005 殻獣災害対策本部


 真也の護送先は、殻獣災害対策本部と書かれたプラスチックの板が吊るされた仮設テントだった。


 深緑色の厚手の布によって四方を囲まれ、大型のヒーターが設置してあるため、暖かい。

 護送されている間に空は暗くなっていたので、テントの外は随分と寒くなっているだろう。


 真也はパイプ椅子に座り、目の前におかれた冊子に視線を落とす。


殻獣かくじゅうバン被災時の対応と心構え ~殻獣バンの歴史・避難法と通報手順~:国際防疫軍こくさいぼうえきぐんアジア方面軍団日本支部広報課刊行 2018年度版』


 そのような長々としたタイトルが書かれた冊子が、机の上には置かれていた。


 更にその向かいには、仮設テントと同じ深緑色の軍服を着込んだ中年の男性が同じくパイプ椅子に座っている。

 先に行われた自己紹介で国際防疫軍の何某なにがし園口雄一そのぐちゆういち少佐と名乗った男性は、不安から少し背を曲げて座っている真也とは対照的にどっしりとした態度だった。

 短く切りそろえられた髪にうっすらと白髪を混じえ、まさに『偉い軍人』といった風貌だ。


 真也が、テーブルの下で所在無さげに指を組むと、カチャリと金属の音がする。


 手錠の間の鎖はそこそこに長いため、腕を広げる事はできなくとも行動にそこまで支障はない。

 しかし『手錠をかけられている』という事実は真也にとって心地の良いものではなかった。


 護送時に規則だからと真也にはめられた手錠は、その際の説明とは異なり、すぐに外されることなく未だに真也の腕に掛かっていた。


 そうなった要因は、身分証明書の提出を求められ、特に考えもせずに提出した事に始まる。


 求められるがままに何気なく提出した国民保険証を見た女性軍人が訝しげな顔をするので、真也は学生証や、年金事務所へ向かう途中だったため持っていた年金台帳なども提出した。

 それら全てを見た女性の軍人は、少し座って待っていてください、と真也に伝えると、テントから出て行った。


 そのまま真也は一人でテントに残されていたが、少し前に園口がやってきて、今に至る。


 たとえ責められたところで、自分にはどうしようもないと開き直っていた真也は、こんなに時間があるのであれば目の前の冊子を読んでおけばよかった、と思った。


 殻獣バン、国際防疫軍、真也には聞きなれないその言葉は、嫌な予感と共に、いまの真也に必要な情報に思われたからだ。


 しばらく真也の保険証を何度か裏返し見ていた園口は、真也に向き直すと口を開く。


「間宮さん。その、公文書偽造、というか、なんと言えばいいんでしょうね。

 こんなもの、存在しないんですが……」


 真也はその言葉に面食らう。


「はい?」


 真也から目を離した園口は、自分の財布を取り出し、中から一枚のカードを取り出す。

 カードを事務机の上に置き、真也の方へ軽く差し出した。


「国民保険証。……これ、私のですけどね。全然違うでしょう?

