077 私闘(上)


 ソフィアは異能の棺を発現させる。


「本当はあまり使いたくなかったのですけど…獅子はウサギを狩るのも全力を尽くすといいますし。中国の諺でしたわね?」


 ソフィアはその言葉とともに、手に持っていた四角い箱を自身の棺へと放り投げた。


「お前、なんのつもり…」


 伊織が訝しげに口を開いたが、それよりも早く、伊織の元へと黒い鞭が襲いかかる。


「くっ!?」


 驚いた伊織は即座に異能を発現させてその場を離れる。


「あら、避けられてしまいましたわ」


 さして驚いた風でもなく、ソフィアが告げる。その周辺には黒い鞭が触手のように何本も現れていた。

 まるで蛇のように蠢く触手が、次々に伊織に襲いかかる。


「お前、なんだその異能は!?」


 ソフィアの異能は、棺を作り出すだけではなかったのか。

 伊織は声をあげながらも、高速移動を繰り返して襲い来る異能の触手を鞘を振るってはたき落とす。


「なんだ、と申されましても」


 高速で避け続ける伊織と対照的に、ソフィアは一歩も動くことなく触手を繰り出し続ける。


「これは、今は亡き私の叔母の異能ですわ」

「はぁ!?」

「私の棺は、異能者を仕舞うことで異能を発現するわけではありませんわ」


 伊織は、その言葉に嫌な予感を感じる。


「『異能物質』を仕舞えば、それで発動しますの。まぁ、異能者を仕舞った時よりも強度は下がりますけれど」


 伊織は驚愕する。異能物質。つまり、あの四角い箱の中身は……



 オーバードの……ソフィアの叔母の、破砕遺体の一部。



「きっっっもち悪りぃな!! 死人の力を使うのかよッ!!」


 伊織はそう叫ぶと、触手の群れを突っ切り、ソフィアに向かって突進する。 


「あら、気持ち悪いだなんて。死してなお私を守ってくれるなんて、素敵じゃありません?」


 ソフィアは伊織の突進を受け止めようと触手でネットを作る。


「死ねぇ!」


 伊織はほぼ無意識に叫ぶと、ネットを突き破ってソフィアに鞘を振り下ろす。

 しかし、ソフィアは触手の一本で体を引っ張り寸前で躱した。ソフィアは伊織の突進位置を先んじて把握し、移動するためにネットを作り出したのだ。


「あら怖い」


 ソフィアはくすくすと笑いながら、反転する伊織へと大量の触手を差し向ける。


「くそっ…次は仕留める」


 伊織は口惜しそうに後ろに飛びのくと、迫ってくる触手を鞘ではたき落としながらチャンスを窺うようにソフィアの周りを絶え間なく走り回る。


 伊織を執拗に追いかける触手は、集合して大きな一つの触手となり、大きく薙ぎ払う。


「はっ、この程度かよ」


 伊織は跳躍し、『量より質』といった巨大触手の攻撃をかわす。

 伊織を捉えきれないと判断したソフィアは、もう一つ小箱を取り出す。


「やはり、叔母には悪いですが、この異能はあまり強くないですわね」


 ソフィアの言葉と同時に立ち上がった棺は中から小箱を放り出し、ソフィアはそれをキャッチして次の箱を棺へと放り込んだ。


「くっ、複数あるのか!」


 着地した伊織は、次の異能を発現される前に勝負を決めようとソフィアの方へと走る。


「一直線な攻撃だけ。分かりやすいですわね」


 ソフィアは微笑むと、伊織を迎え撃つべく腕を振るう。


 その手には、異能物質で作られた真っ黒な鉤爪が装着されていた。


「ぐっ!?」


 急に伸びたソフィアのリーチに伊織は驚き、鞘で防御をする。しかし、完全に受け止めきれずに、伊織はなんとか上体をそらして攻撃を回避した。


「おばかさん」


 ソフィアはそう告げると、体勢を崩した伊織の左脇腹に蹴りを叩き込んだ。


「ぐぅっ!」


 蹴りがヒットする直前に衝撃をいなすように飛び、なんとか直撃は避けるが、その分大きく伊織の体は宙を舞う。


「あら、やっぱりうさぎさんはジャンプがお上手なんですのね?」


 ソフィアはそう呟くと、ポーチから新たな箱を取り出した。またもや跳んだところを狙っての異能の変更。


 伊織は空中で姿勢を立て直すと、着地と同時に走り出す。


「させるか!」


 複数の異能、しかもどのような異能が使われるか分からないというのは分が悪すぎる。


 伊織は、他の異能を使わせまいとソフィアへと肉薄する。

 あと数歩でソフィアに手が届くかというところで、伊織の前方に大口を開けた棺が落ちてきた。


「っぶな!」


 伊織は棺に突っ込む寸前で後ろへと跳びのき、それと同時に棺が閉まり、地面に横倒しに落ちる。


「あら、残念」


 伊織の速度上昇によって動くスピードは、常人に反応できるものではない。つまりソフィアは攻撃を予測し、動線を把握した上で、先回りをするように攻撃を繰り出し、棺を生み出し、待ち構えているのだ。


