3 当たらない

3-1 気持ちを変えたくて

 憂鬱な週末、僕は電車で揺られながら秋葉原に向かっていた。シューティングレンジに用事があるとなればいつもは銃を持ってゆくが、今回に限ってはほぼ手ぶらだった。


 何も持ってこなくていいので、シューティングレンジに来てください。


 高沢さんの連絡は飲み会の終わり際の重苦しさをまとっていなかった。結局高沢さんが言葉なしに日本酒を少しずつ飲んでいって、枡の中の酒がなくなったところでお開きとなったのだった。もちろん二次会としてハシゴする雰囲気でもなかった。


 僕はそのときの居心地の悪さを覚えている。高沢さんに知られてしまった。高沢さんと比べて僕がうまく点を取れないことが苦しいこと。高沢さんから染み出す言葉が繰り返し響くのである。


 苦しい気持ちになるばかり、たしかにその通りだ。でも、どこか違う。僕自身が生み出したターゲットの紙に気持ちをかき回される。追い詰められる。ぐちゃぐちゃにされる。でも、高沢さんを拒否したいわけじゃない。高沢さんに声をかけてもらえたのは素直に嬉しかった。誘ってくれるのも嬉しかった。


 高沢さんを見ていたい、というのは気持ち悪い言葉になってしまうが、あの美しさには抗いがたいものがあるのだった。見とれてしまうと言うべきか、それとも麻薬や媚薬のたぐいと言うべきか。いつしか幸せな気持ちになるのだ。


 相反する感覚。それらがぶつかり合って、マイナス。これが今の僕だった。


 シューティングレンジへ重たい足を引きずって行けば、前回と同様、高沢さんがすでに待ち構えていた。違いがあると言えば、彼女の愛機を持ち運ぶキャリーがないことだった。それどころか、手にしているのはスマートフォンだけで、エアガンが入っていると思しき装備もなかった。


「あ、おはようございます、来てくれてありがとうございます。前回のことがあったので、もしかしたら、と思っていたのです」


「そんな、高沢さんのお誘いですから。ところで銃を持ってこなくていい、というのはなぜですか。レンタルの銃を使うのですか」


「まあ、レンタルも場合によっては、ですね。私の荷物はすでに中に運んでいるので」


 重たい気持ちを抱えたままシューティングレンジへの階段を下りてゆくと、的にBB弾が当たる鋭い音がないのに気付いた。スマートフォンで時間を見るが、すでに営業時間のはずだった。軽やかに階段を下りてゆく高沢さんは僕を置いて行ってしまう。僕が階段を下りきったところで彼女を通した自動ドアが閉まってしまえば、扉に貼り付けられているラミネート加工された掲示が僕の足をその場に留めさせてしまうのだった。


 『本日全レーン貸し切り』と書いてあった。目をこすっても全く同じ文言、僕の目がおかしくなったわけではなかった。恐る恐る中に入れば、シューティングレンジのスタッフと高沢さんだけ、他の客はやはりいない状態だった。


 いつもは使っていない十メートルレンジ。高沢さんがゴーグルをかけながら入ってゆく姿を違和感と共に眺めていた。APSのピストルを使うのであれば五メートルのレーンを使えばよい。十メートルなんて倍の距離である。そもそも銃を持ってこなくても構わない時点でいつもと違う。高沢さんは荷物は運んだと言っていた。意味するものは。


 レーンの中から高沢さんが僕を呼んでいて、呼び寄せられるまま中に入れば、『荷物』の前にいる高沢さんがいた。


 ジュラルミンのような金属のケース。中にはスポンジが詰め込まれていて、斜めに四丁のハンドガンがあった。APSで使う精密射撃のピストルではない。サバイバルゲームで使う類の、実在する銃を模したそれら。


「今日はスティールというものをやってみようかと思いまして」


「スティールってなんですか」


「色々とルールはあるみたいですが、簡単には早撃ちですね。鉄製のターゲットを撃つんです。最後に撃たないといけないターゲットだけ決まっていて、それぞれの撃ち方は各々が決めるみたいです。あんな感じに」


 高沢さんが指差すのはレーンのターゲットがある方だった。普段のシューティングレンジとは異なり境界線代わりのテーブルは取り払われて、壁に備え付けられているターゲットの手前には円形の金属板が五つ、それぞれがそれぞれ五本のポールに取り付けられていた。高さも奥行きも様々、APSで使用するターゲットに比べれば格段に大きかった。


「タイムを測るつもりなんてありませんが、ただ撃つだけじゃあアレかなと思ったので、こんなのを用意してみました。私もやったことがないので、店員さんにレクチャーしてもらおうと思ってます」


 店員はどうやらスティールの競技会、いわばAPSカップのようなもので出場したことがる人らしかった。ホルスターのつけ方からターゲットの撃ち方のコツまで、一時間ぐらいかけてレクチャーしてもらった。


