076 崖下では
「あいつー。ちゃっかりレオノワだけ助けやがって。
他の奴らはいいけど、僕まで放置とか! 許すまじ!」
崖の下には、大量の瓦礫と、その中に座る伊織の姿があった。
崖下へと転落した伊織は、自分のエボルブドとして得ていた身のこなしと頑強さに感謝し、同時に友人への愚痴を零しながら瓦礫を払いのける。
また、スーツについた土埃も軽く払い、自分の装備の確認をしようとして、初めて気づく。
「あ、ボクの剣!? あー……最悪」
落下の際に、手に持っていた片手剣を紛失してしまったようだった。
腰に頼りなげに残った鞘を恨めしげに見ると、最後に耳を軽く振って土を落とし、立ち上がる。
「授業で散々、使用後の武装はすぐ納刀って言われてたの、身に染みるなちくしょー……」
伊織は普段話半分に聞いていた授業の大切さを身をもって知ることになったのだった。
ハッと気付いた伊織は、肩口を触る。
「あぁ! 無線機もない!? 無線機……」
伊織は焦って周りを見渡すと、そこには、無残に壊れ果てた無線機だった機械の残骸が落ちていた。
そこはちょうど、伊織が落下した位置だった。
「くそ……これじゃ、連絡も取れない……」
いつまでも無くなった物に関しての愚痴を続けても仕方がない、と伊織は上を見上げる。夜の暗さも相まり、まだ小さな瓦礫の落ちてくる崖の上は、もはや視認できなかった。
「高いな……回り込むしかないか」
ぐるりと崖を回り込み、真也とレイラに合流しなければ、と伊織は歩き出す。
異能の耳をフルに働かせ、他の落下したメンバーを探す。
伊織の見立てでは、真也の異能をもってすれば急に落ちてきた巨大な殻獣は楽勝、あの巨体であれば砕くことも容易いだろう。しかし、女の形をした殻獣。あれが手に負えるとは思えない。
真也は、負けることはない。しかし捉えることもまたできない。
であれば、サポートが必要だ。
無線機もない今、他のメンバーと合流して向かう方がいいだろう。もしかしたら、他のメンバーは無線機を持っているかもしれない。
周りの音に集中した伊織の耳が、瓦礫の動く音を拾う。
「……向こうか」
全体の音の大きさと、瓦礫をどける音のテンポから、人間だろうと推測できた。少し歩いた先に、ソフィアか、ユーリイのどちらかがいるだろう。
どっちも割と面倒な性格ではあるものの、比較的面倒くさくないほうでありますように、と伊織は心の中で祈ってから歩き出した。
そんな伊織の願いもむなしく、見つけたのは銀髪の少女。瓦礫に座って下を向き、ブツブツと呟くソフィアだった。
ドンピシャで面倒くさい方と合流してしまった伊織は、小声で「うわ……」と溢す。
本来なら誰にも聞こえないであろう、ソフィアの小さな呟き。
しかし、伊織の耳を持ってすれば、聞こえる。聞こえてしまう。
「なんで……なんで、シンヤ様は、私を助けてくれなかったの? なんであんな、無愛想で可愛げのない女を助けたんですの?あの女、父親から愛されて、それで満足しないで国を捨てるような、下衆なのですわよ? シンヤ様、決して騙されてはダメ。多少腕が経つからって隊長までして……そう、隊長だから。隊長だからですわ。隊長だから、助けられた。そう。個人的な感情ではなく、隊の指揮を考えて……。決して私があの女より劣っているわけじゃありません。それに、私はシンヤ様よりも先に落ちてしまったのですから、シンヤ様から見えなければ、助けようもありませんもの。そう、そうですわ。むしろシンヤ様が助かったことの方が重要ですわよね。でも、シンヤ様に助けられなかったのは、本当に悔しい。なぜ? なぜ?」
なぜ。なぜ。なぜ。ブツブツと呟くその怨念の塊に、伊織は顔を顰める。
「そう……そうですわ。そう。『あいつ』のせいですわ。
あいつがシンヤ様に良からぬことを吹き込んだのですわ、そうに違いありません。でなければこんな事、起こるわけがないのですもの。
だって、運命の相手である私を放って、あんな小娘を助けるわけが……あいつ、あいつ、あいつのせい……」
流石にソフィアの呪詛に辟易した伊織が、口を開く。
