004 別れ、あるいは出会い


 少女は黒い棒を取り落す。そのままふらふらとした足取りで死体に近寄り、左手を確認すると、その場で大声で泣き出した。


 少女が最初に真也の左手を確認したことからも、どうやら少女の知るシンヤと、今ここにいる真也との違いは、左手にあるようだ。


 パキリ


 少女の泣き声が響く瓦礫の街に、小さいながらも、明らかな異音が混ざる。


 死体を胸にかき抱き、大声で泣く彼女は、真也の目に、年相応の少女に映る。

 身の丈ほどの黒い棒を投げつけ、化け物と対峙していた少女と同じ人間とは思えなかった。


 パキリ


 真也は、少女の衝動が治るまでじっと待つことにした。少女の澄んだ青い瞳から溢れる涙を止める権利が自分にあるとは思えなかったからだ。


 自分の死体に縋り付く美少女。その姿は美しく、そして、真也にとっては複雑なものだった。


 孤独で、日々を生きることに精一杯で、年相応の厭世感で他人とあまり交わらなかった真也は、このように自分の死を悲しんでくれるような人間がいるか、自信がなかった。


 ひどく、羨ましく感じられた。


 パキ、パキパキ……


「いく……のね……」


 その少女の言葉とともに、死体が砕け始める。先程から鳴っていたのは、死体が砕けている音だったのだ。


 その光景に真也は慌てるが、少女は死体を胸に抱き直し、全て崩れるまで、じっと待っていた。


 自分と同じ姿をしたものが、粉々になろうとしている事に真也は衝撃を受け、一歩踏み出す。

 しかし、まるで、それが当たり前と言わんばかりの少女の姿、そして、その二人の空間に自分が踏み込む事が出来ず、次の一歩は出なかった。


 死体が白く変色し、固まり、砕ける。砕けた部分がさらに細かく、砂のようになり、少女の腕をすり抜けていく。


 死体が完全に砂になるまで、時間にして、数分のことだった。


 後に残ったのは、衣類と、リュックサックだけだった。


 少女は指に残った白い砂を軽く頬に擦り付けると、ジャケットとリュックサック、そして腕輪を拾い上げる。真也は全く気づかなかったが、死体の彼はどうやら腕輪をしていたらしい。


 真っ黒で、樹脂と金属でできているであろう腕輪は、全く同じ格好をしていたはずの真也には無いものだった。


 その少女の腕には、全く同じ形の腕輪があった。お揃いのアクセサリーというには無骨な形をしていたが、それをつけていない真也にとっては、二人にとっての、何か絆のようなものにも見えた。


 リュックサックを肩にかけ、真也のそれと全く同じジャケットを腕に掛けた少女は、拾い上げた方の腕輪を撫で、真也に顔を向ける。


「聞きたい、こと、山ほどある……でも、その前に、本部と、連絡……いい?

