093 兄妹たち


 東異研から帰り、そのまま解散となった真也はまひると共に帰宅する。


「ただいま、おかえり」

「おかえりー、ただいまー!」


 間宮家で恒例の挨拶をお互いに交わしたあと、2人は識別バングルを玄関に置き、それぞれの部屋で着替え、リビングに集まる。

 真也はいつものようにリモコンを操作し、見るわけでもないテレビをBGMにソファへと体を沈みこませた。


「なんか、こんな時間に家に帰るの久々かも。今日はもともと休みだったけど、なんかワクワクするね!」


 まひるは楽しそうに弾みながら、真也の膝の上に飛び込む。座る真也に抱きつくと軽く鼻を鳴らし、「ふふふ」と幸せそうに笑った。

 飛び込んできたまひるの頭を軽く撫でながら真也が呟く。


「俺も、昼過ぎから予定が無いのは久々……だけど、日本に帰ってきてからはずっと休みだからそれほど久しぶりって感じしないなぁ」


 ソファの背に体を預け、猫のように背伸びする真也に、まひるはくすくすと笑う。


「お兄ちゃん、合宿でいっぱい頑張ったもん、おやすみくらい、ダラダラしよ?」

「そうだね。ほんとに合宿は色々あった……」


 ふう、と息を吐き出し、過去を反芻するような真也に、まひるはひとつ声の調子を上げて話しかける。


「……今回のおかげで、月曜日は半休になるし、まだまだダラダラできるよー! 

 ……さぁー、まひると一緒にだらけようぜぇ……?」


 まひるは、ひっひっひっ、とオーバーに笑いをあげて、手をワキワキさせながら真也の膝の上でにやりと笑う。


「や、やめろぉ、俺を悪の道に引きずり込むなぁ」


 真也はそんなまひるの小芝居に乗って、笑いを浮かべながら、B級パニック映画の被害者のようなわざとらしい悲鳴をあげた。


「ふっふっふっ、お兄ちゃん、二度寝からのベッドの上でのスマホいじりに抗えるかなぁ?」

「む、むりだぁ……助けてくれぇ」


 身をよじらせる真也を追って、まひるはソファの上を逃げる真也の上半身に覆いかぶさる。


 ソファの上で横になった2人は笑い声をあげた。


 しばし笑い声がリビングに響いたあと、真也は自分に覆いかぶさったまひるの背を、『降参』を表すようにぽんぽんと叩いた。

 しかし、まひるは真也に抱きついたまま、なかなか動こうとしない。


 リビングには、ただただテレビの音が流れ続けている。


「……まひる?」


 いつまでも動かず、自分に覆いかぶさるまひるに、真也は声をかけた。

 まひるはピクリと反応するが、顔を埋めたままだった。


「……なに? お兄ちゃん」


 少し不機嫌そうなまひるの返事に、真也は片眉を上げる。


「まひる、どうしたの?」


 真也の言葉に、まひるは顔を上げて真也の方を見る。

 その顔は不機嫌を表すように、唇を尖らせて頬が膨らんでいた。


「べつにー。別にお兄ちゃんがあの殻獣とイチャイチャした事に怒ったりなんかしてない」


 まひるの言葉に、真也は静かにため息をつく。

 

