第11話


演劇科合格者ははB組に移動せよとの事なので、僕らは狂喜の舞も程々に、それに従った。


目的地へと上がる階段の途中、ひそひそと聞き覚えのある声が物陰から聞こえてきて、僕とこころさんは顔をしかめあい、その声の正体を確かめるべく、声のする方へ歩みを変えた。


一階の階段の下にあるちょっとした空間にそいつは居た。

どうやら誰かと電話しているらしく、僕らは話している内容が聞こえる所まで近づいた。


「ねぇパパ、私!…うん!!……そう、合格よ!!………うん。一緒に受験した子達とごはんも行ったのよ!すごく楽しかったわ!!……うん、うん。ありがとう!」


エミィだった。

普段の冷徹な声色とは程遠く、そこにはただ褒めてほしいばかりに、己の功績を嬉々として親に伝える幼い少女の姿があった。


なんだが、反抗期の娘の意外な一面を見たようで、なんだか心が暖かくなっていったように感じた。


こころさんと顔を合わせてしまい、たまらず吹き出しそうになった。

こころさんは顔を真っ赤にして、笑いのダムがすぐにでも決壊しそうになっており、僕もそれにつられそうになったのだ。


忍び足で、僕たちはその場から離れようとした。

さすがのエミィでもこんな所でも見られれば憤死ものだろう。この出来事はいつの日かの懐刀として大事に暖めておこう。


もう離れようかとこころさんへアイコンタクトを送った、こころさんは僕が何を言わんとするかすぐにわかってくれたらしい。


一歩歩みだした瞬間、視界の端でこころさんの服の裾が立て掛けられていたモップの柄に引っ掛かっているのが見えた。


しかし、気がついた時にはもう遅く、緩い力で引っ張られたモップはとどまる事を知らず、ただ重力に身を任せ、カコーンとやや大きめの音をたててその場に倒れた。


さっきまで、いいものが見れたと幸福感に満ち溢れていたこころさんの表情が、今度は悲壮感に溢れ、ひきつった笑いを浮かべている。


「だ、誰かいるの!?」


姿は見えないが、エミィの大きな声が響いた。

今、いちばん驚いているのはエミィの方だろう。


盗み聞きしていたことも相当まずいのだが、こんな薄暗い所で、男女二人がこそこそしているのもそれこそ怪しさ満点だろう。


幸い、エミィが走って来さえしなければ、姿を見られずにその場を離れることだけはなんとか可能そうであった。


「…ううん!なんでもない!じゃあ切るね、ばいばいパパ!」


もう考えてる暇は無い。

僕らはもう寄道せずに、まっすぐB組の教室へ向かった。


「今のって、エミィさんですよね…!」


顔色は元に戻り、今度は自然に笑いながらこころさんはそう言った。


「みたいだったね。意外だよあいつがあんな。」


「かわいかったですねぇ。」


まさに至福である。とでも言わんばかりにムフフとこころさんは笑っている。


弱味を握れたぜ!とかそういうのではなく、ただただ純粋に幸せそうな表情に、先程まで懐刀とか言っていた自分を恥じた。


「いいもの見れました。ギャップ萌えってやつですかね!なんだか涙がでてきました。」


オーバーじゃないかと少し感じたが、つい昨日の食事の際の苦労を鑑みて考えれば、涙くらい流しても不思議じゃあるまい。


こころさんは制服のポケットからハンカチを取り出そうとした。…のだろう。


きっとすぐ顔に現れるタイプなんだろうな。

こころさんの表情がスッと消え、顔からみるみる色が失われていく。今度は別の意味で泣き出しそうになっていた。


「どうしたかした?」


尋常じゃない焦りようから思わず尋ねた。


「ハンカチが……無い…です…!」


「そ、そんなに大事なものだったの?」


ハンカチの一枚や二枚…、なんてふと思ったがもしかしたらとても大事な思い出のあるものなのかもしれない。

現にこころさんの焦りっぷりがそれを語っていた。


「い、いえ…特に思い入れとかは無いんですけど…。…でも名前が入っていて……多分あそこで落として……。」


小さく消え入るようにこころさんはそう言った。

初めは、なぜそんなに焦ることがあるのだと逡巡していたが、言葉の意味を理解し、僕の表情からも血の気が引いていくのがわかった。


「あそこって…階段下…??」


僕は恐る恐る聞いた。

こころさんは静かにゆっくりと頷く。


「ははは…どじっこだなぁ…。」


「あはは…ごめんなさい…。」


もう笑うことしか出来ずに、半ば涙目で僕らはB教室に入った。



黒板に張られていた座席表に寄れば、こころさんは右前、僕は左後ろの席だった。名簿順らしいので丁度対角線に僕らは離れることとなった。


しかし今問題なのは、エミィがそのハンカチを拾ったかと、こころさんの席がエミェの真後ろにあることだった。


「無事を祈るよ…。」


こころさんから目をそらし、逃げるようにして自分の席へと僕は向かった。

ごめんよこころさん、ここで振り返る勇気は無い。




僕の席はかなり後ろの方で、教室全体を見渡せた。


この演劇科に来るくらいだ、個性的な人たちがたくさんいた。

もうこれからは、受験ライバルではなく、共に生活を過ごす仲間となる。


まだ一日すら高校生活が始まっていないのにも関わらず、なかなか大変なことがあった。


しかし、それも楽しくないと言えば嘘になる。


そう、今この瞬間から僕の新しい人生が、始まる。


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