 伊織は、ソフィアの強さを……『対人戦慣れ』を認めざるを得なかった。


 自身も戦闘には自信がある。しかしながら、それは『対殻獣』であり、『対人』などと言うものは当たり前だがズブの素人だ。むしろ、オーバードで、特に異能士官学校の生徒で対オーバードの訓練をしている人間など早々居ない。


 思いの外、厳しい戦いになりそうだと伊織は眉をしかめる。


 そんな伊織と対照的に、嘲笑うように頬の端を持ち上げながら、ソフィアは棺に次の箱を投げ入れる。


 次の箱は、どのような異能か。


 それが分からない伊織は、距離を保ったままソフィアとその棺を睨み、ソフィアはそれを見越したように、悠々とした足取りで元々棺があった場所に落ちていた四角い箱を回収する。


「うさぎさん、もう来ないんですの?」


 ソフィアは一向に動かない伊織を煽り、伊織の方へと歩き出し、それと同時に黒い棺がずずず、と地面を擦りながらソフィアに続く。


「あんなに偉そうに言っておいて、この体たらく。やはりあなたはシンヤ様の友人として不合格ですわね」


 棺を引き連れて歩く女。その様子に伊織が口を開く。


「存在が不吉」


 伊織は様子を窺いながら、軽口を止めない。


「あなたにどう思われようと、わたくしは気にしませんわ」

「ぜってぇ間宮も同じこと言うと思うぜ」


 伊織の言葉に、ソフィアの動きが止まる。

 ソフィアの集中を途切れさせるために伊織は軽口や罵声を多く口にしていたが、初めて効果があった。


「……シンヤ様がそんなことを言うはずがないでしょう?」


 間宮絡みが弱点か。

 伊織は内心ニヤリと笑う。


 対人戦が相手のテリトリーならば、こちらはそのペースを崩す必要がある。


「お前、会って何日目だよ? 言わないなんて分かるわけないだろ」

「……そう言うあなたは、どれほどの時期をシンヤ様と過ごされたんですの?」

「んー、3週間?」


 ソフィアはふんと鼻を鳴らす。


「まあ、偉そうにものを言う割には、あなたもシンヤ様とそれほど長くいるわけではないではないですか」


 口調は丁寧だが、ほんの少し、喋る速度がほんの少し上がっている。

 伊織は、これまでの合宿でのソフィアとのやりとりで、彼女の感情はその言葉の速度に顕著に現れることに気づいていた。


 伊織はもう一押し、と役者がかった動きで大仰に首を振り、言葉を続ける。


「そう言われちゃあしょうがないなぁ……でもまぁ、ボクは会った初日で間宮の方から声をかけられたからなぁ」


 ソフィアの肩が、ピクリと動く。


「それで、あいつ、勝手にボクの事を『伊織』って下の名前で呼んだんだよ」


 ソフィアの体が、小刻みに震える。


「たぶん、強引に話しかけたり、無理やり名前で呼ばせるどこぞ棺桶女よりも……『シンヤ様』から好かれてるんだろうなぁ。

 そう思うだろ? 男のボク以下の、ソーニャちゃん?」


 伊織は笑いを隠すように口に指先をを当て、わざとらしくぷぷぷ、と笑う。


「……貴様ァァァァァァアアア! こ、ここここ殺すッ!! 男だからと思って見逃してやっていたが、シンヤ様に手を出すつもりなら殺すッ!」


 ソフィアは完全に激昂し、その怒りを表すかのように、その両手には炎が宿った。


「『炎』の異能か」


 伊織は「しめた」と頬を緩ませる。

 今まで奇襲続きだったが、今度は先に異能を使わせることができた。


 ソフィアが大きく腕を振るうと、その腕に宿っていた炎が球状になって伊織へと飛来する。


「ははははは! 狙う? 馬鹿かよ、ボクは男だぜ? それにしてもいい顔になったじゃないか! かかってこいよ、棺桶女ァ!」


 さらに煽りながらも、伊織はソフィアの放つ炎の球を躱す。

 怒りに任せて異能を振り回すソフィアの攻撃は予測しやすく、伊織は躱しながら反撃のチャンスを探る。


 次に異能を変えようとした時、その瞬間は、ソフィアの異能が消える。

 そのタイミングを見計らって、勝負を決める。


 伊織はこの私闘の勝利の糸口を見つけたのだった。

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