1-3 APSカップ

 毎週のようにシューティングレンジに通えば、毎週のように彼女がいて、それでいて気付いたときには射撃を観戦しあう関係になっていた。言葉を交わすこともなくて、ただただ互いの射撃の様子を見合うばかりだった。まるで申し合わせたかのような射撃のやり合い。決して約束しているわけではなかった。誓って、自然の成り行きでそうなったのだ。


 別に戦っているわけでもなく、ただただ彼女の射撃の美しさを感じるばかりだった。


 はてさて、不思議な射撃の試合をいくつ繰り返したのか。その日の僕は開店前から店の前に並んで、一日中射撃に打ち込むつもりだった。開店から閉店まで、撃って撃って撃ちまくってゆく腹づもりだった。


 一番乗りで誰もいないシューティングレンジは静寂に包まれていて、いつもの見慣れた光景とはまた異なる趣を醸し出していた。いるのはスタッフだけで、がらんとした各レーンにはまるで全館を独占したかのような優越感があった。


 入るレーンは当然五メートル。複数ある中で、僕は真ん中のレーンに入った。誰もいないから何も気にすることもなかった。ずっと彼女のことを意識しながらの射撃であったから、僕だけの世界に浸るのは久々によい感覚だった。


 耳にけたたましい銃声を聞いて周りに人が入ってきていることを知った。左右を見渡したところ、何人もすでにレーンで構えている様子。普通なら分かっていてもよいことなのだから、周りの音が聞こえないほどに集中していたということらしい。


 世界の隔離が崩れるなりどっと押し寄せるのは音だけではなかった。体の末端から犯してくる鉛のような重さだった。風邪を引いたときほどではないが、体を動かすことが鬱陶しく感じるようなそれである。


 エアガンをテーブルに置いてレーンの外に出た。受付をしたカウンターを横に通り過ぎて奥の一角へと足を進めれば、そこにあるのは小さいながらも休憩ができるスペースだった。四人がけテーブルセットが四つ、壁際にはエアガンや銃に関する雑誌が突っ込まれたマガジンラックがたたずんでいた。


 適当な椅子に腰を下ろして途端に脱力する。見た感じでは大して疲れるように見えない射撃だが、姿勢がぶれないように考えると絶妙な筋肉使いが求められるため、全身に疲労が回るのだった。特に背中と銃を持つ右手、肩から上腕にかけてと手首周りは休ませなければならなかった。


 ほとんど使っていない左手でスマートフォンをいじる。右上の時計を見てどれぐらい休もうかと企てるが、それよりもまず、かれこれ二時間も撃ち続けていたことにまず驚いた。いつの間にかそれだけ時間が経っていたとは予想だにしていなかった。てっきり一時間ぐらいしか経っていないものだと思っていた。


 今日はまだまだはじまったばかり、多少ゆっくりしていても怒られはしまい。上半身をテーブルに任せて、半ばうつ伏せの格好になりつつも、左手でスマートフォンのゲームアプリを立ち上げるのだった。


「あの、すみません、いいですか」


 セーブデータをロードしてさあこれから、というところで見知らぬ声があった。僕だけしかいない休憩スペースで声があるとすれば、向き先は一つだけだった。顔を上げる前から椅子を引く音がした。


 僕が了承もしていないのにどういうつもりなのか、と思いかけたところで全く別の問いかけが僕を横取りした。銃を持っていないのは何で? 目を守るためのゴーグルを手に持っているのはなぜ?


 僕だって射撃しているわけでないのに、見られている理由とは一体。


 自分自身のコントロールが末端まで行き届かなくなって、するりこぼれゆくスマートフォンを掴むこともできなかった。鋭い音にも一瞬反応できなくて、何が起きたのか分からなかった。目の前にレーン越しに見ていた彼女の顔があることを知って、それからスマートフォンが落ちているのを認めるのだった。


「ええっと、そのう、何か」


 これが彼女と交わしたはじめての言葉だった。続けて、


「あなた、APSの銃で練習していましたよね」


 これが彼女がしたはじめての返事だった。


「はい、いつもここで」


「私もそうなんですよ。色んな所を使っていたのですが、このシューティングレンジであなたが精密射撃をしているのを見て、それから通うようになりました」


「そうだったのですか。あの、お名前は」


「すみません、私は高沢です」


「僕は藤です」


 まさかの僕が彼女、高沢さんがこのシューティングレンジを使いはじめるきっかけになっていたらしかった。近くで見てみれば日本人形のような雰囲気だった。やや吊り気味の細い目が気になった。


 面と向かったことで分かったのだが、僕は高沢さんの顔を全く見ていなかった。見ていたのは彼女の撃っている姿だった。ああこんな顔をした方なのか、テーブル越しの彼女を見てぼんやりと考えていた。


「私、APSをしている他の人に会ったことがなくて。私が言うのも何ですが、APSをはじめた理由なんてあるんですか?」


 好きでやっているに決まっている。ただ思っていることを口にしてもよいと思えるが、わざわざ理由を聞いてくることに対して突き放しているようにも見て取れる。シンプルな理由とは別の、それっぽい見た目の理由が求められている気がした。


「精密射撃の独特の雰囲気と言うか、ひたすら的と向き合っている感じが好きで。サバイバルゲームをしていたこともあったのですが、わいわいやっている空気がなんか嫌だったんです」


「じゃあはじめはサバゲーからはじめて流れ着いたような感じですか」


「そういうことになります」


 嘘は言っていない。好きでやているきっかけをひたすら肉付けした感じである。みんなでわいわいがやがやで、一発撃たれてしまえば終わりというのが僕には合わなかった。的と僕の真剣勝負な雰囲気がよい。


 さあ、高沢さんの番だ。が。


「素晴らしい理由をお持ちなんですね」


 なぜか褒められてしまった。


「私の場合は、そういった前向きな理由がなくてですね。もともとは積極的にやろうってクチではなかったんです」


「じゃあ、APSも好きでやっているのではないのですか」


「最初はそうでしたよ。でも、藤さんが練習している姿を見かけてからは、ちょっと頑張ってみようかなって思ったんです」


「僕の姿ですか」


「ええ、すごく一生懸命そうに練習している印象でしたので」


 見られていない、と考えていたがどうやら思い違いだった。僕が気付いていないところでちゃっかり見られていたらしかった。


「僕、そんなに一生懸命そうに見えましたか」


「見えましたよ。すごく得点を気にされていたようですし」


「見ていたら分かるんですか」


「ターゲットに対する執着心と言うか、そんなのを感じましたよ。あくまで私の印象で、ですが」


「高沢さんも僕のことを随分と見ているようですね」


「同じことを共有できそうな人を見かけるなんて思ってもいなかったですから」


 高沢さんが顔をほころばせている様子はレーンで見せる姿からは全く想像ができなかった。あれだけ格好のよい射撃をするのだから、クールで落ち着いた方のように想像していた。面と向かった印象にだって日本人形のようなきれいさがあった。それにもかかわらずこの破顔。


「私もちょっとやる気が出てきているので、こんなのはどうです? 私と藤さんとで練習して、APSカップに出ませんか」


「APSカップ? 何ですか」


「私達が使っているエアガンを使って行う精密射撃の全国大会です。まあ、全国大会と行っても予選があるとか、なみいる強豪が集まるとかいうものではなくて、みんなで得点を出してみましょうっていう練習会みたいなものです」


「そんなのがあるんですね。僕知りませんでした」


「それでどうでしょう、一緒にやりませんか」

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