6.
跳ぶ。その影を追う。また、跳ぶ。
ガシャン、ガシャンと屋上に張り巡らされた金網が千切れそうな勢いで鳴った。
「ほらどうしたよ?俺はここだぜ」
赤江さんはそう言って先ほどいたのとは真逆の方向に跳んでいた。
瞬間移動とも言っていいその動きに、私の目と、犬神の動きは追いついていない。
「ちょこまかと……」
私は舌打ちし、彼の元に影のような姿で動き回る犬神を走らせる。
彼は軽々とした動きでそれを
さっきからずっと続くこの一連の動きに私は段々苛立ってきた。
自然に犬神の動きも大ぶりになり、赤江さんの動きを
私は犬神の使役が上手くなかった。
精神的に幼いこともあるだろうが、私はこの存在の全てを拒絶していたから、向こうにもそれが伝わっていたのだと思う。
私の痛み。私の傷み。
何度心から願ったことだろう。
お前なんかいなくなってしまえばいいのに。
そうしたら私は……。
「なんだよ、聞いていたのより全然たいしたことねえな。飼い主が未熟だと本領も発揮できねえってか」
そんな赤江さんの軽口にしかし心の中で私は平静だった。
まだ終わったわけじゃない。
人の形をしているのに、獣より化け物じみている。
そんな彼の体力だって所詮は限りがあるだろう。
疲れてきたところを叩けば勝機はある。
私は地面に犬神を這わせて、赤江さんを足下から食い千切るよう命令した。
「何度やったって同じだってことがわからねえのか」
赤江さんは肩をすくめ、自然な動きで宙へ飛ぶ。
たいした跳躍能力だ。
だけど、彼は鳥ではない。
跳んだ後は重力に逆らえず、
「……それはどうでしょうね」
私の冷静な声をなんととったか、空中で重心移動しようとした赤江さんめがけて、私は犬神を走らせる。
「……そこっ!」
「なっ……」
慌てて避けようとするが既に遅い。
もんどり打つようにもつれ合うと、赤江さんに覆い被さるようにして犬神は姿を止めた。
喉笛を食い千切ろうとするような格好のまま犬神は静止している。
「油断したな。俺を止めるとはたいしたもんだぜ。でもそれで俺の動きを封じたつもりかよ」
赤江さんは下から犬神の首を
それを見て私は純粋に驚く。
なんて人だろう。人じゃないのかもしれないが。
ゾクゾクする。
「いえ、封じるまでもないですから」
「なんだって?」
「犬神」
犬神は怒りを発するように咆哮した。
その口から垂れた唾液のような物体が滴り落ち、赤江さんの顔にかかる。
「なに……?ゴホッ」
突然のことに不意を突かれたのだろう、赤江さんはその一滴を呆気にとられたように開いた口から呑んでしまった。
たった一滴。
だが、それでいい。
「なんだ……?」
「吐き出そうとしても無駄ですよ。体内に入った時点でそれは発動するんですから」
私はクスリと笑う。
これで……何というのだったか、勝ち負けが完全に変わった。
そう、形勢逆転だ。
「貴方に私の犬神を憑かせました。無理に腹から出そうとすれば、または私を傷つけようとすれば、貴方は怒った犬神に、
「……そうか。聞いたことがあるぜ。憑き物が怒るとどうなるのか。
『
私は頷く。
祖父から何度も言い聞かせられた言葉だ。
名誉な役目だと心得よ。
犬神を家のために使役するのだ。
そんなふうにしてずっと私は。
そのように物思いに沈んで、今度は私が油断した。
「ふん、そうかよ」
そう言って赤江さんは急に立ち上がると、私の周りに渦巻いていた犬神に飛びかかった。
「貴方、何を……!」
まるで挑発そのもののその動きに、私は呆気にとられる。
「人の体内と言っただろう。悪いな、俺は人じゃなくて鬼だから体内に入ったお前の憑き物には喰われないんだ。それならお前なんて恐れるに足りない。正々堂々と犬神をぶっ倒すだけだ」
そう言って飛び込んでくる赤江さんに、犬神が襲いかかろうとしている。
「やめて!」
私は叫ぶ。
そんなことをしたら私はまた他の人を傷つけてしまう。
この人を、殺してしまう。
そんなのは、嫌だ。
もう嫌なの。
もう私は。
私は。
「私はもう、誰も殺したくないの!」
叫び声が、屋上に木霊した。
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