003 覚醒


 吹き飛ばされた真也は、自分自身と向き合っていた。


 正しくは、自分の死体と。


 目を見開き、口をぎゅっと噤んだ自分の死体は、その瞳で真也をじっと見つめている。


『守ってくれ』


 そう言われた気がした。普通ならばそのような考えなど起きないだろう。なにせ、相手は死体だ。

 しかし、痛みと苦しい呼吸の中、真也はそのような声を聞いた気がした。

 まだ辛うじて生きている真也は、死体に返事をする。


「どう、やって……?守れ、って……俺だって……できるなら、そうしたいよ!」


 声を荒げても、当たり前だが返事は返ってこない。


『お前も、守りたかったんだろ』


 返事など帰ってくるはずもないのに、死体は雄弁に、その瞳で真也に語りかける。


 真也の頭の中を、過去の記憶が過ぎる。

 何も出来ず、ただクローゼットで震えていた自分。地獄のような5分間。


「そりゃ、そうだよ……もう、誰も失いたくない……」


 縋るように死体の顔に手を触れる。手に返ってくる冷たさ、付着するねとりとした黒い血。硬くなった頬。それは、冷静に考えれば、これが死体であることに、この上ない説得力を持つ。


 しかし、そうであるに関わらず、真也はその死体が笑ったように見えた。


「なら、頼む」


 真也の耳には、間違い無く聞こえた。

 先ほどまでの問いかけとは違う、ハッキリとした、自分の声が。



 次の瞬間、ぐにゃり、と世界が歪んだ。



 体から、痛みが消えて、その代わりに大量の熱が押し寄せる。


 特に、左肩が熱い。まるで、熱したフライパンを押し付けられているような熱さ。


「ああぁぁ!! ああああああああっ!?」


 真也は声を張り上げ、熱に耐える。


「ああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁ!」


 今度は、頭が腫れるように痛い。口からは耐えきれない痛みを吐き出すように叫び声が吐き出され続ける。


 たまらず頭を抑える。それを抑える腕が痛い。地面に頭を打ち付ける。そんなことでは上書きできない、先ほどまでの痛みが優しく思えるほどの痛み。


 痛みから固く目を瞑り、真っ暗な視界の中を支配するのは、熱から一転した痛みのみ。


痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイ



 そして、ふと、全てが消える。



 痛みも、熱も、全てが自分の中に馴染んで、消える。


 体に流れ込む大量の新しい感覚、情報。


 そして、信念。


 目を開けると、やはりそこには自分の死体はあった。


 ただ、間違い無く、一文字に結ばれていた死体の口の端は、少しつり上がっていた。


「頼まれた」


 真也は、『彼』にそう伝えて、立ち上がる。

 不思議な感覚だった。自分が『何をできるのか』が分かる。


 普通なら誰にも信じてもらえないだろう。でも、分かるのだ。


「ねぇ! 今の叫び声は何!? 大丈夫!? シンヤ! シンヤぁっ!!」


 少女の声が聞こえる。周りを虫の化け物に囲まれているため姿は見えないが、何故か日本語だ。先ほどまでの、どこかの国の言葉ではない。


 少女の叫びと共に、黒い棒が虫の甲殻を叩く、ガァン!ガァン!という音が聞こえる。少女が戦っている証左だ。


「っ……大丈夫! です!」


 そう返事をして立ち上がり、腕を伸ばす。両手を広げ、指を開いて前に伸ばす。先程までの体の痛みどころか、虫の化け物に吹き飛ばされ、地面を転がった時の痛みも消えていた。


「シンヤなの!?」

「少し、伏せていて下さい!」


 必死な少女の声にそう返事をすると、真也はぼそりと呟いた。


「いくぞ、出ろ」


 その呟きと同時に、地面からいくつもの壁がせり上がった。一つ一つが2メートルほどの高さで、そのまま地面を離れ次々と真也の周りに浮かび上がる。


 真っ黒なそれは、正面から見ると西洋の棺のような形をしている。しかし、その薄さは棺そのものというよりも、棺の蓋のようだった。


 十数枚もの棺の蓋は、浮かび上がると真也の周りを浮遊する。それは、己が主人を守る、大楯のように見えた。


 真也を守る棺の大楯は、真也の意識と同期し、彼に「行け」と念じられると同時に、周りの虫の化け物たちに襲いかかる。


 大楯は鋭利な刃物で一太刀に切断するのではなく、刃こぼれした鉈で強引に枝を叩き折るようにその体を突き刺し、虫の化け物たちの節足を、甲殻を、頭部を、砕きながら切り離し、細切れにする。


 辺りに酸い臭いの緑色の体液が飛び散り、断末魔のように虫達が顎を擦り合わせたギリギリという音が鳴り響く。


 圧倒的な暴力が場を支配する。


 真也の「行け」という短い思念を、大量の大楯は的確に理解し、虫の化け物を1匹も残さぬよう、丁寧に蹂躙する。そこにはもう、真也の意識は介在していない。


 だからこそ、真也本人は、虫の化け物から意識を移し、そこにいるであろう命の恩人に向き直す。


「シン……ヤ?」


 少女は真也の言葉に素直に従っていたようで、伏せていたものの、目の前で行われている大楯の乱舞に混乱し、周りを見渡している。


「これは、いったい? 貴方、何者? なぜ、シンヤと同じ顔なの? なぜ、さっきは会話できなかったの?」


 彼女は伏せた体勢から、身を低くしたまま起き上がると、手に携えていた黒い棒の先を真也へと向ける。

 はじめに棒を向けられた時よりも敵意は薄らいでいるように見えるが、むしろ先程よりも冷静な姿は、真也を脅威として認識した事をうかがわせる。


 なぜなら真也の呼び出した棺の大楯が、化け物を粉々にしながら周りを舞っているのだ。


 この場において、真也が一番の強者であり、彼女にとっての脅威は、真也になっていた。


 真也は伸ばしていた腕を下げると、少女の方を向く。


「あの、その……すいません、よく分からないんですが……その、助けていただいてありがとうございました」


 その言葉に少女の顔が歪む。


「助けられたの、私の方。こんな異能、初めて見た……。答えて。

 ……貴方、何者?」


 こちらを見極めんとする少女の問いに、真也が答える。


「えっと、間宮真也といいます」


 真也は、恐らくこの言葉は少女を混乱させるものだとは理解していたが、そうとしか言えない。


「ふざけないで。シンヤは、こんな異能じゃ、ない…!」


 少女は手に持った棒を真也の方へと一層突き出す。剣呑な空気に、真也は慌てて口を開く。


「あ、あの、あなたの知っているシンヤさんとは、同姓同名の別人とかでは?」

「そんなわけない。その顔、その声、その表情。全部……全部、シンヤと同じ!」


 声を荒げる少女の持つ棒の先が、細かく震える。

 同姓同名の別人。そのような言い訳が口からついて出た真也だったが、本心では一つの答えにたどり着いていた。


「なら、きっと……」


 真也は、その答えと言わんばかりに、死体に目線をやる。


「ひっ……う、そ……シンヤ……?」


 その視線を追った少女は、声を上げてへたりこむ。

 真也は、どこか底冷えした心持ちで、少女へと告げた。


「恐らく、貴女のお知り合いのシンヤさんは、彼だと思います」


 いつの間にか虫達の断末魔と大楯がぶつかる音は無くなり、大楯はその役目を終えたとばかりに搔き消え、静寂が場を支配していた。

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