第8話


「今日は楽しかったわ!じゃあまた明日学校で会いましょう!!」


好奇心を持ち始めた子供。例えば4、5才くらい。

あぁ、子育ては大変なんだなぁ…。


遠くに暮れる夕陽を眺める。

僕らはやり遂げたんだ。ゆっくりと視線を横に流すとこころさん。いや、僕の伴侶とも言うべき人と目が合った。


静かに僕らはうなずきあった。きっとこころさんも同じ様な思いで溢れていただろう。


右太ももの、ぐっしょりとした不快感。

ほのかに香るメロンソーダの甘い匂い。


僕は脳裏に、こころさんとの喜ぶべき共同作業(延々と幼子を共にあやす)が浮かんだ。


ーーーーーーーーーーーーーーーー



「じゃあ、これが食べてみたいわ!あとあれと…そのピザも!!」


メニューに目を釘付けにして、店員にあれこれと注文する彼女の姿はさながら、動物園のパンフレットに心踊らせる子どものようである。


「あれ全部飲んでいいの!?行ってくるわ私!!」


エミィはふと顔を上げたかと思えばドリンクバーコーナーへと走り去っていってしまった。


「…あとドリンクバー3つお願いします。こころさんはなに食べる…??」


「えっと…、これで…。」


こころさんは小さめのオムライスを指差した。


「じゃあ、以上でお願いします。」


かしこまりましたと言い残し、店員はすたすたとキッチンへ歩いていった。


「はぁ…。」


ため息がでてしまう。異性二人と食事なんて普通の僕なら緊張でどうにかなっていただろう。


それがどうだろう、かたや性悪我儘ブロンドと、キスまで済ました(仮想空間で)仲の子だ。


キスまで、済ました…?


「っ!?」


思わず身体を跳ねさせ、隣に座る女の子から離れた。


「ど、どうかされました?」


「あ、いや。なんでも。はは。」


不思議そうに目を丸くする彼女、僕はその顔を直視できない。柔らかそうな唇にどうしても目がいってしまう。


「私の顔に何かついて…」


「お待たせー!!!」


バーン!!と大きな音を立て、並々液体が注がれた3つのコップをテーブルに叩きつけた。


その液体はシュワシュワと泡をたて、薄く灰色がかっていた。3つ全て。


「なにこれ…?」


"それ"から少し距離はあったものの、ものすごい異臭が感じ取れた。


「なにって全部よ!飲めるものは飲まないとそんじゃない!!」


どうだまいったかといわんばかりに自信げに鼻をならす彼女から、悪意は感じられない、実際彼女自身の分まで灰色をしている。


「ほら、飲んでみて!私ブレンドよ!」


ずいとテーブルのそれをすっと僕らの方へ押して寄せた。一層臭いがきつくなる。ひっ、とこころさんの小さな悲鳴が隣から聞こえた。


ちらりとエミィの顔を見る。


メニューを見ていた彼女の時と変わらず、目を輝かせ感想を待ちわびているようだ。


ええい、ままよ…!


そう心を決め、目を瞑ろうとした瞬間。視界の端で一気にそれを嚥下する勇者の姿が映った。


バカな。死ぬ気か…!?