「それは、ボクのことのつもりか? ま、どうでもいいけど」
伊織の言葉を受け、ソフィアがバッと視線を上げた。
その顔は、憤怒に満ち満ちていたが、一瞬で平静とした表情に戻る。
「あら、盗み聞きだなんて、はしたないですわね」
「ふん、生きてるかどうか確かめに来てあげたのにその口ぶりか」
「この高度でしたら、生きているに決まってるではありませんか」
「そりゃそうか。無線機持ってる?」
伊織の言葉に、ソフィアは無線機を手に持って伊織へと見せる。
「ええ。あら、ウサギさんは無くされましたの?」
「ああ、落下時に故障した。連絡は取った?」
「ええ。ただ、他の皆さんとは繋がりませんでした。おそらく、皆さん無くされたか……取れないような状態か」
ソフィアは自分で言った言葉に身震いすると、肩を抱く。
無線機が機能していないなら、ソフィアとともに向かう必要もないだろうと伊織は判断する。
「……そうか。じゃ、ボクは間宮のところに戻る。お前はゆっくりと向かってくればいいさ」
そう言って、伊織はソフィアの前を通り過ぎ、異能を発現して速度を上げる。
「っ!」
その直後、伊織の目の前が真っ暗になる。
伊織はそれが暗闇でなく、黒い物体であると即座に気づき、目の前の黒い壁を蹴って後ろへ飛び、その直後、ばたんと音を立てて棺が閉まった。
後ろに飛んだ伊織の眼前には予想通り、『黒い棺』が有った。
それは、ソフィアの異能のものであり、人間…しかも曲がりなりにも同じ作戦を遂行中の人間に対しての『攻撃』であると伊織は判断し、ソフィアの方を睨みつける。
「やってくれるじゃないか。なんのつもり?」
「なんのつもり、と言われましても。
私がシンヤ様の元へ向かうために、異能の確保を、と」
伊織の問いに、平坦な声でソフィアは返答した。
「やっぱ、お前頭おかしいだろ」
「あなたが向かうより、私が先に向かった方が、シンヤ様のお力になれますし」
「はっ、他人を利用しなきゃロクに戦えない棺桶女が?」
伊織の言葉はある意味正論であったが、その口調は完全に煽っていた。
ソフィアはその言葉に一つ大きくため息をつく。
「はぁ……なぜ貴方のような、性悪ウサギがシンヤ様のような素晴らしい殿方と友人であるのか、私、疑問です。
シンヤ様の弱みでも握っているのですか? でなければあなたの様な人間がシンヤ様と……いえ、他の人間と友人になれるなんて、到底思えません。今までどうやってこの社会で生きてきたんですの?」
ソフィアの言葉に、伊織が頬をつりあげて言い返す。
「へえ……言ってくれるじゃん」
その言葉は余裕のある風に見えているものの、伊織は自分の唯一の友人との関係について言及され、その内面はドロドロと怒りが充満していた。
「お前に何がわかる」
続けて出たその言葉は、伊織自身が思っていたよりも、怒気を孕んだ声となっていた。
「あら、図星?」
一瞬の睨み合いののち、ソフィアが、ぱんと手を1つ叩く。
「シンヤ様の元へ一刻も早く向かう。そして、シンヤ様の優しさに漬け込む悪人をこらしめる。
私、それらを同時に達成できる、素晴らしい方法を思いつきましたわ」
ソフィアは腰掛けていた大きな岩から立ち上がり、自分の腰元のポーチから小さな四角い箱を取り出し、ニッコリと微笑む。しかしその目は無感情であり、瞳の奥に鈍い光を湛えていた。
「……へぇ、初めて意見が一致したな。ボクもいい方法が思い浮かんだところさ。作戦遂行のための『障害』は、実力行使で破るに限る」
伊織は怒りに頬を引きつらせながら、腰に残っていた片手剣の鞘を外し、手に馴染ませる様にブンと振る。
「わたくし、兎狩りは上手ですのよ。昔、叔父様に褒められたことがありますの」
「ボクをウサギと呼んでる時点で、現実逃避にしか見えないけど?
かたや、他人を利用しなけりゃ戦えない棺桶女。かたや、単独戦闘が得意なボク。現実逃避したくなるのもわかるけどね。すぐに終わらせてあげるよ」
お互いがお互いに対しての限界を迎え、今まさに爆発した。
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