3.


「近寄るのがだめならここからでもいいかい、蓉子ちゃん」


 どかっと音がしそうなくらい勢いよく彼は屋上の床に腰かけ、その人は私にそう告げた。


「あっと気安く呼ぶのもだめなんだったか……。でも面倒くせえなー。じゃあなんて呼ぶか。そうだな……」


 独りごちてその人はぽんと手を叩いた。


「よしヨーヨーでどうだ」


「なんでですか」


 あだ名……?多分そうなのだろうけどセンスがひどい。

 今時小学生でも付けません、そんなあだ名。


「いいですよ、蓉子で……。名字が嫌いなだけなので」


 嫌い、なんて感情論で語れるほど生易しいものでもないが。


「ふーん、そうか」


 そう頷く彼に私は言った。


「というか、何故貴方は私の名前を知っているんですか?なんで私に話しかけたんですか。もしかしなくても小さな子が好きな変態さんですか?」


 彼とは今日初めて会ったはずだ(おそらく)。

 見た感じ二十代くらいのお兄さんであるが、初対面のそれもいい年の大人に気安く話しかけられては警戒するのが普通の反応というものだろう。


「あ?……ああー」


 その人は一瞬にらむように切れ長の目をすがめたが(怖かった)、納得したように頷いた。


「安心しろ。たまに誤解されるんだが俺にそういう趣味はない。それに小学生が夜中に一人でうろついているのを見かけて大人が声をかけるのがそんなに悪いことかよ?」


 そんな常識を確認するかのような口調で一見常識的に感じる台詞を言われても。

 夜中に一人で歩いている子供を心配して大人が声をかける。

 これ自体は別に普通のことだろう。

 褒められた行為だ。

 しかし、しかしだ。

 そんなに非常識な格好をして、常識的なことを言われてもと私は思ってしまった。

 彼はさして寒くもない春の宵である今に、革製のいかにも熱そうなコートを羽織っている。

 それだけでも異様だったが、はっきり言ってもっと異様だったのはその腰に巻いているベルトに差した刀である。

 日本刀、というのだろう。

 大小二本の刀がその腰にある鞘に収まっていた。

 何に使うのかは知らないが変身ヒーローでもあるまいし、本当に不審者じゃないのかと疑うには十分だった。

 まあ不審者にしては対応は普通であったが。

 普通に見える異常というのもよくあることだろうから。


「別に悪いことだと言うつもりはありませんが……」


 私は彼の視線から目をそらしながら、そう言う。

 その視線は真っ直ぐで。

 まるで間違ったことなど何もしたことがないような。こちらの歪んだ心を見透かしたかのようなそんな目をしていたから。


「そうか。ありがとうな」


 その瞳がふっと緩んで突然言われた感謝の言葉に私は面食らう。


「何がですか」


 ナチュラルにお礼を言われて身構えてしまった。


「いや、認めてくれて礼を言うって意味だ」


 別に認めたつもりはないですが。

 訂正するのも面倒で私は目をそらしたままうつむいた。


「でもそうだな。こっちだけ名前を教えないのはフェアじゃねえよな」


 こちらが何も言っていないのにうんうんと一人で頷いてその人は言った。

 誇り高く、気高く、何より高慢に。

 それが大切なことであるかのように名乗りを上げた。


「俺の名前は赤江あかえつくるだ。故あって始末屋をやっている」


 彼――、赤江さんを見つめると見惚れるような笑みでこう言った。


「というわけで改めてよろしくな、蓉子ちゃん」

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