7.

 私は気付くと、頭を抱えて屋上に座り込んでいた。

 何も音が聞こえてこないことが気にかかり、そっと顔を上げる。


「安心しろよ、蓉子。お前は誰も殺さなくていいし、誰も殺してなんかいない」


 赤江さんの服がわずかに裂けていただけで、屋上は何も変わっていない。

 犬神の姿はどこにもない。


「チッ……。ちょっと引っかけたか」


 そう言って血振りすると、赤江さんは刀を鞘に収めた。


「怪我を……」


「いや、俺は見ての通りピンピンしている。平気だ」


 そう言って赤江さんはあっさり笑う。

 私はそこでハッとして辺りを見渡した。


「犬神は……」


「安心しろ。というか残念ながらというべきか、少し散らしただけだ。血に染みついたものってのは完全に消し去るのは無理みたいだな」


 そう言って赤江さんは続けた。


「祖父さんから聞いたぜ。お前がこの学校から去ったことをな。こう言うとなんか謎かけみたいだな」


 何が面白いのか、赤江さんはそこで一瞬唇を上に引き上げてから言う。


「だからお前をここで待っていたわけだ。何か心残りがあるとすれば、まずここに来るだろうと思ってな」


「……心残りなんか、ないですよ」


 私がそう言うと、赤江さんは私を見つめて、言った。


「嘘だな」


「学校なんか嫌いでした」


「嘘だ」


「同じ教室に通う皆が、嫌いでした」


「嘘だ」


「本当です」


  お祖父様が嫌いです。私を家に縛ってものとしか見てないから。

  学校の皆が嫌いです。何も知らないくせに話しかけてくるから。

  お父様が、お母様が嫌いです。二人とも私の元からいなくなってしまったから。

  担任の先生が家の先生が、笑いかけてくるあの人が、道行く人が嫌いです。

  皆私から去って行くから。

  皆、私を守ってくれないから。


「……それはある意味では本当かもしれないな」


 頷きながら赤江さんはそう言った。


「お前は力を暴走させ級友を傷つけたんだろう。でもそいつは大丈夫だ。たくさん血が出ていたらしいが軽い怪我だったからな。大方そいつに謝りたいと思ったんだろうが、そいつはもういないぜ。まあこんな夜中に学校に来ても会えないのは当然だが、それだけじゃなくこんな閉鎖空間じゃ余計にな」


 そう言って赤江さんは眼下を見下ろした。

 夜中だとしても不自然すぎるほどに人気がない街を。

 誰も人が通っていない、道路を歩道を交差点を。


「たいしたもんだな。こんな人払いの術をかけるとは。さっきは頭に血を上らせようと口が滑ったがなかなかの術者じゃねえか蓉子」


 閉鎖空間を作ったのは、家の人間から追われないようにだ。

 街から人気を消すのには、私がいた痕跡を消すのには苦労した。


「置き手紙でも持ってきたか?卒業後にも春休み中にお別れ会だかなんだかがあるらしいからそこにかけて持ってきたんだろ」


 どうだ?とばかりに赤江さんがこちらを見る。

 それも、ある意味では当たっている。

 私はスカートのポケットから手紙を出した。


「確かに、私はこの手紙を置きにこようと学校に来ました」


 一歩を踏み出す。

 金網の近くへと。

 そして、その手紙を金網の破れ目から、眼下の世界に放った。


「でも、こんなに上手くいったなら。その必要はもうなくなりました」


 こんなに上手く思った通りになるなら。

 こんなに上手くみんなをだませるなら。

 私は、さらに一歩を踏み出す。

 眼下の世界へと。

 犬神の存在を完全に消すため。

 私という存在を、消すために。


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