「あれは情報収集のためで……」


 真也の言葉に、まひるは上体を起こして真也の服を掴み、真也の胸元で握りこぶしを作る。

 真也の少し服が伸び、真也の体を薄く締めつけ、真也の言葉が止まる。


 真也の言葉が止まった理由は、呼吸がしづらくなったからではない。まひるが急に動いたからでもない。


 まひるの目が、少し潤んでいたからだった。


「あいつらの情報収集のため。分かってる。分かってるけど、でも、やっぱ、やだ。

 ……お兄ちゃん、あいつ、殻獣なんだよ?」


「うん」


 まひるの言葉に、真也は頷く。

 まひるは頷いただけの真也に、詰め寄るように続ける。


「危ないんだよ?」


「うん」


 まひるの言葉に、真也はもう一度頷いた。


「まひるの……お兄ちゃんと、お父さんと、お母さんを……殺した存在なんだよ」


「……うん」


 しばし間があって、それでも『うん』としか言わない真也に、まひるは声を荒げる。


「女の子の姿だって、喋れたって、それでも、まひるにとっては『殻獣』なの。

 しかも、お兄ちゃんを……お兄ちゃんを殺した殻獣と同じ!」


 叫ぶ様なまひるの言葉に、真也はまっすぐまひるを見返し、口を開く。


「……ああ。だからこそ、人型殻獣に対抗するためなら、なんだってする。俺の兄貴の仇でもあるんだから」


 真也の言葉に、まひるは目を見開く。

 真也はゆっくりと体を起こすと、まひるを抱きしめた。


 真也は、抱きしめた肩越しにまひるに告げる。


「だから、俺、強くなるよ。妹に心配されるようじゃ兄貴失格だ」


 真也はもう一度まひるの頭を撫で、まひるは決意したように、ぼそりと呟く。


「……まひるも強くなる」


 その言葉とともに、まひるは真也を強く抱きしめ返す。


「まひる、お兄ちゃんよりも強くなって、あんな殻獣、簡単に処分できるようになるから」


 真也はまひるの言葉にどこか違和感を覚えながらも、妹の頭を撫で続けた。




 光一と苗は学校から迎えの車に乗りこみ、九重家の屋敷への帰路につく。


 九重家お抱えの運転手である木内は、顔の皺の数にたがわぬ長年の勤めからくる運転技術で静かに滑らかに車を進めていく。


 後部座席に乗る光一と苗はその静けさのなか、しばし無言だった。


 がたん、と大きな揺れとともに、おもむろに光一が口を開く。


「苗、なぜ模擬戦に立候補した」


 光一の責めるような口調に、苗はびくりと肩を震わせる。


「それは……」


 口を開いてみたものの、それ以上の言葉は無かった。もしくは、出したくなかったようだった。


 黙する苗に、光一は言葉を続ける。


「お前の肉体強度は低い。それに、異能だって模擬戦向きではないはずだ。

 ……それとも、『もう一つの方』を使うつもりだったのか。それこそ『模擬戦』に使うものではないはずだ」


 もう一つの方。光一の言葉に、苗は慌てて返事する。


「いえ……そんなつもりは!」


 苗の言葉に、光一は顔を歪める。


「ならば、お前は低い肉体強度で戦い、九重流に泥を塗るつもりだったのか?」

「それは……」


 言い澱み、目線を泳がせる苗に、光一は続ける。


「いいか、苗。九重流は様々な機関で使われている。その家元に求められるのは『必勝』であり、『最強』だ。

 もちろん、負けそうになったら逃げろというわけではない。しかし、『模擬戦』ごときで地を這うような真似が許される力ではないことくらい、お前もいい加減理解しろ。

 ……九重を名乗るならば、な」


 光一はそう結ぶと、有無を言わさぬという雰囲気で腕を組んだ。


「申し訳ありません、兄さん」


 苗は力なく、頭を下げた。


 ほんの少し間があって、光一は再度口を開く。


「で、なぜ立候補した」


 苗は、目線を合わせず呟く。


「……申し訳、ありません」


 質問に対して、ただ謝罪を重ねるだけの苗に、光一は眉間を寄せて振り向く。


「苗」


 その言葉には、怒りが含まれていた。

 光一が続けて言葉を発しようと口を開いたと同時に車が止まり、車の揺れに合わせて、光一と苗の体も揺れる。


「坊っちゃま、それくらいにして差し上げてください」


 今まで沈黙を続けていた木内が静かに告げ、光一がハッと前を見る。


 車は、九重家の屋敷の正門の前に到着していた。


「今ドアを開けますので」

「……いや、いい」


 木内の言葉に毒気を抜かれた光一は、自分で車のドアを開けて外へ出る。


「……あとで道場へ来い。お前が果たしてあの殻獣に勝てる存在か、試す。

 自分の発言の結果も分からぬような愚物であれば、一から鍛え直す」


 光一は車の外から、全く動かない苗を見つめる。

 その視線を受けながら、苗は目線を合わさずに、「はい、兄さん」と呟いた。


 この状態になった苗は、もう会話が成立しない。

 それを知る光一は、ため息をつくと歩き出す。


「お前は、数少ない『九重』の者だ。見捨てはせん。しかし、あまりに酷いようなら……心しておけ」


 光一はそう言い残すと屋敷へと消えていった。


 木内が苗の近くの後部ドアを開ける。


 苗は、それにすら気づかぬ様子で下唇を噛み、膝を……膝のあたりの空間を睨みつけていた。


「九重の者……それの何が」


 ぼそりと苗の口からこぼれた言葉に、木内が咳払いをする。

 その音に、苗はハッと自分を取り戻し、木内と視線が合う。


「お嬢様」


 木内の静かな低い声に、苗は目線を泳がせる。


「……すいません、木内さん」


 そう言うと、苗は横に置いたカバンを掻き抱き、車から降りる。

 早足に数歩屋敷に向かって歩いた後、苗は振り返り、不安そうな顔で木内を窺う。


「あの、木内さん……」

「……私は、歳でしょうか。耳が遠くなってまいりました。早くお部屋にお戻りください」


「そう……ですね」


 苗はそう返事した後、木内にお辞儀をしてから屋敷へと歩き出した。

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