。添い寝くらい普通! 以上!」


 急な添い寝の提案に、真也は何が何だかわからなかった。


 ロシアから帰還した日にまひるの見た『夢』の内容も、自身が眠っている間に起きたことも知らない真也にとっては、完全に言いがかりにしか聞こえなかった。


 真也は、たまにまひるの見せる癇癪の一環かとため息をつく。


「中学生にもなって……」

「まあ、甘えたい、年頃。真也が、自分以外の人と仲良くなるのが、寂しいんだと、思う。

 ……それに……逆らわないほうが、いい……気がする」


 ゴゴゴ、とオーラをまとったようなまひるの背を見送るレイラの言葉に、真也は静かに頷いた。




 真也たちは電車から降りて駅から出ると、すぐ目の前の校門に向けて歩きだす。


 昼頃の登校のため駅前には人がいないかと思われたが、明らかに生徒ではない人混みが彼らを待ち受けていた。


「あ、来た来た!」


 人の群れの中、メガネをかけた男性がこちらの姿を認めるなり大声を上げ、雪崩のように真也たちに向かって走り寄る。あれよあれよと言う間に、真也たち3人は人の群れに飲み込まれた。


 彼らを囲む人々の手には、メモ、ボイスレコーダー、カメラにマイク。


「レオノワさん!」「レイラ・レオノワさんですよね!?」「ちょっとよろしいですか、曙新聞ですが」「STVです! 故郷ロシアでの大活躍について登校前に一言!」「女王捕獲に関して、日本支部から何かありましたか?」「お父さんのロシア支部少将から何か言葉は? 褒められたりとか!」


 あっという間にレイラはマスコミに取り囲まれ、真也とまひるもそのインタビューの嵐に巻き込まれたのだった。


 そして、レイラに伸ばされたマイクの腕には、識別バングルはつけられていない。


「う、あ……」


 急に、母国語ではない言語でまくしたてられたレイラは、頭が真っ白になった。

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