 あなたは、非戦闘員。保護、最優先」


 真也は頷く。


 少女の表情は、年相応のものから、職業人としての物へと変わっていた。非戦闘員という言葉から、彼女が何らかの軍隊に所属していることがうかがえる。


 真也の逡巡に少女は、少し待っていて、と告げると、ジャケットの内ポケットから小型の無線機を取り出し、小声で何かを話しはじめる。


 真也の口からは、ふう、とため息が漏れる。

 余りにも多くのことがあり、やっと、人心地ついたといった心境だった。


 真也はその間に、先程もっとも熱を持ち、今もまだヒリヒリとする痒みのような感覚のある左肩を検めようとジャケットを半分脱ぎ、Tシャツの袖口を捲る。


 すると、左肩には黒い刺青が入っていた。

 先程現れた棺の大楯と同じような、棺の刺青。棺の周りにはモヤのような描かれている。真也はそのようなものを入れた覚えはないため、先程ついたものだろうと判断する。


「……怪我?」


 いつのまにか無線での連絡を終えた少女に声をかけられる。


「いや、体に違和感があったから確認を、と……」


 少女は真也の肩口を覗き込むと、少し驚いたようだった。


「言葉、通じる。意匠もある。覚醒、した。その意匠いしょう……初めて。棺?」

「に、見えますよね。その、覚醒って?」


 その言葉に、少女は首をかしげる。


「知らない? オーバードに、なること。

 さっき貴方の使った……棺? それは、オーバードの力。オーバードに、なった。だから、会話できる。共通概念で」


 少女は、どうやら言葉を短く喋るようで、いまいち理解できないが、そう言われれば確かに、真也には少女の喋る言葉の内容が理解できている。

 あまりにも多くのことがありすぎて深く考えていなかったが、どう見ても外国人である少女の、あまりにも流暢な日本語は、たしかに不思議だった。


「共通概念…って?」

「オーバード同士、お互いの言葉、わかる。どうやってかは……知らない」

「は、はあ。そうなん……ですか。で、この刺青がその証……」

「正確には、刺青ではない。インクじゃ、ない。

 オーバードは、意匠が、体に浮かぶ。私の場合は、杭。場所的に、見せられない」


 こんな風に杭を出せる、と少女は言葉を続け、右手に30センチほどの黒い棒を出現させる。真也が棒だと思っていたそれは、どうやら杭だったようだ。


「それは……一体どうやって?」


 質問を続ける真也を、少女は手のひらで制する。


「私、説明、苦手。もう少しで、護送部隊、くるから。その人達に、聞いて? 戦闘も、終わったみたい。私も、同行する」


 同行する、という言葉には有無を言わさぬ迫力があった。

 それにも首肯して答える真也に、少女もまた人心地が付いたように、息を吐く。


 しばらくの沈黙があり、少女は、何度か口を開いたり閉じたりした後、意を決したように言葉を紡ぐ。


「……ひとつだけ。

 貴方は、シンヤじゃない。でも、シンヤと、同じ……同じような、存在なの?」


 少女のその言葉は、どこか救いを求めているように感じられた。


 真也は言葉を返す。


「……分かりません」


 真也にとって今の状況は、その一言に尽きるだろう。

 それは、死体のシンヤについても同じだ。

 しかし、返答が必要以上にぶっきらぼうになったのは、自分の身に降りかかった理不尽さと、精神的疲労からだけではない。


 全く同じ姿の自分のことをここまで大切にしている美少女の存在が、真也の、シンヤに対する小さな嫉妬心を芽生えさせたのだった。


 年相応にそのような思いを燻らせる真也だが、死んだ人間に対して、また、それを悲しむ人に対して、取るべき態度ではないと気づけるほどには、年齢を重ねている。


 だからこそ真也は、自分とシンヤの間にあるエピソードを少女に話すことにした。


「……でも、彼に言われたんです。いや、言われた気がした、ってだけなんですが」


 その言葉に、少女は真也に目線を向ける。


「なにを?」


 その目は、潤んでいながらも、何一つ聞き逃さすまいとする意志がうかがえた。


「お前も、守りたいんだろう、って」


 少女は無意識に手に握った腕輪を指で撫で、その言葉の真意を問い返す。


「お前……も?」


 少女の言葉に、真也は首肯する。


「あの瞬間は、お互いがお互いのことが分かっている。そんな気がしたんです。

 死体と話した感覚、っていうのが変な話だし、俺の勘違いかもしれないけど……彼は、俺だと、思います。俺が、彼かと言われると、よく、わかりませんが」


 曖昧な表現ではあったが、その言葉に少女は幾分か落ち着き、幾分か落胆した。


「そう」


 短く答え、相変わらず手の中で腕輪を撫でている少女へと、真也は言葉を繋ぐ。


「それと……頼んだ、と言われました」


 少女の肩が少し跳ね、二人の視線がもう一度交差する。


「何を?」


「……守ることを」


 誰を、とはシンヤに言われなかった。


「……そう」


 少女もまた、誰を、と尋ねなかった。


 そして、二人は口を噤んだ。


 それからしばらくすると、護送部隊であろう何人もの軍人がやって来て、規則だからと真也は手錠をかけられ、鉄板を何枚も貼り付けたような物々しい車へと乗せられた。


 安全地帯への移動中、二人とも、一言も発さなかった。真也は、少女の名前を聞きそびれたが、とても聞けるような状況ではなかった。

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