こころさんはそれをごくごくと半分ほど飲み干した所で、ぴたりと動きが止まり、ゆっくりゆっくりとコップを口から離した。


「独特な味ですね、おいしいと思いますよ!でも空さんのほうがこういう経験があると思うので一度プロに任してみては?」


ふふふ、と余裕そうな笑みを浮かべるこころさんはとても頼もしく見えた。が。

ぴくぴくと頬はひきつり、体は小刻みに震えている。


あぁなんて献身的な子なのだろう。自分を犠牲にしてまでコップの中身の交換をなるべく傷つかないように伝えている。


ありがとう、あとは任せてくれ。


僕は3つのコップを手に持ち、立ち上がった。


「どこにいくんですか?」


こころさんが低く、確かにそう言った。


「え、僕が新しいの入れてくるんじゃ…?」


「それ、捨てる気なんですか?」


死なばもろとも。お前だけ逃げるなと言いたいのか。


普段、温厚なこころさんに急に詰め寄られひよった僕はそのまま、また席についた。


「いただきまーす!」


エミィはコップを一つ手に取り、ひと口飲んだ。

瞬間、表情が固まり、静かにゆっくりとテーブルにコップを置いた。


「プロに任そうかしらね、ソラ、お願い。」


結局そうなるのか。


「はいはい、任せてください。」


まったく、しょうがないなぁ。と立ち上がろうとしたが、ガシッと右手が捕まれ、そこで動作が止まる。


「空さん?」


にこりと笑うこころさんの表情からは感情が読み取れなかった。

飲み物一つでこうも人を変えてしまうのだろうか。


もう逃げ道はない。

僕はまだ一ミリたりとも減っていないコップを手に取り、口元に近づけた。


異臭の原因はどうやら、酸味を感じさせるオレンジと、科学甘味料の特徴的な臭いが混ざった上に香るトマトの臭いだった。


思考を巡らせれば巡らせるほど、気分が悪くなる気がした。


決心し、ひと口ごくりと喉へと流し込んだ。


粉にむりやり炭酸を反応させたような爽快感の全くない泡が口内に広がり、たった一口でも口のなかはそれで埋め尽くされた。


灰色の原因はブラックコーヒーだったのだろう。泡の一つ一つに苦味が絡まっており、後味は不快感たっぷりの烏龍オレンジ。微炭酸。


コップを口から離そうとした。

が、捕まれた右手が強くギュッと握られる。


こころさんの瞳は白く濁り、それ程度じゃ許さないわよ?とでも言わんばかりに顔が歪んでいる。


浮かぶ涙を堪え、こころさんほどまでとはいかなかったが、3割ほど飲み干した。


するとパッと右手が解放され、こころさんはにこりと笑った。


「私はレモンティーでお願いしますね。」


「私もそれでお願い。苦いのは嫌。」


何事もなかったかのように僕は静かに席を立ち、ドリンクバーコーナーへと向かった。


案の定、先ほどまで頭に浮かんでいたフレーバーがずらりと並んでいる。


メロンソーダとレモンティー2つ、僕はテーブルへと引き返した。


しかしテーブルにこころさんの姿はなく、エミィだけが座っていた。


「こころさんは?」


テーブルにコップを置きつつ、僕は聞いた。


「急いでトイレに行ったわよ。テスト中行けなかったものね。」


原因は多分、他にある。


その間に店員が僕たちのテーブルに料理を運んできた。

見たことのないカートで。


「お待たせしました」


店員が慣れた手つきでテーブルに料理を並べる。

その量は3人前は優に越えていた。


「わぁ!美味しそう!」


しかしそんなことは一切気にもせず、また目を輝かせ始めた。


そんなところで丁度、こころさんが戻ってきて、やっと食事が始まることとなった。



初めはかなりの勢いで食べていたエミィだったが、パスタを半分ほど食べたところで動作が鈍くなっていった。


残りにハンバーグが丸々とピザ半分、パスタ半分が残った。


こころさんはオムライスを自分のペースでパクパクと無理なく、美味しそうに食べていた。


僕はというとどうせこうなることもわかっていので、自分の料理は頼まず。エミィの残飯を喰らっていた。


ふぅ。

僕はハンバーグを平らげた所で、十分な満足感を覚えた。


「もうお腹いっぱいだわ!」


自分が頼んだ品のたった一つすら食べきらず、とうとうパスタまで完食にはいたらなかった。


ピザに苦闘する僕には役が重すぎる、どうにかしてくれとこころさんに視線を送った。


するとこころさんは渋々箸を手に取り、パスタを食べ始めてくれた。


さて、やっとの思いで全てを完食した所で、一悶着が起きた。


トラブルで言えば何度も起きていたが、もうエミィが呼び出しボタンで遊ぶくらいはトラブルのうちには入らない。


「それ美味しそうね。」


僕のメロンソーダを指差し、エミィは言った。


「…入れてこようか?」


「いいわよ、ちょっと頂戴?」


何も考えず、渡そうとした僕の頭に、間接キッスの言葉が浮かぶ。わけあってキスには今敏感なのだ。


僕はぴたりと手を止めた。


「さっさとよこしなさいよ。」


「入れてくるよ。」


そう僕が言い終わらなくうちに、エミィが僕の持っていたコップをつかんだ。


この手は離さない。

これ以上からかわれるネタを増やされてたまるか。


ぐぐぐとコップはどっちの方へも動こうとしない。

どうやらエミィも離すつもりは無いらしい。


「わ、私の飲む?」


横で丁度同じものを飲んでいたこころさんがエミィに持ちかける。

