5.
「……そう言われて大人しく帰ると、思うんですか?」
だが、そう言って私は彼――、赤江さんに向き直った。
私が素直にうんと頷くと思っていたのか、調子が外れたように赤江さんは首を
大丈夫。
まだ、逃げ切れる。
私には切り札があるから。
「まあそんなに言われた通り帰るような大人しい気性の子ではないとは思っていたけどよ。お前みたいなちっこいやつが俺に何ができるっていうんだ?」
私はその言葉を無視し、影に語りかけた。
月の光で屋上に伸びた、真っ黒で闇のような影に。
「『来て』」
ザワリ、とその時空気が震えた。
影が急に形を取り、大きくうねる。
それは牙を
ビリビリと空気が振動する。
ああ。いつになっても慣れない。
その影が
「……それか」
赤江さんは影の獣に負けず劣らず
「話は聞いているぜ。お前の家が使役する憑き物……、『
まあ実際に目にしたのは初めてだけどな、と言いながら赤江さんは全く
「これを知っているんですね……。話が早いようで助かります」
そう言って私は目を細める。
「知っているなら逃げた方がいいんじゃないですか?これを出した以上貴方の命の保証はできませんよ」
「ふーん。もう一つ分かったことがあるぜ」
目の前の超常的な、異常な現象を目にしながら赤江さんは一歩も引く様子を見せなかった。
「お前は優しいやつなんだな、蓉子」
「……は?今なんて言ったんですか」
優しいやつ。私が?
何を。
今から命を奪おうとしている相手に彼は、何を言っているのだろう。
「今の言葉は
私はため息をつく。
今の私の心にそんな余裕はないし。
そんな余裕は、与えない。
私は、自分のことを考えるだけでいっぱいいっぱいなのだ。
自分のことしか、考えていない人間なのだ。
「馬鹿なことを言わないでください。貴方が私を引きずってでも連れて帰ると言うなら、私はそれに抵抗するだけです。貴方を動けなくしてでも……、ここから逃げ切ります」
例え、その結果命を奪うことになったとしても。
「なあ、お前のお祖父さんが言っていたぜ」
赤江さんは挑発ともとれる私の言葉には反応せず話題を変えるかのように、不意にそう言った。
「……何を、ですか」
今更あの人の言うことに、私とこの『犬神』を家の便利な道具としか見ていないようなあの人に興味なんてないが、一応その言葉を聞いておく。
「お前が目に入れても痛くないほど大事な孫娘なんだとよ。いいお祖父さんだな」
そう言って赤江さんは皮肉気な笑みを浮かべた。
いや、私がその言葉を皮肉に感じているからそう見えたのだろうか。
どんどん冷めていく心を見ないふりをして。
私は心底嬉しそうに見えるように、笑みを浮かべた。
「ええ。仲良し家族です」
そう言ったとき、私は本当はどんな顔をしていただろう。
だけど、どんな顔をしていようと赤江さんには、私の嘘の裏に隠した
ふん、と鼻を鳴らして赤江さんは言った。
「こいつはとんだ狼少女だな」
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