 なんですか、このカードは。住所も、存在しないものだらけだ。日本、これはいい。だが、豊島区って?聞いたこともない。……東京って、旧、ってこと?」

「いや、えっと……旧?東京は、東京だと思うんですが…日本の首都の」

「日本の首都は新東都しんとうとですよ。東京、なんて呼んでたのは明治の頭だけでしょ」


「え?」


「え?」


 不思議な空気が仮設テントを包む。その空気を打ち破ったのは、来訪者の声だった。


「園口少佐、よろしいでしょうか」


 テントの外から聞こえたその言葉に、園口は入れと返す。


「レオノワ特練上等兵から間宮さんに関して報告があがっておりまして。少佐のご判断を仰ぎたいのですが」


 真也が振り返ると軍服姿があった。

 20歳前後であろう男性。アスリートのような体型であるが、眼鏡を掛けており非常に知的に見える。

 流暢な日本語を喋っていたが、その男性は黒人であった。


 これも、共通概念による会話、というものなのだろうか。真也は不思議な感覚に陥っていた。


 敬礼をする眼鏡の軍人の右腕にも腕輪が見える。

 園口もそうであるが、見かけた人物はかなりの確率で少女や死体がつけていたであろう腕輪と同じものをつけていた。


 全員ではなかったので、もしかしたら少女がオーバードと呼んでいた、能力に覚醒した人たちがつける印なのかもしれない。


 真也はどことなく後ろめたい気分になり、自分の手首をつかんで隠す。

 手錠がカチャリと音を立てたが、誰も気にする様子はなく、園口と眼鏡の軍人の会話は続いた。


「レオノワ特練上等兵は天幕外で待機しておりますが、如何しますか?」

「少し待て、そちらへ行く。

 ……間宮さん、申し訳ないがちょっと待っていてくださいね。

 そこの水は飲んでもらって構いませんから」


 園口が指差した先にあるダンボールにはペットボトルの水が何本か入っていた。


「はい……いただきます」

「手錠は、もう少し我慢してください」


 真也はその言葉に、ピクリと反応するも、右手首を掴んだまま、はい、と返した。


 真也の返答を聞いた園口は、テントを後にした。眼鏡の軍人もそれに続いてテントを出る。


 また一人になった真也は椅子から立ち上がると、ダンボールから水を取り出し蓋を開け、口にする。

 久々に水分が喉を通る感覚に、真也は一口に500ミリのペットボトルを半分以上、空にした。


 レオノワ特練上等兵、と言っていたが、それがあの少女の名前なのだろう。あの少女以外に、自分のことについてここの軍人に報告するような人間は、真也には思いつかなかった。


「レオノワ……さん」


 真也は独り言つ。

 そのままペットボトルを片手に椅子に座りなおすと、ちらりとテントの入り口を一瞥してから目の前の冊子に目を落とし、ページをめくった。



 その内容は、真也にとって驚くべきものだった。



 真也や少女を襲った虫の化け物。あれらは殻獣かくじゅうと呼ばれ、人類は100年近くその脅威と戦っている。

 それは、地底から現れたとも、宇宙から現れたとも言われており、殻獣と対等に戦う為には、自動小銃などでは力不足である。


 殻獣は名前の通り、戦車やミサイルを用いなければならないほどの強靭な殻に覆われ、簡単に鉄をも引き裂く力を持っている。


 しかし、殻獣が現れると同時に一部の人間が殻獣と戦う能力、『異能』に目覚めたのだという。

 その異能者の事をオーバードと呼び、そのオーバードを中心に作られている軍隊が、国際防疫軍というのだそうだ。


 殻獣には巣があり、各国はその巣を監視、出て来たものを殲滅。また、都市に近いものや、経済活動の妨げになりそうな巣は、駆除している。


 そして、急に殻獣が現れ、新しい巣を作る為に起こす行動を『バン』と呼ぶらしい。


 正式名称は、殻獣の突発的営巣による地域汚染活動。なぜバンという名前になったのか、真也には不思議だった。


 正式名称で汚染、と言っているものの、環境汚染とは違い、殻獣が一部地域、ひいては地球を侵略する事を汚染と指すのだそうで、ここら辺の専門用語も真也にはよく分からなかった。


「殻獣の生態については、未だ不明。出現も地底からくるもの、宇宙からくるものと様々で、完全な予測方法は未だ確立されておらず、か……」


 真也は冊子を読み終え、殻獣バンが起こった時の正しい通報手順をも把握した真也は、頭を抱えたい気持ちになった。


 大昔から続く戦い。主な殻獣営巣地。日本地図に照らし合わせたその場所と、真也の知る地名との違い。


 殻獣バンについての冊子であったため、あまり追加情報は得られなかったが、少女の言っていたオーバードと呼ばれる超能力者。


 真也は、自分の頭をよぎっていた予測が、現実のものであったようだと結論付けた。


 真也は、自分の知る世界とは違う世界に転送されてしまった。


 理由は分からないものの、どうにかして戻る必要があるだろう。


 戻れるのであれば、だが。


 元の世界にそこまで執着があるかと言われれば首をかしげるものの、冊子に載っていた『主な殻獣バンの被災様子』というのは、この世界に長く居たいと思えぬような惨状だった。


「でもな……守る、って言っちゃったしな……」


 恐らくは、この世界の間宮真也であろう、死体……シンヤとの約束を思い出し、真也は腕を組む。


 そのような事を今考えてもどうしようもない。そのように棚上げした真也は、飲みかけのペットボトルの中身を全て飲み干した。


 時間にして30分ほど経っただろうか。

 テントに戻ってきた園口は、先程までと違い、複雑な表情をしていた。その両脇には、先ほど園口を呼びに来た眼鏡の軍人と、この世界の真也の事を知る、あの少女が立っていた。


 園口は、テントの入り口から真也に話しかける。


「間宮さん、ちょっと、ご移動をお願いします。車は表にあるので、ついて来てください」


 言われるがまま、真也は席を立つ。

 ふと少女に目線をやると、その顔は軍人然としており、真也には、その奥の感情は何も読み取ることができなかった。


 真也は、唯一の知り合いでもある少女の、冷徹な顔に少し心が締め付けられる。


 しかし、心の奥で燻るような対抗心から一瞥するのみにし、無表情に努め、歩き出す。


 しかし、軍人でもなければ他に縋るものも無い真也の顔は、どこか苦しそうであった。

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