が、そんなこころさんに一瞥もせず、吐き捨てるように言った。


「それじゃ意味無いのよ…!」


一層力が込められ、コップにかかる圧力のバランスが崩れる。


「あ。」「あ!?」


均衡を失ったコップに残された道は中身をぶちまけるほかなかった。


不運にも(幸運にも)コップの決めた倒れる先は僕の方だった。

急な出来事に対応できず、もろに下腹部にそれを受けてしまった。


「うわ!」


急いで立ちあがり、少しでも被害を抑えようとした頃にはもう手遅れで、僕のズボンには大きなシミが広がっていた。


「わわ、大丈夫ですか!?」


こころさんがナフキンで拭いてくれたが、焼け石に水。半ば諦めて僕は席についた。

冷めた目つき(のつもり)でエミィを見やった。


「ご、ごめんなさい…。」


すると意外にもエミィは珍しく肩をすぼませ、申し訳無さそうにしていた。

今思えばそれすらも演技だったかもしれないのだが、何故か僕はその事実だけで得意気になっていた。


「いいよ、しょうがないしょうがない。新しいの入れてくるよ。」


しかし、エミィは一向に顔をあげようとしない。


「本当に、反省しているわ…。」


耳まで真っ赤にして、今にも泣き出しそうな雰囲気だった。


「いいっていいって。大丈夫!」


急なギャップに僕は焦っていた、普段憎たらしい奴が急に塩らしくなるとこうも歯車が狂ってしまうのか。


何を思ったか僕は、何か飲ませればいいのでは。と対赤子マニュアルを発動させようとした。


自分のコップを持って急いでなにふりかまわず適当に目に入ったドリンクを注いだ。


「ほ、ほらこれで機嫌治して…?」


どうして僕が加害者の機嫌をとらねばならないのだろうか。

そこで僕は大きなミスに気がつく。


コーヒーだこれ。

香ばしい薫りが、鼻腔をつつく。


エミィがパッと顔をあげ、コップを見る。そしておもむろに口を開けた。


「誰のコップ…?」


ミス、二つ目。

僕ですら気にするのだから、エミィも気にするに決まってる。

さっきはただ、僕の飲んでいた物に興味があったからだったが、今や苦手なコーヒーである。


「ご、ごめん!間違えた。変えてくるね!」


「いい!!ソラのなの?」


嘘はよくない、正直に言って、変えてこよう。


「うん、ごめん僕の。」


そこまで言い切った瞬間、エミィはコーヒーに口をつけた。


「え、あ、大丈夫?」


するとまた、半分ほど飲んだところで口を離し、エミィは満足げににこりと笑った。


「たまには苦いのも悪くないわね。どうもありがとうソラ。」


対赤子マニュアルは成功に終わったらしい。

エミィは不機嫌になったら何か適当に餌を与えればいいんだ。


エミィは伝票を持って立ち上がった。


「私が奢ってあげるね、先出といて!!」


スキップ混じりにレジまで向かう姿はさながら、好きな動物のぬいぐるみを買ってもらう子どものようであった。


「騒がしい人だね…後でお礼言わなきゃ、行こっか」


と、いまだ席に座っている彼女に声をかけたが、耳まで届かず、返事は返ってこなかった。


こころさんは何か不満そうに机に頬杖をつき、からからとコップの中を回している。


「私もこぼしちゃえばよかったかなぁ…。」


何を言ったかまでは聞き取れなかったが、多分疲れたんだろう。

そう思えばどっと疲れがわいてでた、何か飲みたい。


「ごめん、コップ取って。最後に何か飲んで来る。」


するとこころさんは、回していた手を止め、そのまま自身のコップを僕に差し出し言った。


「もう会計終わっちゃってるじゃないかな、私のだけどごめんね?」


それを受けとり、こころさんの方を見た。

涼しげな顔をして、特に他意などは無いようだった。


こういう邪な考えは僕くらいしかしないのかもしれない。

実際、エミィだって平気で飲んでいた。


ここで意識して迷う方がオカシイのだ。


僕もあくまで涼しげな顔で彼女が口をつけていたであろう所に僕も口をつけた。

全っ然気にしてないよと言わんばかりに。


「あ…」


確かに聞こえた。

こころさんが小さく声を漏らした。


僕は驚いて、視線をこころさんの方に戻した。

こころさんは声を出してしまった自分を恥じるように、あたふたとわざとらしく目線を外し立ちあがり、すたすたと店の外まで出ていってしまった。


年頃の女の子が気にしないわけないじゃないか。


…周りを見渡し、誰も見ていない事を確認してから、僕はそれを飲み干し、追うようにして店を出た。




ーーーーーーーーーーー




そして今に至る。

さっきのこころさんへの狼藉はすぐに謝っておいた。


気にしてないよと笑ってくれたお陰で、僕は少し救われたが、気にしてないと言われるのもなんだか悲しい話である。


「今日は疲れたね。」


「子供がいるのってあんな感じなのかなぁ…。」


「ずいぶん大きな娘だったね。」


軽い冗談を言い合いながら駅まで僕らは歩いた。


「じゃあまた明日ね、ばいばい」


「うん、ばいばい!」



またこの三人で、疲れたとか楽しかったとか関係なく、同じファミレスで笑い合えたら、ばいばいを言い合えたら。



明日、それが叶うかが決まる。



どうか神さま、僕らをあの高校へ。

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