 その間の高沢さんはやはり高沢さんだった。はじめてやるとは思えないほどの身のこなしだった。引っかかるところがなかった。全てが一体になってスムーズに連動するのである。腰、腕、手、指。精密射撃のときとは比べ物にならないスピードで体が動き回る。


 対する僕は一体どうだったか。ホルスターからハンドガンを抜くことさえ難儀してしまっていた。高沢さんからの借り物なのにちゃんとグリップを握れなくて、床に落としてしまう始末だった。幸い壊れている様子はなかったものの、代わりに僕が壊れてしまいそうだった。


 そつなくこなす高沢さんと、できない僕。


 高沢さんは心配してくれてはいたものの、その言葉が地味に響くのだ。現実を突きつけられてしまっているかのような恐怖にかられる。そう思い込んでいると信じているが、でも、自分を疑ってしまう。


 悪い考えが悪い考えを呼ぶ。心の中で彼女のシューティングをカウントしてしまうのだ。


 一秒、二秒、三秒。


 高沢さんのチャレンジが終わって入れ替わりに僕が立った。ボタンを押して両手を上に挙げる。ブザーを待つ。


 一瞬の静寂。


 ブザーがなれば銃を抜くとき。腰のホルスターから素早く銃を抜いて最初のターゲットを狙う。右端のターゲットが最後に撃たなければならないもの。だから左の的を狙うが、ふらつく銃を押さえ込むのに時間を費やしてしまう。これだけでも一秒かかってしまう。サイトとターゲットを一直線にして。撃てば甲高い音。そのままの腕と銃を固定して残りの的を撃つ。


 ほら、遅い。どう考えたって僕のほうがもたもたして、高沢さんには及ばない。体もぎこちなく動いている気がする。言うことを聞かない。彼女がしているように、僕は撃てなかった。


 ポジションから離れて高沢さんと交代する。きっと高沢さんはまた素晴らしいパフォーマンスをするのであろう。精密射撃のときもそうだけれど、安定しているのだ。ルーティンをルーティンとしてきっちりこなすのが彼女の振る舞いだった。


 僕がそのときを待った。ブザーからはじまる数秒の世界、高沢さんの舞台。


 はたして僕はどうしたいのだろうか。高沢さんを見たい気持ちがある一方で、高沢さんが速く撃ちきることを恐れている。じわりじわりと僕を苦しめるこの矛盾した感情はコントロールし難いものだった。どちらかを押さえ込むことも、どちらかを全面に感じ取ることも方法が分からなかった。


 もんもんとした心持ちでブザーを待っていたが、一向に音が聞こえなくて、違和感となって僕を覆った。高沢さんは一向に両手を上げなかった。鳴らない、ということはブザーを鳴らすためのボタンを押してさえいなかった。構えてもいなかった。ただ、ラインの前で突っ立っているだけだった。


 藤さん、と言葉にする声があって、音のないシューティングレンジに溶けていった。


「楽しくないですか」


「楽しくない? どうしたんですか急に」


「藤さん、ずっと楽しそうな顔をしていないじゃないですか。どうしてそんな辛そうな顔をしているのですか。私と一緒にいるのが嫌なのですか。私が嫌なのですか」


 高沢さんの言葉がまたたく間に空気に混ざり合って、なんだか意味が掴み取れなかった。いや、言っていることは理解できる。僕が楽しそうにいていないからだ。そんな顔をしていないからだ。何で僕の顔を気にしているのだろう。


「私は藤さんと一緒に楽しみたいんです。APSで得点が出るのが嫌だと思って、私が得点を出してしまうから嫌なのだと思って、だからこうやって私もやったことないことをやっているし、比べるものがないようにタイマーも使わなかったのに。どうしてなんですか」


「僕は、嫌だなんて思っていないですよ。こういう機会を用意してもらっているのはありがたいですし」


「それならどうして、ターゲットを狙っているときにつまらなそうな顔をしているのですか。ラインから離れた瞬間の苦しそうな顔は何なのですか」


「それは、ただ、うまくできたと思えなかっただけで」


「ブルズアイをやっているときと同じ顔でしたよ」


 どれだけ言い繕っても塗り固めようとしても無駄だった。高沢さんは僕を見破っていた。いくらノーと言ったところで高沢さんにはその嘘が分かってしまうだろう。高沢さんが誘ってくれたスピードシューティングも精密射撃も変わらなかった。どうあがいても比べてしまうのだ。


 高沢さん、僕。


 僕が劣っていることをまじまじと見せつけられているかのような。


「もう、今日はやめましょう。終わりです。貸していたものを返してもらえますか」


 まだやりたい、と言う口はどこにもなかった。黙って腰からベルトを引き抜いた。ホルスターと中に入ったままのハンドガンを渡す際でも言葉を発することは許されないような気がした。彼女の手に戻った装備を見ると、大事なものがなくなってしまった気持ちがふつふつと泡立つのであった。

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